5章 Past Break Twins
よく晴れた昼下がり。レグルス一家はたくさんの品物を手に手に持ち、必要なものを買い揃えるべく店を覗いていた。
「家族で出かけるってのも、なんか久々だな」
小さな荷物しか持っていないエランドは久々に家族で出かけられることに浮かれている様子で、足取りも軽く先頭を歩く。
「そうですね、たまには良いと思います。ふふっ」
弾むようなエランドにシーナも微笑ましそうに同意する。
「エランド、もう少し私の荷物を持ってくれ…」
明らかに一番量を持っているヴェランドが疲れたようにエランドに目をやる。そんな父親の様子に、ヴェリスが声をかけた。
「大丈夫だよお父さん、私が持つから!」
自分の持っている分をまとめて、ヴェランドの手からいくつかの荷物を受け取る。
「わかったっての、ははっ。持つってば」
困らせたいわけじゃないのとさすがに妹がさらに持つのに自分が持たないわけにはいかないと思ったのとでエランドはヴェランドの荷物の一部を
引き受けた。
「それにしても、最近パンの値段が上がってしまって…不安になってしまいます…」
微笑んでいたシーナの顔がふと陰る。
「まぁ、裕福とまではいかないが…そこまで金銭的に困っているわけでもないんだ」
「それもこれもお父さんたちが先生のお仕事がんばってるからでしょ?」
無邪気に笑うヴェリスに、シーナは小さく首を振る。
「いえいえ、ただ剣術を教えているだけでお金をいただくようなことではないのですが…」
「もらえるものはもらっておくに限る、という話だな」
普通の家庭の普通の会話に、エランドが夢を語る。
「見てなって、王国の騎士団に入団して贅沢な暮らしをできるように俺がんばっからさ!」
明るい空の元の明るい会話。そこにすぐさま影が落ちるなど、誰が予想できただろうか。
漆黒が広がる空間、時空間。生物が生存していくことができないこの空間から、レグルス一家を観察する子供が二人。
『ヨウ、片腕の無い男とその隣の小さな女の子は違うわ』
一対の目の主の少女、クウは、傍らの少年、ヨウにそう断言した。
『あの後ろの二人って事?姉さん』
獲物を見つけたという目で、ヨウが喜々としてクウを姉と呼んで問う。
『そうね、七王退魔人、天魔の戦士で間違いないわ』
弟の問いに頷くクウにも、好戦的な様子が見られる。
『さっさと殺しちゃわない?僕、もう殺したくて殺したくてうずうずしてるんだ』
狂気の瞳で、抑えきれないというように舌なめずりする弟に、姉は呆れたように告げた。
『仕方ないわね、行きましょう』
黒い闇を引き裂いて、二人の子供は明るい世界へ足を踏み出した。
夕食を何にしようかと頭を悩ませる母親に子供たちが希望の献立をリクエストし、母親がそれに頷く。そんな平和な、普通の暮らしに、空間とと
もに亀裂が入る。
「そうですね、では帰りにお肉を買って帰りましょうか……。!?マスター、あれは!」
人通りの少ない一角。そこの空間が引き裂かれるように黒い口を開けた。その中から容貌のよく似た子供が二人、現れる。
「!?……なんだ、あの二人は……」
ヴェランドが荷物を手放し、油断なく二人の子供を鋭い目で見つめる。
「見つけた、シーナ=レグルス、ヴェランド=レグルス。冥界に仇なす2つの力……消えなさい…!」
言葉を放つと同時に、少女の姿が消え、ヴェランドの体に焼け付くような痛みが走った。己の体に刃が突き立てられたのだと、ヴェランドはどこ
か冷静に考えながら、膝を地についた。
「速い…!?ぅぐっ……くっ…!」
「父さん!?くそっ、剣を持ってきていない…!なんなんだ、お前たち!」
荷物をかなぐり捨てていつも剣を携えている位置に手をやり、そこで剣を持っていないことに気付いてエランドは呻いた。
「僕たちは冥界から来た。現世、天界を僕たちの物にするため、目障りなお前たちを消す」
心底楽し気に笑う少年に狂気を感じて、シーナが鋭く叫ぶ。
「エランド、ヴェリス!下がりなさい!剣を持たない貴方たちには厳しすぎます!」
「くそっ……大人をあまり舐めるんじゃないぞ、君たち…!」
力を振り絞ってヴェランドは立ち上がり、家族を護るために剣を振るう。が。
「クスクスッ…全然当たってないわよ…?」
余裕の笑みを浮かべた少女はそれをことごとく避ける。身をかわすのではなく、現れた時と同じように黒い裂け目を作ってその中に逃げ込んで一
