第二十五話 数時間前
氷室王国王宮国王執務室。
本来なら、国王が不在でない限りは一日に数人の来客があり、多くの議題を、その議題を持ち込んだ重鎮達とディスカッションされていた。
しかし現在、前国王派閥と現国王派閥での水面下の争いの最中であるため、王が信頼している、極一部の人間以外が訪れる事のない、少し寂しい空間となっていた。
「久しぶりだな宗馬。だいぶ老け込んでるようだが元気してたか?」
部屋に入ってくるなりソファに深々と腰掛けて足を組むメイドとは思えない行為をし、一国の国王に対してとは思えない態度で話しかけるリオ。
「そうだね……少々疲れてはいるが元気でやっているよ。君は変わらないね……というか、初めて会った時と同じ容姿だねアヤ」
リオ……いや、アヤの異能を知っている氷室国王は、特に動揺する事もなく、笑みを浮かべながら答える。
「本当にうらやましいよ、その時間操作の能力……最近、歳とともに身体の衰えを感じるようになってきた僕にも使ってほしいよ」
時間操作。それは時間の加速も逆行も行えるというチートのような能力。
しかし、メイドの異能というモノは、自身にのみしか影響する事はなく、他者に対してはその範囲ではないのである。
例えばシノの獣化の能力は、わかりやすく自身にのみ影響をあたえる身体能力向上。ユカナの火の能力は、他者を巻き込んでいるように思えても、あくまでも自身を発火装置とする事で相手を攻撃しているだけなのだ。
そして時間操作能力。他者に影響を与える事ができないため、完全に時間停止させる事はできないが、体感時間を極限まで調整する事で、限りなく時間停止に近い形なら再現できる。
さらに、何かの拍子に体の一部を失うような損傷を負ったとしても『その傷を負う前の状態』まで時間を逆行させれば、一瞬のうちにケガや病気を治癒する事も可能なのだ。
もちろん、時間は逆行しても因果の逆転は起こらない。結果には過程が常に存在するため『数分後にそのケガを負う』という結果も、起こりえる原因が再度発生しない限りは、ケガを負う事は無い。過程からの結果であり、結果からの過程は有り得ない事だ。仮に何らかの世界を巻き込んだ因果律か何かがあったとしても、異能はあくまでも個人にしか対応しない。世界などという意味不明な他者は、その範囲ではないのだ。
つまるところ、まさに万能ともいえる能力だった。
アヤが行っていた、体の成長速度を止めて、歳を取らずに十数年容姿を維持させたり、体の成長速度を逆行させて若返ったりしたのも、この時間操作能力を応用していただけのものだった。
実は、世間では奇跡とさえ言われている『メイドが子供を産む』という出来事も、アヤがこの時間操作能力を使って、生殖機能を『メイドになる前の正常な状態』まで戻した、というだけの、種明かしされれば奇跡でも何でもない出来事だった。
「それで?今日は僕に何か用事があって来たんだろう?何かあったのかい?」
十数年ぶりに行われていた『単なる世間話』を切り上げて、氷室国王は本題に移る。
「どうって事ないさ……佑に、私を殺したのが私だってバレそうになったから、ちょっと逃げて来たってだけの事だよ」
アヤは自嘲するように言葉を吐き捨てる。
「……佑にだけは正体をバラしてもいいんじゃないかな?最も信頼できる母親が生きていたという事がわかれば、あの子もきっと喜ぶよ」
「そして、そんな佑の態度を見た周りの連中は私をどう見る?……いいか?『国際指名手配された犯罪者・氷室アヤ』は死んだんだ。少しでも『氷室アヤが生きている』って思われるのはダメなんだよ」
たしかに佑には、晴司のように「正体に気付いても態度に出さない」というような役者を演じる事はできないだろう。
「佑の普通の生活を守るのは犯罪者には無理なんだ。あの子の成長を近くで見守るには護衛メイドじゃなくちゃダメなんだ……わかるか?アヤとリオがイコールで繋がるわけにはいかないんだよ」
それは長年逃亡生活をしていたアヤだからこそわかる決意。
自分と一緒にいては、他人と接する機会はほぼ皆無の人生となってしまうとわかってしまうからこそ、ソレを何とかしたいと必死に考えた親心の表れであり、ただ去るだけではなく、今後も子供の成長を近くで見続けたいと思う親のワガママでもあった。
「そうか……それが君の望みなら僕はただそれを支援するだけだよ」
アヤの言葉に対して、氷室国王は優しく微笑みながら静かに応える。
「ああ、そういえば……前回会った時はゴタゴタしてて言い忘れてたんだが、逃亡中の支援本当に助かったよ。お前が定期的に金を振り込んでくれてたおかげで、今まで佑と生活できた。ありがとう」
アヤ逃亡中、氷室国王は毎月決まった日に、偽名を使って開設していた口座に、誰にも知られずに入金していた。
いくら能力万能なメイドといえども、先立つものが何も無ければ生活する事はできない。しかも傍らには、まだ物心すらついていない子供も一緒であるからなおさらである。
自給自足では人並みの生活は送れないし、子供が成長すれば着る物も常に新調しなくてはならないし、病気になれば、保険証が無いため医療費全額負担である。
「忘れてもらっちゃ困るよ……影が薄いかもしれないけど僕は佑の父親だよ。親として当たり前の事をしていただけの事だよ。お礼なんていらないさ」
笑顔で即答する氷室国王。
そんな氷室国王を見ながら、容姿も性格も父親譲りな佑も、将来こんな大人に成長するのかと想像しながら笑みを浮かべるアヤ。若干、自分に似なくて本当に良かったと自嘲もこもっていた。
「さて……それじゃあ私はそろそろ行くよ。セージから、セージの専属メイドのミアちゃんに私の正体がバレたって聞かされたからな。色々と面倒臭い事になる前に戻らないと大変そうだからな」
「野上の晴司君かい?でも、彼のメイドはキミの正体を知っても、誰かに話したりするような子には見えなかったけど?」
晴司とミアの事を知っている氷室国王は、疑問を口にする。
「ミアちゃんは、昔私に負けてから重度のマゾヒストになってるんだよ」
突然とんでもない事を言い出すアヤ。
「私に負けた時に死に損なったとでも思ってるのか、隙さえあれば殺されに来るようになったんだよ。今まではソレを適当にあしらったり、セージが抑えるようにしてたんだけどな……」
そして、何度か挑んでいる内に、アヤの異能を把握したようで、それが今回『アヤ=リオ』という事がバレる要因にもなっていた。
「今回は、私が死んだって事で抜け殻みたいになってた反動と、寿命で死ぬ前にどうしても『氷室アヤと戦って死んだ』っていう汚点を残したいっていうマゾ特有のよくわからない性癖が合わさって暴走しそうなんだよ」
もう言いたい放題である。
「そんなわけで、正体をバラされる云々ってよりも、私と戦うために、佑を人質にとるとかいう手段に出て、佑に危害が加わる前に何とかしておきたいって感じだな」
黙ってアヤの説明を聞いていた氷室国王だが、すぐさま疑問を口にしたい衝動に駆られる。
「ねぇアヤ……そんな状況で、何でわざわざ国境越えてまで僕のところに世間話しに来たの?落ち着いてから来てもよかったよね?」
そんな王の疑問にアヤは即答する。
「何となくそんな気分だったから」
アヤの行動理由も、あれだけ馬鹿にしていたシノと大して変わらなかった。