第二十一話 獣道
氷室アヤと佑が隠れ住んでいたのは、氷室王国と野上王国の国境付近。ギリギリ野上領の山奥だった。
氷室王国からの刺客を警戒していたので、国外である野上王国に住んでいた、というのは当然といえば当然の事であり、もちろん簡単に見つけられないように、電車・バスでは簡単に行けないような山中に隠れていたのは当たり前の事であった。
そう、電車やバスでは簡単に行けないのである。
「疲れた……暑い……じめじめして気持ち悪ぃ……」
「歩きにくい……虫多くてイヤ……喉かわいた……」
数か月前まで、その場所で生活していた上に、毎日基礎体力作りをしていて人並み以上の体力がある佑や、人外の能力を持ったメイドは特に問題はないものの、この場にいるのはそれだけではなかった。
最寄り駅から10㎞弱。市街地からは真逆の、バスの路線ルートにすら入っていない、ほぼ獣道を歩き続ける事は、人並み以下の体力しかないボンボン二人には過酷すぎた。
休憩したくても、周りには家一件すらないどころか、ゆっくりと腰を下ろすような場所もないくらいに、草が生い茂り、大小様々なサイズの石がその辺にちりばめられていた。
結果、壬生と真弓は、頭に思い浮かんだ言葉を取捨選択できずに、そのまま口から垂れ流す程度に疲れ果てていた。
「あの……私がおぶって歩きますか?」
壬生のメイドであるナナが、見かねて声をかける。
「……ああ、たの……」
「何言ってんスか?生身の佑坊ちゃんが平気な顔して歩ってるのに、壬生ちゃんがそんな申し出を受けるわけないじゃねッスか?つうか、そんな男としてのプライドを簡単に捨てさせるような発言をメイドがするってのどうなんスか?」
何かを喋りかけた壬生の発言を遮るようにしてシノがナナにクレームをつける。
「あ……も、申し訳ありませんでした!」
心底申し訳なさそうに頭を下げるナナだったが、壬生の表情は何ともいえない微妙な感じになっていた。
「お、おう……気にするな」
シノを見る壬生の目が酷く恨めしそうなってはいたが、誰も何も言わなかった。
佑とユカナは、シノが壬生をイジメて遊んでいる事に気付いてはいたが、それを教えてあげる事こそ壬生のプライドを傷つけそうだったので、あえて黙っていた。
「ちなみに俺がナナの申し出を受けてたら、俺何か暴言吐かれてたか?」
「は?私はこの場では何も言わねッスよ、ただ週明けから『高三にもなってメイドにおんぶしてもらえないと歩けない』って事が学園中に知れ渡って、あだ名が『ヘタレ』とか『ベイビー壬生』とかになるだけッス」
「だ、だよなぁ。ハハハハ!俺は普通に歩けるってんだよなぁ!」
カラ元気で笑い出す壬生。
遊ばれてるって早く気付いて壬生……と心の中で呟く佑だったが、疲れ果ててる壬生に、それを理解できる判断力はなくなっていた。
「姉さん……私……『ベイビー真弓』とかいうあだ名でも受け入れるから……おんぶして……」
秒でプライドをかなぐり捨てた、すでに目が死んでいる、もう一人のボンボン。
そんなボンボンの肩に優しく手を置くシノ。
「マユミちゃん……いいから黙って歩くッス」
放たれる死刑宣告。
そのままその場で崩れ落ちる真弓。そして膝をついたままの体勢で動けなくなっているようだった。
はいていたスカートとタイツが泥で汚れてしまっているが、それを気にする余裕すらすでに無くなっている。
「あ~あ……マユミちゃん、ソレちゃんと自分で洗うんスよ」
シノが悪態をつくように真弓に話しかけるが、真弓当人の耳には届いていないようだった。
「ちょ……ちょっと座りにくいけど、この辺で休憩しよっか?」
二人が肉体的だけではなく、精神的にも限界に近い事を悟った佑が休憩を提案する。
もちろん提案を拒否する者は一人もいなかった。
「そういえば、本当にリオ様が襲い掛かってきた場合、私達3人で取り押さえる事ができるんでしょうか?」
休憩タイムに入ったとはいえ、特に疲れているわけではないユカナが口を開く。
「100%無理っスね」
ユカナの質問の答えを佑が知るハズもなく、壬生と真弓は疲れ果てていて口を開く余裕すらまったくない、そしてナナはほとんど事情がわかっていない。そんなわけで、必然的にシノが即答した。
「私達3人じゃ、ミア嬢にすら勝てるかどうか怪しいッス。そんなミア嬢に圧勝した氷室アヤを倒したのがあのガキっスよ」
小学生でもわかる、簡単な不等式の計算である。
「異能持ちのメイド同士の争いは、能力の相性とかもあるんで、一概にどちらが強いか弱いかの判断は難しいかもしれないッスけど、レベル差がありすぎる場合はコレの範囲じゃねッスね……つうか、そもそもで『触れるモノを消滅させる能力』と相性がいい異能とか何かあるんスか?」
「すぐには……思いつかないですね」
休憩時間を利用した、ちょっとした話題のつもりだったのだが、重い空気に包まれる。
「あの……私はあまり詳しくは知らないのですが、まだ、そのリオ……さんと戦うと決まったわけではないのですよね?」
重い空気をなんとかしようと、ナナがフォローを入れる。
「そ、そうだよ!それにまだリオちゃんがここに居るって決まったわけでもないんだし。二人とも難しく考えすぎだよ」
ナナの発言を受けて、佑も便乗する。
「そうですね。リオ様を見つけるのが目的だったわけですから、とりあえずは見つける事を優先しましょう。もし襲い掛かって来られたら、勝てないのでしたら全力で逃げればいいんですから!」
「そうッスね。補欠9番の言う『逃げる』って案には賛成ッス。それで佑坊ちゃん?氷室アヤの隠れ家は後どれくらいッスか?」
とりあえずは話はまとまったようだった。
「あと1㎞弱くらいかな?もう少し進むと山小屋が見えてくると思うよ」
シノの問いに佑が答えると、その瞬間に壬生と真弓が同時に立ち上がる。
「あと1㎞……1㎞でいいのね?」
「それで……もう歩かなくてもいいんだよな?」
二人とも完全に目が座っていた。
そして、帰りも歩いて帰る、という事を完全に失念しているようだった。