撃をやり過ごし、すぐに別の近い位置から新たな裂け目を通って現れている。
「何ッ!?魔術・・・・・いや、違う!」
見たことのない現象とそれに伴う魔波の流れにヴェランドは翻弄される。その様子に、エランドは苦渋の決断を下した。
「ここは…一旦逃げるんだ…ヴェリス!」
エランドの言葉にヴェリスは振り向きざまに反論する。
「で、でも…お母さんたちが…!」
「私たちの事は放っておきなさい!早く逃げるのです!」
だが、ヴェリスもエランドの表情と、有無を言わせないシーナの言葉にそれ以上の言葉を飲み込む。
「子供たちの心配より、自分たちの心配をしなよ」
唐突に目の前いっぱいに広がる少年の顔に、シーナの体は強張った。狼狽えながらも、シーナは何とか口を開く。
「あなたたちはいったい何者な…………ぅ……っ……ぇ…?」
突然。突然すぎる衝撃に、シーナは痛みを感じる間もなくただ信じられないといった様子で自分の体から伸びる少年の手を見つめ、そしてゆっく
りと倒れた。
「シーナぁぁぁぁっ!」
絶叫が響いた。ヴェランドがこれ以上ないほどに絶望に目を見開き、届かないと分かっていながらも必死に手を伸ばす。二度も護ると誓った、大
切な存在を目の前で奪われた、護れなかった絶望に心が泣き叫んで悲鳴を上げる。
そのヴェランドを冷めた目で見下ろして、少女が冷たく突き放した。
「ヨウが言ってたでしょ、自分たちの心配をしなさいよ」
その言葉とともに、非常な刃がヴェランドの体を貫いた。
「っ………ぅっあ``ぁっ……くっ……」
急速に暗くなっていく視界の中で、ヴェランドの瞳はただ最愛の弟子でもある妻を捉え続ける。その最期の心に巡るのは、悔恨。
シーナを護れず、そしてこれから先、子供たちを見守っていくことすらできない自分の無力さへの憤りを最期に、ヴェランドの意識は途絶えた。
「お……お父さん……お…お母さん……?」
消えていく慣れ親しんだ魔波が否応なく双子に現実を突きつける。ヴェリスが呆然と両親を呼ぶが、もう、応える声はない。
「父さん!母さん!よくも……よくも父さんと母さんを…!」
今にも飛び出しそうなエランドを、無意識にヴェリスが服を掴んで抑える。ヴェリスは抑えたというよりも、ただエランドに傍を離れてほしくな
かっただけだが、それが結果的にエランドをかろうじてつなぎとめていた。
「言ったじゃないか、現世をもらうためだ。邪魔になりそうなこいつらは先に排除しておこうと思ってね」
エランドとヴェリスに距離を詰める少年に、その意図を察した少女も頷く。
「そうね、あなたたち…この二人の子供でしょ?後々面倒なことになっても嫌だし……」
不穏な雰囲気を感じてエランドの目が少女に向いた瞬間。少年の手がヴェリスの首を捕らえた。
「殺しちゃおうよ、姉さん。ね?ほらっ」
楽しくて仕方がない。そう言わんばかりに昏い歓喜に満ちる少年が、ヴェリスの首をつりあげた。
「う``っ……っ……っぁぁぁぁぁぁぁっ」
首を絞めらる息苦しさと痛みに、ヴェリスが呻く。
「そうね、それが名案かも。エランドとヴェリスだった?あなたたちも邪魔になりそうだし、死になさいよ。ね…!」
エランドがヴェリスの方に向かおうとしたところを、少女が鋭い一撃で阻む。
「あ``ぁぁっ……ぐっ……ぁぁぁっ……くそっ・・・・・動きが……まるで見えねぇ……」
目に見えない斬撃に、なんとかヴェリスの方に行こうとするエランドの体が傷ついていく。
「エ…ラン…ド……」
苦しい息の下で、ヴェリスが何とか声を絞り出す。
「とどめだよ、バイバイ」
「さよなら、かわいそうな子たち」
無情な声とともに、振り上げられる襲撃者の刃。
「終わり……か……」
動かない体を無理やり動かして、エランドはヴェリスに目で謝る。護れなくてごめん、と。それを察して、ヴェリスも小さく首を振った。
明確な殺意を持った刃が、目を閉じた2人に振り下ろされた。
一瞬の、死を覚悟したその刹那。
ひゅん、と空気を切る音は、エランド達の命を奪う音にはならなかった。
「何!?攻撃が……空ぶった……?」
「私も!?攻撃がかわされた!?」
二人の襲撃者たちの動揺の声に、エランドとヴェリスが目を開ける。
「よう、クソガキ共」
「助っ人参上、ってね♪ふふっ」
双子と襲撃者をいつの間にか隔てるように立つ男女の人影。うち一人は双子には覚えがあった。それも、会いたくない方の意味で。
