【七夕短編】待ち合わせ
渋谷ハチ公前。
待ち合わせの場所。
例年だったら公害のごとき騒音が撒き散らされているこの場所だが、今年はせいぜいザワザワと小うるさい程度。
時折ギャハハと大笑いしている声が聞こえるが、そんな彼らの口元にもしっかりと派手なマスクがつけられている。
──コロナによって何もかも変わってしまった常識。
私は渋谷らしくなくなってしまった渋谷のど真ん中で時計を確認する。
日付は七月七日。時刻は十九時を回ったところ。
待ち合わせの時間は過ぎている。
『悪い、電車が遅れてるんだ』
三十分前に届いた彼からのライン。
私はその画面に新しいメッセージが流れないかな、と連絡を待ちわびていた。
数えきれないほど何度も会っている彼氏なのに、緊張している私がいる。
だって──彼に会うのが一年振りなんだから。
お互い社会人で、彼は地元の福岡に帰って私は東京に残った。
会えなくなるけど連絡は取ろうね、そう約束してたんだけどな……。
去年まではお互い休みが取れた時に待ち合わせてデートに行ったり、旅行にも行ったりした。
社会人も数年続けているとお互い少しずつお金の使い方も覚えてきて、ちょっと洒落たレストランで夜景を見ながらディナー、なんてこともした。柄じゃなかったけど。
だけど、コロナが全てを変えてしまった。
私はもう一年間も彼に会えていない。
寂しくないと言ったらうそになる。
オンラインでは彼の優しい声と穏やかな笑みを映せても、彼の暖かさまでは映せない。
──会いたい。
そう思っても会えないのがこのご時世。
皆何かを犠牲にして、我慢して生きている。
私だけ頻繁にでも彼に会いたいと思うのは──ワガママだ。
織姫と彦星。
引き裂かれてしまった彼らの気持ちが今なら少し分かる気がした。
『七夕だからさ、久しぶりに会おうよ』
と彼は言った。
一年も我慢したんだ、
それでも自粛警察に怒られるなら怒られてやる。
私は即座に彼の提案を受け入れたのだった。
彼は今日午前で仕事を切り上げて明日明後日は有給。
その間だけはこっちに──東京に来ることになっていた。
──早く会いたい。
どうしようもなく高鳴る鼓動は次第に焦ったように早く脈打ち始めた。
彼から連絡がない。
もしかしたら何かあったんだろうか。
そんなわけはないと思いつつも不安は拭えない。
私の不安を察したかのような彼からの連絡。
それはメッセージではなく、電話だった。
私はすぐに応答する。
『ごめん、遅れて』
「ううん、いいよ」
少し焦ったような彼の声の裏からは駅のアナウンス音が聞こえてくる。
どうやらもう駅にはついているらしい。
『今からそっちに行くんだけどさ、ちょっと待ち合わせ場所変えてもいい?』
彼からの妙な提案。
私は訝しくも思いながらも承諾した。
『ありがと、じゃあ今からさスクランブル交差点まで来てよ』
「スクランブル交差点?」
どうしてまたそんな人の多い所を指定したのだろう。
私の疑問は風船のように膨れ上がっていく。
『なんて言うかさ、天の川みたいじゃん。スクランブル交差点って』
「ちょっと分かるけど何それ」
変な人。
少し会わない間にこんな冗談を言うようになってしまったらしい。
『今日七夕でしょ? だから少しでも七夕気分味わいたくて』
「織姫と彦星ってこと? ドラマの見過ぎ」
『そうかも、最近それくらいしかできることないからさ』
「分かる、私もついにネドフリ入っちゃった」
ドラマをたくさん見た。
それも遠距離恋愛をテーマにしたものばかり。
彼らは遠方にいるというのに普通に会って、普通に恋して、普通にハッピーエンドを迎えていた。時にはバッドエンドもあったけど……。
今はもう、無くなってしまった『普通』。
その『普通』に憧れた。
