どうか、知らないふりをして 3
畳み終わった衣類を片付けた冬原は、時計を眺めて、寝るかどうか尋ねてきた。
時刻は、もう零時前。
いつもならもう少し起きているが、今日は色々と慣れないことばかりで、柊は疲労感を覚えていた。まあ、冬原よりは遥かにマシだろうが。
就寝を意識すると、急に目蓋が重くなって来た。
冬原の言葉に賛成して、敷布団をお願いする。
すると、冬原はそのお願いに対して、驚いた顔つきをした。
「ごめん…。敷布団なんて持ってない」
「え、ちょっと、それじゃあ私は、どこで寝たらいいのよ…」
柊が困ったように尋ねると、冬原は、じっと自分のベッドを見つめ、何か言いたげに沈黙した。
その横顔に、彼女が何を迷っているのかピンときて、すぐさま遮るように口を挟む。
「ま、まあいいわ。毛布さえあれば、フローリングでも構わないから」
「ご、ごめん…。毛布も、これしかない」
「え、ええ…。何でよ」
そこで冬原は、意を決したようにこちらを向いた。何を言われるか分かっていた柊は、反射的に反論を口にしていた。
「無理よ。狭いじゃない」
「まだ何も言ってないよ」
「その顔を見れば分かるわよ。とにかく、仕方がないから、もう炬燵でいいわ」
柊は、何度も首を左右に振り、冬原から逃げるようにベッドから離れた。そして、炬燵のほうに移動して、そこに足を突っ込んで寝転がる。
まあ、寝心地が悪くないと言えば嘘になるし、こんなところで寝ても、絶対に疲労は取れない。それどころか、逆に全身が痛くなるだろう。
勝手に泊まると宣言したのは自分だから、文句は言えないのだが、まさか、寝具が一人分だけとは。
私たちの年頃で一人暮らしならば、親が泊りがけで様子を見に来たりしないのだろうか…。
ベッドのそばに立っていた冬原は、困ったような顔で、ベッドと柊のほうを見比べた。
やがて、黙ったまま柊の隣に座り込む。
「何をしてるのよ?アンタはあっち、私はこっち」
「も、申し訳無さ過ぎるよ…」
「だからって、冬原もこっちに来たら意味ないじゃない。いいから、自分のベッドに戻りなさい」
「柊がここで寝るなら、私もここで寝る」
まるで小さな子どもだ、と柊は苦笑いを浮かべた。
幼子に言い聞かせるように告げても、冬原は黙ったまま、頑としてその場を動かず、かといって寝転がるわけでもなく、照明のリモコンを片手に膝を抱えている。
これでは埒が明かない。
大きくため息を吐いて、炬燵から這い出る。
柊は立ち上がって、冬原の肩に軽く手を置いた。
まだ幼子扱いが続いているようだと自覚しながら、今夜ぐらいは仕方がないさ、と自分を説得する。
「ほらもう、ちゃんとしたベッドで寝るわよ」
冬原が立ち上がる気配を背中に感じながら、ベッドに移動する。
勝手に布団に入るもの憚られて、彼女を待つ。
眠いのか、妙な笑い顔を浮かべた冬原が、先に壁際のほうへと体を滑り込ませた。
そのまま、意識を失ってしまうのではないか。
冬原は、しきりに瞬きを繰り返している。
冬原の隣に、少し離れて潜り込む。
ほとんど眠りに落ちたような顔つきで、冬原はこちらを向いていた。
とりあえず、彼女の手から照明のリモコンを奪い取り、電気を常夜灯に切り替え、ヘッドボードにリモコンを乗せる。
目から得られる情報が少なくなる。
相対的に、それ以外の五感が鋭敏に研ぎ澄まされていく。
自分のすぐそばにいる、冬原の呼吸。
どこかで嗅いだ、花のような香り。
体が沈み込む、柔らかなマット。
――…駄目だ、どうにも寝付けそうにない。
薄闇の中で、冬原の瞳が開かれるのがぼんやりと見える。
何か言いたそうにゆっくりと、私の瞳にその自らのぼんやりとした光を重ねてくる。
美しい、今にも消えそうな光。
だが、何故だかその視線が重たくて、柊は毛布を独り占めしないように気をつけつつ、体を反転させ、背中を向けた。
背中に、冬原の視線をひしひしと感じる。
目を強くつむり、早く寝ようと努めたのだが、ひしめく静寂に、耳が痛くて眠れない。
「柊」と自分の名前を呼ぶ声が、背中越しに聞こえた。
先ほどの静寂が嘘のように、様々な音が蘇る。
隣室から聞こえる、捜査官の声。
冷蔵庫の駆動音。
表を通る、車のモーター音。
毛布の擦れる音…。
ざわめきの使者からの呼び声に答えるようにして、色んな音が周囲に湧いてくる。
「…起きてる?」
冬原の、夜をそのまま言葉に変えたような落ち着いた声音、自分の心臓の鼓動…。
寝たふりを続ける柊の背中に、独り言のように淡々と続ける。
「私にも…、あるよ」
起きていると気づいているのか、それとも、そんなこと自体、彼女にとってはどうでもいいのか。
自分にどうしてほしいのかも分からず、聞こえないふりを続ける。
冬原のジャージが小さくて、喉元が苦しい。
苦しいまま、彼女の言葉を待つ。
「誰にも言えない、秘密」
あぁ、心臓がうるさい、呼吸がしづらい。
「…柊にも、あるの?」
くそ、もういっそ、心臓よ、止まれ。
逃げ出したい私の体ごと、止まってくれ。
表面上では寝たふりを続けながら、心の底ではガタガタ震えている。
すると、それから間もなくして、規則的な寝息が聞こえ始めた。
冬原が眠りに就いたのだと分かり、安心する。
意味が分からない、と誰に対してか取り繕う自分と、その背後で震えたまま、冬原に謝る自分の存在を感じた。
アンタの秘密なんて、どうせ、ちょっとしたことなんでしょ。
どんなものだって、鼻で笑ってあげるわ。
…そうよ、私のものに比べれば。
さっきは、何も答えなくてごめん。
二度も逃げ出して、ごめん。
でも…、どうか、何かに気がついたとしても、貴方も知らないふりをして。
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