「はぁっ…はぁっ……だ…誰だ……!?あ…アイフィス…!?どうして……?」
男の方に目が留まったエランドはいぶかし気に眉を顰めるが、女の方を見て一気に警戒心を高めた。
「誰だ……お前たちは……!」
少年がすごむが、乱入者はそれを涼しい顔で流す。
「はぁっ……はぁっ………アイフィス……でも…あの時と雰囲気が少し違う…?」
ヴェリスも、記憶にあるアイフィスとの相違に首をひねる。
「名乗りなさいって言ってんでしょ……」
涼しい顔で流されたことを無視されたと取ったのか、少女の声に明らかな険が混ざる。
「悪ィなァ、エラとリス。お前らの親父たちを助けるつもりだったが……一歩遅かったみたいだなァ」
すでに倒れている二人に顔をしかめて、男がエランドとヴェリスの方を見ずにそう言う。彼の目は一瞬も二人の襲撃者から離されていない。
「エラと……」
「リス……?」
呼ばれ慣れない呼び名を見知らぬ男に呼ばれたことに、二人は困惑する。その様子に苦笑して、アイフィスが言葉を足した。
「ごめんね、こいつあんたたちの名前しっかりと記憶してないから…」
男とは違って、アイフィスは襲撃者から目を離して双子の方を向いている。
その様子に、少年がしびれを切らしたように唸り声をあげる。
「いい加減無視するのは許さないぞ、お前たち」
短気な奴だと言わんばかりに肩をすくめて、男が皮肉気に口角を上げて口を開く。
「ガキは嫌いなんだがなぁ?ゾルダート=クロー、お前らのプライドも体も、ぶっ殺してやっからよォ?」
「アイフィス=ラグナよ、僕ちゃんたち。この子たちの前に私たちが相手してあげるわ」
ゾルダートと名乗った男に続いて、アイフィスも名乗りを上げる。その様子に、エランドとヴェリスは顔を見合わせた。
「どうやら……敵…じゃねぇ…みたいだな……」
「味方……だと……いいんだけど…」
言い合っても、すでに自分たちは戦いの盤面にはもう出られない。成り行きを見守るしかなかった。
二人の襲撃者も、突然の乱入者を敵とはっきり認識したようだった。
「きまりね…まずは……あなたたちから沈めてあげる……!」
そう言葉を放つと、少女の姿がかき消える。妙な裂け目を作り出したのではなく、純粋に速さで決着をつけに来たようだ。
「女ァ、斬るのは趣味じゃねぇが…。可能だぜ?なァ!!!」
ゾルダートは消えた少女の姿を探すことなく、その攻撃を身の丈ほどの大剣のカウンターの一撃でもって弾き飛ばす。
「動きに…ついてこれるですって…!?」
驚愕の表情で思わず飛びのく少女に、ゾルダートは追撃をかける。
「殺すんだろ…?なら、もっとアゲてかねぇとだぜ?」
挑発するように嗤うゾルダートと少女の間に少年が割って入ろうとするが、目の前に現れたアイフィスに邪魔されて足を止めた。
「僕ちゃんも、油断してたら危ないよ?ね!」
アイフィスの鋭い鋼の爪が少年をかすめる。その攻撃を避けて少年が信じられないと言いたげに呻く。
「…っ!何者だ……お前たち…!僕たちの動きについてこれるはずなんて…」
その少年の言葉に、ゾルダートとアイフィスは各々応える。。
「あ``?何者もクソもねぇだろーが。こいつらに手出しはさせねェ」
「そうね……この子たちを助けに来た助っ人、かしら?」
大剣を担いで威嚇するように嗤うゾルダートと、人を食ったような笑みで先ほどの言葉を繰り返すアイフィス。その未だ余裕を保った態度に、少
女はため息をついて悔しい決断を下した。
「ヨウ……!戦略を変えるわよ……」
ゾルダートから距離をとる姉の言葉の意味を察して、弟もアイフィスの前から飛びのく。
「………!そうか……わかった、姉さん」
二人が再び黒い裂け目に消え、辺りに静寂が戻った。
「消えた……!?」
突然退いた二人の襲撃者に驚いてエランドが呟く。
「とりあえずは落ち着いたってことだなァ」
二人が消えたその裂け目が溶けるように消えていくのを見守って、助っ人二人が息をつき、獲物をしまった。
一連の出来事が現実であるという事は、倒れた両親の姿と助っ人を自称する男女だけとなった。
人目につく前にと、ゾルダートとアイフィスに促されて変わり果てた両親を二人に預け、放り出していた荷物を双子は抱えて、どこか空虚になっ
てしまったように感じる家へと帰り着いた。落ち着いて話せる場所は、今の双子には他に思いつかなかった。
