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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
五章 崖下のディープブルー

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不穏 1

長編となってしまっている今作ですが、


温かく見守り、お付き合いいただいている皆様、

心より、感謝申し上げます!


どうか今しばらく、お付き合いください。

 次の日、学校に遅れて行った自分と柊は、すぐさま生徒指導室に呼び出された。


 どうやら昨日のうちか、今日の明け方かに、砂坂が部下に命じ、学校に電話を入れさせたようである。


 そのため、学校側の対応もスムーズだった。今日は、無理をして授業に出なくてもいい、ということだったが、柊と冬原は揃って登校した。


 家に帰っても、自分の場合は一人になるだけだ。


 そうなれば、どうしても昨夜のことを思い出してしまうし、よくよく考えれば下着泥棒の件だって解決していない。


 まあ、柊が相当追い回したうえ、その隣室では殺人事件が起きていて、警官がうじゃうじゃしているのだ。しばらくは、様子を見にも来られないだろう。


 教師の話では、登校するのであれば、昼休みに刑事が来て話を聞きたがっているとのことだった。


 周囲の目も気になるので本当は断りたかったが、どのみち、噂が広まるのはあっという間だ。


 たいして娯楽もない町だ、そんなところで殺人事件が起きれば、当分の間は話題になり続けるだろう。


 ただ、こういうのはプライバシーを尊重してくれるのが普通なのではないのか、と横の柊が険しい顔をして尋ねたところ、どうやら刑事は、他の生徒の話も聞きたがっているらしかった。


