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やがて、冬の雪がとけたら  作者: null
四章 死の献花

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とけ出した雪 1

嫌いだった人の良いところが見え始めると、


不思議と魅力的に見えますよね。

 建物の外に出ると、辺りはすっかり暗くなっており、思わず深い溜め息がこぼれてしまう。


 数日前の寒さほどはないものの、中間服のままでは、じっとしていると体が震えて出しまいそうである。


 西の空の果てが橙色に染まっており、水平線から天上まで、薄い赤から群青のグラデーションが広がっている。


 夕暮れはいつだって、自分の心をノスタルジックなものに変える。


 普段なら、しばらくの間、夕日の名残を見つめていたいのだが、今日ばかりはそんな余裕はなかった。


「…疲れたわね」

「…はい」


 学校が終わった後、二人で警察署に立ち寄って、件の被害届を出してきた。


 だが、これが想像していた以上に時間はかかるわ、質問の内容が時折意味が分からないわ、同じことを何度も言わされるわ…散々な目に遭った。


 …そもそも、盗られた下着の値段など覚えていない。


 結局、後日警察が家に来るということであったが、正直もうどうでも良かった。


 彼らの言うことには、早めに連絡していなかったことが原因で、指紋の採取だって結果を期待できたものではないらしい。


 じゃあ、もう来なくていいです、と口にしたかったが、当然そんな勇気は自分にはなかった。


 どちらからともなく歩き出す。

 学校近くの駅へ向かう柊と、その道中にある自分の家に向かう冬原は、自然ともうしばらく同じ道を行くことになった。


 昼間のこともあって、二人の間には居心地の悪い空気が流れていた。

 まぁ、そもそも柊と心地の良い時間を感じたことなどないか、と虚しい笑いが漏れる。


 それを敏感に聞き取った柊が、「何を笑ってるの?」と尋ねた。


 思っていたことをそのまま直球に答えると、いっそう気まずくなるのは火を見るより明らかだ。


 そのため、冬原は誤魔化すように曖昧に笑った。


「何でも」


 その返しに、不満そうな顔つきになった柊は、わざわざ足を止めた。


「ねぇ、アンタ今日晩ご飯どうすんの」

「え、と、お米が炊いてあるから、何か適当にご飯を作るつもりだけど…」


「あ、そう」と興味なさげに呟いた柊。

「柊さんは、お家で食べるんだよね」


「いや、あー…」と歯切れ悪く答えた柊。


 それを黙って見守っていると、柊は少しバツが悪そうに頭を掻いた。

 それから、もうほとんど黒に近い青で染まりつつある、空の果てを眺めて言った。


「今日は家族に、友達と食べてくるかも…って伝えてるから、多分、私のぶん無いんだよね」

「あ、そうなんだ…」


 こんな時間からでも、ご飯を共にできる友人がいるとは…。流石は人気者の柊蝶華だ。


 だがそう考えると、予定があったのに自分のために時間を使ってくれた、ということになる。


 冬原の胸には嬉しさ半分、申し訳無さ半分、といった気持ちが込み上げてきていた。


 柊が一緒に来てくれなければ、もっと時間がかかってしまっていただろう。


 自分にとって、知らない人間と会話するなんて、基本的に苦痛以外の何物でもない。

 あんなに長い時間、他人と箱詰めにされるのは、非常に精神を摩耗する行為にほかならない。


 柊が要所で言葉添えをしてくれたことで、話はスムーズに進んだ。

 何より知っている人間が側にいてくれているというのは、強い安心感をもたらした。


 ここは素直にお礼と謝罪をしておこう。


「柊さん、あの、時間を取らせて、ごめんなさい。あと、お友達にも…」


 だが、柊は妙な顔つきになって唸り声を上げると、腹を括ったように冬原の目を真っすぐ見据えて言った。


「ここでいう友達って、どう考えてもアンタのことでしょ。何で分かんないのよ」


「え、と、友達?」


「何よ、嫌なの」柊は、ほんのりと頬を染めた。


 どうして毎回、そんなに偉そうに言えるのだろうか、と何だか可笑しくなる。

 仮にも虐めた人間と、虐められた人間だというのに。


 しかも、今日の昼間にそのことを謝っていたくせに…。


