蝶を導く星 2
建物を出て、寂しげな桜坂を下りる。無断早退だからか、柊はやたらとコソコソしていた。
そういうことを気にする余裕はあるのか、と感心しながら、気になっていたことを尋ねる。
「ところで、貴方は彼女に会って、どうするのかしら」
「…分からないわ」
「分からない?」と踏切で一瞬だけ足を止めた拍子に、綺羅星が目だけ動かして尋ねた。
「な、何よぉ…」
「あのねぇ…。一緒に行くのは構わないけれど、いざ彼女の前に立ったときに、その情けのない顔を見せないで頂戴ね?」
「うっ…。言ってくれるわね」
「そんなことになれば、引き戻せるものも、引き戻せなくなるわ」
灰色のリングに包まれた深い翠の瞳が収縮して、隣を歩く柊の横顔を貫く。
大人びた声音で、暗に柊を責めた綺羅星は、機械のように一定の歩幅でアパートへの道を行く。
「…分かってるわよ」
「分かっているなら、しゃんとしなさい」
「さっきから、うるさいわね!私だって、考えることが沢山あるのよ」
「それを考え続けていれば、貴方は幸せになれるのかしら」
綺羅星は、西日に真っ黒な影を落としながら、独特な色合いの長髪を、うなじの辺りから片手で振り払った。
腰まで伸びた、少しだけうねった髪が、空気中の微粒子一つ一つに触手を伸ばすように拡散している。
柊はそんな彼女の姿を目にして、ぼうっと魂が抜き取られるような心地になった。
時折彼女が見せる、人には似つかわしくない不気味な美しさにさらされると、心臓を握りつぶされるような緊張感を覚えることがある。
そして、その緊張感はいつも、相手に沈黙という選択を許さず、自然と発言を強制させる力を持っていた。
「は、し、幸せ…?アンタ、私を何かの宗教に入信させるつもりじゃないでしょうね」
「馬鹿なのかしら、違うわよ」と鼻を鳴らしながら、加えて彼女は「幸せについて考えない人生は、虚しいわ」と真剣な顔つきになって呟いた。
「幸せという曖昧な概念を作り出して、それを追い求めるのは人間だけの特権よ。生存本能と、生きる意味とを分割して考えられる…、地球上でたった一種類の生き物」
「や、やめて、何だか洗脳でもされそうな気分よ」
「…まあ、貴方にはまだ早いわね」
「今のはさぁ、大人になっても理解できるとは思えないわよ」
「どうして?」
「わけが分からないからよ」
「…そう。じゃあ、貴方がさっきから考え続けていることは、分かりそう?」
「…嫌な女。そういうとこ、嫌い」と彼女の言葉の意味を察した柊は、苦い顔をして、綺羅星と同じように白い布地のように広がる雲間を眺めていた。
そのうち、綺羅星は薄く笑いを浮かべると、「あらそう?私は好きよ、貴方のことも、冬原さんのことも」とこぼした。
ぽつんと呟かれたその言葉を耳にしても、柊はずっと黙ったまま歩いていた。二人の間に流れている静寂は、一足早く訪れた真冬の冷気に凍結されたようだ。
ちょうどアパート近くのコンビニを通ったとき、柊が独り言のように言った。
「そうね…。私も嫌いじゃないわ、冬原のこと」
「あら、私のことは?」
「普通」
「残念ね…。私、貴方のこと結構タイプなのに」
「え?」
「気の強そうな、吊り目。私ほどではないけれど、凹凸のある体つきに、長い手足と身長。それから…そうね、意外と強気で返されることに慣れていないところも、普段とのギャップがあって――」
「待って、え?か、体つき?ギャップって…、いや、え、怖い、え?なに?」
パニックに陥りかけている柊が、少しだけ可愛らしく思えて、つい意地悪を続けたくなる。
ぎゅっ、と隣を歩く彼女の腕を掴み、脇に挟み込む。素早く逃れようとするも、私よりも早く動けるはずもない。
「どうかしら?冬原さんより、私にしてみたら?」
「そ、そんな、別に、私、冬原のことなんて…」
「じゃあ、いいわよね?」
「いや!ちが、くて…、そのぉ…」
顔を真っ赤にして狼狽する姿が、さすがに哀れに思えてくる。
そろそろ勘弁してやろう、と綺羅星は首を傾げて、柊の肩に頭を乗せた。
「こういう冗談に慌てる、初心なところも、可愛いわぁ」
「さ、さ、最低ッ!死ね!」
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