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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
六章 二筋の光

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開かれる、ネクロアートの扉 3

 最初の作品は、昼夜の息絶えた森が舞台だ。


 そこで、紅葉をイメージした無数の花びらが舞い、その中央に大輪の花が咲いている、といった構図のものだ。


 もちろん、中央に咲いている大きな花は、それを模した人間の姿である。


 赤く色づいた肌の全裸の女性。


 その体には、何本もの蔦が巻き付いており、まるで、その蔦を通して、彼女自身が地中遥か深くより養分を吸い取っているようだった。そうして、いつかその半開きの両目が、しっかりと見開かれるのではないかという印象を受ける。


 その一枚を見た二人は、それぞれに短く感情のこもった声を上げた。残念ながら、それがどういう感情かは分からない。


 そうして何枚もの絵画、あるいは写真を鑑賞した二人は、良くも悪くもネクロアートの脈動に、視線が釘付けになっていた。反応自体も、次第に素に近いものへと変わっていく。


 柊は、「こ、これはグロいわね…」と顔を背けたり、「まるで生きてるみたいね」と小さく頷いたり、「あ、これは普通に、とっても綺麗」とただの絵画でも見ているかのような反応をしていた。


 あまりにも、死体がそのままそれだと分かりやすく描かれている絵には、柊も理解し難い様子であったが、逆に死体らしくない――つまりは人形のようであったり、生きているふうに見えたりする作品には、興味深そうな反応を示していた。


「何だか…、これが死んだ人間だっていうのを、忘れてしまいそうになるわね」

「ふふ、そうねぇ…」


 想像とは全く違う二人の姿に面食らった冬原だったが、とうとう最後の頁が近づいてきたので、黙ってその瞬間を待っていた。


 そして、最後の頁がめくられる。


「へぇ!これなんか最後だけあって、す、ご…」


 最後の頁を見始めた柊の表情が、段々と強張っていく。それから彼女は目を大きく見開いて、本の中の人物と、冬原の奥に座る綺羅星とを見比べていた。


 静かな月夜の海をバックに、ぽつんと残った岩礁というステージで人魚が横たわっている。


 見れば見るほど、その人魚は綺羅星にしか見えなくなる。


 体つきはその辺のモデルによくいそうだが、やはり灰色が混じった長い黒髪と、グレーの環の中で煌めくエメラルドは、世界のどこを探したって綺羅星しか持ち得ない財宝のような気がしてしまう。


 渦中の人物である綺羅星は余程驚いてしまったのか、絶句したまま絵画を凝視している。


 そっと、本に片手を伸ばしたところで我に返ったのか、息を呑みながら手を引っ込める。

 その反応を見て、冬原は眉をしかめた。


 彼女がモデルの絵画ではなかったのか。いや、どう見ても、彼女以外ありえない。

 こうして間近で見比べてみて分かったことだが、最早瓜二つという次元を越えている。


 だが…、綺羅星の驚きぶりから考えるに、彼女がこの絵のことを知っていたとは思えない。


「ちょっと、アンタ、これ、何よ」疑惑と責めるような響きを込めて柊が言う。

「ええ、驚いたわ、とても…、似ている」


「驚いたわ、じゃないし。似ているって、どう見てもこれは、アンタそのものじゃないの」


「私じゃないわ」


 ジロリ、と綺羅星がこちらを睨みつけたような気がした。だが、それは自分の中に宿るかすかな罪悪感が見せた幻だったようで、実際の彼女は、無表情でこちらを見つめているだけだった。


 その視線に絡め取られるように柊の目線もこちらに向けられている。どういうことか説明を求めているようだ。


 どのみち、こちらが口を開かなければ話は進まないだろう。


「私、こういう画集はフリーマーケットとか、古本屋、ネット通販とかで買うんだけど…。つい一ヶ月ちょっと前にこの画集を買って、驚いた。だって、噂の転校生がこんな絵の中にいるんだもの」


