第4話 ラーフェドラス王妃の善意
ラーフェドラス王国の王宮ノーザリック宮殿は、玉座が置かれる中央の太陽神命宮を中心に左右に翼を広げるような形をしている。
国王と王妃の住まいである東宮と、ミスチア王太后の住まいである西宮から成る。
少年と一行は東宮の裏口から入りエレベーターに乗り込むまえに、検問でひととおり所持品が調べられた。そしてようやく国王の書斎に向かうことができる。
国王シーヴァエドナ十二世カーレル・エスファナは、すでに書斎で待っていた。というより国王の机の上に置かれたディスプレイの付近にちらばっているメモの状態からして、ずいぶん前の時間からずっと、ここで学習に耽っていたらしいことがわかる。
レイノルズ修道士は、膝をついてアストレーデの流儀にしたがって国王に拝礼した。少年もそれにならった。
国王は席を立ち、レイノルズ修道士と少年の礼を解かせ、立ち上がらせた。
「今日も、よろしくお願いします、レイノルズ修道士。今日は、ライラがまだ来ていないのです。お忙しいでしょうが、しばらくのあいだ、お茶でも飲んで待っていてください。
あの方は、連邦関連の講義だけは、先に始めてしまうと機嫌を悪くなさるでしょうから」
二人を席に着かせると、軽食と茶器が運ばれてきた。
「ギル、昼食、まだなんだろう。王妃がそれを用意させた。食べていいよ」
国王は、少年にそっと耳打ちした。
少年の前に出された皿に、連邦風のサンドイッチが乗っている。
少年は、書類上の名をディーンというが、真の名をガルディアという。
二重に名前を持つのは古い血統の貴族にはごく一般的な事であり、親族と、特に心を許す相手はこの名で呼ぶことが多い。
「ところで、レイノルズ修道士。いま読んでいた本についてなんですが」
「何をお読みでございますか」
「『太陽系連邦の施政系統』というものです。少し疑問があるのですが、ライラが来るまで解説してくださいませんか」
「よろしいでしょう。私の解る範囲でなら、お答え致しましょう」
国王は散乱するメモをかき集め、レイノルズ修道士に質問した。
国王とは、少年が二才を迎えたころからの付き合いになる。ミスチア皇太后はあまり自分の子供に興味をもたない性格で、その頃は特に宮廷での権力固めの時期であった。 少年の母親は、ラーフェドラス王女であった。したがって現在の国王とは、いとこ同志の間柄である。
国王は、わずか十歳という幼さで玉座を継いだ。
現在、国王は十六歳。少年は学友として時折伺候し、学習したり、話し相手になったりする。が、親族でもあり、少年にとっては学友として仕えるというより少し意地の悪い兄という存在だった。
少年が、学年では二つも年下であるのに学友を務めている大きな理由のひとつが家柄であり、もうひとつは学力、そして、最後の理由は、国王は、ほかに推薦された同年齢の少年たちを、誰も気にいらなかったのである。
王妃ロイエンライラ=リン=アールシャーナは国王より一つ下の十六歳で、国王が位につくと同時に結婚した。革新的な女性で、保守的な宮廷人たちとは真っ向から対立する考え方を持っていた。
よくアールシャド帝国で流行している連邦風の装いをしては、ミスチア皇太后の顰蹙を買ったし、連邦公用語の学習を国王に進言したのも彼女である。
レイノルズ修道士は、週に三回、連邦公用語と国際軍事情勢を国王と王妃に教えていた。 国王は、連邦公用語に関しては、あくまで王妃へのつきあいという態度を始終崩さなかったが、連邦をとりまく国際的な情勢については、強い関心を持ちつづけ、最近では、王妃が小難しい軍事情勢に飽きてしまい、太陽系連邦の古代宗教のほうに関心が移ったあとも、国王は、熱心にレイノルズ修道士の講義を受けていた。
弱冠十歳で王となったシーヴァエドナ十二世は、当然のことながら傀儡であり、実権はその母、ミスチア皇太后が握っていた。
