第2話 アールシャド帝国皇太子の勤労
アールシャド帝国、帝都カルバート星。
その総合軍事商社『帝国工廠』第十二号ドッグ。
ラーフェドラス王国より赴いた聖アムルテパン修道会聖典騎士団長マーブリック大司教ルーサザン公爵ラヴィロア・ジャザイルと一行は、ドッグ内が一望できる統合監督室に入った。
ドッグ側の一面の壁が透明で工場内を一望できる。
建造中の母艦、発注ナンバーDD0098が巨大な全体像をほぼ現しつつあった。
「ようこそ、マーブリック大司教」
技師の服のままで、リオン皇太子は相手を迎えた。
「お元気そうで何よりです、殿下」
マーブリック大司教はリオンの前に片膝を付き、皇族に対する礼をした。
皇太子リオン・ルイは、帝国大学宇宙工学科の学生であり、そして民間企業帝国工廠の社長と主任造艦設計士を兼任する将来を嘱望された技術者でもあった。
「ここではそれは結構です。ここでは僕は一設計士ですから。一緒に皇太子としての用件も済ませるにしても、今は……」
リオン皇太子の背後で、お目付けとして帝国議会議長ファランツ女公爵と帝国親衛隊総司令官ブルジェキラ公爵夫人が立ったまま控えている。
「ええ、では、そのようにさせて頂きます。
では、早速本題に。
ランバート五位修道士、こちらへ」
大司教に随員の一人が進み出た。
「DD0098の艤装士官に任じましたランバート五位修道士です。以後は帝国教会の騎士団に出向し、建造中の艦の艤装は彼が担当しますので、些細は彼が承ります」
双方の担当技術者の顔合わせが完了し、その後建造中の艦船について二、三の確認事項を協議した。
一通りの打ち合わせの後、議題は政治的な内容に移行した。皇太子の背後に立つ二人の貴婦人を除き、周囲の一同を一旦下がらせるようマーブリック修道士は依頼し、その後に一通の図面を開いた。
「本艦の建造に際して、修道会は今回、特に依頼したい事があります。
艦の側面にこの徽章を。
艦名はガルディナーダ。徽章及び艦の名称は第一級の機密に属します。ですから、引き渡しまでは発注番号を名称とします」
その机上の紋章を見て、ブルジェキラ公爵夫人の顔が凍りついた。
「それは、黒龍紋印でございますね」
「よくご存じでいらっしゃる。さすが公爵夫人。ブルジェキラ家にはゆかりも深い印でございますから」
「その紋章を、修道会の艦艇につけると申されますか。
しかも守護を謳う騎士団が、艦艇に戦の女神の名を与えるなど」
「聖典魔術師シェル=ダル=シャハールのご意向です。
ですから、艤装士官の引き継ぎごときで私が参りました。
試験航行終了後の最終塗装でこの徽章を完成させて戴きたい。
そして図面は、その時までブルジェキラ公爵夫人のお手元でお預かり願いたい。
宜しいですか、殿下」
「……了解した」
リオンは思わぬ重責を負わされたと感じた。
「変革がくるのですか」
「はい、殿下。
ラーフェドラス王国に大きな変動の時代が訪れます。
私も現在の地位に甘んじていられない。
だが、私はシェル=ダル=シャハールの正体を知る、唯一動ける手足です。
まだ完成には当分時間を要しましょうが、これは今お渡しておきます。
現状で、シェル=ダル=シャハールと、私、艤装士官の他はこの紋章についての事は知りません。
たとえ、総教主猊下であっても、ご存じのない事です」
マーブリック大司教は、図面を取り、書類を封書に入れるとリオンの前に差し出した。
「以前、黒龍紋印をつけていたのは、帝国親衛隊でございました。
その時に起こりました事が、いま一度、ラーフェドラスにて起こります。
その変革の時代を乗り越えた帝国の皇太子であるリオン殿下には、この変革の意味を理解していただけるかと思いまして、お願いいたします」
リオン皇太子は、図面を受け取った。
そして、その後、いくつかの外交的な職務を終え、リオン皇太子はドッグ周りを一周して艦の外周を観察できる回廊の案内を申し出た。
「本当は艦内を案内できたらいいのですけど、まだ中は空洞に近いので。
それから、肝心のエンジンですか、新規の開発なのでまだ出力の安定性に不安があります」
「納期は問いません。書類上の納期は設定しましたが、あくまで一応の目安。まだ充分時間はありますから、殿下の納得のいくように好きに作っていただいて構いませんよ」
二人だけの場であった。
「ご子息、ギルはお元気ですか。きっと学院で勉学に励まれているのでしょうね」
「ええ。とても元気です。この前はベスティボールのレギュラー選手に選ばれたらしくて。
級友たちにも恵まれて、健やかに過ごしております。いずれ帝国大学での勉学の機会もあればいいのですが、今のところ、本人は騎士団の修道士になるつもりなのでしょう」
大司教は、修道会の学院に在学中の息子の事を問われ、そう返事をした。
「そうですか。一緒に過ごした頃はまだ幼さが残っていましたが、しっかりなさっているようだ。
時に、ラーフェドラス王国は不穏な状態が続いていると聞きますが、カーレル陛下はご息災ですか」
続けて問われた言葉は、リオンの本当に知りたい事だった。
「さあ、如何でしょう。
私の言葉でお察し頂ければと思います。
代わりに王妃様、リン=ファムランティアはとてもご健勝であらせられますよ。外交にも積極的に取り組まれておいでです。
殿下がお気にかけていらっしゃることを知れば、お二人ともきっと喜ばれることでしょう」
大司教は、ラーフェドラス王妃ロイエンライラを王族の女性の称号であるリン=ファムランティアと呼んだ。アストレーデ諸国では、王族の上位の女性は、神話の女神や賢女の名を称号として与えられ、尊称として使われる。
