第十三話 初めての鬼
「どうして……」
どうしてここにいるの? そう問いかけようとするが、伊澄の人差し指が唇に当てられる。
何も言わなくていいと言われている気がして、それ以上は何も言えなくなる。
「キサマ、何ヲスル……」
「ソレハワレラノ獲物ダ……」
目の前にいる妖怪たちが伊澄に怒りをぶつける。
このままでは伊澄が襲われてしまうかもしれない。私は黙っていられず伊澄の服を引っ張った。
「伊澄、危ないから、逃げて……」
しかし、伊澄は逃げるどころか私を強く抱き寄せる。
驚いて伊澄を見上げると、今まで見たことがない優しい目で私を見ていた。そして、目の前にいる妖怪に毅然とした態度で言い放った。
「俺を誰と心得ている? この女は俺のもの……消されたくなければ去れ」
妖怪たちはざわざわとうごめき、去ろうとしない。
「何ヲ言ッテイル?」
「失セロ、人間!」
妖怪の一体がこちらに襲いかかってくる。私は応戦しようと木刀を握りしめるが、力が入らず木刀を持ち上げることができない。
襲いかかってくる妖怪を見ると、もうすぐそこまで迫っていた。
しかしその瞬間、目の前にいたはずの妖怪は黒い煙となって消え去っていた。
何があったのかわからず、周囲を見回すと、伊澄の手に刀が握られている。
「俺が人間? 笑わせるな。俺はこの土地の管理者にして当代の鬼の頭首、紫鬼だ。この俺のものに手を出してただで済むと思っているのか、雑魚ども」
オニ? シキ? 一体何を言っているのかわからず伊澄を見上げると、伊澄の目は先ほど私を見ていたものと違い、ひどく冷たい光を湛えていた。
「オニ……紫鬼ダト⁉」
「消サレル、逃ゲロ‼」
伊澄の言葉に、妖怪たちはひどく動揺し、そして蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
先程までの光景が嘘だったように、目の前の妖怪は消え夜の静寂が戻る。
伊澄がため息をつき、刀を鞘に納めるのが見える。
「伊澄、怪我してない……?」
伊澄の身が心配になり声をかけるが、伊澄は私を睨み、怒った口調で言い放った。
「怪我をしてるのはお前だろ。血流しすぎて貧血になってるじゃねぇか」
伊澄は私を地面に横たえ、私の横に膝をついた。
「とにかく応急処置するから、動くなよ」
「え、応急処置?」
伊澄は見た所応急処置に使えそうな物を持ってはいなかった。一体何をするつもりなのかと伊澄の様子を見守っていると、先程妖怪に切られた脇腹を覗き込んだ。
「ここが一番出血しているな。ちょっと横向け」
私は伊澄に言われた通り、伊澄の方を向くように横向きになった。
伊澄は切られた脇腹の部分に触れ、顔を寄せる。
怪我の具合でも見ているのかと思い、伊澄を見ていると、そのまま切られた部分に口を寄せた。
そして、そのまま伊澄の口が私の切り傷に触れた。
「な、な、な、何をしてるの⁉」
驚き後ずさりしようとするが、伊澄に体を掴まれていて身動きできない。
「何って、舐めて治すんだよ」
「は⁉ そんなので治るわけないでしょ! 恥ずかしいからもういい!」
全力で拒否するが伊澄は止めてくれず、傷口に伊澄の唇が触れるのを感じる。
「く、くすぐったい! もういいから、伊澄!」
笑いをこらえきれず手足をバタバタさせていると、伊澄が呆れたように顔をあげた。
「暴れるな! 出血がひどくなる! ほら、もう腹は終わったぞ」
そう言われ、上体を起こして切れていた脇腹を見ると傷が跡形もなくなくなっていた。
「え、な、なんで⁉ 確かに切られたのに、何もない……」
伊澄を見ると、何が面白いのか笑っていた。
「ふ……。そんなに騒ぐな。さっき聞いてただろ? 俺は人間じゃない」
伊澄はそう言うと私の頬に口づけをした。
驚いて伊澄から距離を取り、口付けられた頬を手で押さえた。
「な、な、何⁉」
伊澄は得意げに笑いながら私を見ている。
「何って、怪我を治してやったんだよ。女が顔に傷なんて作ったら嫁の貰い手なくなるぞ?」
どうやら伊澄は私の頬にあった傷を治してくれたようだ。
そのあとは腕や脚の切り傷にも伊澄が口付けをしてくれたおかげで傷は跡形もなく消えていた。
「すごい、応急処置どころか傷無くなってる……」
伊澄は傷を治し終え、私の横に腰をおろした。
「だから言っただろ? 俺は、鬼なんだよ」
「妖怪じゃなくて?」
伊澄は着ていたブレザーを私にかけてから答えてくれる。
「鬼は妖怪とは違う。まぁ人間からすれば同じようなものだろうけど、妖怪は鬼が嫌いだから一緒にされたくないんだよ」
「そうなんだ……なんか、人間っぽくないとは思っていたけど」
伊澄は「そうか」とだけ言い、夜空を見上げた。
「なんでここに来たの? さっき家に行った時はいなかったのに」
「……お前の祖父、三好道山の所に行っていた」
「え、なんでおじいちゃん……?」
「古い知り合いでな。お前が俺と会ったのは偶然だが、お前がヒトオチなのは最初に会った時に気付いてたから調べさせてもらった」
「……ヒトオチ?」
「お前みたいに妖力を持っている人間のことだよ。人間であることには変わりないが、妖怪や鬼にとっては珍しいからそう呼んでいる」
どうやら私はその〝ヒトオチ〟だから妖怪に狙われていたようだ。私は伊澄以上に自分のことを知らないのかもしれない。
「私のこと……何を聞いたの?」
「たぶん……お前がここに来ることを決めた経緯とか、だいたいは聞いたと思う」
「……そっか」
ということは、私の両親のことや呪いのことを知ってしまったのだろうか?
それなら、なおさら何故私を助けたのかわからない。
「だったら、どうして来たの? 聞いたんでしょ? 私があと一年しか生きられないこと。助けたって、どうせ私死んじゃうんだよ?」
伊澄はこんなことを言う私に苛立ちを感じたのか、怒ったように言った。
「お前はここに呪いを解くために来たんじゃないのか? お前、もしさっき死んでいたら今日の約束はどうするつもりだったんだよ⁉」
怒っている伊澄は少し怖かったが、そこには母親が子供を叱る時のような愛情があるように感じた。
怖かったのかそれとも嬉しかったのか、私の涙腺は緩み、堪えきれずに涙が溢れてきた。
伊澄は私の頭を胸元に引き寄せ、頭を撫でた。
「お前、本当は生きていたかったんだろ? 生きて十八歳を迎えたかったから俺と約束したんだろ?」
私は伊澄の言葉に涙を流しながらただ頷くことしかできなかった。今口を開けば、さらに涙が溢れてしまう気がしたから。
「俺だって、お前の誕生日を祝うために準備したんだ。お前がいなかったら意味ないだろ? だから、もう約束破ろうとするな。これからは俺に頼れ」
私は伊澄の体が暖かくて心地よくて、伊澄の背中に手を回して子供のように泣きじゃくっていた。
そんな私を受け入れるように、伊澄は背中をずっとさすっていてくれた。