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第3話 少年修道士の憧憬


  聖アムルテパン修道会のアルファン=ダ=ザーリ大聖堂の詠唱席で、まだ十代前半の少年修道士たちが、週ごとに行われる正午の礼拝のためにアストレーデ聖典解禁文書の文句を、伝統的な旋律にあわせて歌っている。ソロのパートを受け持つ少年の声は、まるで、谷間をぬける風の神の声のように、ひときわつややに、高い聖堂の天井に響く。

『黄金の声』

 この聖堂に礼拝に訪れる敬虔なアストレーデ教徒からは、誰からともなくそう呼ばれ、週に一度の礼拝の楽しみの一つにしている者も少なくない。

 だが、当人はこのごろその事をあまり喜ばしいこととは考えなくなっていた。歌うことは好きだし、楽に高音域を出すことのできる今の声を誇らしくは思う一方で、周囲が大人びた声に変わっていく事を焦る気持ちもある。

 少年は、もうすぐ十五才になる。他の同期の少年たちは、半年ほど前にみんな変声期を迎え、詠唱隊に残っているのは彼ひとりになってしまった。彼は、その年齢にしてはずいぶん幼く見える。それはひとえに、少女のように繊細な顔立ちや二歳下の者たちとさして違わない身長のせいであり、実際の彼は、同期のどの少年よりも早く司教の資格を手にしていたのだ。

 

 礼拝を終え、他の少年たちとともに聖堂の裏口から聖アムルテパン修道会の本部ビルの中庭を横切り、修道学院との境界にある低い塀の内側に足を踏み入れると、一気に中等部の宿舎まで走り出した。

 そして、正午の礼拝後は、学院生は半日の自由時間を与えられ、外出も許可される。

 そのことが、彼らの解放感をより大きくしていることは間違いない。

 しかし、これも学術図書院への派遣資格を得られる高等部生ともなると、急に大人びてしまい、運動施設以外では、決して走り出したりはしない。


 少年は自分の部屋に戻ると、早速、その八人部屋ではひとりだけになった詠唱隊の制服を素早く自分のベッドの上に脱ぎ捨て、そして、二段ベッドの上段の枠に掛けておいた、黒地にスタンドカラーの襟を赤い線で細く縁取った皺ひとつないクリーニングしたての修道服に着替えた。

 襟に線がはいるのは、司教以上の資格を持つ者だけで、少年は従司教といっても、高等課二年目の資格保留期限が切れれば、同時に正司教となることになっているので、この制服が許されている。

 修道会の組織は、聖典院、教主院、法院、財院、守護院、祭司院、慈善院、究学院、図書院、養育院、学院、天文院と、仕事の分野に応じて分類されている。

 少年が属しているのは守護院であり、その主体は修道騎士団と呼ばれる軍隊である。その歴史は古く、ライディド恒星系のラデス星において、アストレーデ諸国が宇宙に暮らす術をいまだ知らぬ頃に、ダーリ=ティザールの聖典を持つ古代ラーフェドラス王国のみで修道会の組織が運営されていた。

 その頃は現在の新しい神々であるアストレーデの神々は主神として祭られておらず、古えの神々であるダーリ=ティザールの神々を主神として、修道会は組織されていた。ダーリ=ティザールの神々、神々の皇帝と呼ばれる黒き龍の姿をした「存在」を司る神ティザール=ラザール、黒き龍の皇后にして糸紡ぎ姫と呼ばれる少女と青年と老人の三つの姿を一身に具現する創造と破壊を司る神アルファン=ダ=ザーリ、宇宙の全知と呼ばれるあどけない子供の姿をした宇宙の摂理と時間を司るシェル=ダル=シャハール。それら三柱の神々が信仰の中核にあった時代に、『黒龍騎士団』と呼ばれる修道士となった貴族の子弟が組織した騎士集団を前身とする。

 聖アムルテパン修道会は、国王の権威に追従しがちな神官職らに対して、純粋なる信仰と正統なる聖典の解釈・研究のために組織された一群であった。王国の方針には、それが正しい道とされたときには従うが、そうでないときには従わない。また、民の不利益には徹底して抗議する姿勢をみせたので、当然国王は軍隊をさしむけて、修道会を攻撃するとともに、修道会に賛同する村や町に危害を加えることもあった。それを自衛するために、武術の心得のある有志が騎士団を結成し、それに対抗したことに端を発する。

 その伝統は、星間を超えて国家を作る現在に至り、修道騎士団として神々の慈悲と信仰のために立つ守護の軍隊である。

         

