第三十五話 晴司とミア
ミアが目を覚ますと、そこには見慣れた天井が映し出されていた。
気を失っている間に、晴司別宅の自らの部屋のベットへと運ばれていたようだった。
窓から差し込む日の光具合から、気を失ってから約二時間弱だろうという事がわかったが、気を失った時の記憶が曖昧なため、何とも自信がもてなかった。
リオに向かって突進していった事は覚えているが、こうして気を失っていた事を考えると、その後あっさりと自分が負けてしまった事は安易に予想できた。
「目が覚めたかい?」
声をかけられて初めて、すぐ近くの座椅子に晴司がいた事にミアは気が付く。
「ふむ……私がいた事にも気付いていなかったというのは重症だな。まぁ脳震盪を起こしていたわけだし……今後二ヵ月弱くらいは大人しくしている事を推奨するよ」
リオによって、事の顛末は聞いてはいたが、何事もなかったかのように晴司はミアへと話しかける。
「……私は……」
「リオ君によって運ばれてきたよ。氷室女史の隠れ家から一直線に抱えて走ってきた、と言っていたからどんな緊急車両より早く着いたのではないかな?」
暗い表情のミアを元気づけるかのように、少しおどけたように笑いながら話をする晴司。
「……私は、また生き恥を晒したのですね?」
そんな晴司の気遣いを無視するかのようにミアは言葉を放つ。
「……ミア。私はね、キミに死んでほしくはないのだけれどね……」
それは初めて口にする言葉だった。
ミアが名誉の戦死を望んでいる事は知っていた。死んでほしくない、という事を何度言葉にしようと思ったかはわからない。
しかし、普段からワガママどころか、一切の望みも口にしないミアが、初めて抱いたであろう晴司へのワガママを否定する事ができずにいた。
「マスター……黙っていても私の寿命は十年前後で尽きます。マスターのメイドとして、死因が老衰では私の気が済みません……せめて、伝説の氷室アヤと戦って死んだ、というメイドらしい死因を与えてください」
断腸の思いで言った晴司の言葉でもミアの心が動く事はなかった。
「キミのワガママは理解しているし、尊重もしているよ……そして、愛する女性に少しでも長く生きていてほしいと思う私の想いもまた、ただのワガママさ。キミにもそれを理解してもらえれば、それだけで十分だよ」
ミアの心が動かなかったからといって、晴司も引く気はなかった。
ズルい言い方だろうが、少しでもミアが死ぬ事を躊躇してくれるならそれでよかった。
「メイドである私を愛してくれているのはとても嬉しく思います。私も、身分差さえなければと何度思ったかわかりません……ですから、愛しているからこそマスターの重荷にはなりたくないのです!私が死ぬ事でマスターの枷を外せるのでしたら私はそれでも……」
「ミア!!」
ミアの言葉を遮るようにして晴司が叫ぶ。
そして、ミアが黙ったのを確認すると、改めて話し始める。
「……5年前に軽く言ってはいたが、改めて直接は言っていなかったので、今言う事にするよ……私はね、キミがいない世界で生きていくつもりはないよ」
「――――!!?」
晴司の告白にミアは絶句する。
「ダメですマスター!私なんかのために命を粗末にしないでください!!私が死んだら、私の事は忘れてきちんと正妻をお取りください!」
「ミア……私が命すら捧げてもかまわないと思えるくらい愛している女性を卑下するのは止めてくれないかい?」
叫びだすミアを優しくなだめるようにして、晴司は言葉を続ける。
「それに……私はミア以外の女性に寵愛を注ぐつもりは毛頭ないよ」
そもそも、ミアがいなくなった程度で別の女性と結婚するのなら、最初から独身を貫くような事はしていなかっただろう。
晴司の言葉を聞いたミアは何も言えず、ただベットのシーツで顔を隠すようにして涙を流していた。
晴司のその言葉が純粋に嬉しくて……
晴司と共に長く生きられない自分が悲しくて……
そして、晴司の子を身ごもれない身体になる道……メイドとしての道を選んでしまった後悔の気持ちが……
「あああああああぁぁ~~~~!!!!」
普段のミアを知っている者が見たら目と耳を疑うような光景だった。
物静かなミアからは想像できないような慟哭が続く。
その両目からは、拭っても拭っても涙が止まる事はなかった。
晴司は黙ったまま、ただ優しくミアの背を撫でた。
ミアが泣き止むまでその手が止まる事はなかった。
それがミアの涙を余計にあふれさせる行為だとわかっていても、泣いているミアに何もしないという選択肢は晴司はなかった。