第十一話 呪い
「くそ、早くしろ‼ まだ着かないのか⁉」
「落ち着いてください! もうスピードはかなりオーバーしています!」
翠は車を飛ばしながら助手席に座る伊澄を諫める。しかし伊澄の焦りが治ることはない。
「あのジジイ、なんであんな大事なことを先に言わない‼ 出雲がそんな状態だったなら、何をしたっておかしくないだろ!」
二時間前——
「出雲は、あの子は長くは生きられない」
「……どういうことだ」
伊澄の動揺に構わず、道山は続ける。
「出雲の両親を殺した妖怪に、出雲は呪いをかけられた。徐々に身体を蝕み、死に追いやる呪いじゃ。その呪いは母親の庇護があるうちは発動しなかった。しかし庇護が解ける十八歳の誕生日を迎えると、あの呪いは全身に広がり、およそ一年で出雲は死に至る」
「……呪いを、解除する方法はないのか?」
道山は伊澄の問いに、唇を嚙みながら首を振る。
「あの子にその事実を隠してわしは呪いを解く方法を調べた。妖怪に詳しい人間、力のある妖怪、お前の父親にさえ聞いた」
「俺の、親父に……」
「しかし、わかったことはその呪いは術者でなければ解けないということ。そして、その術者はどれだけ探しても見つからなかった。わしはこれ以上この事実を隠すより、出雲がどうしたいかを尊重したかったんじゃ」
伊澄は一歩後ずさり、道山に背を向ける。
「伊澄……?」
道山は立ち上がり、伊澄の背に問いかけた。
「出雲がどうしたいか、俺は直接聞いたわけじゃない。それに、約束した」
伊澄は翠に「車を出せ」と言う。翠は運転席に乗り、車のエンジンをかける。
伊澄は車のドアを開け、乗り込む前に道山に振り向いた。
「あいつは明日、俺と約束したんだ。俺は約束を破るのなんか許さない」
伊澄は車に乗り込み、窓を開ける。
「おいジジイ。お前の頼みなんか聞くつもりはないけどな、俺はあいつを俺のものにするって決めたんだ」
「な、なにぃ⁉」
道山は車に歩み寄り、伊澄を睨みつける。
「とにかく、俺はあいつを勝手に死なせたりしない。近いうちに出雲を連れてまた来てやるから、それまでくたばるなよ」
伊澄は翠に合図をし、車を出させる。
「こ、こら! どういうことじゃクソガキー‼」
後ろから道山の怒鳴り声が聞こえたが、伊澄は振り返らずに手だけ振る。
道山は車が見えなくなってから口を開く。
「出雲を頼むぞ、伊澄……」
出雲が十八歳の誕生日を迎えるまであと三十分。
伊澄は苛立ちを押し殺すように舌打ちする。
まだ伊澄の住む、そして出雲のいる街は見えてこない。
「十八歳を迎えてあと一年しか生きられない呪いとは、悪趣味だな」
「まったくですね。しかし、とにかく今は宇城様の安全を最優先しなければ」
「わかっている‼ だから早くしろ‼」
伊澄は後部座席から細長い箱を取り出し、中身を取り出す。
「それを、持ってきたのですね」
「あぁ、念のためな」
箱から取り出されたのは一振りの刀である。伊澄は鞘をわずかにずらし、銀色の刀身を見つめる。
「鬼の一族の頭首である証、蓮華丸……。人は切れないが人外は切れる刀」
「こんな妖刀押し付けられて困っていたが、たまには役に立つな」
伊澄は刀身をしまい、刀を肩にかけた。
「私たちの正体は明かすのですか? これ以上関わるのでしたら、誤魔化すのは難しいと思いますが……」
「……言う。ここまであいつの事情に踏み込んでおいて、俺たちは何も明かさないっていうのは卑怯だしな」
「決心したにしては浮かない様子ですね。……不安ですか?」
伊澄は翠を見るが、翠は前を向いたまま運転している。
「不安……俺は、拒絶されるのが嫌なのか?」
伊澄は自分に問いただすように言う。それに答えたのは翠だった。
「貴方は優しい方です。ですから、そのままの貴方でまっすぐぶつかれば宇城様は拒絶なんてしないと思いますよ。宇城様も、とても優しい方ですから」
「……そうか」
伊澄は安心したように一息つき、まっすぐ前を見据えた。
「急げ、翠。これからもっと忙しくなるぞ」
「かしこまりました」
翠はアクセルを踏み、さらにスピードを上げた。
あと三十分で私は十八歳を迎える。
私は部屋着から動きやすいジャージに着替えていた。高校生だとわからないようにするために校章の入っていないジャージを選ぶ。
上着を脱いで鏡を見ると、胸元にある痣が見える。黒い墨で書いたような、何かの文字のような形をした、痣にしてはひどくくっきりとしたもの。
これは私が物心つく前……正確には私の両親が亡くなった時からあるものらしい。
鏡に映る痣に触れ、こすってみるが消えることはない。
一年前、祖父にこの痣の正体を聞いてから何度この痣を消したいと思ったかわからない。
私は鏡から視線をそらし、パーカーを着た。
刻々と明日が近づいてくる。それを感じるたびに、焦りよりも諦めの気持ちが強くなっていくのを感じた。
グラスに水道水を溢れるまで入れ、一気に飲み干す。
喉を通り、身体に水が染み渡る心地よさを感じ、一息つく。
瞼をゆっくり開き、時計を見る。
二十三時四十分……そろそろ出る時間だ。
風呂敷で包んだ木刀を持ち、玄関へ歩く。
いつもなら、瑞樹さんが見送ってくれて、「行ってきます」と挨拶をしてから出る。
しかし、今瑞樹さんはいなくて、またこの家に帰ってこられる確証はない。
こういう時は、そう、別れの準備をしておいたほうがいい。
「……さようなら」
私は扉を開け、ゆっくり、重苦しい一歩を踏み出す。