第7話 ルーサザン公爵家の慣例
少年は午前の授業を終えると、学院の門で待つエドワードの車に乗った。
総司令部ビルの最上階は、総司令官の簡易住居とオフィスがある。ルーサザン公爵家は、市街地の郊外に城をもっているのだが、多忙な役職であるのでほとんど司令部のビルに泊まり込んでいる。それは、騎士団が政治的不安定な状況に関与し、収拾を図っているという事なのだろう。
現在三十五才。騎士団長となって早くも三年。いかに大貴族としての加算があろうと、その技量と、何よりカリスマ性は本人の実力である。
少年のような大きな子供がいるとは思えないほど、若々しい見えるその容姿は軍人としては小柄で、少しもそれらしくない。どう見ても、稼業である宝石商のほうが相応しい。
ルーサザン公爵領は、貴石の産地ラブール鉱石惑星を所有する。この星でのみ産出可能な幾種類かの宝石と貴金属を独占するため、それによってもたらされる富は多国籍企業のものと少しも劣るものではない。現在、鉱石惑星の経営も含め、領地の管理運営は全て家令であるザリム・ウィラートによって行われている。
有能さにおいては名実ともに評価されるマーブリック大司教だが、少年の知る父親は少し頼りなげで、やや怠惰。恐らく気を許せる肉親である少年の前でのみ見せる姿なのだろう。
少年がオフィスに行ってみると、秘書の士官が仮眠用の私室にいるという。部屋の扉を開けると父親は、ベッドの上に靴をはいたまま寝そべっていた。
「お父様。お久しぶりでございます。靴のまま、そういったことをなさるのはいけません。ベッドが汚れてしまいます」
「ゆうべ、ここに寝かせてもらえなかったので、罰を与えているんだよ。仕事ばかりでろくに眠らせてもらえない。せっかくエドワードが帰還したのに、このままでは飲みにも出られそうにない」
父親は、起き上がると、少年と同じ漆黒の髪をかき上げた。
「先月、雑誌の取材があったんですが、出ていたでしょ、『シンガポール・ジャーナル』の最新号に」
「あの、ポーズを決めて映っているやつでしょう。あんなつまらない仕事をやっているから、お休みになる時間がなくなるのだと思いますけど」
「ひと月ぶりに会ったのに、あなたは父親を説教するのか。あなたの父親をやりはじめて十五年になるけど、会うたびごとに可愛くなくなる。背丈だけはいっこうに伸びる様子もないのに。
まったく、私の王女さまはなんで女の子を産んでくださらなかったのか。それに、この小憎らしい子供を私ひとりに押し付けになられるなんて、まったく。
まあ、あなたも、もう少し自発的ここに訪ねて来るべきだと思わないか。たまには、親子としての会話も必要だろう。帝国への出張から帰還して三週間近く、夜遊びもせずに仕事一筋に頑張ってきた。息子のきみに会って早々、そんなことばかり云われたのでは悲しいな。
それに、あの雑誌の仕事は、正式な修道会の広報活動です」
父親は立ち上がり、少年を抱きしめた。
「元気だったかい、ギル」
少年は、父親が普段は少年に対して、女の子が欲しかったとか、可愛くない子供だとか云って、始終不満を訴えるくせに、本当は、過敏なくらい神経を使っている。
少年が誕生したとき、父親はまだ二十一歳であった。それから三年後に、少年の母であるラーフェドラス王国の王女リーリアが亡くなってから、修道学院に預けられる年頃に成長するまで、彼は少年をひとりで育てなければならなかった。
乳母がいたとはいえ、やはり親としての責任も果たさねばならず、まして、王女を亡くした後間もない間は、やはり自分以外の者に完全に預ける気にはなれなかったのだ。
したがって、艦隊勤務から地上勤務に配属の変更を出願し、当時、修道宣誓前で少佐だった彼は、作戦立案室に配属された。このことが結果として以後の昇進に直結した。
少年が、修道学院に入れる年齢にも達したときに艦隊勤務に復帰したが、そのときの階級は中佐で、艦隊司令官付き作戦立案官の肩書きで、現在のアールシャド帝国中央教会修道騎士団総司令官のロハルト元帥のブレーンの一人となることができた。
当時はまだ少将の地位にあったバゥトミス中将とともに、自治権を失ったエストリダ星域で実績を積み、以後は急速に昇進し、ついには、上官であったバゥトミス少将を追い抜いて、修道騎士団の頂点に立つことになった。