聡明でありながら、その才能を政治の場から遠ざけられて、日々を無為に過ごすだけのこの国王は、この一、二年の間に急に性格を変化させた。
以前なら、国王はまだ幼く、とても為政者たるべき人格や能力を求めることはできなかったので、元老議会としても、皇太后ミスチアの政治への関与はいたしかたないものとして、認めざるを得なかっただろう。 だが、絶対的な独裁制をもって、ラーフェドラス王国に君臨しようとしていたミスチア皇太后は、十二歳になった頃から議会の傍聴席についていた国王に、二年前、文化事業審議会を設立して、そこの議長の地位を与えた。
当時の「上海通信」の特派員緊急レポートによれば、すでにラーフェドラス王家の直接の統治下にない星域は、中枢部にあたる元老議会の弱体化によって、それぞれに半ば自治行政を敷くことを余儀なくされるような状況に追い込まれており、文化事業と名のつく行為は、それまでに整備してきた教育制度の維持が限度となっていることが問題として取り上げられていた。
国王自身も、議長の地位についた当初は、初めて政治の場に直接関与できることを喜んでいたが、それによって元老議会を傍聴することができなくなった。また、文化事業審議会自体も、ラーフェドラス王国の現在の状況では、とても機能できるものとはいえなかったのである。
その事が起きる少しばかり前、シーヴァエドナ十二世の政治にたずさわる者にふさわしい早熟な統治者としての才能の片鱗を、元老議会議員が認め、その論評を議員月報に掲載したことがあった。そのときは、いつもは少し醒めた考え方をする国王が、めずらしく自分のことで嬉しそうな顔をして、少年に議員月報を読んで聞かせたのを今でもはっきりと記憶している。
少々、不埒な考え方かもしれないが、少年が想像するに、ミスチア皇太后は、元老議会によって、摂政の地位を追われるのではないかという懸念にが生じ、わざと国王に閑職を与え政治の中心部から遠ざけたのではないのか。
そうでなければ、元来、政治学に関心の深い国王のこと。ミスチア皇太后の政権に不満を抱く議員たちの手によって、もう少し、国王にラーフェドラス王国の情勢についての情報が正確に伝えられているだろうし、その情報に関する多様の見解を述べた雑誌も、直接届けられていいはずなのだから。
シーヴァエドナ十二世の許に伝えられる情報といえば、レイノルズ修道士がたまに講義を離れて、あたりさわりのないことを選んで雑談に用いるものが、最も正確で新しいものであり、その次が少年がたまに持ち込む月遅れの「上海通信」と「レキシントン・ジャーナル」などの、輸入品の雑誌類。国内ものは報道検閲があり、あまり正確な情報は期待できなかった。
それらのものから情勢の概略を把握しかけた頃にようやく、議会の国内情勢研究所経由で、すでに判っていることばかりしか載っていない調査資料と、近頃ではミスチア皇太后の息のかかった者ばかりが寄稿している議員月報が届けられるのだ。
少年としても、何とか新しい情報を国王にもたらすために努力しようとは思うのだが、戒律の厳しい修道学生の身では限界がある。ラーフェドラス上級貴族でもある少年の父の推薦で、こうしてレイノルズ修道士を講師に送り込むことができたのは、せめてもの事だろう。
熱心にレイノルズ修道士と語らう国王を見ながら、少年は、国王の機嫌がいつもより良さそうなのに、顔色がいつもよりかなり悪いことを妙に思った。いつもは、具合が悪い日は決まって機嫌も悪く、そんなときは、王妃の機嫌などにかまってやるような気配さえみせないのだ。
国王と王妃は、少年が昼食の時間を犠牲にして、市街地を冒険してまわっていることを知っていて、時々こうして、少年のために軽食を用意してくれる。国王は、それと引き代えに、その様子を少年から聞き出すのだが、最近は少年の側でも、とりたてておもしろい話題というのは種が尽きてきていたし、国王も、以前のような強い関心は示さないようだった。国王の機嫌の悪い日には、もちろんこんな気遣いをみせるようなことはない。かわりに王妃が、講義の前に、お茶の時間をレイノルズ修道士に提案するのだ。
