開かれる、ネクロアートの扉 2
眉間に皺を寄せた状態で許可も待たず、二人は半ば無理やり中に侵入してきた。
靴を脱ぎ散らかしながら、睨みつけてくる柊の圧力に押されて、冬原は逃げ込むように奥の部屋に移動した。
後を追ってきた二人は、電気も点けず、カーテンの閉め切られたままの部屋を見るや否や、呆れたように、しかし、心配するように言葉を唱えた。
「貴方、電気ぐらい点けたらどうかしら?」
「スイッチはどこよ」
「もういいから、放って置いてよ…」
二人を迷惑そうに睨みつけた冬原だったが、逆に彼女らに睨み返されたことで、巣に逃げ込むように布団にくるまる。
そのうち、綺羅星が照明のスイッチを入れたことで、部屋は眩しく白い光に包まれた。よくこんな暗い部屋の中でスイッチを見つけたな、と感心する。
続いて、柊がドカッとベッドに腰を下ろし、スプリングを鳴らした。
柊は首だけでこちらを窺うと、突然微笑むような、悲しむような顔つきになって布団をゆっくりと剥がそうとした。ただ、冬原が力無く抵抗をすると、ゆっくりと手を離した。
秘密を知ってなお、自分を拒絶しなかったことは純粋に嬉しい。だが、それ以上に、落胆に近いものも感じてしまっている自分がいた。
きっと彼女らも、お父さんや、お母さんと同じだ。
初めは、私のことを治せると思うのだ。病だと、みんなは考える。
優しさを注いで接すれば、やがて、健康な精神を取り戻すのだと信じて疑わない。
また、あんな想いをするぐらいなら、期待しないほうがマシだ。
過去の経験から、他人に期待しないことが癖になっていた冬原は、脱力気味な様子でベッドに腰掛ける柊と、未だ立ち尽くしてこちらを見ている綺羅星を眺めた。
「冬原、アンタ、やったの」
「え?」
彼女の予測とは裏腹に、柊の口から漏れ出た言葉は、躊躇いなく疑いを表すものだった。
怒りに似た感情が湧き上がってきて、窮屈なシェルターの中から、強い語調で返事をした。
「そんなわけないじゃん…!」
「じゃあ、どうしてそんなところに引きこもっているのよ」
ふっと相好を崩しながら、再び冬原に手を伸ばした柊は、今度こそ布団の塊を引き剥がした。
情けない自分の姿が、照明の元に晒される。
しわしわになっている制服が、考えることをやめていた、自分の無気力さを象徴するようであった。
「だって…、私」
「うん」
「…聞いたでしょ」冬原は、蚊の鳴くような声で呟いた。もしかすると、綺羅星には聞こえないかもしれないと言うほどのか細さだった。
「…ええ、聞いたわ」
「だったら…!」
「でも、私はアンタの口からは何も聞いていないのよ、納得できるはずないじゃない」
そうか、結局そうなのか。
まだ、彼女は信じられていないのだ。
そんな趣味の人間がいるはずがない、自分のそばに、そのような犯罪者予備軍がいるわけなんてない、ということだろう。
冬原は、アンニュイな口調で独り言のように呟いた。
「…無駄だよ、全部、無駄」
「またそれ…。分からないじゃない」
「またって、言った覚えはないけど?まぁ、分かるよ。どうせ理解なんてできないし、そもそも柊たちにその気なんてない」
「冬原…!アンタ、どうしてそんな言い方するのよ」呆れと怒りが混ざった口調で柊が問う。
「もういいって、帰って」
「帰らないわよ」と柊が間髪入れずに返す。
「私、無駄なこと嫌いだから」
冬原が短く冷淡に言った直後に、少し離れた綺羅星が軽く笑った。きっと、いつぞや話したことを思い出して笑ったのだろう。
その他人事のような綺羅星の態度が、いやに癪に障る。