甘いセリフにキュンと来るより先に普通に会えることを羨ましいと思った。
そんなご時世。
私はハチ公前から移動してスクランブル交差点へと向かった。
歩いてすぐの所にある。時間はほとんどかからない。
『着いた?』
「着いた」
信号は赤。
仕事終わりの時間帯、信号待ちの人は割と多い。
ビルの谷間から差し込んでいる残照に目を細めた。
夏だな、なんて思ってみる。
すっかり陽が落ちるのが遅くなった。
『信号が青に変わったらさ』
「うん」
『早足で中央に来てよ』
「やっぱりドラマの見過ぎ」
『いいじゃん、ちょっと憧れてさ』
「いいよ、ちょっと変な目で見られるかもしれないけど急いであげる」
『ありがと』
電話越しでも伝わる彼の優しい声。
いつからか彼の声を思い出すたびに機械のノイズが入るようになっていった。
生の声を聞けるのは、生の姿を見れるのはそれこそ本当に一年振り。
信号が青に変わる。
私は周囲の視線も気にせずに早足で一目散に信号を飛び出した。
ちょうど反対側からも同じように飛び出してくる人がいる。
──彼だ。
自然と歩調が早まって、私は多分ほとんど走っていた。
だって彼もそうだったから。
「久しぶり」
「一年振りだね」
まだ誰も辿り着いてないスクランブル交差点のど真ん中で私たちは再開した。
さすがに交差点の中央で止まるのは邪魔なので、会話もそこそこに私たちは並んで歩き出す。
それからすぐに押し寄せてくる人の波。
密です。
その流れに飲まれないように私たちはどちらからともなく手を繋いだ。
この温もりも一年振り。
力がギュッと入ってしまうのは仕方のないことだ。
「天の川みたいってホントだね。この感じ、ちょっと分かるかも」
「でしょ? 俺の言った通りだ」
「ドヤ顔しないの」
少し緊張するのは何故だろう。
握り返してくる彼の手が少し熱いから?
それとも単に直接会うのが久しぶりだから?
ただ、少なくとも彼は今まで見たことのないような独特な緊張感を夏日なのにコートでも着込むみたいに羽織っていた。
「家着くまで我慢しようと思ってたんだけどさ」
「うん」
「やっぱ無理、今言うわ」
「何を?」
トクン、と心臓が跳ねる。
それは私を見つめる彼の目がかつてないほど真剣だったから。
「もう会えないのは嫌なんだ」
「私も」
「だからさ──結婚しよう」
それはあまりにも唐突で、でも私が何よりも望んでいた言葉だった。
「こんな所で言う? 普通」
「久々に会ったら我慢できなくなった」
「ばーか」
あーあ、最悪。
マスク濡れちゃうじゃん。
替えのマスク持ってきてないのに。
「随分待たせちゃったね」
「本当に待った、遅い」
──二重の意味で。
「でも大事なことだから直接言いたくて」
「その心意気は褒めてあげる」
涙交じりの声は震えていた。
それでも精一杯普段通りを演じてみる。
マスクにじわりと涙が染みていくのを感じた。
「どう? 結婚してくれる?」
「当たり前でしょ。何年待ったと思ってるの?」
「ごめん。でも会えなくなってやっと決心がついた」
「遅い」
握る手にギュッと全力で力を込めてやった。
痛い、と彼は言うけどお構いなしだ。
だって、力を入れてないと涙が更に溢れてメイクがぐちゃぐちゃになりそうだったから。
今日はマスクの下のメイクだって気合入れてきたんだから今ここで崩してたまるか。
──私たちは織姫と彦星なんかにはならない。
今日も明日も、この先ずっと二人でいるんだから。
勢いで書き上げてしまいました。
私は今年の短冊には
『普通』が戻ってきますように
と書く予定です。
皆さんは今年の短冊に何を書きますか? 良ければ教えてください。
あと↓の方にある★★★★★から天の川を流してください──なんて言ってみたり。