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From The Sky  作者: オオイカリナマコ
第一章
6/6

冷たい風の音が外に響いた。

さらさらと、屋根の雪が飛ばされる音が混じる。

ふと、ぬるい雫が頬を濡らした。

雫の通った道は、すぐに冷え、刺すような冷たさを感じさせる。

何度目だろう……。

クラ・オーザン少尉は、ぼんやりとベッドに仰向けになりながら考えた。

そうしている間にも、先ほどの出来事が脳裏をよぎる。あの後、どうやってこの宿舎にたどり着いたのか、覚えていない。

ただ、流れ続ける涙が自分の心境を教えてくれる。

窓の外に目をやると、暗闇の中で光る星が見えた。

もう夜なのか……。

帰還したのは恐らく日が出ている頃だったろうから、帰ってきてからすぐ寝たことになる。

……。

何かをするわけでもないが、おもむろに立ち上がろうとした。

途端、猛烈な疲労感が全身を襲った。

疲れた……。

顔を手のひらで覆い、大きくため息をつく。そろそろ、夕食の時間だろう。だが、食べる気も起きないし、なによりズビンやリースと顔を合わせるのを辛いと感じる。

このまま明日まで寝てしまおうかと考えたその時、がらりと扉が開いた。

暗闇の中で人影が浮かぶ。誰かは分からなかった。

その影はガスランタンをつけると、クラを見て微笑んだ。

「少尉、ここにいらしたんですね。……そろそろ飯ですよ。食べましょう」

イカミヤだった。クラは急いで濡れた頬を拭った。

「今日は大変でしたね……」

イカミヤが、声のトーンを落として呟く。クラは、小さく「はい……」と答えた。

立ち上がり、コートを羽織って外へ出る。

ストーブをつけていなかった室内も相当に寒かったが、それを遥かに超える冷気が首元から入り込み、身体を冷やした。いつになったら、この寒さは和らぐのだろう。

まるで心の芯も冷やすようなこの地の寒さに、クラは嫌悪を覚えた。




「おい、イカミヤこれ美味いな」

レインタルトが、料理を頬張りながら大きな声を上げた。

手には、食器にたっぷり盛られた肉と芋の煮込みがある。

「でしょ。僕の地元の料理ですよ」

イカミヤが、嬉しそうに言った。クラも、一口摘んでみた。

確かに美味い。だが、先ほどから極端に無い食欲が、それを台無しにしてしまった。

夕食の雰囲気は、昨日とまったく変わらなかった。昼の戦闘で撃墜された操縦士が救助されたという報が入ったのも一つの理由かもしれない。ただ、クラの心はそれに相反して、深く沈んでいた。