二度と動かない二人をベッドにそっと横たえ、アイフィスがエランドとヴェリスに向き直る。
「お父さんたち…残念だったわね……」
哀悼の意を表するアイフィスに、ヴェリスは嗚咽する。
「……お父さん……お母さん……」
「………」
エランドも硬い表情でヴェランドとシーナを見つめ、堅く拳を握りしめる。
「お前らの気持ちを理解してやれねぇってこともねェが、今はそんな場合じゃねェ。起きてることを説明しなきゃなんねンだ」
ゾルダートの静かな声に、双子の意識は現実に引き戻された。
「……そう…だよな」
両親から目をそらし、エランドがゾルダートとアイフィスに向き直る。それに倣うようにヴェリスも涙を拭った。
「………そうだ……アイフィスさん…?はどうしてここに…?一年前に私たちが倒したはずじゃ……」
ヴェリスが、かつて敵として戦ったアイフィスにそう疑問を投げかける。
「そうね、説明しないと混乱しちゃうか…」
どこから説明すべきかと思案するアイフィスをよそに、ゾルダートが口をはさんだ。
「俺たちは別の時間軸の過去から来た、こいつ、アイフィスもなァ」
ゾルダートの口から唐突に出た現実身のない言葉にエランドとヴェリスはは首を傾げる。
「別の…時間軸…?」
エランドとヴェリスの予想通りの反応に、アイフィスは順番が違うと言いたげにゾルダートを睨むが、彼はどこ吹く風といった風情でその視線を
無視する。その態度に呆れて肩をすくめ、アイフィスは話を進めた。
「分かりやすく言うと、私たちはあなたたちの生きてきた歴史には存在しないの」
「どうして…私たちを助けに…?」
さらにヴェリスは質問を重ねる。
「あのガキ共も言ってただろォ、現世を手に入れるためだって」
「私たちの時間軸の世界にも来たのよ、あの子達」
アイフィスの言葉に、エランドとヴェリスは目を見開いた。
「だけど、初対面みたいな反応してたじゃねぇか?」
エランドの言葉に、ゾルダートは頭をガシガシと掻く。
「説明めんどくせぇな……あいつらの生まれはこのお前らの時間軸だから、他の時間軸の記憶は戻ってきたら消えちまうんだ」
「私たちは正規の時空魔術を使っているから記憶が保たれているだけなの」
二人の説明に、エランドは頭を抱えた。
「ややこしすぎる……どうしてゾルダートさんとアイフィスさんがここに来ることになったんだ?」
今度はエランドが質問すると、ゾルダートが苛立つように顔をしかめた。
「質問攻めは嫌いなんだがなァ?俺の時間軸ではそもそもヴェランドはすでに死んでる、んでもってヴェランドが死ぬことでシーナとかいう娘も戦
士になることはねェ」
別世界での父親の意外な未来に、双子は息を飲む。
「お父さんが……死んでる……?」
「魔王軍の奴にな。あの双子に俺の師匠のエリスが殺されてンだ」
忌々し気な顔で吐き捨てるゾルダートに続くようにアイフィスも自分の歴史を話す。
「私の時間軸ではそもそも魔王軍が存在しないの。ヴェランドやゾルダートも魔王軍に襲われたのをきっかけに、戦士を目指すのがあなたたちの歴
史かもしれないけど、私の世界ではそれはない。殺されたのはあなたたちのおじい様のフォード=レグルスよ」
「爺ちゃんが………」
唯一戦いとは無縁だと思っていた血縁すらも殺された事実に愕然とする。
「そしてお前らの時間軸で殺される人間を出さないために追ってきたんだが…遅かったってことだなァ」
ゾルダートのため息に、ヴェリスがハッと彼を見る。
「そんな…………ってことは……またさらに別の時間軸の誰かが…?」
その焦りを、ゾルダートがあっさりと否定した。
「それはねェ。この世界は3つの時間軸で構成されてンだ。三界と呼ばれ、煌の軸、鈍の軸、弦の軸ってなァ」
めんどくさそうにしながらもちゃんと解説する辺り、根は面倒見がいいのかもしれない。が、そこは置いておいて。
「その3つの時間軸しか存在しないって事は……ほかの時間軸で被害に遭う奴はいないってことだよな…?」
「そうなるなァ。まぁ、次に被害に遭うのはお前らの親父たちだ」
ゾルダートの言葉に、思わず驚きよりも疑問が先に立つ。
「どうして!?今さっきお父さんたちは……殺されたのに…」
思わず口に出した現実に、ヴェリスの口は重くなる。それに、アイフィスが答えを与えた。
「過去よ。あなたたちが生まれるより前のお父さんたちが殺される」