 一体、何のためにそんなことをするのか不思議に思ったが、考えても仕方がないことだと、目をつむった。


 せめて、家で事情聴取を受ければ良かったかもしれない。


 彼女たちは、一時限目の途中で解放された。そのため、授業中に教室へ戻ることになり、クラスメイトたちから奇異の目で見つめられることになった。


 ふと、周囲と同じようにこちらを見つめる綺羅星の姿が視界に映った。


 その目は明らかに他の生徒たちと違って、好奇ではなく二人を心配するような、憐れむような色をたたえていた。


 授業が終わると、すぐさま柊と冬原の周囲に人だかりができてしまう。


 事のあらましはもう、今朝のニュースには上がっていたらしく、事件を知らない、という人間を探すほうが難しかった。


 あまりに多くの質問を矢継ぎ早にされて、頭が混乱してしまう。


 野次馬根性か、ハイエナか。とにもかくにも、他人事として楽しんでいるクラスメイトに、嫌気が差す。席を立ちたかったのだが、その隙さえもない。


 人垣の間から、柊と綺羅星の姿を確認する。


 柊は明らかに冬原以上の数の級友に囲まれていて、そこには、他のクラスの生徒たちもいた。


 張り付けた完璧な笑みを絶やさずにいた柊だったが、その本性を知る冬原から見れば、周囲のしつこさに、怒りと苛立ちが込み上がってきているのは明白だった。


 一転して、こんなときでさえ無関心を貫く綺羅星は、自分の机の上に、ハードカバーの本を広げ、こんこんと読み耽っていた。


 結局、二人と話すには、昼休みまで待つ必要があった。


 昼食の時間になると、お弁当を手にした柊が、さっ、と誰よりも先に冬原の目の前に現れて、「行きましょう」と告げた。


 廊下に出ると、コンビニの袋を手に提げた綺羅星が窓を背にして立っており、二人の姿を見るとすぐに歩きだした。


 冬原と柊を、チラリとも見ずにぐんぐんと、資料室のほうへ進んでいる。


 それに比べ、すれ違う生徒や教師は、誰も彼もが二人のことを、まじまじと観察するように見ていた。


 教師たちは、刑事が来たら校内放送で呼び出すと言っていた。それもまだやり方があるだろうと、散々見世物扱いされた冬原は苛立ちを感じていた。


 綺羅星は資料室の目の前まで来ると、くるりと振り返り、無言のまま、柊が鍵を開けるのを待っていた。


 同世代とは思えない、ボリュームのある胸の前で組まれた腕が、どことなく威圧的な印象を受ける。


 もう何度三人でくぐったか分からない資料室のドアを、未だかつてない心持ちで抜ける。


 最初に入った綺羅星は、素早く窓のカーテンを閉め、最後に入った柊はドアの鍵を下ろした。


 無言のままだった綺羅星が、腕を組んだまま二人の前まで近寄って来た。


 そして、まず冬原の目を覗き込んだ。


 一体、何を考えているのだろうか、自分が口を開くべきなのだろうか。


 数秒間の沈黙の中、冬原が考え込んでいると、唐突に綺羅星が両腕を解いて、その中に冬原を取り込むようにして抱きしめた。


「え、ちょ、ちょ、どうしたの?」あまりに柔らかい感触に、困惑してしまう。


「はぁ…。ごめんなさい、怖かったでしょう?」


 一度体を離した綺羅星が、心の底から絞り出したかすれ声で呟いた。


 それに対して、苦笑いと共に柊が、「何でアンタが謝るのよ」と冬原の代わりに尋ねた。


「ああ、いえ、ごめんなさい、私も混乱しているの。ああ…そんな大変なときに、二人の側にいられなかったなんて…」


 最初は、こんな状況でふざけているのか、と彼女の正気を疑った。しかし、その表情はどう見ても冗談ではなかった。


 本気で自分たちを心配してくれていたようだと、柊と冬原は、互いに顔を見合わせ、驚きを共有していた。


 それからじわじわと二人の間に奇妙な笑いが生じて、くすくすと、抑えられなかった小さな笑い声が、真剣味に凝り固まっていた空気を解きほぐした。


 綺羅星はそんな彼女たちの様子を見て、怪訝そうな顔つきになりながらも、不服そうに口を尖らせて呟いた。


「何を笑っているの、人がこんなに心配しているというのに」


「はは、アンタが柄にもないこと言うからでしょ。あー、おかしい」


「もう、柊、駄目だよ。本当に心配してくれていたみたいなんだから。ふふふ、ごめんね?綺羅星さん」


 閉じられたカーテンの隙間から、かすかに漏れる光が、部屋の中央に置いてある六人がけの長机の上を、優しく照らし出している。


 木目の天板に、薄黄色のラインが一本だけ描き出されている。


 今日は秋とは思えないほどに暖かく、つい、春の真昼を想起してしまうような正午であった。


 からかわれたような形になった綺羅星は、いっそう不満げに目を細め、柊たちを睨みつけた。


 それから、一度だけ浅くため息を吐き出すと、何事もなかったかのように席に着き、コンビニ袋からお弁当を取り出した。


 今日のランチは牛丼らしい。

 慣れた手付きで、さっと、蓋を取り去り脇に避ける。牛丼の蓋についた水滴が、差し込む光に反射してキラキラと輝きを放つ。


 そっぽを向いて拗ねている綺羅星は、割り箸をしきりに動かして、お弁当をつついていた。


「さ、私たちもさっさと食べるわよ。半には刑事が来るんだから」


 椅子を引いて腰掛けた柊にならい、冬原もお昼ごはんを食べ始める。


 柊と冬原がしきりに昨日の話を続ける中、綺羅星は誰よりも早く食事を終えて、分厚い本を読み始めた。


 笑ったのは、心配してくれていた彼女に対して、さすがに失礼過ぎただろうか。


「…それにしても」と他人のように口を噤んでいた綺羅星が、突然口を開いた。


 思わず、二人は会話を止めて彼女の顔を見返した。


 その声があまりに冷たく耳に響いたので、直前までしていた話の内容を忘れてしまうほどであった。


 綺羅星は、何度か二人の顔を交互に見比べると、そのエメラルドを模した瞳を瞬かせて、目蓋を下ろした。


 まるで、初めから一言も発していなかったようだ。


 絶対的な静寂を身にまとった綺羅星は、口元をきゅっと三日月のように曲げて微笑んだ。


 言葉の続きを催促するには、あまりにも美しく儚げな表情だ。


 安らかに死んでいるようにも見えたが、昨夜の冬原が目撃したものとは、まるで違うものに見えた。


 隣に住んでいた人が誰だか知らないけれど、あの人だって、こんなふうに綺麗な顔で死にたかっただろうに。


 そんなことを考えても仕方がない。

 だが、彼を憐れまずにはいられなくなるくらい、目蓋を下ろして動かなくなった綺羅星は美しかった。


 それは照度にすればゼロに近い輝きだったけれど、きっとどんな光の中にあっても見つけられるぐらい眩かった。


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