第十二話 十八歳
私は家の近くにある土手までやって来た。
学校の通学路であり、そして伊澄が私を家に送ってくれる時に通る土手だ。
思えばこの土地に来てからたったの数日しか経っていない。それなのに、なぜかその日々がとても懐かしいような感覚を覚える。
瑞樹さんの家に引っ越し、学校に転入し、日菜子ちゃんに出会い、御影くんの家に招待され、そして伊澄に出会った。
伊澄に会ったのは、学校に転入する前日。美しい夜桜とともに幻のように現れ、目を奪われた。
まさか、伊澄とこんなに仲良くなるなんて思っていなかった。
最初は……そうだ、回し蹴りをしているところを見られたんだ。最悪な出会いだった。
でも、御影さんに家に誘われて、伊澄に会って、意地悪なところもあるけど偽りのない優しさを私に向けてくれた。
羊羹とお団子をご馳走になって、明日は私の誕生日を祝ってくれるって、せっかく言ってくれたのに……。
「ごめん、伊澄……」
約束は瑞樹さんとも日菜子ちゃんともしていた。それでも何故か伊澄に一番謝りたいと思った。
どうしてだろうか、伊澄には少し懐かしいような……、むしろ新鮮な暖かい気持ちをたくさんもらった。
ポケットからスマホを取り出し、時刻を見る。
思い出に浸っていて、いつの間にか明日まで残り二分になっていた。
私は風呂敷をほどき、木刀を取り出す。
そしてゆっくりと息を吐き出し、胸に手を当てる。
風の流れを感じ、嫌な気配がこちらの様子を伺っているのを感じる。
祖父が言っていた。
私の母が私に与えてくれた庇護のおかげで、妖怪が私に襲いかかっても力が衰えるのだと。しかし、庇護が解ければ妖怪は本気で襲いかかってくる。
小さい妖怪でも、普通の人間である私があしらい続けるのは難しい。これだけはどんな手を使ってもどうにもならない。
それでも私はここに来た。どうせあと一年で死ぬなら、自分の脚で最後まで立っていたかった。誰にも迷惑をかけず、願わくば呪いを解きたかった。
「死ぬ覚悟は、もうとっくにできている。けど、簡単には殺されない」
私は、自分に言い聞かせるように言ってから、木刀を構えた。
その時、自分の身体が風に優しく包まれた。春の暖かい風のような温もりと懐かしさを感じる。
その風はキラキラと輝きを増し、やがて私を離れて天に昇っていった。
「お母さん……?」
私は意識せずに口を開いていた。
しかしその瞬間、脇腹を何か黒いものがかすめていき、鋭い痛みを感じる。
「……っ‼」
痛みは一瞬のうちに襲って来て、声が出ない。
手を当てると、ぬるりと生あたたかい何かが溢れていた。
手の平を返すと、赤黒いもので手が染まっていた。
——血だ。
視線を目の前に戻すと、黒い影がざわざわと揺れている。その中に無数の真赤な瞳がうごめき、私を見ている。
こんなに大量の妖怪に囲まれたのは初めてだ。しかも、さっきの攻撃……あんなに素早く動かれたら攻撃できない。
「ウマソウナ人間ダ……」
「オレノ獲物ダ、ククク……」
「ウマソウナ匂イダ……」
妖怪たちはひしめき合い、舌舐めずりしながら私を見ている。
目の前の光景に絶望を感じていると、今度は太腿と二の腕が切りつけられる。
「う……、くっ‼」
なんとか目の前に迫っていた妖怪を木刀で突く。背後に迫る妖怪を蹴り飛ばし、また襲ってくる妖怪に応戦する。
しかし、どれだけ妖怪を薙ぎ払っても妖怪は次々と襲ってくる。
呼吸が乱れ、動きが鈍くなってくるにつれ新しい傷が増えていく。
急所を避けて応戦しているけど、このままでは殺される……‼
私はなんとか体制を立て直そうと、妖怪が少ない所から突破し、その場を離れようとする。
「はぁ、はぁ……‼」
逃げ出そうと足を踏み出し走ろうとするが、妖怪が私の動きに気づき、声をあげた。
「ニゲルゾ、捕マエロ‼」
その瞬間脚を切り込まれ、あまりの痛みに足がもつれて転んでしまう。
「うぅ……‼」
なんとか立ち上がろうとするが、足が痛くて立ち上がることができない。
さらには視界がぐらりと揺れ、うまく焦点が合わなくなる。
背後を見ると、もうすぐそこまで妖怪は迫っていた。
なんとか木刀を握るが、もう手も足も動かなかった。
私、やっぱりここで死ぬのかな……。せっかく、約束したのに……。
妖怪たちが、私が動かないのを見て一斉に飛びかかってくる。私は目を閉じ、体を引き裂かれる痛みに備える。
そして、たった一人の顔を思い出していた。
「伊澄……ごめん」
覚悟を決め、ぐっと拳を握る。
しかし、いつまで経っても痛みが襲ってくることはなかった。
恐る恐る目を開け様子を伺うと、目の前には大きな背中が私を守るように立ちはだかっていた。
「え……?」
それは、私が思い浮かべたその人が持つ銀色の髪をなびかせた背中だった。
しかし、よく見ると学校の制服を着ている。
その人物で私が思い出せるのは一人しかいなかった。
「御影さん……?」
目の前の背中に問いかけると、ゆっくりとこちらを振り返った。
「……はずれ」
そこには泣きそうな顔で笑っている伊澄の顔があった。
銀色の艶やかな髪に、藤紫の瞳は鋭く白い光を放っている。
「伊澄?」
「そうだよ」
伊澄は私に駆け寄り、私の体を支えるように抱き寄せた。