三角形のランチ 1
ようやく一週間が終わった。正確には平日の五日間と、土曜日の半日通学が終わった、というべきなのであるが。
「ねえ、私、お腹が空いたわ」
少し先で両手に紙袋を抱えた綺羅星が、くるりと優雅にターンを決めて、こちらを振り向いた。
同時に、彼女の黒い制服のスカートが美しい円を描き、傘のようにふわりと膨らむ。
そんなことは知るか、と喉まで出かかった。
だが、今回は自分の我儘に付き合ってもらったのだから、さすがに抑えておこうと思い留まる。
秋の空に、絨毯のように敷かれたうろこ雲を仰ぎ見て、息を吐き出す。
「そうは言っても、この辺りにお昼を取れるところなんてないわよ、諦めなさい」
「嫌よ、どこかにはあるでしょう?」両手の荷物を、これ見よがしに上げ下げする。
「嫌って…。知らないわよ、そんなの」
結局、我慢しようと思っていた言葉が、口を突いて出てしまう。
綺羅星は、不満げに顔をしかめると、すぐさま冬原のほうへと身体を向けた。
あまり後ろ向きに歩き続けると転ぶわよ、と忠告しようかとも思ったが、転ぶ彼女の姿を想像して、見られるものなら見てみたいと静観する。
「冬原さんだって、お腹空いたわよねぇ?」
「え、んん…、まぁ」と綺羅星と同じように、紙袋を脇に抱えた彼女がぼんやりとした口調で答える。
もちろん、自分の両手にも荷物はぶら下がっており、綺羅星、自分、冬原の順で荷物の量は減っていく。
つまり綺羅星は、自分が一番働いているのだから、飯の都合くらいつけろ、と言いたいのだろう。
急遽、生徒会から、数カ月先の生徒会選挙で使う道具の買い出しを頼まれたのだが、人手が確保できず、二人に荷物持ちを依頼したのだ。
元は、冬原だけに頼んだのだが、当然のようにセットで綺羅星がついてきた。いらない、とはさすがに言えなかった。
綺羅星が快く引き受けてくれた…、というのには少しばかり語弊があるものの、例によって、冬原は文句の一つも言わずに手伝ってくれている。
最近は、何かとセットで付いてくる二人であったが、周囲からしたら、自分たち三人で一つのセットのようであるらしかった。
そして今はというと、買い出しも終え、学校に戻って荷物を置いて来よう、というタイミングだった。そこで、綺羅星が空腹を訴え、愚図りだしたのだ。
彼女とは、もう一ヶ月近い付き合いになっていたが、当初のイメージよりも、子供なのだということが分かった。
外見は、同年代とは思えないほどに大人びているが、よく分からない屁理屈をこねて我儘を突き通したり、不快なことに対して、表情に出したりするのだ。
ただ、ある程度心を許している相手にしかその姿は見せないらしく、自分や冬原以外の人間には、相変わらず淡白な態度を取ることのほうが多かった。
もちろん、彼女が自分たちに近づいてきた目的は分からずじまいだったが、もう考えるのはやめた。別に、今の所は実害が無いので、放っておいてもいいだろう。
「本当に、この近くって何にもないのかしら?」とよっぽどお腹の空いたらしい綺羅星が、真剣な口調と顔で尋ねる。
黙っていれば、自分も到底勝てないと、白旗を振ってしまうぐらいには整った顔つきをしている。
日本人離れしている、とまでは言い過ぎではあるが、明らかに日本人顔ではない。
まあ、口にすれば絶対にからかわれるに決まっているので、言葉にするつもりはないのだが。
「うん…、この辺は何もないよ。コンビニが近くにあるくらいで…」
「ふぅん」と興味なさげに前を向いた彼女は、すぐにまた振り返って、「詳しいのね」と呟いた。
「あ…、私、この近くに住んでるから」
「あぁ…。アンタ一人暮らしだっけ」
「うん」
「なんか生意気ね」
「え…?うん、ごめん」
「…冗談よ」
綺羅星との関係が奇妙な形で定まりつつある中で、どうしても、冬原との間柄だけが、いつまで経っても不安定なままだ。
相変わらず、視線が交差するとさっと逸らされる。
そうなる度に、自分の中の青臭く、熟しきれていない果実のような感情が疼いてならない。
自分と冬原の間に、無味無臭な沈黙が一凪ぎした後、いつの間にか近くに戻ってきていた綺羅星が、瞳を一度だけゆっくりと開閉した。
それから、妙案を思いついた、と言わんばかりに口元を緩めた。
「一人暮らしなのね」
「え、うん」
「じゃあ食べ物もあるわね」
「え…、ちょ、ちょっと…」
「決まりね」
何が決まりなのか知らないが、綺羅星は、困惑気味な冬原を無視して、一人声のトーンを高くした。
三人が横になって歩くには迷惑だし、狭い路地だったため、自分と冬原が隣り合い、綺羅星だけが少し前を歩く形になる。
「い、いや困るよ、散らかってるし、食べ物なんて大したものないし…」
「あら、散らかってても気にしないわ。食事だって、魚以外なら、何でも食べられるから、それも気にしないで」
「…私が気にするよ」と冬原がもっともな意見を呟く。
何と無茶な提案をするものだ。
閉口していると、綺羅星がこちらを向いて、「ねぇ?柊も行きたいわよね」と同意を求めるように尋ねた。
彼女には、こういう面が多々あった。
冬原か、綺羅星かのどちらかを選ばせるような質問を唐突にぶつけてきて、自分が彼女に味方しなければ、憎たらしい目つきで、「ふぅん」と笑うのだ。
別に、彼女が自分の悪事を周囲にばらして回るとは考えていないが、どうしても、イニシアティブを奪われてしまう。
それが分かっているから、こうして意見が割れたときは強気に出て来るのだろう。いや、意見が割れたもクソもないのだが。
ちらりと、今回不利益を被りそうな冬原を一瞥する。
彼女は、多少はマシになったとは言え、相変わらず怯えた瞳をこちらに向けていた。
ただ、普段はすぐさま背ける視線も、今は、助けを求めるようにして、真っすぐにこちらに見ていた。
準備もなしに、他人を家に入れる抵抗感は分かる。
流石に助けてあげたい気持ちもあるが、無言で見つめる綺羅星の圧力もあって、立ち位置を決めあぐねていた。
「まぁ…その、流石にいきなりは…ねぇ?」
隣で見つめてくる冬原の哀れさに負けて、その味方をするような発言をしてみる。
だが、案の定、綺羅星が、「ふぅん」と笑ったので、自分の中の天秤がぐらりと揺れて、簡単に逆方向へと傾いてしまう。
「…な、何よ、私だって行きたくないわけでは…、ないわよ」
「ほぅら、決まりね。案内して頂戴?」
足を止めた綺羅星は、ご機嫌といった様子で冬原を見つめて微笑む。
冬原はというと、恨みがましそうにこちらを見つめ、小さな声で、「…もぅ」とだけ苦情を上げていた。
私のせいじゃないわよ、と喉まで出かかったが、半分は自分のせいか、と真面目に反省する。
しばしの逡巡の後、観念したらしい冬原は、珍しく大きくため息を吐いて、迷惑だとアピールしてから、渋々と案内を始めた。