その部屋は、侍従が控えている部屋で、いつでも国王の呼び出しに応じられるように、二、三人の男たちが待機していた。他に、警備の兵士がひとり、隣の部屋の監視モニターの前でじっと監視している。
「ごめんなさい、遅れてしまって」
王妃ロイエンライラは、古風なラーフェドラス宮廷の盛装に身を包んで、数人の侍女を引き連れて入室してきた。
「これは珍しいですね。あなたのそのようなお姿は二ヶ月ぶりに拝見しました」
国王の少し冷やかしのこもった口調を無視するように、形式だけの礼を国王に捧げると、王妃は礼の姿勢をとったレイノルズ修道士に立つように合図した。
「このような格好で失礼いたします、レイノルズ修道士。講義のあと、すぐに皇太后さまご主催のレセプションに出席しなくてはなりませんから、支度のほうを先にしてしまいましたの。
太陽系連邦の大使が交替なさいましていね、本来なら国王陛下のご臨席の上で、歓迎の式典を催すのが常でございましょう。なのに、あのお方はご気分がすぐれぬとおっしいますの。せっかくの午後の予定を変更して、王妃が代理として臨席しなければならなくなりました。今日は質問したいこともたくさんございましたのよ。
ギル、あなたのご気分はよろしくて。健康は大切よ。ご用心なさいね。
ところで、このまえお借りした雑誌、もう少しのあいだ貸してくださいね。お友達から借りてくださったものなのでしょう。明日の朝、あなたが学院に帰るときに、侍女にお菓子をことづけておきますから、それで勘弁していただいてね。
さて、レイノルズ修道士、今日の講義、はじめてください」
侍女たちが、テーブルの上の茶器を片付けると、いつもどおりの講義が始まった。
王妃は、少女らしい態度で国王を無視しつづけるつもりらしかった。よほどミスチア皇太后とひとりで対面しなければならなくなったのを怒っているのだろう。そして、少年を交えた三人での夕食のあとで、少年に、その日ミスチア皇太后から王妃が浴びせられた皮肉の数々をぜんぶ告白するのが、いつものパターンである。
普段なら、二時間ほどの連邦公用語の講義も、今日は一時間ほどで切り上げられた。
「ギル、すぐにあちらを済ませてまいりますから、お夕食は一緒にいつもどおりにいたしましょうね」
王妃ロイエンライラは、国王とは対象的に、活発でいながら優雅な動作で、あわただしく書斎を出ていった。いつものことながら、王妃が去って扉が閉じたとたんに、部屋に数秒間の完全な静寂による空白ができてしまう。
王妃ぬきで、前半を国王のさきほどの質問内容の解説にあてて、まるまる二時間の国際軍事情勢の講義を終えてしまうと、レイノルズ修道士は基地に帰っていった。
その後の時間は、国王と少年の自由時間である。いつもなら、王妃も交えてゲームをしたり、おしゃべりをしたりするのだが、王妃は今、眉をひそめるミスチア皇太后を前に、外国の客人にレイノルズ修道士仕込みの、美しい発音の連邦公用語で話しかけているのだろう。
同年配の友人を持たず、隔てられた環境に暮らさなければならない国王が、この年下の従兄弟の月一回か二回の泊まりのために部屋を、宮殿の自分の寝室と同じフロアに作らせたのは少しでも少年を通じて外の社会を感じていたいからである。あまり閉鎖された状態は、国王の正常な精神の発達を妨げるとして、宮廷の医術修道士が学友と遊ぶ時間をできるだけ多くするようにミスチア皇太后に進言してから、四年が過ぎた。
当初十人ほど選ばれた学友も、結局少年一人が残っただけであり、少年も修道学生としての生活もあるので、結局医師団の進言は無駄に終わったに等しい。しかも、ミスチア皇太后は、国王の子供の時代は過ぎたとして、近々、この習慣を廃止させる心づもりである。
