本質を知る者 3
たいして深い意味もなく吐き捨てられたであろう言葉に、過剰に体が反応し、肩が跳ね上がる。
何か言わなければと焦れば焦るほど、口の中がカラカラに乾いて喉が詰まり、不自然過ぎる長い沈黙が流れる。
それを目聡く察した彼女たちは、じっとこちらを観察し始めた。
いくつもの眼が、こちらを囲っている。
逃げ場を無くすように、咎めるように。
まるで、ハイエナだ。
集団で弱った獲物を狙うギラついた視線も、
途端に獲物を変える嫌な意味での切り替えの良さも、
気味が悪いくらいに獣じみていた。
生臭い息すら、ここまで届いてきそうだ。
嫌な汗が体をつたい始め、呼吸すらままならない重圧が、両肩にのしかかるのを感じる。
「え、マジ?」
どこか嬉しそうな、楽しそうな口調で言った彼女たちの目には、精神の幼い人間特有の残忍さが如実に表れている。
違う、と叫びだしたかった。
何もかも、そちらの勘違いだと、胸ぐらを掴んで叩きつけたかった。
私も冬原も普通だと、後ろ指を指されるようなことは一切無いのだと、何故それが分からないのだと、問いかけたかった。
でも、今口を開けば泣き出してしまいそうで…。
震える唇からは漏れ出る言葉は、憤りではなく嗚咽である気がして。
好奇心か、嗜虐心か判別のしようがないものに染まった級友たちと、脳内にフラッシュバックする光景とで、瞳の奥が交互に揺れて、気分が悪くなる。
かき回された頭の中は、自分でも整理がつかないほどに混沌としていて、自分の体が揺れているのか、それとも頭の中だけが揺れているのか、次第に分からなくなってきた。
そのとき、空を切る鎌鼬のように鋭い声が柊の背後から響いた。
その声に引っ張り上げられるようにして、遠く深い意識の海の中に沈んでいた柊は、我に返った。
言葉を失ったと思っていた自分の喉が、うめき声のような息を発したことに驚く。
「静かにしなさい。何を騒いでいるの」
「き、綺羅星…」
冷徹な雰囲気を全身に纏った綺羅星は、すっと立ち上がった。
資料室の敷居を挟んで級友と向かい合う柊の隣に、悠然と並んだ。
背が高く、手足のすらりとした彼女に隣に立たれると、中々の威圧感を覚える。
綺羅星と、5センチ程度しか身長差のない自分でさえそう感じるのだ。彼女らにはもっと、威圧的に映っただろう。
片手を扉について、じっと自分たちを見下ろしてくる綺羅星を前に、誰もが口をつぐんでいた。だがやがて、先頭に立っていた生徒が、精一杯に毅然とした様子で反論した。
「なんかね、柊さん、レズなんじゃないかって」
「ふぅん。それで?」
「いや、ガチだったら、ヤバいでしょ。綺羅星さんも狙われてるかもよ?」
「あぁ…。そういうこと」
綺羅星は眠たそうに呟くと、チラリとこちらを一瞥した。
その瞳には相変わらずの無感情さが横たわっており、彼女たちのように自分を揶揄するような様子もなければ、擁護するような意思もなかった。
もう、おしまいなのかもしれない。あぁ、素早い返答が出来なかった私のミスだ。
綺羅星が出てきたことで、こちらの言い訳の機会も潰れた。
助ける気がないなら、何故最初から傍観しておいてくれないのか。
彼女は空気が読めない。というか、読もうという意思がそもそもないのだ。
冬原のことなんて心配している場合ではない。何なら、今は自分のほうが絶体絶命だ。
私は、学校という集団から村八分にされることだろう。
そんな未来しか見えない。
次第に自棄になりつつある柊の横で、首を捻って骨を鳴らしていた綺羅星は、瞳を閉じると長息を吐いた。それから、片目だけ開けて、ぞっとするほど冷たい口調になった。
「柊は、昨日現場にいたの。この娘が今どれだけ追い詰められてるか、想像も出来ないのかしら?」
「え、いや、まぁ、大変だったとは――」
「おまけに、一緒にいた友達が殺人鬼扱いされている。刑事からは、連日の取り調べ。もしも柊が、うっかり冬原さんを疑うようなことを言ってみなさい。刑事はそれをダシに、また冬原さんを揺さぶるわ。貴方たち、世の中に、どうして誤認逮捕というものがあるのか、想像したことがある?」
ぺらぺらと、まるで暗唱していたかのように詰まりなく、綺羅星は語った。そしてそれは、呆れに満ちたものだった。
明らかに、相手の思慮の浅さを責めるような響きが含まれており、綺羅星の話をぽかんとした顔で聞いていたクラスメイトたちは、質問に答えられる余裕はなかった。
綺羅星は、問いに答えられない級友たちに、唾でも吐きかけるような口調で言った。
「貴方たちのような無責任な輩が、適当な情報を、何の確証もなしに言い回るからよ。もしも、冤罪で冬原さんが捕まりでもしたら…。そのときは、どうなるか分かるわね」
「ちょ、綺羅星、もういいから」
「根も葉もない噂をばらまいた貴方たちのこと、今度は私が言い回ってあげるわ」
「き、綺羅星…、もう本当に、いいってば」
「黙りなさい、柊。別に貴方のために言っているのではないのよ。私は、私はね?こういう飾りみたいな頭の使い方しか出来ない人間が嫌いなの」
そう断言した綺羅星は、ギロリと敵意の込もった視線を一団に向けた。それから、ぐっと先頭の生徒に顔を近づける。
どこかの映画で見た、首の長い怪物が小さな人間と会話をするシーンが彷彿とさせられて、場違いにも柊は、そのシュールな発想に引きつった笑いが出そうになった。
「そして、嫌いなものは徹底的に叩き潰すのが私の流儀。二度とお互いに関わらないで済むように、ね」
鮮やかに微笑んで、「とっても優しいでしょう?」と口にした綺羅星。
それを見たクラスメイトたちは、ひきつった笑みで互いに頷き合うと、さっとその場を後にしようとした。
だが、それよりも先に綺羅星は、先頭の生徒のセーラーのリボンを掴んで引き寄せると、死んだような目をして、口元だけ歪ませて告げた。
「ちなみに、私はバイセクシュアルだけど…。貴方たちのような、頭の悪いガキは願い下げよ?良かったわね、ヤバいことにならなくて」
「ちょ…」言葉を失い、綺羅星を見やる。
ふっ、と彼女は笑ってみせると、掴んでいたリボンを、手に盛った砂をこぼすような手付きで離した。
綺羅星は、思いもよらぬカミングアウトに硬直している柊の腕を掴んで、資料室に戻った。
その途中で、もう一度だけ彼女たちのほうを振り返る。そして、不気味な笑顔を向けてから、扉を閉めたのだった。