「エストリダ大司教がお見えですよね。
僕も一度お目通りしたいと思いますが、お願いできませんか」
少年は、これまで一度も父の親友であるエストリダ大司教には、直接会ったことはなかった。大聖堂での礼拝の時に、遠くから見ただけである。
献身と清貧の人として名高いエストリダ大司教が、身なりからして対局に位置する父と親友であることがかねてから不思議でならなかった。
「小さい時に、対面させたはずだけど、憶えていないだろうな。
今日は、総教主猊下の許においでになっています。
まあ、そのうちに会う機会もあるだろう。修道会に居るかぎりは」
少年は、父親に何度頼んでも、適当に誤魔化されエストリダ大司教になかなか対面させてもらえなかった。今回も、どうやら、その機会が無いらしい。
「どうして、いつも会わせていただけないんですか?」
「それはね……、私にとっては、君はまだ、私の息子でいて欲しいからだよ。
いずれ嫌でも、その時は来るから」
答えになっていない。
「ところで、実は、あなたにどうしても話さなくてはならない事がある」
父親は、ややばつが悪そうな顔をして、話を変えた。
「ルーサザン公爵として、少し、政治的な話を」
父親は少年を会議テーブルの席に座らせた。
「急なことで、あなたに相談なしである事を決めてしまった。
公爵家の人間として、私の決断を了承して欲しい。
私は、来週一杯をもって修道騎士団を去ることにする」
自分も少年の斜め前の椅子に座りながら、サラリと云った。
「この数日のあいだ忙しかったのは、その引継ぎの事務作業に追われていたんだよ。
もう、大体は済んでしまったけどね。
だが、このことはまだ機密事項に属します。知っているのは、総教主猊下と最上級においでの方々と、後任のバゥトミス元帥、あとは一部の移動に関する部署の職員ぐらいなものですから」
それは、少年には思いもよらない言葉であった。
「どうしてですか、なぜ、修道騎士団をお辞めになるんですか」
「国王陛下から、アーサーを通じてご依頼がありました。
陛下は、ずいぶん心を痛めていらっしゃる。現在の、この国のことに。
賢い方でなければ、これほどお苦しみにならずに済んだだろうに。あの方は、生まれながらの名君の素質を持って来られた。それが、あの方を追い詰めている。もう少し大人に成られれば、ほどよい狡さも身に付けられようが。
あなたは、陛下にとって、唯一の心からの友の立場にある。
その付き合いから、陛下の、お心の本当のところをどう思う」
少年は先日あった出来事を、すべて正直に話した。王妃との出来事も隠さずに。
「いささか時期が遅すぎているのかもしれないが、最善は尽くそう。
陛下ばかりでなく、王妃様の御為にも。
元老議会に空席ができたので、私は元老議会の議員になります。
古くからの慣例で、ルーサザン家の肩書きでは元老議会の議席を持つことができない。
だから、究極の裏技を見つけたので、それを行使します。
もし、私の用意した裏技がダメなら、あなたの祖母の実家はベィデノン侯爵家で、元老議会に優先議席権を持っています。私があなたに譲位して、ベノディン侯爵になればいい。 その時は、騎士団長職をお願いするよ。
他の役職は、それから頑張って精々野心に燃えて奪い取ってくるといい」
父親は、暫し沈黙し、少年の顔を見つめた。
「本当は、あなたが十八歳を過ぎたころに、ベィデノン侯爵の名を名乗らせようと思っていたんだけどね。私はこの通り若いから、なかなか引退する時は来ないだろうし、あなたは国王陛下の友人として、信頼の厚い立場にある。
陛下をもっとも理解しているあなたが政治家となって、国王陛下の片腕として働くことは最も自然な事だ。そして、私も当分は修道騎士団にいることができるでしょうし、私が引退する頃には、あなたにもルーサザン公爵家の継承者ができているだろうからね。
それが私のプランだったんですが、事態はそれほど悠長に構えてくれなかったようだ。
ロッティカンス黒貴爵が元老議会から除名されてしまったのでは、ミスチア皇太后派の権力が大きくなりすぎて、正常な議会運営は望めないのは明らかだ。
元老会議入りは、総教主猊下からも私に以前から打診がああったんだ。
修道会が、治安維持のためとはいえ、これ以上この国単独の内乱に関与することができない。内政干渉になるから。だから、やっぱり陛下に国軍の統帥権を回復してもらうことが、事態の解決には最も早い道だ。
