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From The Sky  作者: オオイカリナマコ
第一章
4/6

毛布越しに感じる冷気で、意識が半分戻った。

浮上する意識と同調するように、身体もふわふわと宙に浮きそうな感覚に襲われる。

形容しがたい気持ちよさ。

身体が完全に宙に浮こうとした瞬間、地面に強く叩きつけられた。


―痛ってえ!


同時に意識が完全に復帰し、薄暗い室内の、木組みの天井が目に入る。

そこでやっと、クラは自分がベッドから転落したことに気がついた。

痛みが残る背中を擦りつつ身体を起こし、ミノムシのように毛布を体に巻きつけ、転がりこむようにベッドに戻った。

まだ寝れたなぁ……。

視界に入るものを見つめる。

数秒の沈黙。

隣で大きないびきをかいて寝る男、床に転がる酒瓶……

酒瓶を目にした瞬間、あふれ出る水のように記憶が蘇った。

昨日、ここの基地に着任して。

歓迎会に参加して、そのまま……。

そこからの記憶は蘇らない。

ということは酒に酔って寝て、そのままここに担ぎ込まれたのだろう。


―悪いことしたなぁ。


ゆっくりと上半身を起こすと、鈍い頭痛が襲いかかってきた。

二日酔いだ……。

同時にこみ上げた微かな吐き気を抑えつつ、身体に巻き付いた毛布を剥ぎ取る。

途端、猛烈な冷気が身体を刺す。

寒い寒いと呟きながら立ち上がると、身体がぐらりと揺れた。

危うく倒れそうになったが、なんとか制御する。

室内だというのに、吐く息は綿菓子の如き白さだ。

ふらふらとたどり着いた薪ストーブの前に座り込むと、案の定火が消えている。


今、火を付けても良いのかな……


辺りを見回すが、特に時間帯による点火禁止の表記は無い。

流石に火を点けないと全員凍死する気がしたので、ポケットからマッチを取り出す。

マッチは戦闘機操縦士の必需品だ。

被弾して落下傘降下したときも、火を起こせれば生存率はぐんと上がる。

いつも身につけておくように、と士官学校時代から教え込まれていた。

かじかむ手でマッチを取り出し、擦る。

だが、手に力が入らない。

五、六回擦った時、やっと火がついた。

薪を目がけてマッチを放った……がしかし、火は点かない。


―あれ?


何本か擦って放ってみたが、火は頑なに点かない。

おいおい、凍死は勘弁だぞと首を傾げる。

……。


ジリリリリリ!


悲しくなってきたその時、けたたましいベルの音が響いた。

思わずその場で座った姿勢のまま飛び上がる。

なんだなんだと辺りを見回すと、薪ストーブの横で寝る一人の男が唸りながら、毛布の中から手をヌッと出した。

そして、恨めしそうな動作で目覚まし時計を叩く。

音はぴたりと止んだ。

「朝か……」

声の主は、イカミヤだった。

イカミヤはぬるぬると毛布を剥ぎ取り、芋虫のように床へ転がった。

「お、おはようございます」

クラは、若干のけ反りながら会釈した。

「あ……どうも少尉。早いですね」

とイカミヤ。

「目が覚めてしまって」

「昨晩は豪快に寝ていましたからね……」

イカミヤはそう言うとふらふらと立ちあがり、こちらに来た。

「す、すみません」

やっぱりか、と飲みすぎたことを後悔しつつ頭を下げた。

イカミヤが、いえいえと笑いながら、床に置いてあったテキーラの瓶を掴む。

そんな度数の酒で迎え酒か?よくやるよ……と思ったが、イカミヤは口ではなく、なんと薪ストーブの薪に酒をぶっかけた。

ええ?寝ぼけてるのか?

