第14章 神の容れ物
アールシャドに向かう修道会所有の高速船内。
エストリダ大司教ユルジサンドは、任地であるタリアンファット交易惑星エストリダ難民地区に戻るために船上の人となっていた。
コンパートメント内の向かいの席に居るのは、ユーリの身辺の世話とボディガードを務めるジョーイ・ルイスである。彼は、修道騎士団の軌道エレベーターでユーリと落ち合い、この船に乗った。便宜上、エストリダ大司教の秘書として修道会から雇われる形を取っているが、彼は修道会院でもなく、エストリダ大司教に仕えているのでもない。半ボランティア的に、ユーリのために付き添っている。
元は、太陽系連邦の要人警護の職にあった。現在のルーサザン公爵家の家令、ザリム・ウィラートがその職での最後の主であった。
「血中酸素量が少し下がっています。
なぜ素直に医事修道士を付けなかったんですか」
検査機にユーリの指を突っ込み、出て来た値を見て云った。
「いや、いろいろ密談があったから」
「貴方は、一度悪くしたら、回復させるのに時間がかかる。その間に他の悪化要因が介在すれば、病状は進行します。自然戒律なんて、馬鹿なものに拘るから。
出来るなら修道会に退任状叩き付けて、連邦医のところに引っ張って行きたい。
こんな事なら、私がずっとお世話すべきだった」
ジョーイは不機嫌である。
「ザリムには、会えたんだろう」
「ええ。それどころか、ホージュオンの宙港に、偽装してありましたが『インゲボルグ』が」
「『バンク』の総裁専用船だね。きみが来ると知りながら、そのように見せつける真似をする」
太陽系連邦のサンクトペテルスブルグ遺伝子銀行、通称『バンク』と呼ばれる組織には、密かにアストレーデ圏の古家の遺伝子の収集を勧めているという噂があった。
「どれほど彼が連邦と密約を交わしているのかは私でも把握しきれないよ。
だが、これは、私に対するメッセージなのだろう。
彼は、悪い事をするときには隠し通せばいいものを、私にだけはちゃんと本当の事を云う。告白された側は、止めればいいんだろうか、そうして欲しいんだろうか。
そうじゃないだろう、私たちは大人だ。
時間の針は止められない。それを維持するのが、私の中の『神』の仕事だ」
ジョーイは、ユーリの不自由な身体の手足として、公私ともに、エストリダ事件からずっとサポートしてきた。ユーリが、聖典魔術師『シェル=ダル=シャハール』の称号を受けてから、その身に『神』を宿し、その心は人のまま、その矛盾に多大な代償を払ってきた事を間近で見ている。
『神』としての意志と、ユーリ個人の意志は全く別のものであり、『神』としての意志が必ずしもユーリの知るところではない。
その特別な立場を、宗教観を一切持たないジョーイが至近で仕える事で、ユーリは個人を失うことなく生きてゆける。側にアストレーデ教徒の者ばかりでは、個人は排斥され、ユーリは神としての自己ばかりを必要以上に尊重される事になる。だから、ジョーイの連邦人であるという事が、ユーリにはとても重要なのである。
ユーリが現時点で、中の『神』について確信している事は一つ。
新しい『神』の入れ物を、その『時の神』は選んだという事。
そしてユーリは、その入れ物が試練に耐え、入れ物として『神』が入った時、『神』にとって不要となる事。
なら、とジョーイは思う。
もう要らないのなら、この満身創痍の男を早めにくれと。
自然戒律も修道会も関係ない場所で、連邦系の普通の医療施設で、生きるにはまったく不自由のない身体と、本来の穏やかな顔を取り戻してやるのにと。
宗教や神など信じない。
どのような奇跡を見ようと、それは奇跡などではない。
己の罪ではない罪を受けたユーリには、それは枷である。
人であるユーリを敬愛する身にとっては、それを苛む神々は忌むべき存在。
信仰の対象になど、決してならない。