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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
五章 崖下のディープブルー

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不穏 3

「…どう思う?」

「どうって、何が?」


「だから、この呼ばれ方よ。何でアイツも一人ずつなの?事件の目撃者でもないのに。ねぇ、おかしいと思わない?」


 段々と、その声に悲痛な響きが混ざり始める。


 いよいよ柊が、精神的に追い詰められているのだと確信して、彼女の側に近寄る。


「大丈夫、多分、綺羅星さんは言ってないよ、私たちのこと」

「何でよ、そんなの分からないじゃない」


「あんなことで、刑事さんなんて来ないよ」

「ついでに言ったかもしれない、綺羅星が」


 いや、正直、その心配はもう必要ないだろう。


 冬原は、すでにそう確信していた。


「綺羅星さんが密告したなら、この場に呼んだりしないでしょ?」


「…分からないじゃない。確証なんて…ないじゃないのよ。バレたら、家族にだって…きっと…」


 冬原は、必要以上に悪いほうへと考えだした柊を見て、不思議な庇護欲が湧いてきてしまい、咄嗟に右手で、彼女の左手を握った。


 何度目かになる、彼女の体温。


 激しい感情の持ち主なのに、手は酷く冷たい。

 今は、何とか彼女を安心させたい。


 その一心で、冬原は続ける。


「そのときは、私が柊にお願いしました、って言うよ」

「…え?」


「私がね、柊に叩いてほしくて、お願いしたって」



 自分でも、荒唐無稽な話をしているのは理解している。だが、これで彼女が呆れて笑ってくれるのなら、それでいい。


「そ、そんなの、アンタ、周りから、頭がおかしい奴って思われて、それこそ虐められるわよ」


 頭がおかしい。


 チリっ、と頭の中にひりつくような痛みが蘇る。


 その言葉は聞きたくないなぁ、と本心では思いながらも、今はそんなことを考えている場合ではない、と瞬時に思考を切り替える。


「ふふ、そのときは、たまに今までみたいに放課後、会いに来てね」


 何てことない、どうせ彼女の嫌な予感は外れる。


 これからされるのは確実に事件の話だけだ。


 冬原の呑気な言い回しにようやく安心したのか、柊は、ほんの少し頬を染めて、呆れたように微笑んだ。


「…馬鹿ね、当たり前じゃない。私が素の自分でいられる場所なんて、そうそうないんだから…」


 どうやら、柊も完全に落ち着いたようだ。


 その黒曜石の瞳には鋭い知性が蘇り、自分の周囲の状況を、沈着に分析し始めたようである。


 柊が落ち着いてから一分もしないうちに、生徒指導の教師が戸を開けて姿を見せる。


 次はどちらの番だろうか、と身構えていると、彼は黙って指導室の前に立ったまま、腕を組んだ。


「先生、私たちの番では…?」と柊が訝しげに尋ねると、彼は目を開けて首を振ってから、自分は刑事に追い出されたと口にした。


 追い出された…。

 質問の途中で追い出されたのか?

 これもまた、綺羅星のときだけ。


 教師は、少し不服そうに顔をしかめて息を漏らしていたが、チラリと二人を一瞥すると、口元を綻ばせた。


「二人はそんなに仲が良かったんだな、知らなかったよ」


 一体何の話を、と不思議に思ったのも束の間で、彼の視線が、繋がれた二人の掌に向けられているのが察せられた。


 自分は、別にどう思われようと構わなかったのだが、柊に勢いよく手を振りほどかれ、手が後ろの壁に直撃してしまった。


 痛い、と文句を言いたくなったが、それよりも先に柊が早口で言い訳がましく言った。


「ち、違うんです。これは、その、ほら、冬原が緊張してるって言うから…」


「そんなこと、言ってないよ?」


「言った!」じろり、と睨まれる。「…言った、かも」


 真っ赤になって否定する柊へ、教師は、「何も恥ずかしがらなくていい」と優しい顔つきになって諭すように言った。


 どうして、ばれるような嘘を吐くかな、と冬原の口元が緩む。そんな彼女の向かい側で、教師は顔をしかめて、独り言のように呟いた。


「何で、お前らがこんなことに巻き込まれるんだろうなぁ…」


 それは、こっちが知りたいくらいです、と言いたくなるが、もちろん、そんなことは言わない。


 やがて、授業が始まるチャイムが鳴った。


 もう三十分以上こうしているのか、と上の空で思っていると、ようやく中から、綺羅星が姿を見せた。


 一声かけようかと思った瞬間、彼女の瞳に揺らめいた、得も言われぬ恐ろしい威圧感に口をつぐむ。


 怒っている?

 いや、そんな単純な感情には思えない。


 綺羅星は、くるりとターンして指導室を振り返った。


 てっきり、頭でも下げるつもりかと思ったが、彼女はじぃっ、と刑事に視線を向けたまま、突然硬直したかのように動かなくなった。


 教師が声をかけるまでそうしていた綺羅星は、柊のほうに近寄ると、中に入るように顎で示した。


 明らかに普段とは違う様子に、柊も不審そうに彼女を見ていたが、部屋に入ろうとした瞬間、再び綺羅星が柊のそばに近寄って、耳元で何かを囁いた。


「どういう意味よ、それ」


 教師の目があることも忘れて、柊が素の口調で尋ね返すも、綺羅星は、「いいわね」と呟いて、こちらに歩いてきた。


 首を傾げた柊が、教師と共に指導室へ入っていく。


 綺羅星は、冬原の目の前を横切ろうとした。だが、完全に通り過ぎる前に足を止めると、その緑灰色の瞳でしっかりと、冬原のことを見据えたままでこう言った。


「何を言われても冷静になさい」

「…ど、どういう…」


 綺羅星が命令口調で呟いた言葉に、思わず背筋がゾッと粟立った。


 その言い方ではまるで、冷静ではいられなくなる何かを言われるかのようではないか。


 どうして?犯人でもないのに、そんなこと言われるはずがないだろう。


 余計な心配のはずだ。

 さっきの柊と同じで、余計な…。


 綺羅星は、こちらの不安を読んだのか、一度強く目をつむって眉間に手を当ててから、猫のように大きい瞳を開き、大きく息を吐き出した。


「ふぅ…。少なくとも、えぇ、そうね、少なくとも、私でさえ虫唾が走ったわ。下劣な奴よ、気をつけなさい」

「え、え?」


「大丈夫、今に分かるわ。どうせ十分もしないうちに、貴方のナイトが怒号を上げるでしょうし…。でも、いいこと?くれぐれも冷静に、よ」

「待って、何でそんなこと言うの?」


 綺羅星はその問いかけに、意外なほど驚いた表情をすると、少し迷った様子で視線を動かして答える。


「どうしてかしらね…。私には、関係ないのに…。いえ、違う。きっと…、そう、思ったより私は、貴方のことを気に入っているのね。自分では気づかなかったけれど」

「気に入っている…?」


「好きってことよ」


 それは多分、語弊があるだろう。分かっていても、頬が紅潮する。誰でも、こんな美人にそう言われれば、嬉しくも、恥ずかしくもなる。


「…あ、ありがとう」


「もっと、貴方のことを知りたくなった。この後、お話しましょう、資料室で待っているわ」


 彼女は、後ろ手に手を振って、この場を去った。冬原は、そんな彼女の背中を見送りながら、意味もなく、熱の取れない頬に手を当てるのだった。

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