確かに、自分には関係ないと言われればそれまでの話なのだが、だとすれば、わざわざ私の家にまで来た事自体、心の底から余計なお世話だ。
やはり今すぐに、帰ってもらおう。
冬原が、そう発言しようとした瞬間だった。
「じゃあ、最後に見せなさい」
意を決した声音に、冬原だけではなく、綺羅星でさえも柊の顔を咄嗟に振り向いた。
「…何を」一応、知らないフリをする。
「もちろん、変わった趣味の絵のことよ」
…やっぱり。
室内に、ひりつく静けさが凪いだ海のように広がる。すぐに、冬原が顔を背けて言った。
「馬鹿じゃないの?本気?」
「本気も本気よ。そうすれば、私だって、多少は納得できるってものだし。あ、後、アンタも綺羅星も、私を馬鹿呼ばわりするけど、私は学年一位なのよ?分かってるの?」
「そういう発言は品格を下げるわ」と静観を決め込んでいた綺羅星が声を発する。
「何が品格よ、小賢しい」
柊は、綺羅星のほうを見向きもせずに、ベッドの縁を力強く握りしめた。彼女の握力によって、敷布団に刻み込まれた痕が何だか悲惨だ。
渋い顔をされると知りつつ、どうしてそんなことをしなければならないのか。絶対にごめんだ。
「…嫌」
「怖いの」と柊が口元を歪める。
「別に」少し図星で、ムッとしてしまう。
「分かった。他人に改めて否定されるのが、怖いんでしょ」
その挑発的な態度と言葉に顔を赤くした冬原は、キッと鋭い目つきで柊を睨んだ。
自分自身、このような好戦的な感情があることに驚きを覚える。ただし、一度剥き出しにした敵意を抑えることはできなかった。
冬原は頑として柊の提案を飲もうとはしなかった。だが、何度も押し問答を繰り返しているうちに、痺れを切らしたのか、綺羅星が声を発した。
「私も見たいわ、その絵」
「だから…!」とそこまで口にした冬原は、一旦言葉を区切ると、視線を綺羅星からフローリングの床に向けて熟考する姿勢に入った。
冬原の頭の中には、数ヶ月前から、網膜の裏に焼き付いて離れてくれない、人魚姫の絵画が浮かんでいた。
もしかしたら、これはいいチャンスかもしれない。
この流れでなら、自然と綺羅星にあの絵画を見せることができる。
そこで問い質すのだ、これは貴方ではないのか、と。
その案が自分の中で、稲光のように過ぎったときにはもう、その好奇心を満たさずにはいられなくなっていた。
「いいよ、見せてあげる」
「まあ、ありがとう」
そうしてウォークインクローゼットへと移動して、中をあさりだした冬原に向けて、柊は不服そうに、「何で綺羅星の言うことは聞くのよ…」と呟いた。
その口も、冬原が透明のアクリルケースを取り出したことで閉ざされた。
二人ともが冬原の言葉を待っていた。
彼女は無言のままで蓋を開けると、何冊かある本の中から、比較的新しめ本を取り出した。
それから、ベッドの縁に戻った冬原は、揃えた両膝の上に本を立てて置いた。それから分厚い表紙を、二人にも良く見えるように立てる。
ぎしり、とスプリングを軋ませ、綺羅星が自分の隣に座った。冬原は、柊と綺羅星の二人に挟まれる形になった。
肩を寄せて本を覗き込む二人は、姿勢こそ複製したかのように同じであったが、表情そのものは全くの別物であった。
柊は、明らかに緊張した面持ちになっており、表紙の先に描かれているだろう絵に想像力を膨らませて、すでに青い顔をしていた。一方、綺羅星は、普段の彼女とは真反対に興味津々といった様子で覗き込んでいる。
小さく声をかけて、頁を捲ってもいいか問いかけるも、どちらも返事をしなかった。仕方がなく、冬原は一人でするときと同じように、緩慢に一頁目を開くのだった。




