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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
五章 崖下のディープブルー

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崖下のディープブルー 2


評価、ブックマークをしてくださっている方、


心温まる感想までくださる方、


いつもありがとうございます。


この章はここで終わりですので、よければ、もうしばらくお付き合いください。

 全身から、血の気が引いていく。


 そして、それを理解したことで、先ほどまで自分が受けていた質問の意味が、全く別の側面を持つものだと察せられる。


 冬原は、反射的に顔を上げて砂坂の瞳を覗き込んだ。


 疑われている?自分が?


 どうして…。第一発見者だからというやつだろうか。いや、そうじゃない。

 おそらくは、部屋に入った経緯が、普通の人からしたら、相当不審に映ったのだろう。


 あのとき、考えなしに動いた自分を、殴りつけたくなる。


 だが…、そんな些細な理由で未成年を、しかも、女で、明らかに気の弱そうな自分を疑うなんて正気の沙汰とは思えない。


 冬原の胸に怒りが芽生える。彼女は、その激情に突き動かされるように言った。


「わ、私を疑っているんですか?」


 砂坂は無言だ。しかし、その瞳は、こちらの一挙手一投足を見逃すまいと細められていた。


「そ、そ、そんなの無理に決まってる。あんなの、私にできるわけがないじゃないですか!ナイフだって持ってないし、忍び込むのだってできない!」


「…どうして、ナイフと知っているのかな」


 しまった。


 冬原は、体が熱くなっているのか、冷えているのか分からないまま震えた。


 これは正直には、答えられない。言えるはずがない。

 口にすれば、それこそ怪しまれるに決まっている。


 今は…、断片的な真実を語るべきだ。


「あ、いえ、その、傷口から、そうかと思っただけで…」


「随分冷静に観察したんだね…。人の死体を見るのは、初めてなんだろう?」


 当然の疑問だ。彼は、何もおかしな事は言っていない。


 おかしな点があるとしたら、それは私の態度と言動だ。


 あのとき、叫び声の一つでも上げていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。

 吐き気を我慢せず、あの場に汚物を撒き散らしていれば…。


 ――普通だと、判断してもらえたのだろうか。


 今更後悔しても、全ては詮無いことである。

 とにかく今は、心証を悪くしないよう、まともなことを答えなければ。


「あ、いえ、初めてなんですけど…。たまたま目に入って」


「君は…」と砂坂が、そこで一度言葉を区切った。


 その鷹のような獰猛さを秘めた眼差しから、相手がこちらを狩り殺そうとしている気配を感じる。


 私を追い詰めようとしている。

 そうとしか、冬原には考えられなかった。


 誇張無く、彼は私を、犯人だと確信しているのだ。


 …冗談じゃない。


 たまたま部屋に入っただけで、殺人犯扱いなんてあんまりだ。


 こんなのはおかしい、犯罪者を取り締まるのが警察の仕事のはずだ。

 自分は何もしていない…していないのに。


 そう感情のままに吐き出しかけた冬原に、砂坂は無情なまでに言ってのける。


「絵が、好きなそうだね」


 その言葉が耳に入ったとき、心臓が一際大きく跳ねたのが分かった。


 誰かに手で目蓋を引っ張られているように両目は見開かれ、口は開いたまま塞がらない。

 何より、全身が震えだして止まらなくなっていた。


 今度はその震えが、恐怖と、寒気から来るものだと理解できた。


 どうして、そのことを知っている。

 誰も知らない、私の秘密だ。


 この絶妙なタイミングでその話を口にしたということは、砂坂は、その絵が一体どんなものなのかも知っているのだ。


 何を題材にして、どんな世界が描き出されているかを…。


「だ、れが…」


 そう口にした刹那、そんなことが出来る人間は、この世でたった一人だったことを思い出した。


 情けなさか、怒りか、やるせなさか、虚無感か。

 それとも、それらの全てによるものか。

 冬原の両目からは、大粒の涙がこぼれ出していた。


「お、母さ、ん…」


 そんなにも、私が嫌いか、憎いか。


 どうして、その話を刑事にした。


 そんなことをすればどうなるか、分からないほど愚かなのか。


 それとも、娘を殺人犯だと疑うほどに、私のことが不気味か、気持ちが悪いか。


 家から追い出すだけでは満足できず、この社会からも弾き出して、二度と自分の目の前に現れないようにしたいのか。


 無数の『どうして』が、脳内を飛び回る。


 その瞬間、冬原の中で何かが弾けた。


 冬原はおもむろに立ち上がり、いつか柊がしたように、自分の座っていた椅子を思い切り蹴り飛ばした。


 椅子は大きな音を立てて廊下側の壁に激突したのだが、これが滑稽なことに、何の気晴らしにもならなかった。


 無意味に痛めつけられた椅子が、酷く悲壮に見える。


 音を聞きつけ、すぐに教師が飛び込んできた。だが、砂坂が何かを声を発する前に、泣き顔の冬原に、「出ていって」と拒絶され、困惑したまま立ち尽くしていた。しかし、彼女が更に強く拒絶の意思を示したため、戸惑いながらも、指導室を後にする。