口を半分開けつつ目の前の光景を眺める。

イカミヤは眠たそうに目を擦りつつマッチを擦って、薪目がけて放った。

火が勢い良く上がる。

「なるほど……」

思わず感嘆する。確かに、マッチをただ投げても火は点かないだろう。

イカミヤはストーブの扉を閉め、にこりと笑った。

「なかなか点かないですからね。ズビン曹長が寝ているときは曹長のテキーラを拝借するといいですよ」

悪戯っぽくそう言って、テキーラの瓶を元の位置に戻した。

「迎え酒かと思いました」

勢いよく燃える薪ストーブに両手をかざしつつ苦笑する。

「テキーラで迎え酒はキツいですね……。というか、僕はあんまりお酒飲まないんです」

「そうなんですか」

少し意外だ。

「ええ、飲むならお茶が好きですね。まぁ、酒も飲めと言われれば飲むんですけど」

「へぇ……僕も強くないんですよねぇ」

昨夜の出来事を再び回想しつつ言った。

「結構、昨夜は無理されてましたからね。無理そうだったら、ズビン曹長に渡すといいですよ。スポンジみたいに一気に飲んでくれますから」

イカミヤの比喩に少し笑った。確かに、相当強そうだ。

ほんとに、どうなってるんですかねとイカミヤも笑う。

そうしているうちに、薪ストーブの熱気は室内に広がり、息も白くなくなった。

「イカミヤ伍長はどうしてこんなに早く起きたんですか」

ふと疑問を感じてそう問うた。

懐中時計を見ると、まだ朝の五時である。

「朝飯を作らなきゃならないんです。そろそろ行こうかな」

イカミヤはそう言うと、大きな欠伸をして立ち上がった。

「何時に朝食でしたっけ?」

そういえば、まだ一日の流れを聞いていない。

「五時半ですよ」

イカミヤが返した。

そして、今日は何にしようかな、と呟きながらイカミヤがコートを羽織る。

クラも自分のコートを手に取り、羽織った。

イカミヤがゆっくりと扉を開ける。

木の軋む音と同時に、五臓を凍らせる様な冷気が入り込んできた。

急いで外に出て、扉を閉める。

一層冷たい空気が身体を包む。

東の山際は薄らと明るいが、辺りはまだ薄暗い。

その暗さと相まって、まるで空気が凍っているかのように感じる。

「もう、四月なのに」

そう呟くと、イカミヤが笑った。

「ここは本当に寒いですよね……」

「ここまでとは思いませんでしたよ」

クラは苦笑した。

「でも、夏は涼しくていいですよ。もっとも、すぐに寒くなりますけど」

夏か……。ふとクラは、故郷の夏を思い出した。

祖国のラメントリー国は温暖な国だ。

クラの故郷である、ラメントリー国南部の小さな街は、近くに湖を有していた。

とても美しく澄んだ湖で、夏はよく遊びに行ったものだ。

クラは、あの夏が好きだった。あの暑い、陽炎の夏が。

涼しい夏とはどんなものだろう……。

「涼しい夏、ですか……」

積もった雪を眺め、そう呟きつつ隊本部に入った。




隊本部に入るなり、イカミヤはエプロンを着て、奥のキッチンに入っていった。

まるで主婦だなと、口元を緩めつつ、昨夜と同じ状態の机の前に腰掛けた。

「何か手伝いますか」

そう言うと、キッチンから大丈夫ですと返ってきた。

下手に素人が手伝うより、彼だけでやったほうが良いのかな……

