第20話 人の為の神々への祈り
アストレーデの諸国において、その基盤となるものがアストレーデ聖典である。
アストレーデ聖典は、修道会によって解禁聖典とよばれる一般教書と、国王が持つ各諸国の名を冠した非解禁聖典がある。
アストレーデ教として、一般的に信仰の対象となっている神々は、人のための神々と呼ばれ、友愛、情愛、慈愛、美、叡智、勇猛などの、倫理的な美徳をそれぞれの神々が具現し、信仰の対象となっている。
アストレーデの神々を創世した神々として、ダーリ=ティザールの至高三神がある。
その三神は、ダーリ=ティザール聖典によって語り伝えられる。
至高の神々は、もとより人の生業には興味を持たない、宇宙の法則を維持する秩序の神々である。
黒龍たる神々の皇帝ティザール=ラザールを全能神とし、その妃にして姿を定めぬ、糸紡ぎ娘の意味を持つアルファン=ダ=ザーリを創造の神とする。このアルファン=ダ=ザーリは、人の姿を以て人の世に干渉する際には、鬼神アーヤキと姿と名を変え、愚かなる人の肉と情を喰らう。そして、その人の愚かさを身の内に取り込み、地上に様々に気紛れなる試練を与える。
そして、三番目に位置する至高の神がティザール=ラザールに仕える宰相、『時の神』シェルである。
シェルは、至高の神として、宇宙の法則を守る一方、アーヤキが引き起こす気紛れを修正する役を負う。
人の世にある諸々の悲しみと愚かさを愛するがゆえに、創造の神アルファン=ダ=ザーリは人に祈りの対象であるアストレーデの神々をもたらし、そして死の王国を立てた。
人は、人として他者を愛し、憎むゆえに、その心の平穏と安らかなる暮らしを神々に祈る。祈りによって、人は心を和らげることができる。
ラーフェドラス国王シーヴァエドナ十二世カーレルは、王妃、王女とともに、東宮のプライベートな小礼拝堂で、修道会の慰霊の礼拝の時間に併せて、王宮付きの司教の祭礼のもとに礼拝を行った。
司祭の読む詠歌は、死の王国に至る道にある者の解放を解く。地上に残された者たちの、悼みの祈りのなかで、その失われた魂を、地の底の王宮へと導く。
国王は、あの時感じた危惧に対して、何の警戒も払わなかったことを悔いた。
あの時、カーレルの心情を汲み、テロで死んだ者たちへの礼拝を行った。
そして、今、彼を失ったことの悲しみに呆然とする。
自分の協力者を失ったことが悲しいのでは全く無い。
かけがえのない友人の父の命を奪った。
それが必然だったとはいえ、この宮廷に彼を招いたのは自分であったから。
ラヴィロアの命の痛みと、そしてギルの為に祈る。
そして、自分に力のない悔しさに、奥歯を噛みしめる。
王妃のすすり泣きが、全身に突き刺さるような痛みとして聞こえる。
礼拝の後、国王は司教が去った後もその場に残った。
そしてもたらされたのは、ファーマムール王国が国境緩衝域を越えつつあるとの報告であった。
「ファーマムール王国とは、そのように非道な国か」
と思わず口から出てしまった。
国軍最高司令官は云った。
「混乱に乗しての派兵でございましょう。
抜け目のない男でございます」
「対応措置は、どうなっている」
「先日のご命令により、シエルダル星域には現在、二個艦隊が配置されております。
もう間もなく、第三艦隊によって敷いた防衛ラインに到達するでしょう。
そして、もう直に援軍四個艦隊も当該星域に到着する予定ですが、かの艦隊は、軍務大臣直属の艦隊でありまして、我が指揮の下には恭順いたしませんので」
国王は、青ざめた顔で、国軍最高司令官を睨み付けた。
「一枚板でない指揮系統に、何の意味がある。
なぜ軍務大臣は、卿に艦隊の指揮権を譲らぬ」
「軍務大臣は、王太后様のご機嫌を気になさっておられる。
軍の職務の経験はあまり無い方でございますから、自分のやっている事の意味がご理解できないのです」
「なら、何故、その事を報告して来ない。
代替の案を諮り、早急に善処すべきが筋であろう。
我が国の国防は、かように腐り果てていたのか。
国防大臣を呼べ。直接、話を聞こう」
「お待ち下さい、陛下。
この宮廷内は、現在、ルーサザン公爵の死によって、不穏な空気が漂っております。
率直に申しますなら、一旦はルーサザン公爵によって恫喝され、危機感を感じた一派を始め、そして、陛下への忠誠心を新たにした者たち、処分を怖れ、逃げる算段を取る者、そして、王太后様への忠誠を捧げる者、各人が己の利のために動いております。
あまり追い詰めますなら、牙を剥くやもしれませんので」
国王は、冷徹な目で国軍司令官を見て問うた。
「それで、卿は、どの立場だ」
「ファーマムール王国の意図に反し、修道騎士団は冷静に事を進めております。
早朝のうちに騎士団に弔問に伺いましたが、総司令官職の移譲も昨日のうちに済ませ、指揮系統の停滞は殆どないように見受けました。
恐らく、あの方のなさった事です。
王国教会の再建の件も、殆ど停滞はござますまい。
この身の立場は、陛下あってのものでございます。
元帥杖を預かりながら、誠に恥ずべきことでございますが、軍の指揮系統の混乱を収拾するのは、全軍の統帥権を掌握なさる陛下のお力に頼るべきと考えます」
「信頼しろと申すか」
「もはや、陛下の統帥権をもって、直々にお命じいただければと。
勅命に従わぬのであれば、その時は処分するまで。
そして、この身も、信頼に足らぬと判断なさるなら、いつでも任を解いて戴いて結構です」
「判った。卿が命令書を作成せよ。我が名をもって、勅命を下す」
「御意。
それでは、こちらに国璽と王印をお願いしたく存じます」
国軍最高司令官は、書類を取り出した。
「用意がいいな。早速印を押してやる。執務室へ」
国王は、礼拝室を出た。
廊下で、国軍司令官に聞いた。
「これで間に合うのか」
「現状では間に合いません。
第五、第七艦隊には、盾となりいくぶん時間を稼いでもらいます。
援軍の四個艦隊総数十二万。
それで第二の防衛ラインを敷きます」
「修道会への援軍は要請できないか」
「騎士団は、人の生活のないところには派兵しないと返答してきております。
恐れながら、国防は国の要。国防に破綻を来したのは、我が国の責任でありますれば、修道会の態度は、誠に当然の事と」
慌ただしく執務室の扉を開くと、国王は秘書官に国璽を出すように命じた。
「第五、第七艦隊は見捨てろと」
「現状では、致し方ないかと」
机上に置かれた国璽に朱をつけて押す。
そして、指輪をはずし、王印も押した。
秘書官が薄紙を載せ、朱を吸い取らせる。
「もうよい。さっさと命を下せ」
完成した書類を差し出すと、国軍最高司令官は恭しく受け取る。
「それでは、これにて」
国軍最高司令官は出て行った。