出来ることなら、貴方の口から聞きたかった。 2
心臓が早鐘を打ち、全身が熱くなっていくのを感じる。
昨晩感じた熱とも鼓動とも、全く種類を異にする、気色の悪い熱だ。
あんな、あんな虫も殺せない、自分の身も守れないような女が、人を殺したって?
くそ、何だ。
何だ、何のつもりだ。
何が、そのとき部屋に入って殺したとは思っていない、だ。
そのときでなかったら、有り得ると言外に言っているようなものではないか。
自分の真正面で、隙あらば、喉元を食い千切らんとしている砂坂の顔つきに、吐き気を催す。
その不快感を叩き潰すような勢いで、椅子を膝の裏で押しやり立ち上がる。
まともな証拠も、想像できる動機も無いくせに…。
「まさか、冬原を…疑ってんの?」
目の前の男を、視線のナイフで殺すつもりで睨みつける。
その刃には、ありったけの憎悪と怒り、敵意が込められていた。だが、砂坂はそんなものには動じない、といった様子で瞬きをした。
「あくまで可能性だよ」と涼しい顔で言う。
「な、なにそれ…」
背後から、これ以上は黙って聞いていられないと考えたらしい教師が、足音を立てて近寄ってきていたが、沸点まで充分に熱してもらった柊は、つむじから怒りの炎が抜けるように、よく通る声で怒号を発した。
「ふ、ふざけんじゃないわよ!」
柊の怒声に驚いて動きを止めた教師が、ぽかんと口を開けて、怒髪天となった優等生を見つめていた。
「あの娘は、被害者でしょうが!」
「どうか落ち着いて」どこまでも、自分は冷静であると言わんばかりの態度に、虫唾が走る。
「黙れ!落ち着けるか、このクソ野郎!」
さすがの砂坂も、この罵声には面食らったように動きを止め、目を大きく見開いて、柊を見つめた。
しかし、その後、歳相応の皺が刻まれた頬を持ち上げて、彼女の発言を面白がるように笑ってみせた。
その余裕の態度が、これまた柊の癪に障り、彼女はいっそう怒鳴り声を大きくした。
「そもそも!あんなことを冬原がやって、何の得になるのよ!ワケの分からない憶測だけで、あの娘を人殺し扱いするなら許さないわよ!」
「憶測…だけではないよ」と砂坂は唐突に声を低くした。妙な気配を感じて、柊は押し黙る。
まるで証拠が…、動機があるような、もったいぶった言い方。
昨日、柊が薄闇の中で目にした、儚くも美しい瞳をぼんやりと開く冬原の顔が、ふと脳裏に浮かび上がる。
今にも消えてしまいそうだと錯覚するほどに、弱々しい光だった。
砂坂は、立ち尽くしていた教師に目を向けると、生徒のプライベートにとても関わる話をするので、離席して欲しいと頼み込んだ。
柊と砂坂を二人だけにしないためにも、教師はこの頼みを初めは断ろうとした。しかし、怒りに目を血走らせた柊がその心遣いを蹴ったので、仕方がなく、教師は生徒指導室から退出して行った。
ついに二人だけになった部屋で、柊は今にも砂坂に飛びかかりそうに息を荒くしていたが、彼がどこまでも冷静な口調で話を続けるので、怒りのやり場もなく、次第に椅子を握る手に力がこもっていく。
「ここからは、他言無用の話だ」
柊は、別にその条件を承諾したわけではなかった。
ただ、今は自分の頭の中でとぐろを巻く、怒りの大蛇を暴れさせないようにすることで必死だった。
「昨夜、彼女の実家に電話をかけた。もちろん、連絡先は彼女自身に聞いたからね」
外は風が強まっているのか、中庭に面している窓がカタカタ鳴っている。
それが一体何だ、と眉間に皺を寄せて、表情だけで尋ねる。すると、砂坂は機械のような、非常に淡白な口調で、「柊さんは、冬原さんの趣味、知っているかい」と尋ねた。
こんなところで嘘を吐いても仕方がない。
柊は無言で首を左右に振った。
砂坂は、そんな返答を予測していたかのように深く頷くと、重々しい動作で口を開いた。
「絵、だそうだ。母親に聞いた」
「絵…?」とオウム返しで問いかける柊。「そんなの、別におかしくも何ともないじゃない」
柊はそう口にしながら、それがこの事件にどう関わるのかとか、彼女が絵を描いているなんて、見たことも聞いたこともないとか、それとも鑑賞のほうかとか、一瞬の間に、色んなことへ思考を巡らせていた。
砂坂は深く頷くと、腕を組んで、ゾッとするほど沈着な声で続ける。
「ああ、だがそれは、きっと君が想像しているような絵ではない」
「…遠回しで、もったいぶった言い方。嫌いよ、鬱陶しい」
「柊さん、心して聞いてほしい」
柊は、心して聞かなければいけないような種類の絵画なんて、この世にあるのかと不審がった。
ただ、そのときの砂坂の顔が、あまりにも真剣味を帯びていたので、柊が出した声は、思わず上ずってしまっていた。
「な、何よ…。どんな、絵だっていうのよ…?」
聞かないほうがいいかも、なんてことは想像もしなかった。
人の抱えている秘密なんて、コンプレックスと同じで、周りから見たら、実際はたいしたことがないものばかりなんだから。
「それは――」と手にしていた手帳を机の上に置いて、砂坂はこちらをじっと見据えた。
だから、だから、大丈夫。
どんな秘密だったって、鼻で笑ってやるって、自分で言っていたじゃないか。
それなのに…。
それなのに、どうしてこんなにも心がざわつくのか。
ほぼ確信に近い、嫌な胸騒ぎが止まなかった。
「――人の死体の絵だ」
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