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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
五章 崖下のディープブルー

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崖下のディープブルー 1

実際の刑事さんは、

こんな雑な問い詰めはしない…、

と思いながら書いておりました。

 廊下には秋から冬に変わりつつある風が吹き、壁に張り付くように立つ冬原の、校則を的確に遵守したスカートを揺らす。


 先ほどまで聞こえていた柊の怒鳴り声は、一旦収まっていた。


 部屋の中から、追い出されるようにして、生徒指導の教師が姿を見せる。出てきた直後、一瞬だけこちらと目が合うと、あからさまに戸惑うような顔で俯いた。


 まあ当然だろう。柊は本来、学校では生徒の鏡と称されるほどの優等生なのだ。


 そんな彼女が怒鳴り散らす様は、教師からすれば、到底信じられぬ光景だったに違いない。


 授業が始まって、しばらく経つ。柊が中に入って、十分近くが経過していた。

 しかし、中々出てくる気配はない。


 不安と心配が、とめどなく胸に湧き上がる。それを和らげるために、忙しなく指先を動かしてみるが、たいした安心感は得られない。


 もっと違うことを考えようともしたのだが、出てくるのは、昨夜、自分を甘やかしてくれた柊の、穏やかな微笑みばかりだ。


 もしも、彼女が心配していたようなことがあったのだとしたら、どうしようか。


 彼女に告げたように、自分の責にしてしまおうか。

 それとも、真実を告げて同情を買うか。


 そこまで考えて、思わず苦笑がこぼれる。


 被害者面するような真似、絶対しないくせに。

 クラスにとって、居ても居なくても変わらなかった自分を、唯一認識してくれたのは柊だ。自分が周りにどう思われようと、どうせ些細なことではないか。


 自分は、柊と綺羅星がそばにいてくれれば構わない。


 最近は一人で過ごす時間が少なかったから、昔のように戻れるかと言われると、ちょっと自信はない。

 まあ、なるようになるかもしれないけれど。


 不意に、木板に金槌を叩きつけたような音が木霊して、音のしたほうを冬原は振り向いた。


 そこには、幽霊のように顔を青白くした柊が、放心状態で立っていた。


 先ほどの派手な音は、どうやら彼女が扉を勢いよく開けた音だったようである。


 前髪は両目にかかり、その中から覗く双眸は異様な輝きに包まれていた。


 柊は冬原と目があった途端、我に返ったように、瞳に生気を取り戻した。


 何かを言おうと口を動かしたものの、結局、口を閉ざしてしまう。それから、柊は逃げるようにして立ち去っていったのだが、その背中に張り付いた違和感といったら、言葉にしようもなかった。


 開け放たれた扉の向こうでは、気難しい顔をした砂坂が、パイプ椅子に座し、手招きしていた。


 どうやら、このまま聴取を続ける気らしい。


 綺羅星の言葉といい、柊のあの態度といい…。

 やはり、彼が自分たちにとって味方ではないことは、間違いない。


 先に中に入ろうとした教師に対して、砂坂は入室をやんわりと断ったが、教師は、生徒だけで入室させることは許可できない、と態度を崩そうとしない。


 だが、砂坂のほうも譲るつもりはないらしく、困ったような顔をわざとらしくこちらに向けていた。


 君からも頼んでくれ、と言わんばかりの眼差しだったが、生徒指導の先生に意見するような、ハードルの高いことは自分にはできそうにない。


 しばし、押し問答が続いてしまったものの、砂坂が、「これは冬原さんのプライバシーに深く関わる話なのです」と真剣な口調で唱えたため、教師はかすかに怯んで、冬原のほうを一瞥した。


 意見が求められている、と察した彼女は、木目の床を見つめたまま小さく頷いた。


 プライバシー…、というのは、つまり下着泥棒の話だろう。


 教師は冬原の動きを見て、渋々相槌を打ち、砂坂を睨みつけてから、後ろ髪引かれるように指導室を去って行った。


 二人だけになった室内に、上階の教室から椅子を引きずる音が聞こえる。

 授業が少し早めに終わった教室があるのかもしれない。どこのクラスだろうか。


 ぼんやり考えていると、砂坂が一度咳払いをしてから着席を促した。

 教室で使っているのと同じ椅子を引いて、彼の斜め前に座る。


 どうして、長机を用意してくれなかったのか。

 これでは距離が近くて、彼のこちらを観察するような視線から逃れられない。


「冬原さん、昨日はゆっくり寝られたかな」

「…はい」


「柊さんが泊まってくれたそうだね、とてもいい友人だ。十代の頃の友人は――」

「一生の宝になる、ですよね」


「聞かれていたんだね、これは恥ずかしい」


 そう言って、人好きのする笑顔を浮かべる彼に、自然と警戒が解けていくのを感じるも、すぐに、顔面蒼白になった柊が脳裏に蘇って、冬原はきゅっと唇を噛み締め、油断しないように努めた。