 生徒指導の教師なのに、幾度も生徒指導室から締め出されていることが、とてもシュールだった。


「はぁ、そうですか、そうですか。すごいですね、刑事って。どこでも嗅ぎ回って、野良犬みたい」


 冬原は泣き笑いのような顔を浮かべて、相手を挑発するように言葉を紡いだ。彼女はもう、半ば自暴自棄になっている。


「で、何ですか、好きですよ、絵。それの何が問題ですか」


「僕たちは、それがどんな絵なのかも知っている」


「そんなのとっくに分かってますよ。ええ、それで、そのうえで、何が問題なのかと聞いているんです」


 冬原の豹変ぶりに多少、驚いているのか、刑事は黙って、強気で見返す冬原を観察していた。


「私が、何を美しいと感じて、何を愛でようと勝手でしょ。それが犯罪なの?ねえ、何罪なんですかね、それって」


「それは、描くのも好きかい」


 突然、話を変えられて、冬腹の眉間に深い皺が刻まれる。


 冗談交じりで、「死体をですか?」と尋ねるも、刑事はにこりともせず、鼻で笑うこともなく、無機質な表情を崩さず保っている。


「…中学生の頃は、美術部でした」


 どうせ、調べれば分かることだ。

 私はしていないのだから、堂々としていればいい。


 彼だって暇ではないだろう。

 さっさと用事を済ませ、さっさと消えてもらおう。


 砂坂は一度目を閉じて、深呼吸を行うと、途端に初めの笑顔に戻った。


「いや、尋問するような真似をしてすまなかったね。僕たちは、わずかでも可能性があるなら、誰だって疑ってかからなきゃいけないんだ。分かって欲しい」


「…そういうことなら」


 白々しい、その目を見れば分かる。


 私と同じ嘘つきの烙印が、瞳の奥で闇に照らされ鈍色に浮かび上がっている。


 まだ彼は私のことを疑っていて、これ以上は口を割らない、と判断したに過ぎないのだろう。


 冬原は、今日一日だけで、刑事という存在を自分の心の中のブラックリストに登録することとなった。


 ようやく解放される。


 冬原は、ほっと安堵のため息を吐く。


 彼はパイプ椅子から立ち上がって、こちらを見下ろし、冬原の名を呼んだ。


「冬原さん」手帳とボールペンをポケットに収納しながら、襟元を正して砂坂は続ける。


「今回の事件で、重要なことをお伝えしておく。これは、絶対に他言無用でお願いするよ」

「な、なんですか」


「それは、遺体のそばに、比較的新しい鉛筆の芯が、数本折れた状態で落ちていたということだ」


「鉛筆の、芯?」


「ああ。部屋を調べても、どこにも鉛筆はなかった。まあ今どき、わざわざ鉛筆を使う人も少ないのかも知れないね」


 冬原は、それが意味することを徐々に理解し始めていた。それと同時に、いかに自分が危機的状況にあるのかも。


 青い顔をした冬原に、砂坂は言う。


「ほかにも、遺体の上に、花びらが撒かれていたそうだ」


 それには、冬原も見覚えがあった。


 ごくり、と生唾を飲む。


「本体が無いのに、転がった鉛筆の芯。そして、死体に花を添える、という行為」


「ち、ちが…」何が違うのか、自分でも分からない。


「それらを見て、僕は思った…。誰かが、遺体を花びらで飾り付けたうえで、絵を描いたんじゃないか、とね」


「そ、んなこと…」


 断崖絶壁が、自分の後ろに広がっている。


 その下で、私が落ちてくるのを虎視眈々と待っている、ディープブルーの荒れた海。

 それは、私に何を求めているのか。


「それでは、また…、冬原さん」


 凍りついたような、魂を抜かれたような冬原の体は、授業の終わりのチャイムが鳴るまでずっと、そこに縫い留められるように静止していた。

長編になってしまっている本作ですが、

8章構成で終わりとなっております。


未だにお付き合いくださっている方がいらっしゃれば、

是非、最後までお付き合いください!


読みづらかったり、もっとこうしたほうが良い、という意見がありましたら、是非お寄せください!


ご意見・ご感想、ブックマーク、評価が私の力になりますので、


応援よろしくお願いします!


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