月
私には眠れない夜というものがあった。
そういう夜は眠いのを我慢するでもなく、ただひたすらに眠れないのだった。
こんな夜は小さい頃から
「香澄、もう寝んねの時間だよ。お友達もみんな寝てしまったよ」
と寝かしつけようとする母を大いに困らせた。
私は夜が好きだったのでこの現象は特に困るものでもなかった。私の住む街は夜にはもう真っ暗になってしまうので、優しい月明かりが一際目立つのだった。
私がこの優しい光に魅せられたのは小学生の頃だった。
ある夜、母にばれないようにこっそりと家を出て、散歩に出かけるとちょこんと道端に小さな女の子が座っていた。
「そんなところで何をしているの?」
私が話しかけると少女は少しだけ微笑み、私の問いに答えた。
「私はここにいるだけ。いてもあんまり意味がないから遊んでるの」
それから私はこの少女のところに通いつめるようになった。こんな時間に遊ぶような人は他にはいなかったから私たちはすぐに仲良くなった。
この少女がどこか違う世界に連れて行ってくれるような、そんな気がしていた。少女の儚げな雰囲気は月明かりに照らされて、妖精がいるのならきっとこんな風なのだろうと思ってしまうほどだった。
月明かりの夜には彼女は決まってそこにいた。冬の夜は長かった。周りに二人以外の人影がないこの時間が幸せだった。
私は少女に色々な話をした。くだらない笑い話から学校のこと、怒った母のこと、誰にも話したことのない悩みまでもその少女に打ち明けた。この頃にはもう彼女は私にとってなくてはならない人となっていた。
その少女は北の方を恋しがった。
家族はもっと北の方に住んでいるという話だった。
「いつか故郷に帰ることになると思う。その時になったら香澄には伝えるよ」と少女は言った。
「あなたがいなくなったら寂しいじゃない」と私が言うと少女は小さく笑って彼女は言った。
「香澄は私の北極星だよ」
それから数週間が経ったある日、いつものようにそこへ行くと少女はそこに居なかった。
そしてこれからもそこには現れないだろうということがなんとなく私にはわかった。
手紙もなく、別れの挨拶もなく、あの少女は言っていた故郷に帰ったのだろう。
違う、多分あれが別れの挨拶だったのだろう。
それから私は少女が言っていた『北極星』という言葉の意味を調べた。
昔の人たちは航海などで方角を知りたいとき、北極星を目印にしていたらしい。少女の故郷は北の方だと言っていた。
私にはとてもそんな重要な役割は担えそうにはないけれどそんな風に言ってくれたことが嬉しかった。
私はあの少女の名前すら知らなかったけれど、今の私を作り上げているのは言うまでもなく彼女だった。
あの少女はこんな頼りない北極星で故郷に辿り着けただろうか。
私は今、北国を旅して周っている。もちろん仕事ではあるが、どこかでまたあの子と再会できるのではないかと期待している自分がいる。
月が出ていれば星は見えない。
ひょっとしたら彼女は本当に星の妖精だったのではないかと、あの頃と変わらずに輝く満月を見ながら私は思う。