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ヤマトタケルの死

作者: 立花忠通


 たたなづく青垣

 山(ごも)れる

 やまとしうるわし


 故郷を(しの)ぶ歌を静かに(うた)い終えると、ヤマトタケルは能褒野(のぼの)で息を引き取った。


 ようやく何人もの妃や子らが都から能褒野(のぼの)に辿り着いたのは、既に塚が築かれた後だった。年端もいかない子らが塚に取り(すが)り大きな声で泣きだすと、まだ真昼だというのに空は暗闇となり、塚の中から八尋(やひろ)にもなる大きな翼を広げた白鳥(しらとり)があらわれた。

 従者たちは真っ青になり口々に叫んだ。

「やはりあの方は神の子だった」


 白鳥は悠々と大和の方角へ向けて飛び去ろうとする。妃も子も泥まみれになりながら後を追ったが、遮るもののない大空を飛んでゆく白鳥には追いつけない。

 大和の国に向かった大きな白鳥は、そのまま大和を飛び越え、大王(おおきみ)の宮殿の上を何も言わずに通り過ぎていった。河内の国で白鳥は初めて降り立ち、驚いた人々が大鳥を(まつ)る社を建てた。その社は今も大鳥神社として残っている。河内の国は、ヤマトタケルの孫にあたるホムダワケ(応神天皇)とさらにその子のオホサザキ(仁徳天皇)の巨大な陵墓が建てられる地だが、無論それはまだ後の時代の話である。




 その半月ほど前、ヤマトタケルは伊吹の山の神と対峙していた。

 山の神は言う。「ヤマトタケルよ、いや、ヲウスよ。お前は神性を受け継いだまごうことなき神の子だ。この(あめ)の下、全ての山と川と海の荒ぶる神を打ち滅ぼすだろう。そして、全ての神を滅ぼした時、お前もまた同じように滅びるのだ」

 無言で(にら)み続けるタケルの前で山の神は続けた。「神の子よ、全ての荒ぶる神の霊を(しず)めるために、お前は滅びなければならない」


「私の血で(あがな)うと言うことか」

 長い沈黙の後、伊吹の神は(うなず)いた。そして、大王(おおきみ)が尾張の国造(くにのみやつこ)へ使いをやって、(あめの)叢雲(むらくもの)つるぎを尾張に贈ること、そのためにタケルに剣を置いていくよう尾張国造の娘である宮簀媛(みやずひめ)に言わせ、伊吹の山の神と素手で対決するようそそのかしたこと、全ては朝廷と尾張国造とで話がついていることを打ち明けた。


「そして、大王は稚足彦(わかたらしひこ)に跡を継がせるつもりなんだろう」と吐き捨てるようにヤマトタケルがつぶやいた。

 東国へ旅立つ前からそんなことは分かっていた。自分が父である大王オシロワケから愛されていないこと、ずっと前から末子の稚足彦(わかたらしひこ)が次の大王となるように決められていること、そして、自分は捨て駒でしかないこと。全て承知の上で東国平定の戦に旅立ったはずだった。

 それでも目の前で、山の神とはいえ、大王の一族でもない赤の他人からその事実を告げられて、タケルは怒りが湧いてくるのを抑えられなかった。


 父帝オシロワケは、祖先から代々受け継いできたはずの神性が自分に無く、神々の声が聴こえないことをずっと気にしていた。これからは神でなく、自分と同じような普通の人間がこの国を治める。神々の時代は終わったのだと宣言して、神性を持つ妹の倭媛(やまとひめ)を遠く伊勢の巫女として退け、自分と同じように神性を持たない末子の稚足彦(わかたらしひこ)を可愛がっていた。


 伊吹の神はなおも言葉を続けた。弟橘媛(おとたちばな)の夢枕に立ったと打ち明ける。


 タケルの顔色は一瞬のうちに変わった。「弟橘媛(おとたちばな)に何を言った!」


「すべての荒ぶる神を鎮めるためにお前の血が必要だと知って弟橘媛(おとたちばな)は深く悲しんでいたよ・・・『私が身代わりとなります』と言ってな」


 走水の海に沈んでいった弟橘媛(おとたちばな)の面差しがタケルの目の前に浮かんだ。


 なぜ止めるのも聞かず、弟橘媛(おとたちばな)が身を投じたのか、今までタケルは少しいぶかしく思っていた。それを恥じた。


弟橘媛(おとたちばな)は、私の代わりに入水したのか」


 伊吹の神は目を伏せてうなずいた。


 死なねばならないのは自分だった。弟橘媛(おとたちばな)は全てを受け入れ夫の大業を完成させるために、走水の海に、あの冷たい海に沈んでいったのだ。

 それを一時でもいぶかしく思った己の浅はかさ、身勝手さに自分の体が凍りつくのを感じた。

 自分には父と同じ冷酷な血が流れている。父帝の横顔が浮かんだ。決してこちらを向いてはくれない大王の冷たい横顔。兄オホウスを殺すよう命じておきながら、そのように命じた憶えは無いと言った冷たい横顔。


 伊吹の神はいまにも消え入りそうな声で言い残した。

「ヲウスよ、お前はわしに負けて死んだと人々は言うだろう。だが、わしもやがて消えゆく。すべてこの天の下の神々は消え、神々の時代は終わるのだ」

 冷たい雨に打たれながらタケルは伊吹の山を下りていた。もう尾張に戻ることはできない。大和に入ろうとすれば、父帝はきっと軍勢を差し向けるだろう。伊勢にいる叔母の倭媛(やまとひめ)ならば自分を迎え入れてくれるだろうか。

 ヤマトタケルはすでに重い病になっていた。


 醒ヶ井(さめがい)の井戸で喉を潤した時、正気を取り戻したヤマトタケルは自分のお供をしている者の数が減っていることに気がついた。

 タケルが次の大王になると信じて辛い戦に付き従ってきたが、今や大王にはなれないと知って逃げ出したのだろう。それどころではない。ぐずぐずしていたら都から軍勢を差し向けられて朝敵となって死ぬかもしれないのだ。逃げ出すのも無理はない。

 タケルは従者の一人を呼び寄せ、自分が大王に反逆するつもりなど毛頭ないこと、東国は無事に平定され大王のものになったこと、そして自分に付き従ってくれた従者たちを手厚く処遇してほしいことを、都にいる大王に伝えるよう命じた。


「これから伊勢を目指す。伊勢の海に昇る太陽、あの輝く太陽のように、私はこの病を治すだろう」と声を振り絞り、タケルは倭媛(やまとひめ)のいる伊勢を目指した。




 ひと月の後、纒向日代(まきむくひしろ)の宮にいる大王と稚足彦(わかたらしひこ)の前で、ヤマトタケルが白鳥となり、大和を飛び越えて河内の国に降り立ったことが奏上された。

 大王は無言のまま、広間を出て行った。うつむく稚足彦(わかたらしひこ)は少しの間をおいて立ち上がり、宮殿の庭から西の空、河内の国の方を見上げた。


 それから何十年もの間、この国から大きな(いくさ)の火が消えた。大王はただの一度もヲウスの名を口にしなかった。大王が崩御された後、稚足彦は即位し、後に成務天皇と呼ばれるお方になった。成務帝には王子がおられたが、その方を大王に継がせることはなく、兄ヤマトタケルの子帯中日子(たらしなかつひこ)日嗣(ひつぎ)の御子と定めた。後の仲哀天皇である。


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