ロイエンライラは当然それに反対して、せめで講義の時間の同席ぐらいは認めるように、侍従長を通して説得しているが、肝心の国王の協力がないと少年にしばしば漏らしていた。
書斎から国王の居間に移ると、部屋中が夕日に薔薇色に染まり、大きな窓のむこうにある山の稜線がみごとなシルエットをつくっていた。
「雨季が終わったようですね。久しぶりのきれいな夕焼けだ」
少年は、部屋にはいるなり、そう云った。
国王は、まわりに誰もいないときに、少年に対等に接するように強く望んだ。
「ギルは、まだおぼえているかな」
国王は、窓辺に立って云った。
「昔、君が話しただろう。この夕焼けの彼方に、ダーリティザールの神々の王国があるって」
「憶えていますよ。でも、ライラ様が、ここはトレア星ではないので、そんなことはないと云って、お笑いになりました」
「だけど、ダーリティザール神話集は、アストレーデ神話集のように、トレア星を宇宙の中心とする我々の住んでいるこの宇宙のことだとは、どこにも書いてないだろう。そしてアストレーデ神話集の冒頭に、はっきりと記されている。
『かくて、ダーリ・ティザールの神々の宇宙は維持神たる黒き龍とともに崩壊せり。その後、神々の皇帝たる黒い龍の深い闇の亡骸を抱いた、黒き龍の妻にして破壊の神であるアーヤキは、創造の神アルファン=ダ=ザーリの姿をして、闇より新たなる宇宙を創造せり。その空間に、類稀なる黒き龍の瑠璃に輝く闇の羽根のひとひらとともに、高潔なる王女ルーフェンタールの護りし水晶球を浮かべたり。
これが、のちに水晶の魂をもつ人々によって、アストレーデと呼ばれる宇宙の創造である』
だからね、ギルディ、古き神々の国は、トレア星にもないことになる。また、夕焼けの彼方にあるとしたら、どこの星からでも行けるかもしれないと、ぼくは考えたんだよ」 国王は、ガラスに額を押しつけて、気怠そうな声で云った。
「昨日、ライラにそれを云ったら、ライラは、ぼくが何か企んでいるといって、ぼくを責めるんだ。ぼくが何を企んだって、何もできないのを知っているくせにね。
彼女が羨ましい。ライラには、やることがある。新しい時代の王妃をめざして、ぼくの母に反抗して。はっきりとした目標がある。これから、ぼくの子供を生んで、その子を育て上げて。
ライラは、その子が生まれたら、ぼくのように歪んだ性格にはしないと宣言したから、その後も、宮廷の習慣と戦いながら、自分の腕の中で育ててくれるんだろうな。
だが、ぼくは何をすればいい。どれほど学んでも、ぼくには、それを生かす場はない。 誰も、ぼくには期待しないだろう。ぼくには母の作ったこの殻を割る力もない」
国王は、痛みに耐えかねるような表情で訴えた。
「陛下、今に時代は変わりますよ、きっと」
少年は、そう云うことしかできなかった。
「時代は変わっていくか。
そうだ、時代は変わってゆく。
父王の時代は良かった。今よりは、はるかに」
国王の横顔が、赤く染まる。
「私が、こうしてつまらない時間を過ごしている間にも、誰かが家を失う。
静かな夜の眠りさえ、奪われる者がいるというのに」
国王の深い悩みに、気の利いた言葉をかけてやりたいとは思ったが、すぐに適当な単語を選び出せるほど少年はまだ大人ではなかったし、また、軽々しく励ましを云えるほど幼くもなかった。
「ああ、ごめんよ。やっぱり体調が良くないな。言動がネガティブになってる」
少年は時折感じるのだが、国王は少年の知っている学院の同年代の生徒たちより、随分大人びて感じる時がある。また反対に、現実から完全に逃避してしまい、少年と王妃を巻き込んで、物語の人物になりきって遊ぶこともある。そのアンバランスさは、彼女の感じた苦悩に、形のちがう同色のものだろうか。
国王の顔が青くなり、額にうっすらと汗がにじむ。
よろけそうな膝を見留め、少年は国王の脇の下から王を支える。
