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第13話 背徳と背信

 女主人を起こさぬようにと、そっとベッドを抜け出した。

 求められるままに脱ぎ散らかされた侍従の制服に袖を通し、手早く室内の設えを音も立てずに整える。

 そして、同じフロアの裏側に設けられた侍従の控え室に戻り、ロッカーの鍵を開ける。

 携帯端末を開き、メールをチェックする。

 暗号通信によって、兄から送られて来たものがあり、それを開く。

 そして、すぐにそれをロッカーに戻し、シャワーを浴びる。

 シドには現在二人の主人がいる。

 正確には、ただ一人、本来の主のために一族があり、そして、シドはその本来の主の命を預かる者に命じられ、この宮廷に入り込んだ。

 上手く取り入り、王太后の近侍となり、今日まで潜伏してきた。

 奇しくも、女主人と同じ命令を、たった今受け取った。

 もし、後のほうの命令が来なければ、彼は女主人の命令を実行していただろうか。

 女主人は、シドが刺客としての手管を持つ事は知らない。

 ただ、自分の密かな命令を、実行しそうな男に命じただけの事だ。

 多分、修道会が関与することによって明白となる汚職の痕跡を消したい者達の誰かを嗾け、汚職の痕跡を処理できる猶予を作り出す程度の怪我を負わせれば充分だったろう。

 シドを、この宮廷に送り込んだ者は、本来、この相手の命まで奪う気はなかったはずだから。

 だが、命令は届いた。

 そして、女主人は、その死を祝うことだろう。

 身の内に残る睦言の残滓を洗い流し、クリーニングされたばかりの制服を着る。

 脱いだ制服のポケットを探ると、国王に渡すクスリが出てきた。

 目覚めてしまったお方には、もう必要はないだろう。

 だが、これから起こる事に、あの方は耐えるだろうか。

 念のため、そのクスリの包みを着替えた服の内ポケットに忍ばせた。

 そして、上着の襟に止められた宝石のバッジを付け替える。

 それが、王太后に飼われている犬の印だ。

 身の内の空洞を埋めるように、王太后はその身体を求める。

 哀れだと思う。

 王太后は、自分の飼う犬に、他の主がいる事など知らぬ。

 自分だけが頼りなのだと、信じている。

 だから、飼うのだ。

 記憶の中の春に暮らし、そして、その春の思い出にシドを重ねる。

 吐息とともに、叶わなかった恋人の名を呼ぶ。

 その名を聞けば、なぜかシドは心が震える。

 何故、嫉妬するのだろう。

 自分は、何をしているのだろう。

 本当は、王太后の命に、当然のように死の刃をもって応えるつもりでいた自分に気付き、自分を嗤った。

 その、生きながらに、国共々枯れていこうとしている女に、身の内も外も絡め取られ、縛られている。

 誇り高い一族の魂は、穢されてしまったのだろうか。

 あの大輪の花の枯れたあと、また自分も失われた夢に溺れぬ自信がない。

 ならば、もう戻ることはできないだろう、一族の許には。

 呼び鈴が鳴った。

 白い手袋を嵌め、鏡の前で身支度をチェックする。

 そして、先ほどまで居た部屋に向かう。

 