 すると、ついさっきまで微笑みを浮かべていた砂坂の、痩せ気味の頬が、固く引き締まった。

 本題に入る、と言わんばかりに真剣味に満ちた顔つきに、思わず生唾を飲んだ。


「冬原さん、いくつか質問がある。昨日聞いたような質問も混ざるとは思うけれど、何ぶん、警察も形式に囚われる組織なんだと許して欲しい」



 刑事、というだけで緊張せざるを得ないのに、ましてや今は、一対一の状況なのだから、自分には頷く以外できることなんてなかった。



 彼は膝の上に置いていたらしき手帳を机の上に置くと、ボールペンを取り出して、さっと何かを殴り書きしたように見えた。


 砂坂はそこでボールペンを胸ポケットに仕舞うと、顎に手を当てて、しばらく思惟に耽っているふうに黙り込んだ。


 一分足らずそうしたと思うと、何の前触れもなく口を開いた。


 おそらくは、殺人事件の被害者の名前、年齢、職種、家族構成だ。

 丁寧ではあるが、事務的な口調でもあった。

 正直、それは自分には関係ないだろう、と話半分で聞く。


 そもそもこんな情報、部外者の自分に話していいだろうか。いや、この程度の情報なら大丈夫なのか…。


「彼と喋ったことは?」

「え、いえ」


「では、会ったことは?」

「…夜、コンビニに行くときに会ったことが…」


「何度くらい?」

「…十回は、ないくらい、かな」


「彼について、どう思った?」

「どうって…、別に、そんな」


「何でもいいんだ、思ったことを教えてくれ」


 そんなことを言われても、と目を回す。


 とりあえず、廊下で何度かすれ違った相手の顔を思い出そうとした。


 しかし、そもそもお互いに挨拶をしない、非社交的な人間なのだ。

 足を止めて話すこともなければ、人の視線を自然と避けてしまう癖もついているので、冬原は、相手の顔をまともに見たこともなかった。


「…顔も覚えていません。ただ、私と同じで、挨拶もしないタイプの人間だとしか」

「ふむ…。では、また別の話になるんだが、どうして君は隣の部屋に入った?」


 それは、昨日説明したはずだが、と冬原は怪訝に思う。

 まぁ、初めに言っていたとおり、同じ質問をせざるを得ないのだろう。


 昨夜と同様の話をしてみせる。

 手すりに付着していた粘着質な物体、鍵のささったままの扉。


 …胸騒ぎのままに隣室を訪れたのは、今考えたら軽率だったかもしれない。


 すると、直後の砂坂の発言により、事は冬原の予想もしない方向に動き出した。


 重力に引かれた、赤い林檎のように。

 あるいは、蜘蛛の糸からも見放された、地獄の罪人のように。


 私の運命は、真っ逆さまに地の底へと向かっていった。


「君は三日前の晩、どこで何をしていたか覚えているかい?」


「三日前の、晩ですか?」


 その質問を受けた冬原は、最初、聞き間違えかと思った。


 昨日の晩の話をしに来ているはずなのに、どうして三日前のことが関係あるのだろう。


 それとも、下着泥棒の件だろうか。いや、確か、三日前の昼に二人が自分のところを訪れたときには、すでに下着は盗まれていた。


 やはり、特段関係があるとは思えない。


 聞き間違えたのだろうと、昨日の晩の間違いではないか確認するが、砂坂は三日前で間違いないのだと言う。


 結局、彼女はよく分からないまま、その日のことを記憶にある範囲で説明した。それも、家から一歩も出ていない以上、たいした話にはならなかった。


「それを証明できる人は?」


 そう彼が告げた瞬間、ようやく冬原は、自分が何故そんな質問を受けているのか理解した.


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