 少年は着替え終えると、バッグを肩に掛けて部屋を出た。

 他の少年たちは、昼食のために食堂に行ってしまい、無駄に重厚な作りの廊下を行くのは、少年ひとりだけである。

 少年は、寮監の修道士に外出許可証を見せ、一連の手続きのあと寮棟を出た。

 学院の西門を出ると、そこに駐輪場があり、そこでバイクに乗る。

 ひとつの都市ともいって良い規模の聖アムルテパン修道会本院は、学院の敷地を出ても、さらにいくつかの門を潜らなければならない。

 学院は、巡礼者が詣でる大聖堂に隣接しているために、西門を出たあたりは、巡礼者へのみやげ物屋や、書店が軒を連ねている。

 みやげ物屋のウィンドウの中の、キラキラ輝く様々な神々にまつわる品々は、巡礼者の信仰の対象として、帰ったら祭壇に飾られるのだろう。薄暗い祭壇の蝋燭の明かりで幻想的に煌くようにデザインされている。

 少年は、太陽の光を受けて乱反射する、それらの祭具を見るのが好きだった。

 行きつけの大きな書店の前にバイクを停めると、いつもの雑誌売り場に直行する。学術図書院が経営するその書店は、銀河系の、どんな星の雑誌でも手にはいることで知られ、とくに探し物のある場合は、店の奥に設置されている検索端末で探し、即座に注文できる。

 少年は、あらかじめ注文してあった本を受け取ると、友人から預かった二デュカーレ硬貨とともにレジに差し出した。

 背負ったバッグにそれを入れると、再びバイクを走らせ、海岸ぞいの道に出る。


 そこは、対岸にある宇宙港に入港した宇宙船が、数日停泊するための水上繋留埠頭になっていて、少し離れた聖アムルテパン修道騎士団の艦挺専用埠頭には、去年、少年が乗り組んだ宇宙空母『アリアンテュレス』が、美しい帝国様式の姿を水面に写している。

 少年は、その空母を見つけると、急にバイクの速度をあげた。その空母に乗り組んでいる太陽系連邦出身の火星人に、もしかすると会えるかもしれないので。

 そして、修道騎士団の地上司令部のある地区に入ると、作戦統帥本部ビルと艦隊組織運営本部ビルの向かい合う前庭のつきあたりに、聖アムルテパン修道騎士団総司令府ビルがある。その地下駐車場にバイクを置くと、エレベーターで部屋番号を指定した。

 戦略主任参謀アーサー・レイノルズ五位修道士のオフィスである。

「今日は少し早いようだね、ディーン。

 地上機の離陸時間まで、十分もある。この前は、駆け込みでぎりぎりだったのに」

 総司令官付き戦術主任参謀アーサー・レイノルズは、そう云って、自分の専用オフィスで少年を迎えた。

 レイノルズ修道士は、太陽系連邦の遺伝子管理局の特殊遺伝系列を持った人工育成体である。

 金髪に長身。

 きっちりと着こなした騎士団の膝丈の黒の制服とあいまって相当な威圧感がある。

 元は、太陽系連邦の艦隊司令官であったが、エドワード・ストレイカーとともにアストレーデ教国側に亡命してきて、現在は修道会に身を置いている。

「第一艦隊が昨夜、帝国訪問から帰ってきてね、エドワードにこれを頼まれた。

 数日、事務処理で忙しいようだよ。

 今回は帝国教会と帝国親衛隊との合同軍事演習に参加したらしい」

 レイノルズ修道士は、少年に小さな紙包みを渡した。

 送り主は、さきほど停泊していた第一艦隊機動部隊作戦統括部長で、少年がとても敬愛するストレイカー少佐である。

 修道騎士団は、表向き修道会に属する修道騎士によって構成されていることになっているが、実際はその半数程度は修道宣誓を行っていない一般人である。思想的、人権的な様々な事情から祖国を捨てた者たち、アストレーデ教圏諸国をはじめとして、太陽系連邦からの亡命軍人をも積極的に引き受けている。

 そして、宣誓をした者は修道士の階位で呼ばれ、そうでない者は、一般の軍隊での職務に応じた相当の階級で呼ばれる。

「あと二十分早く来たら、会えたんだがね。事務処理が急ぐそうでね。

 残りの仕事を指示を済ませてくる。すぐ戻るから、少しのあいだ待っていなさい」

 机に置いてある書類の束を持って出て行った。

 少年は、包みを開けてみた。

 中には、ちいさな宇宙空母のキーホルダーが入っていて『帝国親衛隊勅使艦隊』と刻印されていた。勅使艦隊とは皇帝より直接の指揮を受ける実質的な第一艦隊である。添えてある手紙には、帝国親衛隊総司令官から直々に拝領したものだと書いてある。帝国親衛隊総司令官といえば帝国軍唯一の女性提督。常に軍服ではなく、古式ゆかしい宮廷女官の装束で指揮を執ることで高名である。

 しかし、手紙の二枚めをめくると、二ケ月後に始まる今年の乗艦実習に向けてのスケジュール表が添えてある。少年は、実習に備えて来週にもはじまるであろう地獄の体力強化訓練のことを思い出し、一気に気分を暗くした。