「ガルディナーダ」
その一瞬、少年の耳元で、国王は少年の真の名、修道士名ではない本来の名前を女性形で呼びかけた。
「いや、ギル、あとで、また『ゴーストレイクの船乗りたち』のビデオを見よう。それから、ぼくが密輸業者になるから、きみは、帝国親衛隊のパトロールになるんだよ」
少年は、国王をなかば背負うようにして、すくそばの長椅子まで導いた。
「陛下、どうかお休みください。誰か呼んで参ります」
少年は、国王を長椅子に座らせた。
「それには及ばない。ただ、少し疲れただけだよ。夕べ、寝そびれたから……」
国王は横たわり、瞳を閉じた。
「陛下、失礼致します。如何なさいました」
監視モニターから見ていたのか、侍従の一人が入室してきた。
国王は上半身を起こしていた。
「余に構うな。ただ、昼寝をしたいだけだ」
少年が国王の顔を見ると、さきほどの状態が嘘のように、まったくの普段の表情に戻っていた。
「左様でございますか。
もしお加減がお悪いようでございましたら、医術師をお呼び致しますが」
「余が昼寝などしたら、なにか都合でも悪いのか」
国王は、中年のその男にむけて、意地の悪そうな表情をした。
「いいえ、めっそうもございません。
わたくしは、ただ陛下の御身をご心配して申し上げているのでございます。わたくしの不用意な言葉が、陛下のお気にさわりましたことを、深くお詫び申し上げます。
ミスチア皇太后さまが、古くから陛下にお仕えしておりましたマーミュシー老師の手足として、ともにお仕え申し上げるようにと、直々にこの身にお託しなさいました以上、わたくしとしても陛下のご健康が気掛かりなのでございます。
至らぬ点は、ひらにご容赦のほどお願いいたします。これも尊いお方の御身を案ずるゆえのことでございます」
額が床につくほど深く拝礼し、言葉自体はまったく宮廷作法にのっとってはいたが、侍従には、その気まぐれによるであろう国王の発言に対して、まったく譲る意志のないことがありありとしていた。
「母上にお伝えしてくれ。わたしの身は自分で処置いたしますので、ご心配無き様にと。
それから副女官長は?」
「はい、本日は夜勤でございます。夕刻からの出仕でございましょう」
「分かった。お前は下がれ」
侍従が去ってしまうと、再び国王は長椅子に横たわり、目を閉じた。
薄暗くなった室内に、照明が点った。
「光量センサーがおかしいのかな。こんなに暗くなるまでつかなかったなんて」
そのとき、ただ黙っているのが不自然な気がして、少年はひとりごとを漏らした。
窓に、カバーブラインドが下りてきた。
書斎に行き、机上に散乱するメモと本を簡単に片付け、少年の持ち物をバッグに仕舞う。
戻ると国王はすっかり眠り込んだ様子だったので、用意されてあった膝掛けを掛けた。
「ライラは、まだかな」
目を閉じたまま、国王は云った。
「ぼくを待たせておくなんて、まったく、命知らずの王妃だ」
力の抜けるような独特の言い回しに、少年はクスッと小さな声をたてて笑った。それは国王が最近気に入っている、連続ビデオものの主人公の独立密輸商人の得意のせりふを真似ていて、それがそのとき妙に似合っていたのだ。
「今度、生まれてきたら密輸業者の息子がいいな。それが無理なら、帝国親衛隊に入れる身分がいい」それは、国王の口癖だった。
それは、どちらも子供たちの共通のヒーローで、一般的な憧れの対象だった。何者でも無い者になりたい。本心はそれだろう。
それからしばらくして、王妃は、アールシャド帝国のティムジン皇太子より贈られた愛らしいカクテルドレス姿で現れた。『ニナ・ルーズヴェンダー』のブランド名で、銀河系で広く愛されるその服も、このラーフェドラス王国では、アールシャド帝国の最大商業都市カルバート星経由でなければ、ちょっと手にはいらない代物である。
