第一話 氷室佑奪還作戦
今より少し昔、とある研究チームが偶然発見した新種のウイルス。そのウイルスを媒体に、偶然開発された新薬があった。
まさに、偶然に偶然が重なってできあがったその薬は、女性にのみ効果が表れるものだった。
女性ホルモンに反応しているのではないか、という説もあるが、開発者ですら詳しくはわかっていない未知の薬である。
ただ、その薬の効果は、これまでの常識を覆すとんでもないものだった。
個体差はあるものの、投薬された女性は皆、物理法則を無視したレベルの身体強化がおこなわれ、さらに数十人に一人の割合で、これもまた物理法則を無視した特殊な力を発現させる者も現れたりした。
これによって、世界の戦争の常識にも大きな変化があらわれた。軍の実働部隊から男の姿はなくなり、女だけの部隊しかなくなったのだ。
そして、いつの頃からか、男に代わり闘いの場に立つ女を、本来の意味とはかけ離れてはいるものの『メイド』と呼ぶようになった。
また、薬を開発した研究チームの八人は、薬の生成方法を秘匿し、薬自体を法外な価格で売りさばく事で、莫大な財産を手に入れた。
今では、その財力によって、ちょっとした国のような形態をとり、八人の家系がそれぞれ八つの国の王として君臨し、現在に至る。
「そして、そのうちの一つである氷室王家の第一王位継承権があるのが、あなたなんですよ、佑様」
夜の静寂の中、高速道路を悠々と走る車の後部座席。氷室佑に、近代史を語って聞かせているのは、メイド服を着た少女。童顔で、若干色素の薄いセミロングの髪が特徴的である。
そして、左胸には『N9』という文字の入ったエンブレムがつけられている。
「あー……うん、教えてくれてありがとう。でも『様』はやめて」
自分が聞きたかった答えとは別の答えだったのか、佑は複雑そうな表情を浮かべた。
ある日、いつものように目を覚ますと、拉致されていた。目覚めて一発目に見たのは、胸に『N2』と書かれたエンブレムを付けた、返り血が変色し、黒だか赤だかよくわからない色でそまった女性だった。まさにホラーである。佑は気絶して再度眠りの世界に落ちなかった自分を褒めてあげたい気分だった。
その女性から聞かされたのが、母親であるアヤが死んだ事、そしてアヤ討伐に精鋭部隊のナンバーズ全員が投入され、指揮をとっていた氷室王家の国王含め、その女性以外全滅した事だった。
その後は、城の一室で約一週間監禁状態だった。ここでの感想は、ただただ暇な事と、食事がおいしかった事くらいである。
一日三食付のぐうたら生活に、若干後ろ髪引かれつつ、いい加減どう脱走しようか画策しはじめた時に、部屋に中年の男性が入ってきた。
男は、週明けから寮暮らししながら学校に通え、という様な趣旨だけ伝えて帰っていった。そして佑はそのまま車に乗せられ、今に至るのだった。
まったくもって、何がどうなっているのかさっぱりである。そして、今がどうなっている状態なのかを隣に座るメイドに尋ねたところ、先程のような近代史を長々と語られたのだった。
母親と、サバイバルの様な生活をしていたとはいえ、一応、色々と偽装して山奥のド田舎の学校には通っていたので、いくら佑でも、それくらいの知識はあった。
今更、聞きたいのはそんな事じゃない、と言うのも可哀想なので、その話はいったん置いておき、もう一つ気になる事を佑は質問する。
「ところで、君は誰?」
本当は最初に尋ねるべき事だったのかもしれないが、聞くべき事が多すぎて、質問事項の優先順位はめちゃくちゃになっていた。
「ご……ごめんなさい! 私、肝心な事を言い忘れてしまいました」
メイド服の少女は、ここが車中でなければ土下座するのではないかと思えるほど深く頭を下げる。
「私は、昨日ナンバーズの末番に配属された、ユカナといいます。新国王様から本日、直々に佑様警護を任命され、今こうして佑様のお隣に座らせていただいておりゅます!」
よほど緊張しているのか、思いっきり噛んだ。誰が聞いてもわかるレベルで噛んだにも関わらず、本人はごまかせているつもりなのか、知らん顔している。が、表情は普通なのだが、顔は耳まで真っ赤になっている。