私の影響力のあるうちに、騎士団と国軍の協力体制を整えることができれば、現状は二ヶ月で正常化させる自信はある。
修道会には、テロリストを断罪・拘束する権限がない。だから、治安維持を有効にするためには、国軍としての立場が必要。
解るだろう。
だが、問題は、そのあと宮廷の掃除にかかっても、きっとそれでは終わらない」
「何ですか?」
「まだ、確定的なものを得ていないので、迂闊な憶測はできない。
しかし、いずれにしろ、物事は単純ではない。
このルーサザン家が宮廷に関わるという事は、宮廷に在る者の利権を明白にできる立場に在るという事。ルーサザン家が議席を持たぬのは、修道騎士団という国境を越える権力の中核に携わる古家であるゆえ。
だから、いかに弱体した国力を回復するため、とはいえ、あまり長く国政に関わるのも、他古家や諸国との関係において、好ましいことではない。
今回、私が騎士団を辞めるといっても、ルーサザン公爵である以上は、騎士団長の職務はついて回る。
よって、今回のことは、国王陛下からの自発的な要請による必要がある。以前からの根回しで、情勢の回復の期間のみ、国政に参画する事の承認を、各国元首クラスに対して得てある。治安維持の回復と、王権の所在の明示、施政レベルでの遅滞・混乱の正常化、それを二年で行い、あと暫定猶予一年、の計三年程度という線で合意はとりつけられた。
三年間で、国力の安定化を継続する政府機関の確立が私に求められる事だ。
そして、立っているだけの騎士団長でも、いきなり全ての権限が消失するわけではない。本人に価値がある限り、修道会はそれに釣り合う力を貸す。
現在の宮廷に、それを喜ばぬ勢力は確実に存在するし、現実に阻止する行動に出るのは肝に銘じておくべきだ。
しかも、我が一族に大した利もない。
だが、今がラーフェドラス王国の領土の一隅を与えられた公爵家として、動くべき時だと思う。
理解してくれるね」
父親は、少年の頬に触れた。
「それで、あなたは、このことをどう思う」
「お父様のご判断は正しいと思います。
修道会の力とはいえ、一時的にでも議会内が同じ方向に向くことになれば、それだけでも国王陛下のご心労は、いくらかでも和らぐのではと思います。
ですが、ぼくの本心では、修道騎士団をお辞めになるのは、とても残念です。
三座の徽章をつけたお父様が、ぼくにとっては誇りでしたから」
「わかった。あなたの誇りに応えられるように、元老議員としてもベストを尽くすよ。
それから、修道士を辞めるつもりはないから、勘違いしないように。
そして、あなたの身辺は、今後も修道会に守っていただかなくては。
さっきも云ったように、敵が山のように増えてしまう。あなたの身辺も危ない。来月から、アールシャド帝国中央教会の配下にある修道騎士団の修道学院に転入することになる。
反ミスチア皇太后派の勢力は全て味方にしたいところだが、急進派が第三位の継承権を持つあなたを国王に担ぎ出そうとしている。何のためにお前に修道宣誓をさせたんだか、ちっとも理解してくれない。
実習航行は、ストレイカー少佐の乗艦をアールシャド帝国国境方面哨戒任務に配置するように、予定を組み直しておいたので、予定どおりにそれに乗り組むことで実習に参加したものと見成す。
それから、今日の午後から、もう宮廷に出入りする必要はない。
アーサーを艦隊司令官に任命したから、今日から私が教師として参上する。私が行けば、あなたまで行く必要はないからね。
では、そろそろ食事に行こう。恒例の家族行事を今年はまだやっていないんだよ」
父親は、椅子の上にかけてあった元帥の階級章と修道騎士団総司令官章の略章と大司教位章のついた制服を身につけ、鏡のまえで簡単に乱れた髪をなでつけると、少年と一緒に直通エレベーターで、本部ビルの地下レストランに向かった。
食事が済んで、少年を基地のグラウンドまで送ってきた父親は、別れ際に云った。
「急なことばかりで、あなたも戸惑うだろうが、私も、あなたを他に預けるのは心配だよ。アールシャド帝国でのあなたの身元保証人は帝国議会議長たるファランツ女公爵だから、そういった危惧は愚かなんだろうが」
そして、少年は父親と別れ、試合に臨んだのだった。