ブラックコーヒーとカフェオレ 4
「そんなに見られると、照れるわ」
ぽつんと呟かれた言葉に顔をかすかに上げると、ほんのりと頬を染めた綺羅星と目が合ってしまう。
からかうような響きは合ったものの、飲みにくいというのは本心であったようで、もう一度、開けたばかりの缶を机上に置いた。
あらぬ罪を着せられそうな気配を感じ取り、冬原は早口で弁明する。
「あ、え、ごめんなさい、ただカフェオレより、そっちの方が…」
「あら?こっちのほうが良かったのね」
「その、ブラックコーヒーの方が、飲みたかった…で、す」
「そう、意外と大人なのね」と歳不相応の落ち着いた表情をした綺羅星。
「別にそこまで子供ではないので…。だいたいこのぐらいの苦さで――」
小馬鹿にされた気になっていた冬原は、視線を泳がせながらも、急かされるようにして答えた。
綺羅星は自分の言葉を受け取ると、少しだけ身体を近づけてきた。
ふわり、と甘い匂いがして、胸が高鳴る。
彼女は、囁くような声を耳元で発した。
その音は、鈴が鳴っているようでいながら、小さくとも、どこまでも冬原の中へ響く。
「それ以上は、口にしないほうが良いと思うわ」
「え?」
「あの娘の顔が見えないのかしら」
そう告げられた冬原は、恐る恐る目だけ動かして、柊の様子を窺った。
すると柊は、先ほどの不機嫌さに輪をかけたように表情を険しくしていた。
明らかに怒っている。
綺羅星がいなければ、すぐにでも平手打ちを食らっていただろう。
ほんの少しだけ、彼女が救いの女神のように見えてくる。
どうやら、カフェオレを口にしている柊を揶揄した発言と受け止められてしまったようで、彼女は人差し指でトントンと、苛立ったように机を叩いていた。
「へぇ、ブラックを飲めれば大人なのねぇ」
機嫌を損ねまいと、黙って目線を逸らす。
「アンタに聞いているのよ!」
「ひっ」無言が癪に障ったようだ。「ご、ごめんなさい。カフェオレ、私も嫌いじゃないです…」
「ふん」
二人のやり取りを楽しそうに笑って見ている綺羅星が、ここで初めて同年代の少女に見えた。
綺羅星は長い髪を、首を振って揺らすと、てっきり交換してくれるものだと思っていたブラックコーヒーを、もう一度その手に掴み、一口ほど液体を喉に流し込んだ。
意地の悪いものだ、と呆れて見つめる。
「うん、やっぱり美味しくないわね」
するとあろうことか、綺羅星は、冬原の前に置いてあったカフェオレを稲妻のような勢いで奪い取り、蓋を開けて中身を飲み始めた。
「それ、わ、私の…」
「ん…?貴方、ブラックの方が良かったのではないの?」
「え、あ、いや、さ、さっきそっちも飲んだじゃないですか…」
「それの何が問題なの」
あっけらかんとして小首を傾げる彼女が本当に理解不能で、思わず冬原はため息をつく。
段々と彼女に対して気を遣ったり、過分な警戒心を持ったりするのが馬鹿らしくなってきた。
腕に青痣をつけられた以外は、今のところは無害だ。
ただ、綺羅星の飄々とした態度と言動が、柊の機嫌を悪くするのだけは勘弁してほしかった。
火の粉を被るのは、綺羅星ではなくこちらなのだ。
「もういいです、気にしませんから…。早く返してください」
「可愛げがないわ?もっと可愛く頼めないの?」
「…そ、そんなこと言われても」
「ほら」
「…ち、ちょうだい?」
「ふふ、可愛い」
からかうような笑い声に、冬原は目を細めた。
――…馬鹿にして。
それから、綺羅星の目の前にあるブラックコーヒーを引ったくるようにして手に取ると、そのまま口をつけて珈琲を喉に流し込んだ。
ちょうどよい温かさが、初秋の空気で冷えた肌を火照らす。思わず、冬原はほっと一息漏らして、宙空を見据えた。
それを見た綺羅星が、「大人なのね」と呟く。
冬原は、そっぽを向いて気にしていないフリをした。
「間接キス、気にしないのね?」
あわや、口に含んだコーヒーを吐き出しそうになるも、ドン、と机の上にカフェオレの缶を叩きつけた柊の様子に、心臓がきゅっとなってしまった。
「いただきます、は?」
じろり、と柊がこちらを睨む。
自分は一度も言ったことないくせに…。
不満の言葉は飲み込み、ぼそりと応じる。
「い、いただきます…」
「可愛く?」と綺羅星が揶揄する。
どんな状況でも、人を小馬鹿にしてくる綺羅星を横目で一瞥する。
そもそも、柊がそんなことを望むわけが――。
「どうしたの。言いなさいよ」
「え、な、何を?」
「はぁ?可愛くよ。か・わ・い・く!」
あまりの驚きに、立ち上がりかける。言葉が出てこず、とにかく首を左右に振った。
だが、何が気に障っているらしく、柊はさらに目くじらを立てて声を荒げた。
「出来ないの?こいつの言うことは聞いたのに?何でよ」
あぁ、なるほど。
自分の奴隷が、他の人間の指示を聞いたことが気に入らないのだ。
ここで出来ない、と言えば、本当に平手打ちされかねない。それだけの怒気を柊は発している。
この状況を招いた綺羅星を、ちらりと見やるも、彼女は無言で笑みをたたえたまま、愉快そうに観察しているばかりだ。
最悪だ。
だいたい、どう言えばいいのだ。
いただきます、に可愛い言い方などないだろう。
「ほら、早くしなさい」彼女の視線から、目を背ける。「早く!」
「は、はい…!」
妙なことでムキになっている柊に、内心でため息を吐く。
もう、どうにでもなれ。
両手を揃え、顎の下に添える。
首は少しだけ傾け、上目遣いを意識する。
「い、いただきます…」
渾身の可愛いアピールに、恥ずかしくなりながらも柊を見やる。
どうせケチをつけるか、ニヤニヤと馬鹿にすると思っていた冬原だったが、彼女は冬原と目が合うや否や、すっと、背けて、無言でカフェオレをすすっていた。
…こういうとき、無視が一番つらい。
「…ふふふ、大丈夫、可愛かったわよ」
明らかに自分を馬鹿にしていた綺羅星の言葉を受けて、冬原は顔を俯けてコーヒーを飲むのだった。
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