プロローグ 私の望み
お久しぶりの方、初めましての方も、いらっしゃるかと思いますが、
まずは、ご興味を持っていただいてありがとうございます。
今作ですが、以前投稿していたものを、
見やすく訂正・細分化したものになっています。
毎日の更新を予定しておりますので、
お時間ある方は、お付き合いください。
分厚い窓の向こう側に、鮮やかなグラデーションに染まった空が広がっている。
紫色から、限りなく赤に近い橙色へと波打つように塗られた西の空は、地上で見たときはほとんど暗い青でいっぱいだったが、雲を越え、太陽や月に近づけば近づくほど、数刻前と同じ様相に近づいていくようだ。
女は目にかかる長い前髪を払うと、正面の座席のヘッドレストに埋め込まれているモニターを、意味もなく見つめた。
時刻は既に、午後八時を過ぎていた。
こんな時間にまで夕焼けが見られるというのは、何だか不思議だ。
首元にかけたヘッドフォンからは、有線で繋がった携帯から流れ込んでくる音楽が延々と鳴り続いているが、別にそれを聞こうという気分ではなかった。
ただ、惰性で流れている音の螺旋は、価値のないもののように、ひたすら空気中に零れ落ちていく。
女の口から、無意識に小さいため息が漏れる。
それは、この客もまばらな機内においては、誰の耳にも届かぬ音だったに違いなく、当の本人でさえも自覚しようがないほどであった。
少し離れた座席からは、小さい子供を連れた家族の、他愛ない世間話が聞こえてくる。
あそこが楽しかっただとか、ここが綺麗だったとか、子供の単純で純粋な感想に、思わず頬が緩みかけるが、私は意識して口元を固く結んでいた。
後方から、客室乗務員が飲み物の確認に来ていると分かっていたからである。
一体、どこの声帯を震わせばそんな高い声が出るのかと、女は不思議に思いつつも、自分の番が来るのをじっとモニターを見つめながら待っていた。
細い通路を、客室乗務員の女性が台車を押しながら進んでいる。そうして、私の座席の隣に来ると、優雅に洗練された笑顔をこちらに向けて、飲み物の注文を確認する。
珈琲、麦茶、水の中からということだったので、私は珈琲をお願いした。
お礼を告げてそれを受け取りながらも、今この珈琲を機内でぶちまけたら、一体どうなるのだろうと無意味な空想を描く。だが、直ぐに興味を失って、再び窓の外の景色へと意識を移す。
飛行機の右翼の先端が、輝きを失いつつある夕日の微弱な光を辛うじて反射させ、その頑強な鋼鉄を誇示しているかのようだった。
しかし、気圧の関係で重くなっている私の思考回路には、その鈍い光すら攻撃的な光に感じられてしまい、目を逸らす。
もう一時間もすれば空港に到着する。
そこから高速バスに乗り継ぐことで、私の目的地へと辿り着くことが出来るだろう。
それまで一眠りするか、あるいは・・・。
女は既に、外の風景から焦点を変えていたのだが、それでも一際眩しそうに目を細めて、変化のない静止画が映った画面を凝視していた。
その瞳は画像を注視しているというわけでもなく、ただ己の胸の内にある、繰り返し流れる映像を見つめているのだ。
何度も何度も思い出す、瞬間が、女にはあった。
その、これ以上ないくらいの刹那を、あれからずっと求めている。
心の奥の小箱に、大事に押し込めているその光景を思い返すときというのは、女にとって自然と微笑みが零れる一瞬でもあり、張り裂けそうな感動に、勝手に手が震えだす一瞬でもあった。
しかし、それと同時に確証のない焦りに駆り立てられる瞬間でもあった。
その思い出が大事であればあるほど、また美しければ美しいほど、記憶の劣化によって失われていく鮮明さが、女にとっては耐え難いものに思えた。
だから、女は探していた。
あの一瞬と同等の、欲を言えば、それすらも凌駕できるほどの刹那を。
足りないものは分かっていた。
だが、それが今の自分にないことも、また分かっている。
深いつむ想状態のようにして、自身の内奥と見つめ合っていた女は、間もなく着陸体勢に入るとのアナウンスに反応して、眼球を微動させた。
頭の斜め上の位置で点灯するシートベルトサインを目で追い、そんなに時間が過ぎたのか、と少しばかり驚いていたが、その顔つきは能面のように白く、無感情で、まるで工場に並ぶ機械のようであった。
確かに眼下では、黒い平野のように広がる町並みと、そこで燃えるようにして灯る暮らしの光が見受けられた。
だが、これだけ遠いと、どこから人の住む場所で、どこまでが山々なのか判別できそうにもない。
何はともあれ、空の旅は一先ずの終わりを迎えたようだ。
やがて、機体は降下を始めた。
全身にかかる気味の悪い加速度に、眉をしかめながら着陸を待つ。
すると、一際大きな音を立てて機体が強く振動を開始した。
どうやら私の足は、再び大地へと根を下ろしてしまったようである。
それにしても、飛行機が壊れるのではないかと思ってしまう衝撃だったが、大昔は着陸のことを『計画された墜落』と言われるほど危険だったらしい。当時のことを考えると、文句も言っていられないだろう。
離席許可が下りてからも、女は荷物を取り出すこともなく、ただ座席に縫い付けられたようにじっとしていた。
離れたところに座っていた子どもが、着陸の感動を、声を大にして両親に語っているのを聞いて、ほんの少しだけ女の口元が緩んだ。
だが、子供には興味はない。
別に感情的な理由ではないが、ただ何となく気が進まなかった。
その家族を含めて、みんなが我先にと立ち上がり、機体から離れようとするも、自分は焦ることはない、と考えながらゆったりと瞳を閉じた。
そうだ、焦ることはない。
一枚の写真を懐から取り出す。
こいつが何をしたのだったか…。
確か、彼らに対し、匿名での誹謗中傷を繰り返したのだったか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
私は、私に与えられた役割を果たす。そして、その中で、私自身が欲するものも探す。
この先、もっといい機会が訪れる。
人生は長い、と先人たちは口を揃えて言うではないか。
私は閉じた目蓋の裏側に、先ほどの夕焼けが映り込むのを感じながら、少しずつ収まっていく喧騒に耳を澄ますのだった。
会話文もなく、なんのこっちゃ、となるプロローグだったと思いますが、
次回より、まともに話が進みます。
今後もお付き合いください!
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