昨夜の美味しい料理を思い出しつつ苦笑する。

にしても、本当に美味しかったなあ……。

そう思った途端、腹が鳴った。

胃袋に突然、虚無感が湧き出る。

腹減ったなぁ……

空腹を紛らわすように立ち上がり、室内を徘徊する。

ふと、本棚に並べられた「260 写真集」が目にとまった。

五冊ある中、最近のものであろう"#5"を手に取った。

席に座り、厚紙の表紙を開く。

一枚目は、滑走路を背景にした隊員の集合写真だった。

日付は一年前である。

全員が笑顔で写っている。

特に、「第260航空戦隊」と書かれた横断幕の右端を持つ隊員は、今にもピースサインを作りそうな笑顔である。

誰だっけな……そう思いつつ、ページをめくる。

二ページ目からは、一ページに二枚の配分で写真が貼られていた。

飲み会の写真、何気ない基地の風景、川で釣りをする隊員の写真……。

パイを顔面に投げつけられたレインタルト少尉の一枚には、思わず笑ってしまった。

面白いなぁ……。

およそ戦争の最前線とは思えない写真に微笑みつつ、ページをめくる。

右上の一枚に目を向けた瞬間、クラの全身に戦慄が走った。

滑走路上に横たわる、戦闘機。

左翼が原形を留めていない。

飛び散った黒いオイル、

枠だけが残った風防。

その周りを隊員達が囲むように立ち、重苦しい空気がクラにも伝わってくる。

それは、無残な姿になり果てた、「タルテ ノール Te.5」であった。

自分の使う戦闘機が、こんなにも無残な姿になるなんて。

写真の下には、「レンス伍長戦死」と書かれている。

そして、その写真の下には、

集合写真で弾けんばかりの笑顔を見せていた隊員の写真。

誰かの誕生日だったのだろうか、装飾された室内で、同じように良い笑顔で親指を立てていた。

その写真の日付は、6/17であった。そして一言、「レンス伍長」と書かれている。

この翌日に、戦死したのだ。

再び戦慄が走る。

はじめて、ここで「戦争」をしているのだと実感した。

微かにに震える手で、次のページへ。

また、何気ない写真が続く。

そして、また一枚、戦死の寄せ書きがある、隊員の顔写真が。

機体の写真は無い。先ほどのレンス伍長は、着陸時に亡くなったので写真があるのだろう。

何気ない写真、そして死。

最後のページには、「撮影・編集者:リース軍曹」と書かれていた。

第二小隊の三番機だ。

そして、まだ震える手でアルバムを閉じ、本棚に戻した。

ゆっくりと席に腰かけ、煙草を胸ポケットから取り出す。

微かに震える手でライターを擦り、火を点す。

乾いた唇の血が、くわえた煙草にこびりついた。

テーブルの灰皿に煙草を押しつけ、大きくため息を吐く。


俺も、人を殺すのか?


ふと、疑問が頭に浮かんだ。

当たり前だ。 自分は軍人として、戦争をしにここへ来たのだ。

反射的に、当然の答えがすぐに疑問をかき消す。

今まで、敵を撃墜する訓練を受けてきた。

訓練では、「人を殺す」実感など湧かなかった。

だが、自分はもう一人前の軍人なのだ。人を殺す訓練を受け、人を殺す任務を背負う。

そして、殺した相手はあの写真と同じように、無残に、あるいは姿も留めずこの世から消えるのだ。


俺は、撃てるだろうか?

