ある一夜 そのゾンビの瞳は海色だった
「海外のお偉いさんが電話とはご苦労なことで、そんで要件はなんでしょう?」
《写真は見たな?そいつを殺すためにスパイを送ったから、そいつが何処かに行かないよう見張っといてほしい》
「因みにこの子は何かしたん?」
《数十年前だが麻薬の密売と殺害を数えきれないほどね、追いかけていたんだが知らないうちに消えてな》
「なるほど、それでこっちに来たのを知って今に至るわけだ」
《送るスパイは、そいつと共に生活していた人間だ、できればソイツはそっちで殺してくれたら助かる》
「じゃあ、そのスパイさんの電話番号と写真を頼むよ」
《写真はブレタのしかないが、まぁそれでいいなら》
「良いでしょう」
・ ・ ・ ・ ・
「来ないか……」
金のメッキが所々剥がれた懐中時計を閉め、ため息を着く私を気にもせず、海に漂う藻屑のようにのーんびりと泳ぐマナティーを眺めた。
「マナティーがもっとも近く見える場所でまた会おう……か」
もう随分と昔の事で今じゃ夢のように感じ、不意にガラスに映る自分の姿についついため息が口からこぼれる、あれからここに来るのは何回目だろうか。
「武器のいらない平和な地を求めて、たどり着いた場所は暗闇か」
寄り添うようにガラスによってくるマナティーに「ここに来るのは何回目だろうか」と話しかける、それがいつもの日課だった。
「なんだいフランケン、また仕事をサボったのか?えぇ?まったく警察の癖に良いご身分だぜ」
「ウガー!」
フランケン、四ツ木諸島のマナティー館に勤める警備員達からそう呼ばれ親しまれていた……もしかしたら無気味がられてるのかもしれないが。
私の名前は宮城 悠という名前だけど、うなじと頬にあるチャックのような大きな縫い跡がそれっぽいからと呼ばれているのだ。
「違いますよ、また人を待っていただけです」
「はっはっは!もし女を待っているのならもう諦めた方がいいぜフランケン」
そう冷やかす彼に、「そりゃご忠告ありがとさん」ベンチからよっこらしょと腰をあげる。
外に出ようとドアの取っ手に手を掛けたところで「おっちゃん!」と白髪だらけの彼に声をかけた。
「んあ?」
「ここに来るのは何回目だっけ?」
「知らんよ、ただお前が30年前に四ツ木諸島に引っ越してきて直ぐにここへ来たから……もう30年かぁ、フランケンも随分と一途なんだな!」
のけ反りガッハッハ!と笑って「俺も見習わねぇとなぁ」と嫌みったらしく言い、背を向けて闇の中に消えていった。しかしもうそんなたっているのか。
私はドアを明け、太陽の光に一瞬目が眩みつつも意味もなくまっすぐ歩いていく。
「よぉハチ公、今日も別れた妻との思い出の場所へ行っていたのかい?」
「ワン!」
フランケンと呼ばれたらウガー!、ハチ公と呼ばれたらワン!という流れは、知らないうちに馴染んでいて今じゃお決まりなのだ、冗談でやったのが始まりである……過去の自分を呪いたいものだ。
「それでハチ公ちゃん?」
「大倉市のスーパーに1人コンビニに3人公園に2人計6人見つけました」
逮捕したときの写真を3枚「どうだ!」と年甲斐もなく見せ再び懐へ戻す。
「さすがは目鼻がお利口なワンちゃんだこと」
そう、私は誰よりもどんな犬よりも麻薬を持ってる人間を見つけるのが優れていて、警察署では、忠実で利口という意味と妬みを少々加えられて"ハチ公"と呼ばれるようになったのだ。可愛い後輩だったらもっとカッコいいニックネームだったのだろうかと呼ばれる度に思うのだった。
「ほれ、いつもの褒美だ」
渡された黒い小袋を受け取り「どうも」と平然と言っているが、きっと今の私の口元は緩んでいるだろう。何せ中身は……
「そんなに麻薬ってのは気持ち良くなるのか?」
「気持ち悪くなるだけです、先輩は命が欲しければ止めといた方がいいでしょう」
嘘である、まだ幼い頃、母国で麻薬漬けにされていた私は定期的に摂取しなければ精神が狂うのだ。
「死にたくなりますよ」
