第十六話 共に戦う決意
私は体を拭いてから、着替えの着物に袖を通す。柔らかい桃色に、足元に桜の花が咲いた美しい生地で、私が着るのは勿体無いような気がした。
「綺麗……、まるで伊澄に初めて会った時みたい」
あの夜桜は今も鮮明に思い出される。美しい鬼をより鮮やかに引き立てて……。
伊澄は何も心配しなくていいって言ってくれたけど、それでも私、伊澄の役に立ちたい。
私はドアを開け、勢いよく部屋を出た。
伊澄の屋敷は何度か来ているが、広い上にどの部屋も畳で似たような創りになっているため、未だに部屋の位置がわからない。
とりあえず縁側沿いに歩いていると、庭先に目を向けている伊澄の後ろ姿を見つける。
私は迷いなく伊澄の元に駆け寄り、隣に腰を下ろした。
「……何をしているんだ? もう寝ろと言っただろう?」
伊澄は子供に言い聞かせるように言う。
伊澄と私の間にはガラス作りの徳利があり、水色と桜色でグラデーションのように輝いている。
「ちょっとだけ……まだ眠れないから」
本当は、体は疲れて休息を求めていることはわかっている。しかし、私の気持ちはまだ昂ぶったようにどきどきしているのだ。
「気になることがあるなら、また明日答えてやる。疲れているんだろ?」
伊澄は私を心配してくれる。それが私にとっては嬉しくて、甘えたくなってしまう。しかし、私はその優しさに寄りかかるのではなく、一緒に戦いたい。
「うん、違うの。聞きたいことはたくさんあるけど、そうじゃなくて……」
私は一度目を閉じ、決心してから伊澄に向き合う。
そして着物の襟を引っ張り、胸元をはだけさせる。
「な、何をしてるんだお前は⁉」
伊澄は目を見開いて驚き、手に持っていた盃を落としそうになる。なんとか落とさずに済んだ盃を縁側に置き、肩にかけていた上着を私に被せる。
「馬鹿か! 女が気安くそういうことすんな!」
伊澄は怒ったような口調だが、顔には戸惑いや焦りが見える。
「私、伊澄の役に立ちたいの! 全部伊澄に任せるんじゃなくて、できることはなんでもしたい! 自分のことだから……」
「は? どういうことだ?」
伊澄は訳がわからないというように私を見つめる。
「今日だってそうだよ、伊澄の妖力と引き換えに怪我を治してもらって、私が自分のせいで怪我をしたのに……」
伊澄は私の様子に「そういうことか」とため息をつく。
「そんなこと気にしなくていい。本当はお前が怪我をする前に助けるべきだった」
私は首を振る。そんなことない、私は十分助けてもらったと伝えようとするがそれより前に伊澄は私を抱きしめた。
「お前の気持ちはわかった。でもそれより、俺はお前を守りたいだけだ。お前に何か見返りを求めている訳じゃない。だからこんなことするな」
「え……?」
伊澄は私を真剣な表情で見つめる。
「見返り?」
「だから、えっと……、俺はそういうことは求めてないってことだ」
「?」
伊澄が何を言っているのかわからないが、何か誤解されていることはわかった。
「伊澄……、あの、私も呪い解くために協力したいってことなんだけど……」
「……は?」
私は伊澄に胸元にある呪いの痕を見せるために襟を広げたことを伝えると、伊澄はがっくりと項垂れてため息をつく。
「お前……紛らわしいんだよ。それを先に言え。俺が勘違いヤローになって恥ずかしいだろうが」
「ごめん……。でも、何と勘違いしたの?」
「…………」
伊澄はまた項垂れてから、「なんでもない」と言う。
これ以上この話題を続けるとあとが怖い気がしたため、それ以上は聞かないことにする。
「それより、この痣みたいなのどう思う? 何か分かることある?」
問うと、伊澄は横目に私の胸元の呪いの痕を見てから、すぐに視線を逸らした。
「いや、初めて見た。なんか墨で書いた何かの字みたいに見えるな」
「うん……。おじいちゃんも、これの正体はわからなかった」
私が下を向くと、伊澄は私の着物の襟を正し始める。
「お前が呪いの証を俺に見せようとしたことはわかる。だが、お前は女なんだから、肌を見せてまでこんなことしなくていい」
伊澄は落ち着いた様子だが、私には怒っているようにも見えた。
私の行動は間違っていたかもしれない。伊澄の役に立とうと勝手に突っ走ってしまったのかもしれないと、気分が落ち込む。
「そんな顔すんな。お前の呪いを解きたい気持ちも、俺たちを気遣っていることもわかってる。お前が呪いの証を俺に見せてくれたから、俺はまた一つ手がかりを得ることができた」
伊澄はいつもそうするように私の頭を優しく撫でる。顔を上げると伊澄の優しい瞳と目があう。
また伊澄に気を遣わせてしまった。しかしそれが私は嬉しくて、これからも伊澄のそばにいたいと思う。だからそのために私にできることはしたい。
「伊澄、ありがとう。でも私伊澄とこれからも一緒にいるために……私も何かしたい。だから、私にできることとかしてほしいことがあったらなんでも言って!」
伊澄は驚いたような表情をした後、耐えられないというように吹き出した。
「な、なんで笑うの!」
「く、くく……。いや、だってな……。お前勇ましすぎだろ」
「そ、そんなに笑うことないでしょ⁉」
伊澄は一息ついて、私の額を人差し指で小突いた。
「眉間にしわ寄ってる。わかったからそんな力むな。ちゃんとお前にも仕事を頼むから」
伊澄に小突かれた額を押さえて、顔がにやけそうになるのを抑える。伊澄に受け入れてもらえたことと、伊澄が笑ってくれることが嬉しくて顔がほころびそうになることは隠しておきたい。
「一緒に呪いを解く。俺が約束してやるからお前も約束しろ」
伊澄はそう言いながら小指を差し出す。昔よく祖父と約束をするときにもした指切りだ。
私は自分の小指を差し出すと伊澄は小指を絡ませた。
「指切りげんまん……。続き忘れた。お前がやれ」
「え、忘れちゃったの⁉」
「ガキの頃以来やってねえんだよ」
伊澄はばつが悪そうに目線をそらす。
「もう……。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲—ます、指切った」
伊澄と私の小指が離れ、約束が交わされた。
「そうそう、そんな感じだ。流石に針千本飲んだら俺も死ぬから、しっかり働けよ」
「も、もちろん! 私の呪いが解けないと、伊澄も針千本飲むことになるし、拳骨万回は痛いもんね」
伊澄はぽんっと私の頭の上に手をおき、私に徳利を持たせた。
「まだ眠くないなら、ちょっと付き合え。俺の晩酌に」
「……はい!」
私は伊澄との距離を詰めて、伊澄の盃に酒を注いだ。