第28話 聖典の啓示
国王は玉座に在った。
古家である公爵家の継承式となれば、それなりの格式のある慶事であり、通常の宮廷であれば、それなりの華のあるものであるが、その日の宮廷はやや華やぎを欠いていた。
わずか十日前、この宮殿の中で起こった悲劇によりもたらされた継承に、華やかさを求めるのが無理なのだろう。
現在、ファーマムール王国には五つの古家がある。
序列順に、国王自身の古家であるランディラ公爵家、ルーサザン公爵家、叔父が婚姻により婚家から引き継いだマルファル公爵家、王太后派を束ねるダール公爵家、そして、王妃の実家のエイオラ公爵家である。
先の戦役での軍部内での造反や、事件で差し障りがあるらしい王太后派の古家に連なる一族は出仕ぜず、役務上、やむなく出る者や中立を守る者たちも多くは夫人の同伴を控え義理ばかりとの体裁を繕った。
ルーサザン公爵に連なる貴族らも喪章をつけ、色を抑えた装束であり、華美すぎず、かつ場に相応しい色彩を添えているのは王妃の一族のみである。
それは、国王カーレルにとっては最も親しく、大切な友の門出の儀式としては、誠に不本意なものだ。
あの日、アストレーデ聖典が変じた祝祭書が王の傍らの書台に置かれている。
国王にとって、聖典に次の継承者を問うことは初めての事だった。
継承の宣誓の際に、ギルが祝祭書に手を触れただけで、国王にはその聖典が触れた者に開示されているのかどうか知ることができるはずである。
聖典が何も告げぬ事。
それを祈るしかない。
たわいもない噂話にさざめいていた広間に、修道騎士団の制服を着た少年が姿を現すと、一同は中央の道を空け、左右に控えた。
亡きルーサザン公爵ラヴィロアと同じ服ながら、その表情は天と地ほども違う。
この突然訪れた事態に戸惑い、やや疲れた様子の少年の心中を思うと、早々にこの場を終てやりたい気持ちになる。
少年がまっすぐ国王の前に進み、そして跪礼を捧げる。
「我が父、ラヴィロア・ジャザイルの逝去により、我、ガルディア・ジャザイルが国王陛下に申し上げます」
少年の声は、最初はややぎこちない様にも聞こえたが、充分張りのある声だった。
「私、ガルディア・ジャザイルは、父、ラヴィロア・ジャザイルの後を受け、国王陛下のご承認のもと、ルーザザン公爵の位、およびその任務と領地を継承いたします」
やや気持ちが落ち着いたのか、詠唱隊において鍛えられた声は、玉座の間に心地良く響く。
「今後、一切を国王陛下に仕える者として、陛下の名代として修道会に帰衣し、代々ラーフェドラス王家の職分である黒龍騎士団の維持者として、ラーフェドラス王国教会修道騎士団の職務を守ることを、我が王国の守護神たる黒き龍、ティザール=ラザールの前に宣誓するものであります」
国王は、しきたりどおりの少年の口上が終わるのを待って、祝祭書を手にし、玉座より立ち、段より降りた。
「面を上げよ、ルーサザン公爵の家名を継ぎし者」
国王は、祝祭書を片手に持ち、少年の前に差し出した。
「ここに手を置き、汝が忠誠を」
少年は、祝祭書に手を置いた。
その瞬間、国王の周りの時間が凍り付き、祝祭書が本来のアストレーデ聖典の形に変化した。
国王の周囲の情景が消え去り、漆黒の空間に、少年と、ただ国王が居る。
そして漆黒の空間は夕刻の朱色の砂丘となり、少年と国王も朱に染まる。
カタリ、カタリと古代の戦車の音がする。
カタリ、カタリと幾たりもの戦車の音がする。
砂塵を巻き上げ、軍団が駆け抜ける。
干からびて朽ちかけた馬が引くのは、ミイラとなった戦士が駆る戦車。
死の王国の軍勢が、大地を駆け抜け、国王と少年の周りを駆け抜けてゆく。
その中で、ただ一つ、ミイラでない者を乗せた戦車が国王の前で停まった。
漆黒の髪、漆黒の瞳、生者を嘲笑するような笑みを浮かべた青年が、凍り付いたように固まった国王の手と少年の手の間にあるアストレーデ聖典に触れた。
聖典は姿を変え、漆黒の表紙に黒龍の紋章の書物となった。
ダーリ=ティザールの書である。
