ある四夜 俺はいつもお前を見ている
「ハチ公」
ダラダラと大粒の汗を流し呼吸の整わない私に、「俺は見ているからな」といつもの格好つけた言い方ではなく、安心させる様な口ぶりで言う。
分かっている、日本に来てからというものの、黒いコイツを見ていないから少々驚いただけだ、少しでも握れば慣れるだろう
「大丈夫です」
そう言い視界から早く無くすように、一つを懐に入れ重い蓋を閉め、銀のアタッシュケースを横におく、それから前のコップを掴んで水を一気に飲み干した。
「大丈夫です……」
私は自分に言い聞かせ、隣のケースに手を置き1つ深呼吸をする。霧が晴れるように鼓動の音は小さくなり、店内の明るい音楽が耳にゆっくり聞こえてきた。
「ホントに?」
「本当です」
やはり久々だったからだろう、今はむしろ実家のような安心感がケースから手のひらに感じた。
「ほっ、なら良かった、うん良かった良かった、いやな?仲間は誰も銃なんざ上手く扱えないし、お前しか銃のプロフェッショナルは居ないわけ、頼むよ」
それで良く動こうとしたものだ、もし私があのまま駄目だったらどうしたのだろうか、諦めた?いや、あの先輩の事だ、後ろから車で轢き殺す選択をとっただろう。この人と一緒にいてつくづく思うがお金とは恐ろしい。
本人は「ま、お前は失敗なんて言葉とは無縁か、金の匂いが香るぜ」ともう出世はとったもんだと言わんばかりに高々と笑っている。
テーブルにまとめて置いてある写真を片付けようと封筒を持ち上げた時、まだなにか入っていたのかズシッと曲がった。
「これは?」
出てきたのは麻薬の入った黒い小袋だった
「前払いさ」
先輩は何処まで愛犬を信じているのか……そういやZもそうだったっけ?
そんな懐かしい事を思い出しつつ小袋はジーンズのポケットにネジ込み、背負ってるショルダーバッグに写真を入れた。
「では、私もう行きますね」
「おう!いつもの所か、あの世にだけは行くなよ?」
冗談じゃない
「ガッハッハ!」
テーブルの上に残された寂しそうにするハンバーガーを手に取りとアタッシュケースを持ち、彼の笑い声を聞きながら店を出る。
「まったく、お前もか」
空までも私と先輩の出世を早めに祝福するように虹を出していた。
せっかくだ少し眺めよう、歩道の端にひっそりと置いてあるベンチに腰を掛け、持っていたハンバーガーの包みを開けて黒い袋の中身をかけて食べた。
マナティー館に行ったら、マナティー達がバブルリングでも出して祝ってくれるのだろうか?
あの人に私も似てきたのか、それとも麻薬のせ
いなのか、他国から来た犯罪者に体育座りで怯えていた自分は消え、風が心地よく感じる。
先輩は毎日のようにこんなフカフカの玉座に座った様な感覚を味わっているのか、なら偉そうな態度になるのも分からなくもない。
風の音や波の音に耳を傾けて、いつもの場所に足を運びドアの取っ手を握り中へはいる。
やはりここだけは外とは違い、落ち着く程よい暗さが私を包む、フワフワした感覚は何処へやら、いつものマナティーが一番近くで見える席に腰を下ろしポケットから懐中時計をいつものように開く。
「まぁ来ないだろうな」
メイヴさんの"マナティーが一番近くに見える場所"の答えが頭をよぎり、ため息がこぼれ落ちる。
もしも答えの場所に既にいるのなら、私は大遅刻をしているだろう、きっと彼女はしびれを切らして既にマナティーではなく、家に帰りテレビを見ているに違いない。
ガラスに反射するだらしない自分の顔を眺めつつ、そんな妄想の風呂敷を広げていると、真後ろにヒョロッとした細長いシルエットが見える。
後頭部に感じる、馴染みのある突き刺さる殺気に体は自然と動いた。
姿勢を低くし、足元にあるアタッシュケースを投げて拳銃を持つ手をぶれさせる。相手はとっさに私からバックステップで距離を取り再び構えた。
なるほど、かなりの手練れか、私は左右にジグザグと動き近づく、相手の放った銃弾は運良くパーカーに着けている警官のバッチに当たるが、血は出たものの浅く埋まる程度だ。
間合いを積めて懐にはいる、0距離、確実に勝った、ズボンに挟んでいる拳銃を取りすかさずトリガーを引いた、が銃はカチッと軽く情けない音を鳴らす。
どう言うことだ?弾を入れ忘れた?いや、そんなこと……
「くっそ!」
押し当てた銃を捨て、横から迫る左拳を手の甲で反らし、その流れで相手の胸ぐらを掴み地面へ投げつける。
持っていた拳銃は遠くへ放り投げられ初めて相手と視線が会った。そうか、ついにこの日が来たのか。
「仲間に助けられましたね」
仲間?この際だから聞いておこう
「あんたの言う仲間って誰なんだ」
「まだ知らないんですかぁ?」
どう言うことだ?