……何も、できなかった。

昼の戦闘で、自分を殺そうとする敵機を撃てなかった。

そして、この世とあの世のぎりぎりに立った。

今回は、奇跡的に生きて帰ってこれた。だが、次は無いだろうと強く感じる。

神様がいるなら、もう自分を救ってはくれないだろう。

だが、次に敵を撃つことになったとして、自分は撃てる気がしない。そもそも、撃つ資格なんて無いんじゃないかと思う。

だが、自分は敵を殺すためにここに来たという自覚がある。

それらの矛盾が、何とも言えない重い葛藤を生み出していた。

先ほどから湧かぬ食欲も、これが原因だと思う。

クラは手元のビールをぐいと一杯飲み、席を立った。

そのままコートを羽織り、外へ出る。

煙草を取り出しつつ空を仰いだ。

その瞬間、クラは自身の意識が吸い込まれていく感覚を覚えた。


―これは……。


空に光るいくつもの光点。

それらが星だと気がつくのに、数十秒要した気がする。すごい数だった。数え切れないほどの……。

煙草を仕舞い、その景色をずっと眺めた。

先ほどまでの葛藤も、寒さも忘れて。

何分突っ立っていたのだろうか。

意識がゆっくりと戻るのを感じ、クラは大きく息を吐いた。

その時、横に人影が寄ってきた。

「綺麗でしょ。ここ、星が綺麗なんですよ」

声の主は、ズビンだった、ズビンは空の木製弾薬箱をクラの後ろに置くと、自身ももう一つの箱に座った。

「……」

クラは、何も言えずに座り込んだ。戦闘の時とは変わり、昨夜と同じズビンの穏やかな声が脳内で反響している。クラは、戦闘の時のことを謝ろうと口を開きかける。

「あれは、オリオン座。少尉も知ってるでしょう。綺麗ですよね」

ズビンは、それを遮るように空を指差し、星座の説明を始めた。

指先には、地平線から顔を覗かせるようにしているオリオン座がある。

「綺麗ですね……」

クラは、謝罪の言葉を飲み込みつつ言った。

「ちなみに、右肩部分の赤い星あるでしょ。あれ、変光星って言って……」

ズビンは、微笑みながら話を続ける。クラも、顔がほころぶのを感じた。


ひと通り、見える星座を解説したズビンはふうと息をついた。クラは、最後に説明された北極星を眺めた。


―北極星の見つけ方、知ってますか。あそこに、ひしゃくみたいな形の星座があるでしょう。あれ、北斗七星です。そこから、ひしゃくの水が零れる方向に進むと……明るい星があるでしょ。あれが北極星です


ズビンの言葉がゆっくりと響く。

クラは、小さな頃から、星が好きだった。……いや、空を眺めるのが好きだった。

だから、故郷の深い星空や、湖面に煌めく天の川も覚えている。 だが、星や星座の名前などは知らなかった。

ただ、綺麗だなと眺めていただけだ。


「詳しいですね」

クラは、空を仰ぎながら呟いた。ズビンがにこりとしたのが、雰囲気として伝わってきた。

「ガキの頃、親父に教えてもらったんです」

ズビンは、ゆっくりと呟いた。なるほど……、小さな頃から自分と同じように、ズビンも空が好きだったんだなあと思った。

その空で、彼は初めて人を殺した時、どんな思いだったのだろうか。

そんな言葉が脳裏を過る。だが、すぐに消えた。

「親父さん、詳しかったんですね」

胸がちくちくと痛むような余韻を感じつつ、クラはズビンの横顔を見ながら呟いた。

ズビンの目が一瞬きらりと光る。

「はい…懐かしいです。あまり会えなかったけど」

「会えなかった?」

思わず繰り返してしまった。

「はい。……軍人だったんです、親父は」

そうか…と、妙に納得した。父親が軍人であったから、ズビンも軍に入ったのだろう。

勝手な推測が、頭をよぎる。

「軍人……ですか」

「はい。……戦闘機乗りでした。物心がつき始めた頃…まだ第一次大陸戦争が始まっていなかった時、親父の乗る飛行機を見たことがあるんです。……あの姿は、今でも記憶にあります」

父親が戦闘機乗りで、息子も戦闘機乗りになった。絵に描いたような軍人家系だ、とクラは思った。

「第一次大陸戦争が始まって、親父は戦地に行きました。……何度か家に帰ってきて、その時に星のことや……色々教えてもらったんです」

「優しい方だったんですね……」

「えぇ。ウチは母親が怖かったので……今思えば、母親も女手一つで大変だったんだろうなぁ」

ズビンは、今までで一番しみじみした口調で言った。

「親父さんは……今どうされてるんですか」

思わず、口を開いてしまった。

薄々悟っていた。話の流れからして、ズビンの父親は亡くなっている。

恐らく、戦死だ。

「はい……もう、いませんね」

ズビンは、クラの悟りを見越した様な口調で言った。

「ごめんなさい、つい……」

「大丈夫ですよ。……空中戦で死んだそうです。遺体も残らず、帰ってきたのは身の回りの品だけ。不思議と悲しさはそれほど湧きませんでした……家族は皆泣いていたけれど」

「……」

「感じたのは憎しみです。誰に対してかはまだ分からない……きっと、自分たちの同盟や国に対して、敵に対して……この戦争の全てにかもしれない」

「全て……ですか」

「えぇ。……軍に入ろうと強く思ったのは、その時でした。もちろん、小さなころから戦闘機に乗って大空を飛ぶという夢はありました。ですけど、戦争組織としての軍を意識したのはその時です」

敵を殺す。

そのための組織に入る。その意識は、軍へ入隊する時のクラには無かった。

胸が鈍く痛むのを感じる。

「ですから、僕は初めて敵を撃つ時も、躊躇はなかった」

「……」

ズビンは、クラの目を見つめて言った。暗くて良く見えないが、哀しみや憎しみだとか、色々な感情が入り混じった目だ、とクラは思った。


―貴方は何をしにここへ来たんだ?


言われてもないのに、そんな言葉が頭の中で反響する。

何も言えなかった。自分はただ軽い気持ちで軍に入ったんじゃないか、と感じ始める。

ズビンはそのままクラを見つめていたが、暫くするとよいしょと立ち上がり言った。

「次は撃ってもらわないと困ります。貴方のためにも、僕の仲間のためにも」

返す言葉が見つからない。クラは、去るズビンから目を逸らし、深くうなだれた。

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