アイフィスの言葉の結論をまだ掴みきれない二人を見かねたようにゾルダートが口をはさむ。
「意味は分かるなァ?ここの時間軸の過去でお前らの親父達が殺されたら、結局お前らが生まれてくることはできなくなるってことだ」
はっきりとした結論を出されて、エランドが焦ったように前のめりになる。
「!?…そんなの今すぐ止めないと……」
「焦んじゃねぇよ、あいつらが次現れるタイミングと時間は分かってんだ」
今にも飛び出しそうなエランドの様子に被せるようにゾルダートがアイフィスに目配せする。アイフィスはその視線を受けて言葉を引き継いだ。
「1ヶ月30日と23時間30分後に、D267年の7月11日、夜の11時頃に現れるはずよ」
やけに細かい数字を出されて、エランドとヴェリスは目をパチクリと瞬かせることしかできない。
「そんなに細かく…?どうして分かるの…?」
あまりにも細かすぎる情報に、ヴェリスが疑いと困惑の混じった目で問う。
「冥界の者の移動方法は冥宝と呼ばれる道具が必要になる。時間を超えるには2カ月のクールダウンが必要になるってわけだ」
よく分からないなりに、2カ月はあの襲撃者たちが動くことはないと納得すると、次の疑問が浮かぶ。
「その……なんとか年のその日の夜に何があるってんだよ…?」
エランドの問いの答えが示すのは、まさに全てが始まったと言っても過言ではない出来事。
「あなたたちのお父さんとお母さんが出会うの。そこを変えることであなたたちは生まれなくなる」
たった2カ月のリミット。この時間を、どう過ごすべきか。
「その2カ月で…どうするの…?」
双子の戦士に、ただ何もせずにその時を待つつもりはなかった。ただ、どうすればいいのかが分からない。
「お前らをもっと強い戦士にするってことだなァ」
「さっき、私たちが優勢に見えたかもしれないけど、あの子たちの本気はあんなもんじゃない。きっと本気でやり合えば私たちは負けていたはず」
不本意だが事実であることに、ゾルダートは特に面白くなさそうな顔をして肩をすくめる。
「もっと……強く…」
「強い戦士に……?」
どうすればいいのか分からないエランドとヴェリスに、ゾルダートとアイフィスが指針を示す。
「俺たちはここの時間軸に踏み入った時点でここの時間軸の俺たちの記憶も共有される、どうやら俺はアイフィス。お前に殺されたんだなァ?」
面白そうに凶悪な顔で視線をよこすゾルダートに、アイフィスは思わずといった風に一歩下がる。
「な、なによ…。ここの時間軸の話でしょ!私はあなたを殺すつもりはないんだから」
まくしたてるアイフィスにゾルダートは凶悪な顔をやめ、面白そうな表情だけが残った顔でエランドとヴェリスを見る。
「まァ、いいじゃねぇかァ。エラもリスもヴェランドが師匠なんだ、ちゃんと磨いてやれば俺達より強くなれンだろうよ」
アイフィスも元の冷静な顔に戻ってエランドとヴェリスを見据える。
「エランド君はゾルダートと、私とヴェリスちゃん。別れて修行するの」
示された指針に、思わず双子は顔を見合わせる。
「………ヴェリス」
「お……おにい……あっ………エランド……」
不安に負けて、ヴェリスはつい無意識にエランドを昔の呼び名で呼びかけ、我に返ったように言い直す。その様子に、エランドはそれでいいと頷
きかけた。まだ、ヴェリスは不安に、恐怖に屈していないのだとその呼びかけ一つで確信して、それを信じる。自分もまた、不安と恐怖に負けない
ように。
互いの目で互いの気持ちを確信し合い、双子は覚悟を決めて頷き合う。
「またな、2か月後」
エランドの言葉を最後に二人は背を向け合い、それぞれの師の元へ向かう。
「んじゃな、お前ら」
ゾルダートの言葉を合図に、一度も振り向くことなくそれぞれに歩き出す。
こうして双子のそれぞれの2カ月の修業が始まった。
次の動きを算段しながら暗闇を進むクウとヨウ。迷いなく進んでいくクウとは違って、ヨウはふと立ち止まり、考え込むように俯いた。
「姉さん……あいつらは誰だったのかな…?」
「さぁ…なんでしょうね……どのみちうっとうしいわ」
どうであろうと邪魔だという結論に変わりはない。だからそんな疑問は些末な問題だとクウはどうでもよさげにあしらう。
「僕たちの事を知ってたみたいだけど……?」
どこか揺らいでいるように言い聞かせるようにクウは言葉を紡ぐ。