鼻のまわりを白くして吸う自分の姿を見て先輩は「そうなのか……」と苦笑いをして少し距離を取る。
しかし、なぜ私が麻薬捜査官になったのかと言うと……やっぱりざっくり説明すると、犬と同じで才能があるから飼われているだけだ。故に給料という給料は貰えず、麻薬と数万円がこの世に私を結びつけている命綱だった。
「そういや聞いたか?」
「何です?」
「海外から有名な密売人が日本に来たって話さ」
「不思議ですねぇ、何故ここなんでしょうね」
「さぁな……」
考える振りをして「気持ち良くならないの?」とボソッと聞く、彼の口癖みたいなものだ。
吸った後は決まって「気持ち良くならないの?」「イカないの?」「白目にならないねぇ」と最後に至っては良くわからないが聞くのだ、その度に「残念ながら」か「慣れているので」と私は機械的に答える。
「じゃあ俺は一回戻るから、俺の代わりに頼んだよ!俺はいつもお前を見ている」
別れるときの彼の決まり台詞だった。見ているぞとジェスチャーしてパトカーに向かっていった。
「バウバウ!」
先輩は大の犬嫌いで、犬を持たない代わりに私をパートナーにしていた、小さい頃親父に似たような扱いをされてきたせいか全然気にならないのだが、周りからはゲイカップルと密かに言われているのを私は知っている。
「海外から密売人か……サンタも驚きだな」
その時、昔の自分の姿が目蓋の裏に浮かんで塩のかおる風と共に薬を思いっきり吸い込む、まったく記憶力の良いバカも困りもんだ。
頭に滞在する嫌な記憶を追い出すように大きく口笛を吹いて私は浜辺を歩く。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「来ないか……」
いつものようにマナティー館に足を運んだ、いやサボりではなくこれは休憩であり仕事でもあるのだ、ここにも売人とか来るかもしれないし、あくまでも私の思い込みだが……
「眠たくなるなぁ」
ガラスの向こうでボケーと水の流れに身を任せ漂うマナティー達を見ていると、彼らになってる気分になり無意識にアクビをプカリと浮かべた。
「キックキックトントンキックトントン……」
耳の奥でよみがえる懐かしい声に、小さな声で口が復唱する、まだ日本に来る前の話である。
私が他国で他の名前で密売をしていたときの合言葉だ、本当はもっと長いのだがこの部分だけは時より蘇ってはまた煙となって煙の奥で消えていく。
「キックキックトントンキックトントン……」
おっちゃんに聞かれないように意味もなく歌っていると、キキィと悲鳴に似たドアの音が後ろから聞こえてきた。
(平日の昼間にここに来る物好きがいるんだな)
そう思いつつ、鼻でさっきのフレーズを歌ってると入ってきた物好きさんは女性なのか「キックキックトントン……」と幽霊のような高いかすれ声がそろりそろりと床を張ってくる。
「キックキックトントンキックトントン……」
女性もそこしか知らないのかそこだけ歌いながら隣に静かに座る。私はついきになり横目で見ると背筋が凍りつき心臓が止まりそうになった。
「キックトントン……」
空調気の音も優がな館内の音楽もピタッと聞こえなくなり彼女の声だけがやけに大きく、そして耳に響いて聞こえて来る。
もう春で暖かいというのに寒いのか、それとも肌を見せたくないのか、季節外れの格好だった。
しかし首から上は肌が見えていて、直ぐにどんな人物か予想がついた。
油ののっていない髪に、骨と皮だけのゾンビのようなハリボテ顔、そして黄ばんだ歯、こちら側の人間だ、薬をしてる人にはなれているが、何が心臓が止まりそうになったかというと
「キックキックトントンキックトントン……」
このフレーズだ、そして生きている瞳、気のせいだろうか見れば見るほど懐かしさを感じる。
「貴方達も待ちぼうけですか?」
気がつけば私はじっくり見ていた、そんな私に彼女はニコリと優しそうに微笑む。私は瞳に飲み込まれて貴方達を聞こうとしたが言葉がでなかった。
「寂しいですよね待つのって」
そのゾンビの瞳は海色だった。