少年は、正装用の修道会の制服である、生成りの麻地の上掛けを宮殿の自分の部屋で羽織ると、正餐の間で週に一度おこなわれる国王との晩餐に臨んだ。
晩餐が終わり、三人で国王の居間に戻ると、王妃は例によってミスチア皇太后について、少年にレセプションで皮肉られたことを話そうとする雲行きになってきたので、国王は先手を取って王妃に云った。
「ライラ、あなたが母上に何を云われたのかは、そのドレスを見てよくわかります。その前に太陽系連邦の大使のことを話してくれますか。どういったお話しを」
「まあ、それでしたらご自分でレセプションにお出になればよろしいでしたのに。陛下が、現在、太陽系連邦の行政改変期の歴史について関心をお持ちでいらっしゃることをお話しいたしましたら、大使も大変に興味をもっておいででしたわ。シューレンディンガー家の方でいらっしゃるから、この国では、手に入らない当時の状況にも、たいへんにお詳しくて。わたし、たいへん楽しく聞かせていただきましたのよ。
あまりお話が楽しくて、ついつい、抜け出す時間が遅れてしまいましたの。
ごめんなさいね」
王妃は、昼のあいだ国王に対して怒っていたことを忘れているかのように、楽しげに次々と、その席での会話のことを話した。
「ところで、きのう、あなたに話し忘れたのですが、ティムジン皇太子殿下から手紙が届いていたんですよ。ルーサザン公爵が帝国より昨夜戻っていらして、今朝、礼拝に来て下さった司祭様がお届け下さいました」
「まあ、ひどい。黙っていらしたの」
「だって、あなたは、今日はとても忙しそうで」
「どなたのせいで忙しくなったのか、お考え下さいね」
「それで、殿下はお健やかにお過ごしなの。拝見させてはいただけないの」
「データは私の端末に。あとで見せてさしあげましょう。
それによると、卒業後も帝国大学の研究室に籍を残しておかれるそうです」
「それは良かったこと。即位後の事をご心配していらしたから。
陛下も本来、向学心の旺盛な方でいらっしゃいますもの。殿下の事、羨ましゅうございましょう」
「そうだね。でも、私はここでも充分すぎるぐらいだよ。
あなたはどうなんですか」
「もちろん、できるなら帝国大学に行ってみたいとは思いますのよ。最近、太陽系連邦史を通じて、ようやくアストレーデ史の面白みも湧いてきたところですの。太陽系連邦文化とアストレーデ文化の比較研究が行われている公的な教育機関は、現在、帝国大学だけですもの。
せめて、しかるべき教授をこのサラ=オーディンティオスにお招きして、ちゃんとした講義をしていただけたらいいですわね」
「なら、手配させよう。好きなだけ学べるように」
国王の言葉に、王妃は和やかであった表情を変えた。
「今は結構です。
今はそれどころではありませんもの。この宮廷の奥にいても、外の出来事は漏れ聞こえてくる。もっと平和な時代が来たら、私はその時にお願いします」
「何故。
王太后陛下は、私たちをこの奥の間に閉じ込めておくためなら、どれだけの事でも厭わないさ。それに甘えるのは、私たちの義務のようなものじゃないか」
王妃は、眉を曇らせた。
「陛下、昨日から、どうして私を悲しい気持ちにさせることばかりおっしゃるのです」
「気分が良くないんだ。きっとまもなく雨が降るんだろう」
国王は目を閉じて、ソファの背に頭を預けた。
「陛下、私の浮かれたお喋りがお気に障りましたら許してください。せっかくギルがいるのに、今日も喧嘩腰は嫌です」
王妃は云った。
「分かっています。あなたの気遣いを分かっていながら、素直に受け入れない『僕』が悪い」
「そのお言葉が、上辺だけのものでございませんように。
陛下が、現在、窮屈を感じていらっしゃるのなら、なぜ、前向きにお考えにならないのです。使えるカードは一つでも多く手になさったほうが良くはございませんか?」
「そうだね。その事は、二人の時に話そう」
国王は面倒臭そうに、そのままの姿勢で話を打ち切ろうとした。