「気にすることもないでしょう?本気を出せば私たちに敵うわけなんてない」
絶対的な自信に裏打ちされた姉の言葉に、ヨウの疑問は消え、自信だけがその瞳に映る。
「そう、だよね。ごめん、姉さん」
揺らいだ自分の未熟さに気を落とすヨウを、クウが励ます。
「いいのよ、ヨウ。こっちにおいで」
冥界の使者は二人寄り添って昏い中を歩いて行った。
修業の地とした場所に到着していざ剣を抜こうとはやるエランドに、ゾルダートは向き直った。
「小僧、聞くべきか迷ったんだが聞こう。左腕はどうした」
率直に問われた言葉に、迷う様子もなくエランドも率直に答えた。
「サタンとかいうくっそでけぇ怪物に喰われたよ」
「なるほどなァ、動きづらくねぇのか?」
その答え方に、ゾルダートは一つ頷いてさらに質問を重ねると、エランドはわずかに俯いて乾いた笑いを漏らす。
「慣れたっちゃ慣れたさ、まぁ最初は違和感ばっかだったけどな」
エランドの答えにゾルダートは考え込むように息をつく。そして、一つの問いを吐き出した。
「欲しいか?左腕が」
その問いに、エランドは目を丸くして顔を上げ、すぐに目をそらした。
「はっ、欲しいってなんだよ。喰われたもんは還ってこねぇだろ」
「手段はあるにはある、なぁオイ?」
ゾルダートは何もない自分の背後に呼びかける。その声に応えて煙のような闇の塊が現れ、徐々に形を成していく。
「私に何か用か、主よ」
エランドの記憶にその声はないが、独特の雰囲気、魔波には覚えがあった。できれば思い出したくない、そんな記憶。突然目の前に現れたその存
在に、思わずエランドは指をさして動揺する。
「あっ…おま、お前に喰われたんだよ!」
激しく動揺するエランドに、サタンは涼しい顔でどうでもよさげに言う。
「それは貴様の時間軸の私であって、私はお前の知るサタンではない」
「サタン、お前の力でこいつの左腕をどうにかしてやれねぇのか?」
確認というよりむしろ、できることに疑いを持たない確信の命令。その言葉に使い魔は迷いなく頷いた。
「できないこともない、が。無償では行えない」
その言葉にエランドはわずかに身を引いた。
「な、なんだよ無償じゃ無理って」
恐れをわずかににじませるエランドに、サタンは選択肢を突きつけた。
「そうだな、左腕が欲しければ代わりに貴様の片目をよこせ」
腕を得る為に目を差し出す。その選択肢にエランドは絶句した。
「しっ、視力…!?見えなくなるのか…?」
「そういうことだ、別に嫌であれば無理に取引することは無い」
冷ややかに言うサタンとともにゾルダートはエランドに選択の余地を改めて与えた。
「何も俺はお前に目を失ってまで左腕を取り戻すことを勧めているわけじゃねェ、単純にお前はそれでも戦い抜けるのか。質問はそこだ」
ゾルダートの問いに、エランドは目をそらした。誰にも言えなかった、言わなかった本音がエランドの口から漏れた。
「………やりにきィよ、腕がないってのは…剣は重たいさ、左を攻められたら反応が鈍くなる」
それでも生きてこれたのは、片手でも戦える実力があるからではない、単純に命を懸けるほどの戦いが無かっただけだ。そのことはエランド自身
分かっている。
「どうすンだ?」
決断を促すゾルダートにエランドは強い瞳を向けた。
「……………くれよ、腕を」
「いいんだな?一度取引したら二度と戻せないぞ」
覚悟を問うサタン。
「そりゃ、目が見えなくなるのは辛い。片目が見えても…だ」
しかしそんなことも飲み込んだ上の決断がその問いで揺らぐわけもない。その想いにサタンは重々しく頷いた。
「では、まず貴様の目を貰おう」
「……俺は向こうで待ってらァ、終わったら声かけろ」
片手を上げて背を向けるゾルダートのそれが一つの気遣いであると察せないほど、エランドも野暮ではない。
「あぁ」
ゾルダートの方を見ることなく、エランドはサタンを見据える。そのエランドの左目に闇がにじり寄る。それに恐怖を感じないわけではない。そ
れでもしっかりと目を開けてエランドはサタンを見つめ続ける。
その左目を侵食していくように闇が染め上げていく。凄まじい痛みがエランドの左目に突き刺さり、苛み、血の涙を流させた。
「………!う``っ……あ``あ``ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぅんぐあ``ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
