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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
四章 死の献花

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とけ出した雪 3

 二人の間に沈黙が流れたとき、タイミングよくタイマーが甲高い音を立てて鳴った。


 どちらからともなく立ち上がり、料理の続きに戻る。


 とはいっても、もうほとんど仕上げだけですぐに作業は終わり、十分としないうちに、電源の入っていない炬燵の上に、二つの皿が並んだ。


 向き合うような配置で席に着く。


 柊が手を合わせて食事を始めたのにならって、自分も両手を重ね、スプーンを手に取る。


 一人で暮らしていると、『いただきます』なんて言葉は気づかない間に、自分の辞書の最後のページ辺りへ追いやられてしまう。


 まあ、だからといって、実家にいたときに率先して口にしていた記憶などないのだが。


 何の意識もなく、ああした所作が出来ているのだとしたら、しっかり躾けられたのかもしれない。


 しかしそこまで考えてから、柊の日頃の乱暴な言葉遣い、自分を叩いたときの冷徹な顔つきを思い返して、それはありえないか、と薄笑いがこぼれた。


 そして、それに気づいた柊が眉をしかめて不気味そうに言った。


「何を一人で笑ってんのよ…?気持ち悪いわね」


 反射的に謝りそうになったが、これぐらいは口にしても良いのだろうか、と思い悩み、冬原は、しばし停止した。


 そんな彼女の姿を見た柊は、更に眉間の皺を深くして、スプーンを持った逆の手で頬杖をついた。その拍子に、柊の長い黒髪が左右に揺れた。


 烏の濡れ羽色という表現が似つかわしい、美しく長い髪。

 瞳の黒曜石にブルーを混ぜて、髪に溶かし込んだような色。それが、柊の無愛想さにとてもマッチしているように思えた。


 冬原は、その一種他人を寄せ付けない黒に目を奪われながら、ぼんやりとした口調で告げる。


「行儀悪いよ、柊」


 自分を責める言葉が冬原の口から飛び出たのが驚きだったのか、柊は目を丸くして相手を見つめていた。


「アンタが、一人でニヤニヤしてるからじゃない」


 ややあって嬉しそうな、でも不服そうな口ぶりで返す。もちろん注意されても頬杖が外されることはない。


「ニヤニヤなんて…」

「してたわよ」


 していたとしても、それと行儀の悪さは別問題だと思わなくもなかったが、柊の話に合わせ、そのまま適当な相槌で誤魔化す。


「で、何でそんな顔してたの」


 冬原は言うべきか否か逡巡してから、結局、言葉にすることを決めた。


「んー…柊って、何か皆の前では礼儀正しく振る舞うのに、そうでないところだと言葉遣いは乱暴だし、行儀は悪いし…って思っただけ」


 ある種彼女を批判するような内容だったのに、詰まることなく一息で口にできたことが自分で不思議だった。


 それだけ柊との会話に、以前ほどの緊張が伴わなくなったのだろう。


 しかし、こちらの言葉を聞いた柊は、これまた不服そうな面持ちになった。それから、頬杖をようやく下ろし、スプーンでカレーを一すくいする。


「ふぅん」

「…お、怒った?」

「何よ、怒んないわよ、こんなことで。まあ事実だしね」


 いつも怒るじゃないか、と愚痴の一つも言いたくなる。


 それを口にする前に、柊は親指を立てて自分の背後、つまりはベランダのほうを指した。その仕草もまた、行儀が悪い。


「アンタだって、小心者のように見えて意外と大胆よね」

「そ、そんなことないと思う…けど」


「あるわよ」と言って、再び指し示した手を前後に動かす。「アレだけ言ったのに、またアンタ、ベランダに下着を干してるじゃない」


「え、もう、何で、ちょ、見ないで!」

「いつまでも、見える位置に洗濯物を干すアンタが悪いんじゃない!…そもそも、どんな神経してたら、二度も下着盗られた後に、また外に干せるのよ」


「そ、それは私だってちゃんと考えてます。しっかりネットも張って、外からは入れないようにしているもん」

「ネットぉ…?そんなもんで本当に入れなくなるもの?」


 呆れたような、小馬鹿にしたような口調で、柊が片眉だけ上げる。


 その口ぶりについムッとしてしまい、「だったら見てみてよ」と冬原は、窓の外を睨みつけた。


「あのねぇ、そんなことしたら下着見えちゃうわよ。アンタ、滅茶苦茶怒るでしょ」

「そっちは見ないようにして見ればいいじゃん」

「いや無理でしょ…」


 日頃の冬原からは、想像も出来ないほどの無理難題を押し付けられた柊は、勢いよく立ち上がると、外と繋がるドアに近寄り、ネットを確認しようと目を凝らした。


 柊は小さく何事かを呟くと、さらに顔を窓に近づけた。すると、その数秒後、柊の動きが不自然に止まった。


 だが、それも一瞬のことだった。


 柊は慌てたような動きで、ベランダに続く戸を開けようとした。しかし、鍵が掛かっていて、上手く開かない。大きな音を立てて、扉がかすかに浮いただけだ。


 柊は、もたつきながら鍵を外した。


 冬原は柊の異変に腰を浮かして、ベランダに出る間際の彼女に声をかけようとしたのだが、そうするよりも早く、柊が大声を上げた。


「待ちなさい!」


 何事かと飛び上がりそうになった。


 状況が飲み込めないなりにも、冬原は、柊の背中をよたよたと追いかけて、冷えた夜の外気が満ちるベランダに片足を突っ込んだ。


 柊は、今にも飛び越えて行きそうな勢いで手すりを掴むと、鬼気迫る形相で夜の闇を睨みつけた。


 あろうことか、そのまま手摺に足をかけて飛び越えようとしたため、冬原は、何が何だか分からないまま柊を制止した。


 すると、柊はその声を聞いて、片足を手すりの隙間にかけたまま振り返り、彼女が冬原を叩くときと似た顔つきになって叫んだ。


「ああもう!馬鹿言ってんじゃないわよ、アイツが下着泥棒よ!」

 



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