「いいえ、ギルがいるから、今日はきちんとお話ししましょう。
ギルだって、いずれは立派なラーフェドラス王国の貴族として、きっと陛下のお役にたつ日もまいります。三人で、アールシャド帝国のような理想的な国家をお造りになることをお考えくださいませんか」
王妃は国王の足下に跪き、その手を取った。
「もう、子供じみた逃避をやめる時間がまいりましたわ。
現実に対面して、力を貯えることこそ必要ですのよ。
今のように、私たちから十重二十重に現実を隠してしまう者たちの姦計に乗ることはありません。陛下のお気持ちを弱らせ、気力を失わせてしまう。
その果てにあるものをお考えください。
わたしたちにはギルがいるじゃないですか。修道会に力を持つルーサザン公爵も頼りになさいませ。修道会だって、このラーフェドラス王国を、私たちをこのまま放置しておくわけございませんわ。
でなければ、何故の修道会から教師の派遣でございましょう。しかも、単なる先生ではなく、ルーサザン公爵の信頼篤い側近ばかり。
これを頼りに、少しでもお立場を変えてゆけるのではないですか。
ギルだって、じきに成年貴族としての立場を確立してゆくでしょう。しっかりなさいませ」
国王は身を起こし、厳しい目で王妃を見返した。
「ライラ、あなたにそのようなことでギルや公爵に協力を求める権限はない。人生を選ぶのは、彼自身だ。そして、修道会も私にパイプを持つことは将来的な優位に繋がる、ただそれだけの政治的な理由に過ぎない。
いずれ、ギルだって自分の地位に相応しい役割を果たす場があるでしょうが、それはギル自身の自由意志が選択する事だよ。彼が何の目的で生きるかを。
最も忘れてはいけないことは、彼が、あらゆる王国に対して中立を守る聖アムルテパン修道会に属しているということです。
聖アムルテパン修道会が、私とあなたの自由を見捨てるのだと決めたのなら、彼はそれを選択せざるを得ないでしょう。彼が、修道会員であるかぎり。
友として友情を育み、信頼しあうことと、彼をその友情によって縛ることは別だよ。
そして、彼が三位の継承位を持つことを忘れてはいけない。
現在のラーフェドラス王家そのものを、修道会は見捨てることができる。
その道を選ぶことも、彼の自由のうちだ」
国王のその言葉に、少年は云おうとした。
「陛下、僕は……」
友人として忠誠を誓っているのだということを。二人にとって自分が必要な存在なら、そのために尽くすと。
だが、国王はその言葉を云わせなかった。
「修道士たる者が、軽々しく誰かに忠誠を誓うものではない。
神の名の他に、君は頭を垂れるべきではない。
今は、誇りある修道士として、信仰にのみ忠誠を誓うのだ。
君の可能性の値打ちの高さを知れ。哀れみでそれを安売りする必要はないんだからな」
威厳ある眼差しが、少年を映していた。
「陛下、そのようなことはおっしゃらないで下さいませ」
少年が国王に云うべき言葉をさがし出す前に、王妃は絶叫にも似た声で懇願した。
「そのように、ご自分の値打ちを否定なさるのならば、わたしはどうなるのでしょう。
何ゆえに、陛下の妃となったのか。政略上の結婚とはいえ、わたしは、陛下を誇りに思っておりますのよ。
その誇りさえ、裏切りになるおつもりですか。
不用意に、ご自分を卑下なさるものではございません」
「あなたには、誇りがある。それは素敵なことでございますね」
国王は、長椅子を立ち、王妃を見下ろした。
「あなたは、素敵な女性になりましたね。ゆくゆくは、立派な国母として、国民の尊敬信頼を集めることでしょう」
少年は、そのなりゆきを、黙って見守るしかなかった。
「使えるカードは一枚でも多く手にするべきだと、あなたは仰いましたね。
今、『僕』に許されている数少ない手札、それをもう一枚コピーしましょうか。
それは王妃としての貴方の力を借りなくてはなりませんが、その務めを果たすことは、あなたにとっても大事な義務。
