第17話 言外の依頼
総教主ザエル・ラジアンドは、修道会内に二週間の服喪を命じた
修道騎士団における三つの権威の全てを掌握していた者の死は、修道会内を混乱させるには充分であった。
その中にあって、修道騎士団においては、その衝撃こそ大きかったものの、あらかじめラヴィロアの離籍が決まっており、すでに指揮系統の移譲が済んでいたせいか、業務自体に停滞を期することはなかった。
その日の夕刻には、バゥトミス元帥が、修道騎士団総司令官としての仮交付を求めて来た。ラヴィロアの死に伴う混乱に乗じて、ファーマムール王国が国境線を越える事を危惧して、いつでも防衛ラインの強化を命じることができるようにである。
元々二日後には、正式に下せるように手配してあった辞令である。日付を書き換えて正式な辞令をその場で下した。
しかも、ラヴィロアは王国教会の設立の件には、相談役と称して三人いる副教主のうちの一人をその最初から最後までずっと立ち会わせており、この件に関しても、恐らく事件を仕組んだ者たちが意図した時間的猶予を与える事なく、予定どおりに事を進めていける。副教主たちは、元々、各王国教会の教主に万一があった際に、正式な推挙まで教主職を代行できる資格があり、そして多くの場合、その代行者が後任に推挙される事が慣例であるから、かの副教主が、ラーフェドラス王国教会の教主を務める件も規約上にも何ら問題はない。
このあざやかな手際を、偶然として納得できるだろうか。
ファーマムール王国教会の件においては始動の前、そして現職の騎士団の件については、引き継ぎ自体が完了している、嫌になるほど絶妙なタイミングを狙った死に、総教主はラヴィロアの裏の意図を穿った目で見ざるを得ない。
ラヴィロアの息子は、エドワードに命じて騎士団長室に引き取らせ、その夜は早めに休ませた。
あまりにも無残な遺体は、まだあの少年に見せられる段階ではなかった。
幸い顔は、傷らしい傷も無くそのままであったので、エンバーミングを施したのち、騎士団内にあるマーブリック大聖堂に安置される。
明日午前より、慰霊の礼拝が執り行われる。
正式な葬儀は二週間後、各王国教会の参列者が集った上でと決定した。
ファーマムール国王には、一応、明日の礼拝の時間と、正式な葬儀の日取りの両方を伝えさせた。
七歳の頃から三十年近く見守ってきた愛弟子の死は、たとえどんなに含むところがあろうと、総教主にとってはそれなりの痛みである。
「馬鹿な奴めが」
深夜になり、エンバーミングの終わった遺体に対面するため、騎士団本部に向かう。
その死に顔は、事件の悲惨な報告を思わせぬ程、端正で美しかった。
そして、卓越して悪知恵の働く男であった。
ラヴィロアについては、いくつもの修道会に対する背任と異端の疑いが届いていたが、確たる証拠も挙げられず、そして深く追求する事も命じなかったのは、総教主の甘さなのだろうか。
信仰としてのアストレーデの聖と俗、信仰を守り導く立場としての修道会のあり方の矛盾の全てを知り尽くし、批判しながらも、信仰には忠実であった。神学としての理論を最も正確に把握している事については、修道会の誰にも追随を許さない。
ゆえに、矛盾点を論文として明示せざるを得ず、そして一方で、それ自体が信仰に対する異端としての思想なのだという事を批判せざるを得ない者たちが居る。
もし、彼が終身修道宣誓さえしなかったら、異端の罪は負わずに済んだ。単なる学説の域を出ない門外漢の思想であるから。それを敢えて、修道士となって行ったからには、その罪に対して、相応の覚悟を以て臨んだのであろう。
総教主は、その論文を読まなかった事にして、引き出しの奥にしまい込んだ。
終身修道誓願を受理する日の朝、事務的な用事で総教主室に来たラヴィロアに問うた。なぜ、修道士になるのかと。彼は云った。自分は騎士なのだから、これは亡き王女に対する忠誠なのだと。
神々に対する信仰の忠誠ではないのか、この野心の権化が、と切り返したが、あのとき何が本心で、何が違うのか、本人にも判っていなかったように思うのは、想像が過ぎるのだろうか。本当は、修道士となる事で信仰の内側に立ち、全てをひっくり返す時を狙っていたのではないだろうか。
総教主自身、教主座に昇りつめるためには、多少なりとも政略的な手立てを使わなければならなかったし、ラヴィロアの後ろ盾でいる事が、その立場を優位にしてきた事はまごうことない事実である。
だから、心配で一時も心が安まらない。一種の共犯的関係と、世俗的な師弟関係の両方の意味で。
ゆえに、今回の出来事は、ラヴィロアに降りかかった偶発的な不幸と見せかけて、周到に仕組まれた彼自身の工作ではないとなぜ云えるだろう。
もし、故意だとするなら、この事件で地雷を仕掛けた者を処罰してはならない。
故意なのか、本当に暗殺なのか。
ガラスの棺を小突いてみても、もう不敵な笑みも、減らない口も、見る事も聞くことも叶わない。
「あの子がまだ起きているなら、連れてきなさい」
総教主は側にいた者に命じた。
そして、ガラス越しに遺体をまじまじと見た。
新しい騎士団長の制服を着せられ、三つの徽章がきちんと止められていた。
しかし、徽章のリボンは血で汚れている。
だが、騎士団長章にあるはずの、ルーサザン家の紋章の刺繍がない。
「やはり、か」
なら、この事件の関係者を咎人には出来ない。
死を覚悟して、正規の徽章を外したのだ。
何者も裁いてはならないというメッセージである。
「お前の死の真相は暴いてはならない。しかし、事件について何者も裁いてはならない。
という事だな、お前の意志は。
年寄りにあまり難しい事をさせるな」