 太陽系連邦軍では、あらかじめ職種を想定してデザインされた遺伝子から発生させた人間を、軍人として用いる。よって、容姿で職種が特定できる場合が多い。

 ストレイカー少佐と遺伝子ナンバーが最後のひと桁しか違わないので、目の色をのぞくと、そっくり同じ顔立ちをしているのだが、その持っている雰囲気の違いのせいで、まず初対面でも見間違うということは、ほとんどない。

 レイノルズ修道士が信仰宣誓をして修道士となり、ストレイカー少佐がそれをしないことが、何よりその性格の違いを表しているように思う。

「さて、行こうか。今日は、作戦立案室のサドラス修道士もご一緒だ。いい子にしていないと、成績に響くよ」

 少年は、書類ケースひとつをさげたレイノルズ修道士とともにエレベーターに乗った。 レイノルズ修道士は、本来の修道士の階位としてはまだ七位であるが、亡命して修道会に入って僅か五年でその資格というのは破格の昇進である。それでも五位と呼ばれているのは、騎士団員として太陽系連邦軍においての履歴に基づいた役職に配置されるにあたり、五位相当の役職を任されたために、五位と称することが許されている。


 エレベーターは、最高速度ですぐに最上階の地上機発着場に着いた。すでに地上機は発進準備が整っていて、ふたりはそれに乗り込んだ。

「久しぶりだね、ディーン。初階司教資格を取得したことは聞いたよ、おめでとう」

 作戦立案室副長のサドラス大佐は、少年が敬礼して通路を通り過ぎようとするのを、呼び止めた。

「ありがとうございます」

 少年は、あわててそう云ったが半分白髪におおわれた、いかにも気難しそうな頭の持ち主であるこの上官を、礼儀を欠かない程度にできるかぎり敬遠していた。学院の戦略概論の非常勤講師でもあるのだが、学院の生徒も、少年と同様、この軍人を遠巻きにして、できるだけ失点がばれないように気をつけていた。 

「さぞお父上もお喜びでしょうな。その調子で修道騎士団としての学習も怠らぬようにさらなる努力を期待しておりますよ」

「はい。お気にかけていただいて、恐縮です」

 少年に対する型どおりの挨拶が終わったのか、二人の話題は早速仕事上のものになり、ディーンは席についた。

 サドラス大佐は、規律に厳格すぎるので少年としては実は煙たかった。

 普通は修道会においてさえ、少年が大司教の嫡子であることに加えて、ラーフェドラス国王の学友も務めている事は伏せられていた。それでもその素性を知る者が、たかだか子供にすぎない少年の機嫌をとったり、おべっかいをつかったりする者もいた。十才を過ぎるまでは、そのことを全然気にもとめなかったが、最近では世の中の物事がすこしづつ分かってきたので、すっかりそんな相手のことを心の中では見下すようにしていた。

 だから、サドラス修道士はゆるぎない信頼に足る人物である。信頼に足るからこそ厳しいのだと云うことを充分理解している。

 二人の将校の席から漏れてくる話の内容自体は、ファーマムール王国と太陽系連邦の間の国境線についてらしいが、内容までは分からない。

 だが、実際に急を要する問題は、このラーフェドラス王国のほうでないかと、少年は会話を聞きながらぼんやりと考えた。

 現在の王国の行政に対する不満は、ラーフェドラス王国軍のみでは鎮圧しきれないほどに膨れ上がっている。先月号の「レキシントン・ジャーナル」はそう伝えていた。「上海通信」にしても、さきほどの店頭の宣伝用プロモーションでは『ラーフェドラス王国内戦の行方』と題して特集記事が組まれていることをメインに報じていた。        

 このサラ=オーディーンティオス星は首都であり、また修道騎士団の本部もあるので治安はかなり守られているはずだが、少年がバイクで通う途中に、反政府軍分子と目される者たちがラーフェドラス王国軍によって強制連行されてゆく場面に出食わしたのは、先週のことだった。

 修道会の中にある限り、少年を含め、学生たちは守られていくだろう。

 もし、戦乱の影が少しでもあるなら、修道会は、その拠点を帝国教会にでも遷すだろうし、学院もともに移動するのだから。                 


 三十分足らずで、地上機はサラ=オーディンティオスの惑星面を半周して、市街地のあるフェイルディア大陸の裏にある、オルダリアン島の王宮に到着した。

 少年は、持ってきた先月号の「上海通信」を読んでいたが、それをハンディ・リーディング・レコーダーから抜き取り、バッグにしまった。王宮の一画の地上機発着場には、宮廷車が待機していて、そこでサドラス大佐とは別々の方向の宮廷車に乗り込んだ。   

宮廷車は、広大な王宮の地下通路を、かなりの速度で走り、国王の私的な住まいであるノーザリック宮殿の、国王の階までの直通エレベーター前で止まった。



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