表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
四章 死の献花

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/74

とけ出した雪 2

 アパートに辿り着き、キーをかざして扉をくぐる。


 途中でポストを覗くも、よく分からない葉書しか見当たらず、取り出すのも億劫で、再び蓋を締める。


「冬原、捨てなさいよ、今の」


 柊の指摘を、冬原は曖昧に微笑んで受け流す。


 ふと、今朝ポストに入れた鍵のことを思い出して、まだ隣の部屋の鍵は開いたままなのだろうか、と引っかかった。


 ただ、考えても仕方がないことなので、すぐに思考を切り替えた。


「お邪魔します」と前回もそうだったが、何故か小声で柊が呟く。


「狭くて、ごめんね」これも前回と同じ。


 ぎゅうぎゅうになった玄関口で靴を脱ぎながら、そう柊に告げる。


 柊は少し困ったように、眉を斜めにして、「冬原は小さいんだから、気にしないでいいでしょ」と、先に上がった冬原に続いて、奥へ足を踏み入れた。


 そんなに小さくないし。


 余計な一言だと思わないでもなかったが、柊なりの気遣いだろうと受け止める。


 とりあえず荷物を置くため、奥の部屋へと移動する。

 適当なスペースに荷物を下ろす。


 それから、柊にはゆっくりしてもらうよう告げて、キッチンに戻った。だが、柊はその提案に異を唱え、冬原の隣に立った。


「さすがに手伝うわよ」

「で、でも…」

「一人で待ってるほうが嫌よ。逆の立場で、アンタ待てる?」


 返す言葉もなくなったので、冷蔵庫の中身をチェックして、いくつか候補を浮かべ、晩御飯のリクエストを柊に窺う。


 彼女は、その中でも一番簡単なカレーを選んでくれた。

 これなら、失敗することはまずないだろう。


 柊が人参の皮をピーラーで剥いている間に、冬原が玉ねぎを薄切りにしていく。そうしてジャガイモの用意まで終わると、冬原は、冷蔵庫から豚バラを取り出しながら柊に尋ねた。


「柊さんは――」

「柊でいいから」


 本題に入る前に、柊の口から間髪入れずに発せられた言葉には、有無を言わさぬ圧力があった。


 そんな急に、呼び捨てで呼べるものだろうか。

 普通の人は、そうしている?

 確かに、綺羅星と柊はすぐにそう呼び合い始めた。


 …あぁ、やっぱり、人付き合いは難解だ。


「ひ、柊は…、お家でこういうこと手伝ったりするの?」


 奇妙なむず痒さを感じながら、柊の私生活について触れる。


 ただこうして料理をしているときの手際を見るに、日頃から、母親の手伝いをしている姿が容易に想像出来る。


「まあね、私の家、母親がいないから。自然とやらなくちゃいけなくなるのよね」

「あ…そ、そうなんだ」


 失言だった、というのが顔に出ていたのか、柊は呆れ混じりの微笑みを浮かべると、冬原の手から豚バラのパックを奪い取り、ラップを破って開け始める。


「何よ、別に珍しい話じゃないでしょ?私が物心付く前に死んじゃったから、あんまり覚えていないの。だから、変に気にしないでよ」


 そんなことを言われても、気にしないということのほうが難しいだろう。


 柊の横顔は、本当に大したことはないんだ、と言わんばかりにいつもどおりだった。


 当の本人がこの調子なのに、第三者が気を遣いすぎるのも、かえって悪い。


「うん、分かった」


 柊の言葉に短く返事をして、再び料理に戻る。


 カレーのほとんどが完成し、残りは煮詰まるのを待つだけとなった。


 タイマーをセットした二人は、洋室のほうへと移動して、冬原はベッドに、柊は座椅子にそれぞれ腰を落ち着ける。


 普段、コミュニケーションを怠っていたツケが回ってきて、レスポンスは悪かったものの、一言二言、短いやり取りは絶え間なく続けることが出来ている。


 これなら、『友達』として及第点を与えても良いのではないか。


 柊は、壁にぴたりと背中をつけて並んでいる本棚に目を移し、隙間なく並んでいる一冊一冊を見つつ、おぼろ気な口調で声を発した。


「ねぇ」


 彼女らしくない口調を怪訝に思った冬原は、ベッドの上で膝を抱えたまま、柊を横目で確認した。


 目線は先刻から本棚に向いてはいるものの、どこか虚ろな眼差しだ。

 柊の意識の焦点は、本ではなく、自分の頭の中に定められているようだ。


「どうしたの」

「アンタにはさ…」とそこで言葉を区切った柊は、座椅子をクルリと回転させて、本棚からこちらへと体を向けた。


 その際、座椅子の正面にあった炬燵に背もたれがぶつかり鈍い音が立った。だが、柊は一切気にせず、淡々とした口ぶりで続ける。


「誰にも言えない秘密とかってある?」

「…・ど、どうしたの、急にそんなこと聞いて」


「いえ、単純な興味…かしら。冬原って自分のこと、ほとんど話さないから」


 鼓動が止まるかと思った。

 いや、止まるには程遠い。

 今も心臓は激しく拍動し、呼吸を荒立てようとしているのだから。


 どうしてそんなことを尋ねられたのか。

 並べていた本の中に、妙なものがあっただろうか。


 チラリと本棚を一瞥するが、やはり思い当たる節はない。


 それもそのはずだ。万が一に備えて、大事な画集や小説は、あのクローゼットの中にしか保管していないのだから。


 耳の奥や目の奥が、酷い鈍痛に苛まれて、ベッドの上に横になりたくなった。だが、ここでそんな真似をして、柊に余計な勘ぐりをされるのは避けたい。


 少しでも秘密を臭わせてしまったら、柊はきっとその中身を知りたがる。

 人が、そういうものだ。

 両親がそうだったように。

 そして、自分から望んで開けた箱のくせに、難癖をつけるのも、また人だ。


 柊に知られては、タダでは済まない。

 秘密を覗かれた自分も、覗いた彼女も。


 好奇心で匣を開けたパンドラのように、柊にだって災厄が降り注ぎかねない。


 冬原は努めて明るい声を出して、それに答えようとした。


 だが、思った以上に焦っていたようで、開かれた口からは、かすかな呼吸以外は何の言葉も出てはくれなかった。


 そんな自分を見つめていた柊は、何かに気がついたかのように目を細めて、さっと逸した。


 全てを、悟られたような気がする。

 そんなことは絶対にありえないのに。


 ただ少なくとも、心の中に巣食う(やま)しさは見破られたはずだ。


「…そう」

「あ、いや」


 柊は、またクルリと座椅子を回転させてこちらに背を向けた。


 もう話す気がないのか、それとも、こちらから何か言うべきなのか。


 冬原が頭を悩ませていると、再び座椅子が回転して柊と視線が交差した。


 やや切れ長の瞳が、いっそう細められる。


 まるで自分を観察しているような鋭い目線に、冬原はさっと目を背け、フローリングの継ぎ目を見つめた。


「あ、あの、私…」


 妙な強迫観念に襲われて、必死で声を絞り出そうとする。それを遮るように、柊が口を挟んだ。


「ごめん。誰にだって、人に言えないことの一つや二つあるわよね」


 随分、物分りがいいではないか。


 普段の彼女であれば、『何よ、言えないわけ?』とか何とか言って、根堀り葉掘り問いただしてきそうなものなのに。


 妙なことに柊は、少しだけ安堵した顔つきで宙空を見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