 自分も酷いとは思うが、柊だって変人だ。


 冬原は首を横に振りながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「嫌じゃない」

「…あっそ」


 これが柊の、精一杯の照れ隠しなのはさすがの自分でも分かる。


 その証拠に柊は、さっきから耳まで真っ赤に染まっていた。

 まるで薔薇の花のような横顔に、目を奪われる。


 二人の関係が色を変えたのは、一体、どうしてだろう。


 冬原は、明るい星の少なくなった、秋の夜空を見上げて思った。


 真剣に理由を考えるつもりではなかったのだが、冬原の頭には、少し前に自分たちの側に落ちてきた一等星のことがよぎっていた。


 あの星が二人にとって、幸せを招く吉星だったのか、それとも破滅を呼ぶ凶星だったのかは未だに分からない。


 だが、そのおかげで、こうして自分たちが和解しつつあることは間違いない。


 それについては感謝するべきなのかもしれない…。

 例え彼女がどれほど不可解で、時に恐ろしくとも。


「それじゃあ、今日はご飯どうするの?」

「え?あぁ…。適当にコンビニ弁当か何かで済ませるわよ」

「そっか」


 少しだけ、勇気がいる。


 彼女と自分の関係が、本当に友達と称して大丈夫なのか。

 それを確かめるには。


 今ここにはいない彼女なら、自分たちを見て何と言うだろう。


 笑う気もするし、無言の気もする。あるいは、興味無さげに雑な相槌でも打つだろうか。


 馬鹿馬鹿しい、と冬原は内心で鼻を鳴らす。


 彼女がいてもいなくても、行動できる自分で無ければ意味はない。

 綺羅星ありきの友人関係など、まやかしに過ぎないのだ。


「じ、じゃあ、私の家で一緒に食べない?」

「は?」と心底驚いた表情を浮かべる柊。「あ、アンタの家で…?でも、もう米だって炊いてるんでしょ」


「私、いつも次の日のお弁当の分もまとめて炊いているから、きっと足りると思うよ」


 さらに冬原が、「柊さんが食べ過ぎなければだけど」と冗談めかして呟いたので、柊のほうも冗談っぽく、「私のスタイルを見れば分かるでしょ」と答えた。


 可能な限り自然な口調で、態度で、柊に接する。


 そう意識している時点で自然とは程遠いのだろうが、そう努めることが、今の自分にとっての義務のように感じられた。


 少しずつ歩み寄りつつある柊に対して、自分が払える最低限の礼儀。


 チクリと、母の言葉が影を見せ、自分の心を刺激する。


 大丈夫だ、見られなければいい。


 柊は考え込むように地面を見つめてから、ややあって止まっていた足を動かし、冬原の隣に並んだ。


 一瞬だけ向けられた目が、行くわよ、と語りかけてくる。


 どういう意地を張れば、素直に、はい、と言えなくなるのだろうか。


 こういうところも柊らしい、と思えるようになったのは、月日によるものか。


 そうして冬原のアパートまで、他愛のない会話をしながら向かう。


 ぽつり、ぽつりとではあるし、どちらかが返答に窮したり、黙ったり、と会話が滞ることも多かった。

 ただそれは、不器用ながらも分かり合おうとし始めた証でもあった。


 学校からアパートに繋がる道とは違った、車の多い大通りを冬原と柊は共に歩く。


 車が横を通る度に、冷たい空気が全身を撫ぜる。

 不思議と、今はそれも心地よかった。


 冷蔵庫に何があるのか、何か嫌いな食べ物はないか、家族は心配しないのか。

 明日は晴れるかとか、寒くなったねとか、でも今年は暖冬らしいよとか。


 そんなどうでもない会話だった。


 だが、彼女と自分では、一生出来ないだろうと考えていた、和やかな会話。


 車のヘッドライトに照らし出される柊の横顔がとても優しく、穏やかに冬原の瞳には映った。


 未だに網膜に焼き付いた、柊蝶華の冷酷な表情は消えない。けれど、何も消す必要もないとも思える。


 何かの本で読んだことだが、初めからプラスの印象を持っている相手より、初めはマイナスで、やがてプラスに転じる場合のほうが、より好意的に見てしまうものらしい。


 不良が良いことすると、やけに評価されるアレにきっと似ている。


 それが事実なら、自分と柊の関係は並大抵の繋がりより、ずっと頑丈で堅固なものになるはずだ。



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