ならば、ここで致しましょうか。なにぶん初めてのことですから、うまくいくかどうか、いまひとつ自信はありませんが」
国王は、王妃の足元に傅き、ドレスの上から少女の膝をそっと抱きかかえた。
「何を……なさいます」
突然の事に、少年は国王が何をしようとしているのか、その意図が図りかねた。
王妃の膝を割り、そこに身体をすすめて首筋に口づけをする国王の姿に、少年は目が釘付けになっていた。少年の心臓の音が大きくなり、息がつまるような思いだった。
「およしください」
王妃が逃れようと抵抗する。
「ギルのことを気にしているのですか。
『僕』は一向にかまいませんよ。この部屋にはカメラも何もありませんが、『僕』とあなたの寝室は、絶えず監視されているのです。『僕』があなたの部屋に通うようになれば、その睦言の一部始終が記録されることをご存じですか。不義の子供ではないという証明のために。
ギルがいるのは、ちょうどいいではありませんか。もし首尾良く子供ができれば、それがわたしの子供であると証言してくれる。そして、王子が誕生すれば、母上様もお喜びになり、『僕』の退位をお認めになるでしょう。そして、『僕』はその後見になればいい。 母上よりは、少なくとも僕のほうが長生きできる可能性が高い」
国王は、王妃の顔を見て、幾分意地悪な笑みを浮かべた。
「そしてギルは、あなたの名誉をきっと守ってくれますよ」
王妃ロイエンライラは、国王の頬を手にした扇で叩いた。
白紙のようになっていた少年の頭は、一気に引き戻された。王妃の目にあるものが怒りではなく、深い悲しみであることは、その涙が物語っている。
「陛下のご身分をいいことに、甘えないでくださいませ。そうやって、せいぜい人を傷つけていらっしゃい。わたしは、あなたを遠慮なく打てる身分ですのよ」
王妃は国王を振り解くと、部屋から出ていった。
「ようやくその気になったのに。
女は難しいと聞いていたが、本当だな」
少年には、事もなげにそう語るシーヴァエドナ十二世の心が読み切れないでいた。
「『僕』は、彼女が好きなんだがね。いまだに、『僕』がどれくらいライラを愛しているのか、理解してくれないんだからな」
国王は、王妃が今まで座っていたクッションのくぼみに頭をのせている。
少年は、さきほどの光景を黙って退出もせずに見ていたことが恥ずかしく、その部屋から退出しようと腰を浮かせた。
「ギル、明日、空いている時間はあるかな。ライラをまた怒らせてしまったから、明日は遊んでもらえそうにないんだが。ひとりで遊ぶ種も尽きてきたしね」
「そ、それが、まことに申し分けございませんが、午前中はアールシャド帝国の独立記念日なので、修道騎士団で式典に参列しなければなりませんし、午後は、学院の球技クラブの練習試合がありますから」
「やれやれ、ぼくと違って、きみはほんとうに忙しいんだね」
国王は立ち上がり、部屋のすみの机に歩みよった。
「仕方ないな。なら、これをレイノルズ修道士に返しておいてくれないかな。さっき返そうと思ったのだけど、忘れていたんだよ」
シーヴァエドナ十二世は、三枚の文書ディスクを少年に手渡した。どれも、経済学に関係した太陽系連邦発行の書物である。
「これから、どうする。眠るには早いだろう。映画でも見る。それとも、ゲームでも」
本心は、国王も決して穏やかな気持ちではなかったのだろう。無理に場を取り繕うような態度であった。
「陛下、さきほどのような態度をなさるのは良くないと思います」
少年は、今度は躊躇わずに意見した。
「そうだね。あれは良くなかった。
もっと、優しくしてあげれば良かったね」
思いを堪えている横顔だった。
王妃を傷つけながら、国王ほうが遙かに深い傷を負ってしまっているように少年は感じた。
「やっぱり、頭が痛いな。
少し一人になる。退屈になったら呼びにいかせるよ。
ギルも少し休むといい」