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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
六章 二筋の光

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蝶を導く星 1

職業上、自己受容に関して色んな人とお話をしますが、


つくづく難しいものだと、日々思い知らされます。


みなさんは、自分自身の清濁、認められていますでしょうか?

 この二ヶ月足らずで聞き慣れたチャイムが響いた。


 最早、三人の居城とも言っても過言ではない資料室に、再び静寂が戻ってきていた。


 少しだけ、熱くなりすぎたようだ。

 先ほどの女生徒たちの、怯えた顔を思い出して内省する。


 だが、彼女たちにはお礼を言わなければなるまい…。


 綺羅星は、掴んだままの柊の腕を離して、くるりとターンする。

 自分の制服のスカートの裾が、体を中心に同心円状に広がるのが、何だか見ていて不思議だ。


「顔色は…、まだ少しだけ青いわね」


 真正面から私に見つめられて、柊は思い出したように顔を背け、苦い顔をした。


 女というのは、どうしてこうも、こと人の秘密に至っては鋭い嗅覚を発揮するのだろうか。


 先ほどの生徒の言ったことは、自分も前から感じていたことであった。ただ、もう少し、本人のほうで受け入れる準備が出来るまで、触れずにおこうと思ったのだが…。


 ある意味、これも運命なのだろう。


 柊と冬原、二人の秘密が封じ込められた、禁忌の箱が同時に開かれてしまった。


 顔を背けたままの柊にセンシティブな話をする前に、閉ざされた遮光カーテンを解き放つ。


 じんわりと体が温まる眩い日差しに、無意識に目を細める。

 綺羅星は、掌を光にかざすことで自分のそばに影を作った。


 ゆっくりとした動作で、いつの間にか椅子に腰掛けていた柊のほう見やり、かすかに微笑んで、彼女に言い聞かせるように言葉を唱えた。


「言っておくけれど、私は気がついていたのよ」

「…何が」


「あぁ、もう。まだ誤魔化そうとするの?強情の域を越えて、愚かね」

「うるさい…。アンタこそ、さっきの本当なの…?」


「さっきの?」

「だ、だから、その、ば、バイセクシュアルだって話」


 普段の彼女からは想像も出来ないくらい不審な挙動で、綺羅星のほうを二度見する。


 チラリと横目で様子を窺う彼女を見て、どうやら過去に何かあって、それがトラウマになっているのかもしれない、と綺羅星は分析した。

 そのくらい、彼女らしからぬ弱々しさを露呈していたのだ。


 そんな物珍しさに、ついつい悪戯心が湧き上がる。綺羅星は、意地悪く笑った。


「さあ、どうかしら?どっちにしても、私の本質は変わらないわ。変わるのは、本質を知ろうとしない人間の態度だけよ?あぁ、貴方はどうでしょうね?怖い?私が?」


 柊の顔が、一瞬で赤くなる。


 綺羅星の目は、その表情をしっかりと認識しているのに、頭のほうは、ここにはいない冬原のことを考えていた。


 殺人犯として疑われ、友達からは精神異常者と思われているかもしれない、という二段重ねのプレッシャー…。

 とてもではないが、彼女が平気な顔をしていられるとは思えない。


 それが普通だ、きっと。

 私にはよく分からない、普通の話。


 それにしても、と綺羅星は砂坂の狡猾な笑みを思い出して、臍を噛んだ。


 手段を選ばないタイプの人間なのか、それとも、冬原が犯人だと断言できるほどの確信が彼にあるのか…。まともなやり方ではない。


 とにかく今は、彼女の様子を確かめたほうが良いだろう。


 綺羅星にとってこの状況は、ある意味で、千載一遇のチャンスでもあった。


「きっと、彼女は戻ってこないわ」

「何で…?」


「あの娘は頭がいい、それに想像力も豊か。刑事の質問が、同じように私や貴方に向けられていたことにも、とっくに気がついているはず」


「でも、荷物だってここにあるのに」


「貴方が逆の立場だったらどうするかしら?殺人犯の汚名を着せられそうになっているうえに、自分が同性愛者だってことが――」

「わ、私はレズじゃない!」


 直前までは、怯えたように話を聞くだけだった彼女が、突然怒りを露わにして綺羅星を怒鳴りつけた。


 柊は、今にも泣き出しそうに、しきりに瞬きを繰り返しながら、両肩を上下させている。


 彼女の濡れ羽色の髪が数本口元に引っかかっていて、その必死さや、情念といったものをまざまざと印象づける。


 何かを言おうと震える唇を動かすも、結局、何も思いつかないのか、俯いて床の継ぎ目を見つめていた。


 自己受容とは、容易いものではないな。


 柊にせよ、冬原にせよ、誰に迷惑をかけているわけでもないのに、こうして何かに怯えている。

 そうならなければならない何かを、経験しているからだろう。


 難儀なものだ…。


 自分と、マジョリティとの違いを明確に感じながらも、己がまだ、マジョリティサイドにいられると錯覚している。それが、全ての不幸の原因なのだ。


 自分はどうだったろうか。

 記憶の蓋をどかしてみるも、変わっている自分自身を、不幸だと感じたことはなかった。


 どちらが幸せなのかと、外面上には一切出さず、綺羅星は心の中だけで笑った。


 半端に歪んでいるものと、完全に歪んでいるもの。


 少なくとも彼女たちは、私よりも不幸せそうであることは確かだ。


 人は時として、均整の取れたフォルムよりも、多少歪な造形をしているモノのほうにこそ、真の美しさを見出すというのに…。


 全てが整った芸術品こそが至高ならば、それこそ、機械にでも大量生産させて、美術館に並べればいい。

 それをしないのは、人の手で生み出す歪さにこそ価値があると、我々が潜在的に知っているからにほかならない。


 綺羅星は、何に怒っているか自覚できない子供のように、その複雑な感情に支配されている柊を一瞥すると、極めて彼女らしからぬ優しい声を出した。


「そうね…、どうでもいいことね」


 おそるおそる顔を上げる彼女と目が合う。


 その顔つきが普段の冬原にとても似ていて、綺羅星は、二人が一緒にいた理由を悟った気がした。


 すっと、二人分のバッグを手に取り、無駄のない動きで帰り支度を始めた綺羅星に、柊が何をしているのか尋ねた。


「彼女の家にお邪魔するのよ」と返すと、ファスナーを閉めて荷物を肩にかけた。


 柊は、自分の行き場を見失ったようにおどおどとしていた。だが、綺羅星が扉に手を掛けたまま振り返ることもなく、「貴方はどうするの」と呟いたことで、ようやく荷物の片付けを始めた。

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