「一ヶ月前ぇ?何で早く言わないのよ」


「それ、何て言うの?」

「は?いや、普通に…」


「死体のモデルをしましたかって聞くの?」と呆れ口調で尋ねた冬原の言葉で、柊はあからさまに不機嫌な顔つきになった。


「何よ」

「何って、何が」


 普段なら、口にするだけで冬原を黙らせることの出来る魔法の言葉。

 それが通じなかったことで、逆に沈黙を強いられた柊は、二人とは反対方向を向いてぼそぼそと悪態をついていた。


 そんな二人を人形のような顔のまま観察していた綺羅星は、ふっと相好を崩すと、「おかしな人ね」と呟いた。その声に首を傾げると、綺羅星は綺麗に微笑んだまま続ける。


「貴方の本質が、怯えた小動物なのか、それとも、自分より大きな相手にも歯向かう勇敢な獣なのか…、分からなくなる」

「だって、もう色々バレてるから…」


「そういうものなのかしら?」

「崖の上にいる間は、下を見てその高さに怯えるだろうけど、落ちた後は、もう怖がらないでいいでしょ」

「本当に恐ろしいものが、崖の上にいるのか下にいるのか、分からないものなのに?」


「どうせ上には戻れない。関係ないよ」


「ふふ、そうね」と、珍しく幼い笑顔を見せた綺羅星は、ぐっと体を冬原に寄せた。


 柊のむせ返るような甘い香りとはまた違った不可思議な香りに、一瞬だけ脳みそが揺れる。


 肌が露出している数少ない部分である首元から漂うその香りからは、香水などとは違って、自然な色香を感じた。


「そっちの貴方のほうが、ずうっと素敵よ」

「え…?」と突然の称賛に、目を丸くする。「言いたいことを言えない貴方より、今の貴方のほうが、とても純で、美しい」

「あ、あ…りがと、う?」


「ちょっ、ちょっと離れなさいよ!まだ話が済んでないでしょ!」


 反対側から体を乗り出して、綺羅星を押しのけようとした柊。彼女からは、例のドロドロした甘い匂いが流れ込んでくる。


 彼女に虐められていた苦い思い出の蘇るその匂いに関して、冬原はどうしても苦手な印象が拭えずにいた。


 嫌い、というわけではない。

 体や心の疼きとともにあった彼女の匂いは、いつも奇妙な感覚を彷彿とさせるのだ。


 綺羅星はまた自分の話になったことが気に入らないようで、柊の言葉を無視していたのだが、しばらくして、一つため息をこぼした。


「その絵、作者とか描かれた時期とかは分からないの?」


 それが分からないの、と口にしそうになっていたところ、柊が奪うように画集を取り上げ、乱暴に頁を捲り始めた。


 人の物を扱っているとは思えない手付きに、ぐっと腹の奥から、滾るような感覚が込み上げた。


「もうっ、大事に扱ってよ!」


 真剣な冬原の迫力に圧され、柊は呆然とした顔つきのまま、「ご、ごめんなさい」と謝罪を口にした。


 丁寧な手付きに変わった柊が、巻末の辺りを調べる。そして、不意に小さな声を上げたかと思うと、「確かに、綺羅星の言うとおりみたいね」と残念そうに言った。


 柊の指の先には、最後の頁にある『無題』の作品が、8年前に描かれたものであることを示す日付があった。


 確かに、これが正しいのであれば、綺羅星はこの絵が描かれた時期は、まだ小学生の少女ということになる。

 大人びている彼女とはいえ、さすがに8年前から今のようなスタイルであったとは、考えられない。


「じゃあ、本当に他人の空似?」がっかりした物言いをした柊。


「いえ、それはないでしょうね」と他人事のように綺羅星が呟く。

「髪の色だよね」


 そう尋ねた冬原の言葉に、綺羅星は絵から視線を逸らさぬまま軽く頷く。


「まあ、考えられる可能性としては…、小さい頃の私を見た人が、想像で描き上げたとかかしら?」


「んー…、ねぇ、アンタ姉妹とかいないの?」

「…いるなら初めから言うわ」


「そうよねぇ」と段々と興味を失いつつある柊は大きく伸びをして、冬原のベッドに倒れ込んで欠伸を漏らした。

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