これで隠し通しているつもりなのか疑問ではあったが、彼女はこういう性格なのだと理解し、可哀想なので「今、噛んだよね?」という言葉は、そっと飲み込んだ。
「なるほどね。よろしくユカナさん。あと『様』はやめて」
代わりに出たセリフは、何とも当たり障りない返しである。
「佑様、私に『さん』付はいりません。呼び捨てで結構ですよ」
「いや、だから『様』は」
「あー……お前等ちょっといいか?」
くだらない平行線のやり取りにうんざりしたのか、運転手が二人に声をかける。
暗くてよくわからなかったが、運転手もやはりメイド服を着ていた。そして、小さい。身長がただ低いだけではなく、顔立ちも含めて全て幼かった。見た目では、小学校の高学年になったかならないかくらいだ。運転席に座る姿は違和感しかない。
「ちょっとアナタ! 佑様に『お前』って」
「んな事はどうでもいいから話聞け」
食ってかかったユカナを、少女は軽くあしらう。
「お前等、少し変だと思わないか?」
「私達の会話、変でしたか?」
「違う! 今この状況が、だ」
いちいち話の腰を折られて、少女の声に若干不機嫌さが混じる。
佑とユカナはお互い顔を見合わせる。二人とも何が変なのか全然検討がついてないようだった。
「ったく……佑はともかく、九番! お前は護衛役なんだから気付けよ」
呆れたような言い方に、ユカナはムッとする。
「何なんですかさっきから、一人だけ何でもわかってるみたいな言い方して。焦らさないで教えてくれたっていいじゃないですか。そもそもアナタ誰なんですか? 名乗りもしないで偉そうに」
よほど頭にきたのか、いっきにまくし立てる。しかし少女の顔から察するに、相手にする気はまったくなさそうだ。
「さっきから、一台も他の車に会っていないだろ。向こうに見える対向車線からも……ん?」
話している途中、ふと前方の異変に気が付く。
「何ですかアレ? 車道に明かりがついてる?」
佑とユカナも気付く。街灯による上からの光ではなく、車と並行に照らされる明かりだ。そして、その明かりに照らされて、いくつもの影が見える。
「ありゃメイドだな。しかもご丁寧に道を封鎖するように数人で一列に並んでやがる」
少女は運転しながらも、冷静に前方の状況を確認している。
「メイド? どうしてですか? 何でこんな事になってるんですか?」
一方、もう一人のメイドは状況が理解できず一瞬でテンパりだす。
「どうするつもり?」
前方にメイドの集団がいる、という異様な状況にも関わらず、まったく車のスピードを緩めようともしない少女に、嫌な予感がしつつも佑は尋ねる。
「とりあえず通るのに邪魔な二・三人を轢いて行くか」
予想通りの答えだった。
その瞬間、ユカナの顔が青くなる。軽く舌打ちすると、そのまま後部座席のドアを蹴り飛ばす。ドアはいともあっさり車体より外れ、夜の闇の中に消えていった。そしてそのまま、混乱し始めた佑を抱きかかえる。
「お、中々良い判断だぞ九番」
少女のその言葉を最後に、佑はユカナに抱えられたまま、外れたドア部分から外に飛んだ。
空中に浮遊するような感覚。下腹部が寒くなる何ともいえない気持ち悪さがあり、その後は地面に叩きつけられる衝撃が走る。幸いユカナにしっかり抱き抱えられているおかげで痛みはなかったが、佑は車を飛び出したその瞬間から悲鳴を上げっぱなしだった。
やっと、車から投げ出された勢いが収まり、立ち上がれる状態になった時、再び衝撃が走る。
先程まで、佑達が乗っていた車が、爆発炎上していた。
「まったく、何を考えているんでしょうか? あの子」
佑を抱えていたせいで、ろくに受け身も取れずに地面をバウンドしていたユカナが、何事もなく起き上がり呟く。
「メイドに車で突っ込むなんて、ノーヘルバイクフルスロットルで戦車と正面衝突するのと同じくらい無謀ですよ」
どう考えても、即死する未来しか見えない例えではあるが、無傷で立っているユカナを見ると、あながち、そこまでズレた例えではないのかもしれない。
「って、何そんなに呑気に喋ってるの! あの子まだ車に残ってたんだから助けなきゃ!」
そう言って、急いで炎上中の車に駆け寄ろうとする佑の手を、ユカナはそっと掴んで止める。
