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やがて、冬の雪がとけたら  作者: an-coromochi
一章 降り来る、星
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私にとっての、ジキルとハイド 2

 二年生に上がった後、冬原がこうして柊に影で虐められるようになるのには、そうそう時間はかからなかった。


 始業式が終わってすぐ、彼女に連れられてこの部屋に来たときは、こんなことをされるなんて微塵も想像もしていなかった。

 あまりの驚きに呆然としていたところ、頬を叩かれて泣いてしまったことは、未だに覚えている。


 恐怖や痛みで泣くことなんて、随分久しぶりなことだったので、自分自身どうして涙が流れてくるのかを理解するのに、かなり苦労した。


 一年生の頃から、彼女の優秀さや人当たりの良さは知っていたし、たまに話す機会があるときは、人とのコミュニケーションが苦手な私を気遣ってくれる、優しく面倒見の良い一面を見せていたのだ。


 それがまさか、こんなことになるなんて・・・。


 一体何が原因かなんて、考えることにも疲れてしまったし、思い浮かんだところで、この仕打ちが止むとは思えない。


 悪人は、悪人の顔をしてやって来ない、必ず善人の顔をしてやってくる、とはよく言ったものだ。


「何で倒れているの?それじゃあ、私が突き飛ばしたみたいじゃない」


 鼻で笑いながら冬原を見下ろす柊は、暗に彼女に立てと命じたようで、おずおずとした仕草で冬原は立ち上がる。


 どうせ、また突き飛ばすくせに。


 冬原は、彼女にいつ突き飛ばされてもいいよう、心の準備をしていた。


 もちろん、ちゃんと倒れなければ柊は逆上して、いっそう乱暴に自分を扱うということを冬原は心得ていた。


 手首を痛めないように、物を壊さないように細心の注意を払いながら、彼女が満足する倒れ方ができるように警戒心を強める。


 しかし、冬原の予想は裏切られ、柊は元の姿勢に戻った彼女の方には目もくれず、窓際の方へと歩いて行った。

 そこから一望できる中庭を、窓枠に寄りかかったまま、上の空で眺めているようであった。


 自分は窓に近づくなって言ったのに、と冬原は、柊の身体は視界に入れずに、心の中で文句を言った。


 どうせ彼女の言うことに意味はなく、ただ自分を虐める理由が欲しいだけなのだ、とその瞳を陰鬱な色に染めて思う。


 それにしても、彼女のような、人生順風満帆に進んでいるように見える人間であっても、何かしらの不満というものが存在するらしい。


 そうでなければ、自分の立場を脅かしてまで、私を突き回したりはしないはずだ。


 彼女は彼女で大変なのだろうな、と同情的に相手を捉えることで、自らを慰め始めた冬原に、柊の声が揺さぶるようにして届く。


「ねぇ、転校生来るんだって」


 柊は、無関心な口調のまま椅子を引いて、そこへ自らの身体を放り込むように腰を下ろした。


 そんなこと知ってるよ、と胸の内側では呆れたように吐き捨てつつも、珍しくまともな話題を振られた冬原は、「そうみたいだね」と俯いたまま答えた。


 横たわる椅子に目を向ける。

 何だか、私みたいだ。

 自分の足を持っているくせに、それで立ち上がる術を持たない。

 地面に、死んだように倒れ込んでいる自分を、諦めて受け入れている。


 椅子をじっと見つめているうちに、何だか哀れに思えて、柊の気に障らないよう、さり気なく元通りに戻す。


「どんな奴だろう」


「さぁ・・・」と机の上を、一点に見つめながら冬原は答える。


 柊が、自分の意見など求めていないことを良く知っているうえでの、慣れた淡白な回答であった。


「アンタ気にならないの?」


 柊は、普段なら聞き流す彼女の返答に眉をしかめて、相手の目を真っ直ぐ見据えた。


 それが冬原にとって予想外な行動であったため、しどろもどろになりながらも、目を逸らして何とか声を発する。