「俺はお前をいつも見ている」
わざと低い声で言う彼女のセリフ、その瞬間脳裏にニタリと笑う先輩の顔が浮かんだ。
「いつも音声と居場所が映像で見張られてたの、ふふふ~、信用されてなかったのよ」
流石は人の顔でマスクを作るサイコパスか、危機的状況なのに気味悪い笑顔を崩さない。
「貴方は昔から相手に信用されなかった、利用されている事を分かっていながら相手のために頑張る、ほんと可愛そうな人」
昔から?どこかであったかとが?もしかしてZなのか?しかし、アイツは……彼女の言葉に滝のように疑問が溢れでる、眉に皺を寄せる私の顔を見て倒れている彼女は地面をかかとでコツコツならし始めた。
「キックキックトントン、キックトントン
リッスンリッスントントン、キックトントン
美味しいチョコをくださいな」
忘れかけていた麻薬を売買する時の合言葉を全て聞いた瞬間、「もしかして、Zか」と自然と口が動き、驚きのあまり体を押さえる手の力が緩まった。
その時ここぞとばかりに上に股がる私を蹴り飛ばし、後ろに転がると銃を手にとって構える。
「もうおしまい、立ち上がって両手を上に上げてから足を広げなさい」
人格が変わったようにZと思わしきゾンビ女は、スラスラと命令してから服の裏につけたバッジに話しかけた。
「こちらN、他国から逃げ込んだ麻薬密売人を取り押さえた、これから抹殺する」
今気づいたが、持っている銃は私が別れる前にあげた物だ、しかし何でだろうか、死ぬかもしれないというのにほっと安心したような気持ちになっていた……
「マナティーがもっとも近くで見える場所にお互い居なかったようね、オーエン」
私のアイルランドに居た時の本名を言い、女はマスクを外してついに素顔を見せた。
陶器の様な白い肌に綺麗な金色の髪、そして大人しい人物だと一目で分かる垂れた目、正真正銘数十年待っていた"Z"だ。
するとセピア色の風が優しく吹き、視界に映るこの場所が別れるときに行った、落書きだらけの廃れた水族館へと変わる。
分かった、何故死ぬのが怖く感じないのかが。
「お前に会えたせいか今死んでも良いと思う自分がいるよ、Z、生きててよかった」
「危機だというのに相変わらずね」
そう、相変わらずだ、銃が嫌いだったのに平然と握っている彼女を見て感心しているのだから。
「ぷっ!ククククククク……」
自分がここまでマナティーになっていたと思うと、自然と抱え笑いが込み上がったお腹を抱えたくなる。
「アハハハハ!そうかそうか、ハッハッハ!僕は同じ時代を漂っていたのか、そりゃ前から会って夕食も行ったのに会わないわけだ、こりゃ傑作だな!しかも探していた犯人が自分だったとは」
可笑しかった、自分の愚かさと頭の弱さが、まさか仕組まれていたとは、本当に駄犬になった気分で遠吠えとやらをしたくなる。
柄にもなく大声で笑う私に、彼女は遂に狂ったかと顔をしかめ、油断し若干銃口が下へ下がる。
チャンス、好機、絶好機、私は彼女の油断を見逃さず右足のかかとをひねり靴先からギラリと冷たく光るナイフを出す。
Zは慌てて銃を発泡するが弾は明後日の方向へ飛び、壁を抉る、手のひらで視線の合う銃口の向きを反らし、間髪入れず私右足をあげ靴先のナイフで腕を刺す。
「ッツ!!」
手からこぼれ落ちる銃を奪い取る。
「相変わらず直ぐに油断をするね」
「はやく、殺しなさいよ」
「ひとつ聞きたい、誰に雇われた、菅原さんか?」
「誰にも雇われてないわよ、私はもともと死刑囚で、君を捕まえるために命令されただけ」
なら逃げれば良いのでわ?
「ならこんなことせず逃げれば」
「逃げられないわよ!私もこのバッチで見張られてるの、しかも殺されるぐらいなら……」
遠くから徐々に近づいてくるパトカーのサイレン音が、そよ風の様に耳元に入り現実に引っ張り戻された。
落書きだらけの水族館は消えてキレイで海底のような静かで青く薄暗い場所に戻る。
とりあえずこの場から離れようと思った私は、「また明日、この場所で待ってる」と言い背を向けずに後ろ歩きでこの場を去る。
私が居なくなった数十分後に、「これはこれは、痛そうですなぁ」と、急ぐ様子もなく漫画を片手に持つ先輩来る。
「何故来なかった?」
「私の仕事はただ見張るだけですから、しかしこの漫画はおもしれぇなぁ」
「まったく、日本の警察はこんな適当なのかしら?」
「俺が適当なだけ~っま元気そうで良かった」
背を向け出ようとする彼に「武器は?」と背中に言うが「もう必要ないだろ?それより明日も同じ時間にココにいくように!」と消え去っていった。
「ちょっと菅原さん良いんスカ?」
「良いんスヨ~、それより犬と銀行の口座を手にいれるぞ」
「銃を渡さなくて良いんですか?」
ハーと大げさにため息をつき「前も言っただろ?俺達は見てるだけで良いって」と一緒にいる若い男に言い「どうして若者ってのはこう真面目なのかねぇ」とぶつぶつ付け加えながらパトカーに乗る。
「本当に大丈夫なんだかなぁ……」