暈かされた大司教の言葉は、リオンの心配を裏付けるものだった。
「ええ、リン=ファムランティアには先日も書状を頂きました。ただ、カーレル陛下の近況にはあまり触れておいででなかったので。ただ、型どおりにご息災だと。
カーレル陛下は私のように、自由じゃないから。会って、話して、一緒に気張らしできたら良いのだけど。あの時のように」
「そうですね、ご学友も、今は私の息子一人になってしまいました。
気の利かないところがあるので、陛下のお気持ちを晴らすこともできはしない」
リオンにとって、ラーフェドラス王は、気持ちの上で弟のような存在だった。
リオンは三年前、突然、病床の皇帝に呼ばれ、玉座を継承するための「資格試験」のようなものを受けた。それからまもなく、アストレーデ修道会の教主座にして、ラーフェドラス王国の首都カリーンに、アストレーデ古語の勉学のために三ヶ月ほど留学した。教主自らの古語とアストレーデ聖典についての教育を受けるためと、アールシャド皇后となる事が決まっているラーフェドラス王女シェラ・エスファナとの見合いも兼ねていた。
ラーフェドラス国王カーレル・エスファナは当時14歳。王妃ロイエンライラは13歳。リオンとは年頃も近く、国王の学友を務める従兄弟のダリルディーン=ガルディア・ジャザイルも交えて、滞在中は四人で過ごす時間を持った。
皇位継承権が格下の七位であり、母親の身分も貴族としてはあまり高いほうではなかった。リオンは、実質的な保護者であり帝国工廠の本来の社長、ラムス赤貴爵の後を継いで艦船技師になるつもりでいたので、王族としての意識が乏しかった。
ところが、上位継承権を持つ皇子たちには、帝位を継ぐための必然条件であるアストレーデ聖典のうちのアールシャドアストレーデが開示されなかった。
アストレーデ教圏にある古代より続く血統を持つ家柄、これを古家といい、その国々のうちの古家に属する血統を持つ王家には、各国ごとにアストレーデ聖典が伝承されている。
その聖典はは古代語で書かれてあるが、古語のみを学んだとしても、真の聖典に書かれている文字を読解することはできないとされる。
アストレーデが開示される、という事は、アストレーデ聖典の内容が解る、という事であり、それが王、あるいは皇帝になる者の最低条件である。
そして、リオンは皇帝によるそれらの「資格試験」にパスすることが出来たらしい。
しかしながら、皇族でありながら立憲君主制の保護の元に、学業と工廠での実務に追われ、殆ど関係することの無かった皇族たる者の暮らしや作法、及び宮廷というところに馴れるために、年の近いラーフェドラス国王の元に行かせたのは、ファランツ女公爵の進言によるものである。
留学に際しては、マーブリック大司教ルーサザン公爵の私邸を拠点とした。
そういった縁もあり、大司教とその息子のディーンはリオンにとって、気安くできる存在であり、その際に共に過ごしたラーフェドラス国王夫妻に強い近親感を覚えた。
「私はこの国に生まれたおかげで、皇帝に即位する身にしては自由に暮らしているし、学業にも研究機関にも市民と差別なく参画できる。成年となるまで、議会が人権を保障してくれる。 だが、カーレル陛下はどれほど息が詰まることでしょう」
「殿下のお気持ちは、私がお伝えいたしますので。
例の書面に頂きました殿下の御璽、決して無駄には致しませんので」
「私も卒業を控えて、少し気持ちがナーバスになっています。
だから、余計に気にかかるのかもしれない。
カーレル陛下には、王妃様も、大司教もいらっしゃる。
だから、私が心配する必要はないのですが」
「殿下はお優しい。三ヶ月とはいえ、境遇を同じくする身ではありませんか。兄弟のような心情になられるのは無理もないこと。
それに、このアールシャド皇帝の座は重責ですね。
心中、お察し致します。
でも、貴方なら大丈夫。
そのお歳で、こんなに大きな工廠の主ではないですか。
艦船から、一般の商船まで扱う工廠です。
殿下は、その工廠の、ネジ一本の事まで熟知しておいででしょう。
なら、何も心配はいらない。複雑な事は何も無い。いらぬ雑音に耳を傾けず、エンジンの正しく働いている音にさえ耳を澄ましていればいい。
そして、それが共鳴する装甲の音を聞けばいい。
本体にエンジンが見合わなければ異音がする。その音さえ聞き逃さねば大丈夫。違いますか。」
若くして騎士団のトップを預かりながらも、決してその地位が家柄やコネばかりではなく、実戦に身を置いて功績を挙げてきた者らしい例えであった。
「人は、時に最も良いと思った決断に、大きな代償と責任と、そして罪を背負わされる事がある。だから、力を持つという事は恐ろしい。
だが、怯んではいけません。罪を背負わされたなら、その罪に正しく向き合い、払った代償を無にしない、最善の道を選んでゆく。
生きるということは、罪を犯して進むことです。誰もその罪から逃れる事はできない。ただ、我々古家は、生まれた時から負わされた物が大きいから、その代償も大きい。
それを自覚してれば大丈夫。その罪をつねに自覚して、祈りを忘れない事です」
それが単に修道士としての言ではなく、自らの経験からのものであることをリオンは知っている。
「私も、そうありたい」
リオンは、ただ一言、そう云った。
「では、アールシャド王国の主神たる、法の神アードに祈りましょう。
ダーヤ・ファンジェリーナ(喜ばしき事を)と」
大司教は、リオンに指先で祝福の印を切った。