完全にエランドの左目が漆黒に染め上がり、痛みが刺さる痛みから疼くような痛みに変わる。
「よく耐えたな、大抵の人間は取引してもここで気が違うんだが」
感心したように呟くサタンに、エランドは痛みに耐えながらも減らず口をたたいた。
「鍛え方が……ちげぇって話…だよ……ぅぐぅぁっ……」
痛みに呻きながらも自信ありげに口角を上げるエランドに、サタンは呆れたように嗤う。
「痛みは抑えてやろう、止血もな」
サタンの魔力がエランドの左目に染み込むように消えていくと、痛みが嘘のように引いていき、血の涙も止まる。
「痛く…ねぇ…………!」
その反応を確認してサタンは新たな魔力をエランドに向けた。
「それでは、腕をやろう」
新たに向けられた魔力はエランドの左肩から先に渦巻き、手の形を形成していく。それをエランドは信じられないように呆然と見つめる。
「こ、これは……」
「それが貴様の左腕だ。何度でも生え、何度でも貴様に魔力を与えるだろう。それではな」
黒い腕となった魔力の闇を見届けて、サタンは現れた時と同じように溶けるように消えた。
新たな手の感触を確かめるエランドのもとに、ゾルダートが近づく。
「……終わったみたいじゃねぇか……すげぇな、なんだその真っ黒で化け物みてぇな腕は」
すぐに目につくエランドの腕にゾルダートの目が釘付けになる。その反応にエランドは苦笑した。
「悪魔の左腕らしい。見た目は化け物だが……俺は正常だ」
その苦笑に、今度はゾルダートはエランドの左目に目を止めた。
「左目を取引したんだな、そのまんまじゃ見た目も悪ィだろ。これをやる」
ゾルダートは懐から何かを取り出し、それをエランドに押し付けた。
「これは…?」
押し付けられた物を胡乱気に見るエランドにゾルダートはどこか得意げな顔でそれを説明する。
「眼帯だ、特別の上物だぜ?どこかに置いても忘れても壊されても必ず使用者の眼へ戻って来る。んでもって、こいつをつけてると魔波をより敏感
に感じることができる」
説明されるその眼帯の特徴にエランドはポカンとする。
「貰っていいのかよ…?それに、どうしてあんたが持ってるんだ?」
それほど特別な眼帯を、両目とも健在しているゾルダートがなぜ持っているのか、それが引っかかる。
「なに、大したことはねぇ。この世界の俺は片目が無かったって話だ、死んじまったことで行き場を失ってたみたいだが、俺がここにきて俺の手元
に来たんだ」
ゾルダートの説明に納得して、エランドはその眼帯をつけた。
「そうかよ、ここの世界のあんたに感謝しねぇとな」
「お兄さん、随分と気合入ってるみたいね」
別れ際の様子を思い出し、アイフィスは頼もしいと微笑んだ。だが、ヴェリスの表情は暗い。
「………はい……」
突然いなくなってしまった両親がヴェリスの心を占める。
「お父さんとお母さん?」
「………」
それを見透かしたようにアイフィスはヴェリスに寄り添って声をかけるが、ヴェリスは頷くこともできないほど気落ちしていた。その様子にアイ
フィスはそっと息をついた。
「確かに、残念だったと思う。だけど、ここで落ち込んだままだったら、あなたのお父さんもお母さんも良く思わないんじゃないかしら?」
アイフィスの諭す声に、ヴェリスは頷いて声を絞り出す。
「そう……ですよね………がんばって……みます…」
もうアイフィスはかける言葉を持ち合わせない。あとはヴェリス自身の問題であるからだ。
「ヴァルキリー」
自らの隣を顧みて、アイフィスはその名を呼ぶ。それに応えて光とともに甲冑を身にまとった女性が現れる。
「いかがされました?」
そう問いかけるヴァルキリーと呼ばれた女性にアイフィスはさらりと答えた。
「ヴェリスちゃんにはあなたの魔術の結界を覚えてもらおうかなって」
さらりと言われた言葉にヴァルキリーは驚いたように目を瞬かせた。
「し、しかし…結界はかなり高難度の術ですよ…?2ヶ月で会得できるとは……」
落ち込んでいる間に当事者なのに置いてけぼりにされたヴェリスがキョトンと首を傾げる。そのヴェリスにアイフィスは頷きを返した。
「結界……?」
「そう、結界よ。強力なものであればあの子たちの攻撃だってそう簡単には通らないはず」
確信に限りなく近い予測をアイフィスは話す。しかしそれにヴァルキリーが異を唱えた。
