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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
六章 二筋の光

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開かれる、ネクロアートの扉 1

 真っ暗だった。それもそうか、と冬原はぼんやりと考えていた。


 部屋の明かりは全て消えている。いや、点けていない、といった方が正しい。


 暗いところが嫌いで、寝る前だって常夜灯にしていることの多い彼女だったが、今は先の見えない暗黒が、妙に落ち着いて感じられていた。


 人生、一寸先は闇というが、きっとその言葉を生み出した人物は、何も悪い意味だけで作り出したのではないと思う。


 暗闇がこんなにも優しいのだということを、私は知らなかった。


 見なくていい、知らなくていい、ということは、とても心地良いものだった。


 自分が息をしているかどうかも分からなくなるこの環境は、時間が止まったように静かだ。


 もしかしたら、すでに私は死んでいるのかもしれない。


 …違うな。とっくの昔に、私は生きているのか、死んでいるのかすらハッキリとしていなかったのだろう。


 生きながらにして死んでいる、という表現が、妙にしっくりくるくらいに。


 昔から、死んだ動物や虫、枯れた花に興味を抱く子供だった。


 道路で横たわる首輪付きの獣、コンクリートの森で眠るように裏返る蝉、咲かぬまま散る花。


 じっと、それらを観察する私のことを、家族は得体のしれないもののように遠巻きに見ていた。

 私は次第に、観察するだけでは物足りなくなって、絵で描きとどめるようになった。


 周囲の私を見る目から、自分が人とは違うものを愛でているのだと把握するのに、そんなに時間はかからなかった。


 そのうち実物を目にできる機会は激減した。その代わりに、絵で自分を慰める機会が増加した。


 そんなときだった、自分がネクロアートと出会ったのは。


 屍体芸術――ネクロアート。


 人の死体を美しく、儚く、ときに冒涜的に、ときに神聖に描き出す。そんな背徳的な輝きを秘めた芸術に、私は瞬く間に心を奪われた。


 グロテスクなものが好きなわけでも、人を殺すことに魅力を感じるわけでもない。


 命を失ったはずの亡骸に宿る狂気的な美に、生を越えた価値を感じずにはいられなかったのだ。


 だが、誰もそんな私の趣味を理解してはくれなかった。


 実の家族も、そのうち離散し、自分のそばには母だけが残った。そんな母も例外なく自分を拒んだ。


 私は、好きなものを、好きだと言えなかった。

 美しいものを、美しいと言えなかった。


 他人と自分との間に引かれた明確なラインが、私に人との関わりを諦めさせた。

 それで良かった、別にもう誰にも期待なんかしていなかった。


 だけど…。


 暗闇の中に、二人の人影が浮かんだ。


 私を取り囲む境界線を、軽々と乗り越えてきた彼女たち。

 片や暴力的なもので、片や不可思議なもので。


 初めは迷惑だったけれど、誰かと過ごす久しぶりの時間は、私にとって、徐々に安らぎのものとなっていった。


 …だがついに、再びそれを失う時が来た。


 荷物、置いてきてしまったなぁ、と目の前の現実から逃げるために、ぼうっと考える。


 一体、どれだけの時間が流れただろう。


 何も見えぬ闇は、次第に感覚を奪っていく。

 心地の良い静けさの中、そっと冬原は目を閉じた。二度と覚めない眠りにつけることを祈りながら。


 不意に、静寂を切り裂くインターホンの音が暗い部屋に響いた。


 あまりに予想しなかった音に、急速に意識が覚醒していく。冬原はむくりと体を起こして、リビングにあるドアフォンに近づいた。


 オートロックの向こう側に並んで立って、言い争いをしている二人は、彼女がよく知っている人物だった。


 柊と綺羅星だ。


 綺羅星の肩には、自分の物らしき鞄が担がれていて、荷物を届けに来てくれたようだ。


 冬原にとってそれは嬉しいことではあったが、いざ二人を目の前にすると、顔を合わせる気分にはなれなかった。


 どう考えても、彼女らが、私の趣味について聞かされたことは疑いようもない。


 冬原はドアフォンのモニターの電源を落として、また暗闇のベッドに横たわったのだが、五分としないうちに、今度はオートロックの先、自分の部屋のチャイムが鳴らされた。


 他の住民が入るのに便乗したのか…。まぁ、放っておけば勝手に帰るだろう。


 しかし、冬原の予想は外れ、執拗にチャイムが鳴らされた。

 冬原は、段々と音が大きくなるような錯覚に苛まれ、より深く布団に潜った。そうこうしている間に、今度は鉄製の扉が勢いよく叩かれる音が聞こえ始めた。


 冬原は恐ろしさのあまり、思わず飛び起きて身構えた。ここまでくると、さすがにご近所迷惑だ。出ないわけにはいかない…。


 忍び足で、扉の前まで移動し、覗き穴から向こうを確認する。

 その瞬間、ガチャリとドアが引かれ、鍵の閉まった扉がストッパーに引っかかる音が大きく響いた。


「ひっ」と情けのない声が反射的にこぼれる。


「何よ、やっぱりアイツいるじゃない」

「まぁ、居留守なんて酷いわ」


 聞き慣れた声…、綺羅星と柊だ。


 これ以上放置していると、隣の部屋の警察が騒ぎ出してしまうかもしれない。


 そう考えた冬原は、ドアチェーンを掛けた状態で恐る恐る鍵を開けた。すると、こちらが扉を開けるよりも、遥かに素早い勢いでドアが引かれた。チェーンに阻まれ、鈍い音が鳴る。


「あ、この!アンタ、開けなさい!」鬼気迫る形相だ。


「な、何しに来たの…」

「いいから、早く開けなさいよ」


 柊の隣で、綺羅星がウインクしてみせる。明らかに面白がっている仕草だ。


「わ、私、今忙しくて…」

「はぁ?」と柊。「嘘が下手ね、冬原さんは」


「別に、嘘なんかじゃ…」

「開・け・な・さ・い!」

「わ、分かったから静かにして」


 廊下どころか、敷地の外にまで響き渡りそうな大声を上げる柊の横で、綺羅星が迷惑そうに耳を両手で塞いでいた。


 どうしようか、とプチパニックになっていると、柊が深く空気を吸い込み、また大声を上げる準備をしていたので、冬原は慌ててチェーンを外して扉を開け放った。

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