「あの子もメイドなんでしょうから大丈夫です。むしろ問題は……」
ユカナが見ている視線の先を辿る。そして、ユカナに遅れる事約一分、佑も気が付く。
すっかり、謎のメイド隊に取り囲まれていた。
「あれ? このメイド服って……」
よく見ると、佑達を取り囲んでいるメイド達の服に見覚えがあった。それは、佑が母親から友人として紹介され、約五年の付き合いがある……
「佑の護送にナンバーズを抜擢したのは良い判断だが、アクシデントへの目算を誤ったようだね」
野上王家王弟、野上晴司そして、その傍らにいる彼専属のメイド、ミア。
「せっちゃん? ミアさんも」
つい、いつも呼んでいる愛称が出てしまう。隣でユカナが怪訝な表情を浮かべている。
「君にそう呼ばれるのは実にしっくりくるね。まぁそれはともかく、助けに来たよ佑」
「襲っておいて『助けに来た』って何言ってるんですかアナタ!」
すぐさまユカナは反論する。その意見には賛成なのか、佑も首を縦に何度も振る。
「これはまた、とんだ言い掛かりだね。私は道を封鎖していただけで、まだ襲いかかってはいないよ。むしろ車をぶつけてきたのは君達ではないのかね?」
その通りなせいで、ユカナは悔しそうな表情を浮かべ黙りこむ。
「というか、せっちゃん。母さんが死んだって聞かされた日から状況が目まぐるしく変化しすぎて、現状がまったく理解できていないんだけど、今どういう状況なの?」
ユカナに質問して、全然違う答えをもらった質問を晴司にも投げかける。また求める答えと違う返答がこないように、ユカナに質問した時より伝わりやすい言い方をしたせいか、それに気付いたユカナが「あ……」と小さい声をもらし、泣きそうな表情になるが、佑はあえて無視する。
「ふむ、簡単に説明すると、君の生まれはちょっと特殊でね。そのせいで氷室王家のお偉いさん達から疎まれているんだよ」
歯に衣着せぬ言い方ではあるが、変に気を使われるよりは全然マシなのか、佑自体感づいているのか、特に動揺はなかった。
「そんなわけで、今日から行動をある程度制限されて軟禁生活に入り、隙あらば事故を装い殺されてしまう可能性がある、ってのが君の現状だよ」
その言葉を聞き、佑は隣にいる氷室家のメイドに無言のまま疑いの視線を向ける。
ユカナは何も知らないのか、ジェスチャーを交えつつ必死に顔を横に振り否定する。
「君が現状を理解したところで、もう一度言おう。助けに来たよ佑」
晴司の話した内容が真実だった場合、何とも心強い言葉に思える。
しかし問題もある。氷室家の事情に野上家が横やりを入れれば、内政干渉で国際問題になりかねない。仮に佑を助け出したのが晴司だとバレなかったとしても、佑が生存している限り、氷室家による事故に見せかけた暗殺の脅威は消えたりはしない。
「そんな顔をしないでくれ佑。私も無計画で君を助けには来ないよ」
佑の表情で察して、晴司はすぐさま説明をする。
「君のために私が、まったく別人の戸籍を用意しよう。そのために君には、ここで何者かに襲撃され死んだ事になってもらう」
一般人ではとても無理な内容ではあるが、王族ならではな内容である。
「騒ぎに駆けつけて、私が到着した時には手遅れで、死体の損傷が激しいため、埋葬はこちらでやった事にする」
仮想の話ではあるが、恐ろしく感じてしまう。
「佑には後で手術を受けてもらい、肋骨を一本取り出す。しばらく痛いだろうが我慢してくれ」
嫌だと言いたいが、いったんその言葉を飲み込み、話の続きを聞く。
「取り出した肋骨と毛髪を氷室家に送りDNA鑑定でもしてもらえば佑の死に関しての偽装は完璧……とは程遠いが、一応同盟関係にあり破談になれば互いに経済面で支障がでる国同士なんで、嘘だと疑いはしても納得せざるを得ないところもあるだろう。あとは……」
晴司の視線が鋭くなる。
「より信憑性をもたせるために、護送任務にあたっていたメイドの死体が必要だ。これに関しては偽装せず、当人だと認識できる死体を送りたい」
普段は鈍いユカナでも、ここまで聞けばさすがに気付き、すぐさま臨戦態勢に入る。
「そこのキミ……佑のために死んでくれないか?」