「・・・き、気にはならない、かな」と冬原は口元をかすかに歪める。


 彼女のそんな様子に柊は、「へぇ」と指先ばかりの興味を示したように笑う。「卑屈なアンタらしいね」と、冬原の内心を見透かしたように、目障りなほど美しく微笑んだ。


 機嫌が良いのか悪いのか、今日の彼女はまるで分からず、不気味だった。


 有無を言わさぬうちに叩かれないだけマシなのだろうが、柊がああして優雅な面持ちで笑うときは、概ね不満を感じている気がする。


 いつもどおり、可能な限り柊を刺激しないようにして、残りの時間を過ごそう、と冬原は考えていた。


 冬原が柊に呼び出されてから、解放されるまで、放課後の十五分前後を費やすと決まっていた。


 正確に計っているわけではなかったものの、体感的にはいつもそのぐらいだ。


 それくらいが、彼女にとってちょうどいい目安なのかもしれない、と冬原はぼんやりと想像したが、一体、何がちょうどいいのか、まるで思いつかなかった。


 中庭には、帰路についている生徒や、部活動のユニフォームを着て駆け回っている者、楽器を片手にベンチに座って、それを奏でている者などの姿があった。


 柊だって生徒会に所属しており、本当は忙しい身のはずなのだが、時間に多少の余裕があると、こうして冬原を連れ出していた。


 人気者の彼女と密会できるなんて、と彼女はほんの少しだけ皮肉っぽく口の形を変えた。


「何笑ってんの」


 それを目聡く発見した柊が、途端に声のトーンを低くして呟いた。


「ご、ごめんなさい」


 一種の条件反射のようにして口から漏れるようになった謝罪の言葉は、秋口の空気を震わせることには成功したものの、彼女の加虐心から逃れる手立てとしては失敗したようだ。


 立て直した椅子を、再び長い足で柊が蹴飛ばす。


 椅子は彼女の向かい側の、横長式ロッカーに直撃して、くぐもった音を響かせながらひっくり返った。


 先ほどは自分の姿を椅子に投影していた彼女であったが、今は、蹴られたのが自分でなくて椅子で良かったと安堵していた。


「分かってると思うけど、転校生が来たって私のこと喋らないでよ」


 冬原が小さく頷いたのを横目で確認すると、「どうせ助けてくれないから」と彼女を脅すように、無感情な調子で囁いた。


 そんなこと言われなくても分かっている。

 今更助けなんて求めていない。


 せめてもの抵抗のつもりで、心の中で彼女の発言をせせら笑う。


 そもそも決定的な証拠でも無い限り、彼女は言い逃れするだろう。それに、教師やクラスメイトの信頼は、彼女と私とでは雲泥の差がある。


 突然、私を助けてくれるヒーローが現れるはずもない。

 天から神様が降りてきて、柊を罰してくれるわけでもない。


 知っている。

 現実は御伽話と違って、弱い立場の人間には都合が悪くできている。


 彼女との関係が始まったこの半年近くの間、私の耳には、英雄の訪れを告げるラッパの音も、悪人を裁く、雷の音すら聞こえては来なかった。


 柊は、資料室の壁の高い位置に掛かった丸時計を眺めたが、その時計は数週間前から電池切れで止まっており、時間の確認ができなかった。


 そのため柊は、携帯を開いてディスプレイの文字を追った。


 その間、冬原は飼い主を待つ従順な犬のように一言も発さず、四肢も静止させて、ただ眼球だけ忙しなく動かして、次の彼女の言葉を待った。


 もうじき、資料室に入ってから十分が過ぎようとしていた。


「今日はもう帰っていいよ、私、明日の学校案内の準備をしなくちゃいけないから」


 普段よりも少し早く感じたが、冬原としては大歓迎なので、小声で返事をして、それを承諾する。


 散らばったノートを、まとめて鞄に放り込む柊を視界の隅に捉えた後、理由もなく頭を下げて、資料室を後にした。


 椅子は、倒れたまま、死んだように口を閉ざしていた。

 


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