 ラヴィロアは、ホージュオン島の公爵家の邸宅に戻っていた。

 家令のザリム・ウィラートに、いつものように事業の業績内容と領地の状況を聞く。

 彼もまた、ラヴィロアの腹心の殆どと同じく、太陽系連邦の出身である。

 元は、国境方面特別高等行政官を務めていた。いわば、辺境方面の政策のトップであった人物だ。

 エストリダでの一件の後、彼は太陽系連邦を辞し、個人的に親交があった数人の連邦軍将校とともにアストレーデ圏に亡命してきた。

 他の者たちのように、何かの組織に属するには、連邦中枢の機密を握り過ぎているからと、公爵家の家令になった。

 全ての事業は現在彼が行っている。

 私利私欲と無縁な男だったので、公爵家に関する全ての雑務を、ラヴィロアは全てを彼に託した。

 一通りの事が終わると、公爵は、一人になりたいと自室に戻った。

 そして、衣装部屋から、十五歳の頃に着ていた騎士団長の制服を取り出した。

 あの日に、着ていた制服だ。

 あの頃は、式典の時にのみ着用していたので、殆ど新品のままである。

「ギルに、サイズが合うだろうか」

 確認してみて、ある事に気づいた。

 袖口につけられたボタンの下に、小さな穴がある。ちょっと見ただけでは判らない程度に補修されているが。

 そこにあった飾りボタンは、あの時にサラディンが引きちぎった。十八金製のボタンだが、もう彼は捨ててしまっただろうか。

 大きな窓から外の光が注ぎ込む。

 そこは家族の居間である。

 ラヴィロアが降嫁したフェイレンリーリア王女を失ったのは、まさにこの部屋だった。

 乗艦勤務から戻り、地上勤務までの一週間ほどの休暇を、まだ二歳だったギルと、王女と三人で楽しんでいた。

 ラヴィロアが書斎に本を取りに行き、そしてギルがそれを追っかけてきた。

 振り返って抱き上げた時、さっきまで居た部屋が爆発した。

 そして、ラヴィロアは王女を失った。

 ラヴィロアは、その部屋に居ると、無意識で妻に呟いていることがある。

 それは、主にギルについての事を考えている時に。

「ギルは許して……くれないだろうな、そして、リン=ファムランティア。

 僕は、君の許にすら行かないんだよ。

 修道会と、仕える神と、そして公爵たる僕の矜持、全てを裏切ろうとしている。

 そして、ギルとカーレル陛下に対してもね。

 貴方は、僕が貴方を愛していないのだと云った。

 だけど、それは違うよ。

 それは、僕が、高貴な貴方を愛するに足る男ではなかったから。

 僕には、自分の中の野心を抑える術を知らない。

 僕の今いる場所は、人間の身にとっては、充分すぎる高い地位だ。

 僕は、あの日、ユーリと見てしまった。

 アストレーデの真実を。

 アストレーデの諸国と、太陽系の中枢の間にある大きな秘密を。

 古家のなかの古家のトップであろう男が、その矜持を捨てて、自らの知識の欲望のために今、全てを裏切ろうとしている」

 ラヴィロアの腕の中に、今は亡き王女の感触と匂いが蘇る。

「貴方には、それを言い残して行かなければ。

 ユーリには云えなかったから」

 窓から見える明るい色の海。

 恐らく明朝、この邸宅を離れたら、戻ることはないだろう。

 たとえ、訪れることがあったとしても、その時は別人だ。

 ラヴィロアは、デスクに座り、書き残すべき書類を作成した。

 ルーサザン公爵家に、継承すべき者が居なくなった時に、ガラナ候爵に家系の存続を依頼する書状である。

 もし、息子、ギルさえも生き残れなかった時のために、それはザリムに託しておく。

 ラヴィロアは、ザリムを呼んでそれを手渡した。

「お支度は、もう宜しいでしょうか。

 データの変換は、少々時間がかかります。

 そろそろ取りかかりますよ」

「わかった。

 持って行ける記憶はここまでだな。

 ……あと、用意し忘れた事は」

「思い出したら、エリザベスに云ってください。

 私が善処しておきます。

 それから、今のうちに伝えておきます。

 帝国工廠のある方が、バンクに協力をお申し出になったそうです。

 エリザベスは、これを受けると」

「そうか。あのお嬢さんも、私に似たところがおありなのだね。

 それとも、形を残そうとしておいでなのか。

 人は度し難い生き物だ。

 火種になると知りながら、あえて手を出してしまう。

 ……この国が終われば、あの国なのかね」

 ラヴィロアがその女性に敬語を使ったことを、ザリムは聞き逃さなかった。


 翌朝。

 王宮の地点から二時間の時差があるので、まだ外は夜だった。

 昨日、衣装部屋から出した制服は、きちんと掛けてある。

 公爵位の指輪を外し、机に置いた。

 そして、自分の着ている制服から騎士団長章を外すと、ポケットからレプリカを取り出して付け替えた。

 そして、本物を掛けてある小さな制服に付けた。

「生き残りなさい」

 公爵位は、そうやって継承された。

 他の誰の見守りも受けず。

 パタン、と扉が閉じられた。  

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