「王よ、汝が王国はいずれ消え去る。
汝が国は、黒龍紋印を持つ者の国となる。
この者、黒き龍への供物。
鬼神アーヤキがこの者の命を喰らい、魂を喰らい、この者が心を失ったとき、時の神はこの者の内に依り、この者は神の物となる。
心得よ、汝が王国は、この者の手に引き継がれたる
そして、汝に、我が名を明かそう。
死の宰相、カーラギルスと」
次の瞬間、周囲の色は元に戻った。
「我はラーフェドラス王国に属する古家として、我が王国と、国王陛下に永劫の忠誠を」
少年の声が、国王の耳に届き、国王は現実へと引き戻された。
手の中にあるのは、元の祝祭書である。
「汝の継承を承認する」
国王は、不思議と幻影を見る前と同じ気持ちでその言葉を発した。
少年には、表情の変わった気配は全くなく、今、何が起こったのか気づかぬようである。
そして、国王は、祝祭書を胸に抱いて、少年にだけ聞こえる言葉で言った。
「少し時間がある。きみの時間が許せば、余の書斎へおいで」
国王は、玉座に戻り、少年は退出した。
危惧していた事、それも最も悪い形での。
国を失うと告げられながら、国王はその予言を、とうの昔に知っていたかのように動揺無く受け止めている。
継承が国王に告知されたからには、国王はそれを聖典継承開示書として修道会に提出しなければならない。継承者を明示することによって、要らぬ継承争いを避けるのが目的である。だが、見せられた啓示は、とてもその全貌を明らかにする訳にはいかない。
そして、国王は、少年と会う機会もいくらも残されていない事を悟った。
継承権が少年に在ると王太后に知られたら、少年は無事では済むまい。
修道会に届けるのは、少年が安全な場所、帝国教会に移籍して落ち着いてからが良いと判断した。
『いずれ』の日。
その時がいつかは分からないが、十年以上先ではあり得ない。
願わくば、戦禍の無い国の変化であれば良いと思う。
この国を引き継ぐ者となる大切な友が、少しでも安寧に国を治めていけるように。
せめてこの腐敗した官吏と貴族たちを一掃していくのは自分の仕事だろうと思った。
そして国王は、それまでの日々と変わらぬ態度で、少年を書斎に迎え、王妃とともにひとときを過ごした。
「ギル、いや、もうルーサザン公と呼ばなければならないな」
国王が云うと、少年は、
「いえ、公的な場でなければ、今まで通りに及び下さい。
あの、僕は、ほとんど宮廷の事もわからないし、古家の当主として、どう振る舞っていいものかも知りません。
父の真似をしようにも、僕にはその器量が無いし」
と云った。
「亡きルーサザン公爵の跡を継ごうとは思わないでいい。
ギル、きみは、きみのままであるべきだ。
きみの父君が、なぜきみを貴族として、古家の当主として、何も教えなかったのか分からないかい?
ギルを、あんな者たちには、したくなかったんだよ。
きみには、修道会がついているじゃないか。
優秀な家令も。
彼らは、きみを守る義務がある。
何も心配はいらない」
国王がそう励ますと、少年はようやく寛いだ顔になった。
まだ着心地が悪そうな上着を脱ぐ事を勧め、ささやかなお祝いに、と王妃が手ずから作った焼き菓子とお茶を運んでくる。
つい、この間まで、こうしてお茶を飲み、語り合っていたのに、ずいぶん久しぶりのような気がした。
限られた時間が進むことが惜しまれる。
少年が退出する前に、国王は云った。
「きみにも、私にも、その前途には苦難が伴う。
私が、人として心を許す友はきみと王妃だけ。
だから、君たち二人が苦難に在る時は、私はお前たちの心の中で君たちを守る。
そして、私も君たち二人の心を胸に刻み、苦難にあるときは支えとしよう。
我々は、君主と臣ではない。
きっと、もっと尊いもので結ばれている。
私はそれを信じたい。
だから、ギル、生きることを怖れてはいけない」
それは、啓示を受けた者として、少年に対して掛ける言葉であった。
心を失うほどの苦難。
その言葉を告げる国王の気持ちを、少年は悟るだろうか。
あと二話で終わります。