自分と同じように、人生を歩んだ人間を。


いや、死ぬのは、俺かもしれない。


そう考えると、寒気が身体を舐めまわし、鳥肌が立った。

灰皿のシケモクをもう一度広げ、思い切り吸う。

微かな血の味と、ニコチンが一気に身体をめぐる。

これが、最後の一服になるかもしれないんだもんな……。

感慨にふけつつ、窓の外に目をやった。

日の出が始まり、橙色に染まった空は、妙に不気味に感じられる。






朝食は、スクランブルエッグとコーヒーという、簡単なものだった。

スクランブルエッグは、微かにバターの味がした。どこか懐かしい味だ。

その朝食の最中から、「朝会議」と呼ばれるブリーフィングが始まった。

「続いて、今日の流れだが」

フィヤートが立ちあがる。

昨日の戦闘報告などが終わり、いよいよ今日の任務についての説明が始まる。

クラは、食後のコーヒーを啜り、姿勢を正した。

「今週はうちの隊が戦闘機哨戒任務に入る。クラ少尉」

不意に声をかけられた。はい、と返事をしつつフィヤートを見る。

「君の第二小隊も、哨戒任務にあたる。しっかりやってくれ」

「わかりました」

哨戒任務……。緊張のあまり、うわずった返事をする。

「担当小隊は、通常通りの順番で回していく。質問のある者は」

フィヤートが辺りを見回すが、挙手する者はいない。

「では、各小隊ごとに集まってくれ。以上」

その言葉を合図に、全員が立ち上がった。

クラも流れに乗って立ち上がりつつ、ズビンのもとへ歩いた。

「少尉、実戦ですね」

ズビンの横に座ると同時に、リースが口を開いた。

「はい……正直緊張します」

「大丈夫ですよ」

ズビンは微笑み、大きく咳払いをして、真剣な眼差しになった。

「さて、うちの小隊は哨戒任務のため、1500に離陸します」

ズビンが説明を始めた。

「哨戒空域は、"がぶ飲み横町"のど真ん中です。恐らく会敵するでしょう」

「がぶ飲み横町、というのは……」

そう問うと、ズビンは地図を取り出し、赤鉛筆で囲まれた空域を指した。

「ここの空域です。クレリアエリア一の激戦区とも言われています。敵も同じように、哨戒飛行を実施しているでしょう」

「なるほど」

クラも地図を取り出し、"がぶ飲み横町"を赤く囲った。

「会敵した場合は、絶対に私の後ろから離れないでください。離れたが最後」

ズビンが、低い声で言った。

昨夜の雰囲気からは考えられない真剣な眼差しに、手のひらを強く握った。

「はい」

そう返すと、ズビンは微笑んだ。

「大丈夫ですよ。肩の力を抜いて……そう簡単に堕ちません」

「はい……」

「では、1430に、列線に集合。それまで個々の準備を」

ズビンがそう言うと、リースが立ち上がって敬礼をした。クラも立ち上がり、敬礼をする。

「あぁ……そうだ。少尉は、煙草はどの銘柄を吸われますか」

ズビンが、答礼しつつ問うた。

「あー……"リプキリ"を吸ってます。特にこだわりはありませんが」

"リプキリ"とは、ボストック同盟軍が官給品として生産している煙草である。

戦技学校時代、初めて吸ったのがこのリプキリだ。

ボストック同盟のマークが描かれた箱も気に入っているし、なにより官給品なので大量に手に入る。

「リプキリですか。よかったら、こいつも吸ってみてください」

ズビンは、ポケットからブリキのシガレットケースを取り出すと、5本ほど煙草をクラに手渡した。

一般的な煙草とは違う、茶色で薄い紙で巻かれた煙草だ。

「これは……」

クラは、受け取った煙草を眺めつつ言った。

「実は、手巻きなんです。バニラフレーバーなんですが」

バニラ?と言いつつ煙草の香りを確かめる。

「確かに、バニラの香りがしますね!」

「でしょう。気に入ったら、仰ってください。いつでも作れますから」

ズビンはそう言って微笑み、自らも手巻き煙草に火を点けた。

煙草の先から出る煙も、バニラの香りだ。

クラもライターを取り出し、一本くわえた。

火を点けて吸いこむと、口の中にバニラの甘い香りが広がった。

「うまいです」

ほぼ反射的に、言った。

「お、よかった。では、作っておきますので」

と、ズビン。

「ズビン・バニラは美味いですよね」

もう一度バニラの風味を楽しんでいると、レインタルトが話しかけてきた。

「はい、美味しいですね……レインタルトさんも吸われるんですか」

「ええ、ズビンと同期のころから吸ってますよ。リプキリも、美味いんですがね」

「正直、リプキリより好みですよ……」

素直な感想だ。甘党のクラにとっては、今のところ最高の煙草かもしれない。

「お金はいらないんですか」

ふと疑問が浮かび、ズビンに問うた。

「いらないですよ、趣味で作ってますから」

「なるほど……ありがとうございます」

「いえいえ。さて、機体を見てこようかな」

ズビンは煙草を灰皿に押し付けると、立ち上がった。

「あ……私も行きます」

クラは最後の一吸いを一気に吸い込み、立ち上がった。

「おい、レイン、死ぬなよ」

ふと、ズビンが、拳を差し出して呟いた。

「お前こそ」

レインタルトはそう返すと、ズビンの拳に、自分の拳をぶつけた。

「少尉とリースも」

クラとリースの方に向き直ったレインタルトが、両手を掲げた。

「もちろん」

リースが、拳をぶつける。

「帰ってきます」

クラも、笑顔で拳をぶつけた。

じんわりとした痛みが広がり、何故かそれが暖かいように感じた。

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