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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
五章 崖下のディープブルー

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不穏 2

「何よ」と、柊が面倒そうに尋ねた。


 しかし、綺羅星はただずっと黙っているだけだ。


 柊はそんな彼女を見て、不気味そうに顔をしかめたのだが、冬原は違った。


 眠り姫のような綺羅星の顔に、見覚えがある。


 記憶の箱の蓋を開けて中身を漁っていると、同じ表情は、たいして時間を遡ること必要もなく見つかった。


 日付は、初めて綺羅星に出会った日の夜。

 未だに、自分の脳裏にまざまざと思い描くことの出来る一枚の絵。


 あの人魚姫の顔に、やっぱり彼女はそっくりだ。


 いつかは、聞くことができるだろうか。

 自分の全てを曝け出して…?


 冬原は、つい薄笑いが浮かびそうになって、それを寸でのところで止めた。


 そんなこと、無理に決まっている。


 自分を生んだ母親でさえ、自分のことを受け入れてくれないのだ。

 そう、自分の半分を形作る人間さえも…。


 いや、私自身すらどうだろうか。


 自分のことは、自分が一番良く分かる、なんて馬鹿なことを最初に言ったのは、一体、誰なんだろう。


 そんなものは嘘だ。

 他人はもちろん、自分でさえも、この体の内側にある箱の中身は分からない。


 ぼんやりと、考えたくもないことを頭の中で反芻しているうちに、甲高いエコーの音が、ドアの上についたスピーカーから鳴り響いた。


 スピーカーからは、やたら重々しいトーンで生徒指導の男性教師の声が流れ、それに続けて、複数の生徒の名前が呼び出された。


 柊を含む生徒会の人間が数名と、同じクラスの生徒が数名、それから、冬原の名前が列挙される。


 それまでは特段驚かなかったのだが、最後の最後で綺羅星の名前が挙がり、反射的に彼女のほうを見やった。


「何で、アンタまで呼ばれるのよ。アンタ…、まさか」


 別に他のクラスメイトの名前も呼ばれているので、そこまで奇妙なことではないのだが…。


「知らないわ。面倒だし、帰ってもいいかしら」


「いいわけないでしょ、綺羅星も来るのよ」


 まるで、逃げ出そうとしているかのような綺羅星に対し、柊は、有無を言わさず手を掴んで資料室から出ていった。


 冬原も、嫌な不安感を胸にしたまま、ほとんど食べられなかったお弁当を机の上に残して、二人の後を追う。


 資料室のある二階から、生徒指導室のある一階まで、柊は愚痴をこぼす綺羅星の手を強く掴んだまま引っ張っていた。

 当然、すれ違う生徒には奇異の目で見つめられている。


 生徒指導室の前には、すでに他に呼び出されていた生徒が集まっている。自分たちが最後だ。


 他の生徒の姿を見て、柊は、慌てて綺羅星の手を離した。そして、彼女たちに声をかけに行く。


 それを少し離れたところから、顔をしかめて眺める綺羅星にそっと近づく。


 彼女は、チラリと冬原の姿を確認すると、小さくも綺麗な発音で呟く。


「あの娘が何を勘違いしているのか知らないけれど、私は何も言っていないわよ」


 つい先ほど、自分を抱きしめ、理由もなく謝りながら、事件に巻き込まれたことを心配してくれた綺羅星の姿が頭に浮かぶ。


 冬原は、感謝の気持ちが伝わるように祈りながら、小さく相槌を打った。


「うん、分かってるよ。綺羅星さん」


 向こう側で忙しそうに笑顔を振りまきながらも、時折こちらを窺って、焦燥感を露わにしている柊のぶんも、今は自分が綺羅星を信じよう。


 それから、五分も経たないうちに、指導室の中から、のそりと胡散臭い中年の男が現れた。


 自分と柊は、その姿に見覚えがあり、思わず互いに顔を見合わせた。


 確か、砂坂とか名乗った刑事だ。


 こうして見ると、思った以上に身長がある。おそらく、180センチにギリギリ届かないくらいはあるだろう。


 彼は人好きのする笑顔を浮かべた後、こちらに気がついて、かすかに頭を下げた。


 つられて自分も頭を下げてしまったが、柊は明らかに迷惑そうな目つきをしたまま、彼を凝視している。


 砂坂は、生徒指導の教師と共に数名の生徒の名前を呼ぶと、中へと引き返した。


 てっきり、みんな同時に中へ入るものだと考えていたので、妙な肩透かしを食らった気分になる。


 そうして、五分もしないうちに、また何名か呼ばれ、部屋の中へと消えていく。


 残ったのは、自分たち三人。


 出てきた生徒の誰もが、不思議そうな顔で残っていた三人を見つめると、これまた不可解だ、と首を捻りながら教室に戻っていく。


「他の生徒は形式上ってこと?」


 三人だけになった途端に、柊が素のトーンでつまらなさそうに声を発した。それから綺羅星のほうを睨んで、「でも、じゃあ何でアンタはまだここにいるのよ」と早口で責め立てるように言う。


「ひ、柊…」

「何よ」


 冷静さを失いつつあるように思えた柊を、どうにかなだめようとするが、冬原が気の利いた台詞を言う前に、綺羅星が挑発するように鼻を鳴らした。


「そんなに怖いのかしら」

「…やっぱり、アンタ」


「でも、何をそんなに恐れるのかしら?」

「こっちにはねぇ、積み上げたもんが――」


 いよいよ声が大きくなり始めたところで、指導室の戸が開かれる。中から、目を丸くした生徒と、生徒指導の教師が顔を出した。


 今にも掴みかかりそうな柊の形相に、男性教師が理由を尋ねるも、彼女はバツが悪そうに顔を背けて、「何でもありません、失礼しました」と顔も見ずに謝罪した。


 どう見ても納得しているような顔つきではなかったものの、中で刑事を待たせている手前、教師はすぐに次の生徒の名前を呼んだ。


「…私だけなの?」と生徒とは思えない口ぶりで、綺羅星が教師に尋ねる。

 教師は顔をしかめたが、黙って頷き、綺羅星を室内に導いた。


 一人ずつ?


 自分と柊は分かるが、どうして綺羅星まで。


 そんな疑念を感じつつも、ふと、先ほど指導室から出てきたクラスメイトがこちらに視線を向けているのに気がついた。


 彼女らは冬原と目が合うと、声を潜めて遠ざかっていく。


 …今の、私たちではなく、私を見ていなかったか。

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