「……だとしても、ヴェリス様が結界術を覚えたからといってあの子たちと闘う戦力になるわけでは……、守りばかりに徹していても勝つことはで
きません」
ヴァルキリーの的を射た指摘。しかし、アイフィスはその否定を軽く流した。
「何のための双子だと思うの?ヴァルキリー」
ヴァルキリーが見落としていたもう一つの可能性、双子の片割れの事を指摘すると、ヴァルキリーは一転して納得したように頷く。
「……!なるほど、そういうことでしたか……」
「あの……どういうことですか?」
またも置いてけぼりを食らってキョトンとするヴェリスに、アイフィスは正面から向き合った。
「この時間軸の私は、あなたたちの連携攻撃にやられたみたいだけど……あの子たちも二人なの、2人が攻撃に徹して勝てるとは限らない」
ヴェリスはハッとして呟く。
「だから私が……」
「お兄様のアシストをするのです」
ヴェリスの言葉をヴァルキリーが引き継ぐ。顔を上げたヴェリスに、アイフィスは厳しくも暖かい瞳でヴェリスを見つめる。その瞳は、師である
シーナを思わせた。
「言っておくけど、生半可な覚悟じゃ会得できないわよ」
正直、ヴェリスは戦士としての意識すら喪失しかけていた。
あの時戦おうとすることすらできなかった自分を戦士と認められない、その自責もある。だが、一番の原因は双子の兄と自分を戦士として比較し
てしまったためあった。
やるべきことが定まり、エランドは前を向いている。それを薄情だとは思わない。むしろ、エランドの心持ちの方が戦士としてふさわしいとヴェ
リスは思う。
しかし、自分はそうはなれない。父と母の姿が脳裏に焼き付いて離れない。双子の片割れのように前を向くことができない、そんな想いにとらわ
れていた。
それでも、エランドとは違う戦い方ができる。その力で、エランドとは違う形で誰かを、何かを護ることができる。
指摘された新たな可能性は、ヴェリスをエランドの双子の戦士ではなく、個人の戦士として成長させる。その可能性が、死にかけていたヴェリス
という戦士をよみがえらせた。
「はい!もちろんです!頑張ります!」
決意を秘めた輝く瞳で、ヴェリスはアイフィスとヴァルキリーに向き合った。
ひたすらに暗い中で、ヨウは1人で考えていた。答えが出ずに、姉に目を向ける。
『ねぇ、姉さん』
『なに?ヨウ』
打てば響くように返って来る返事に、ヨウは呟くように自分の疑念を吐き出した。
『人間って本当に悪い奴なのかな?』
自分たちの行動すべてを根本から覆しかねないその問いを吐いた弟に、クウは冷徹な視線を向ける。
『何を言い出すの?裏切るつもり?』
冷え冷えとした声に慌ててヨウは首を振る。
『そんなじゃないけど……。なんか、あんまり悪い奴に見えないんだ』
このときまでに戦ってきた人間たち。彼らが、自分たちが教えられてきた悪人には見えなかった。だからこそヨウは揺らぐ。
『ヨウ、落ち着きなさい。私達冥界の人間は天界や魔界、そして人間界に住まう事が出来ないのよ…?あんなやつら、死んじゃって当然じゃない』
微塵も疑わないクウの揺らがない自信に、ヨウの疑問は塗り潰される。
『………そう……だよね……うん、ごめん。変なこと言って』
真剣が交わる音が昼夜問わず断続的に鳴り続く。だが、修業を取り仕切っていたゾルダートがやる気をなくしたように剣を下げた。
「全然なっちゃいねぇ、なんだ、その甘い太刀筋は」
その言葉にエランドはいきり立つ。
「何!?これのどこが甘いんだよ…!」
「左腕が戻ったからってなんか勘違いしてねぇか小僧」
いきり立ってゾルダートを睨み付けていたエランドが胡乱気な顔になる。エランドにはゾルダートの言う勘違いに心当たりがなかった。
「あぁ…?」
勢いを無くしたエランドに、ゾルダートは諭すような口調で話す。
「今のお前が弱いことに変わりはねぇ。全てが甘いんだ」
「俺は…!ちゃんと父さんの稽古を受けてきた……甘いはずはねぇ」
自分に言い聞かせるようにも聞こえるその言葉を、ゾルダートは軽く一蹴する。
「いいや?ヴェランドはそんな甘く鍛えたはずはねェ。普通ならもっとお前の強さは光ってたはずだ」
さも当然とばかりに突き放すゾルダートの言葉に、エランドは我慢できなくなったようにあからさまに気に喰わないといった風を出す。
「さっきから知ったような口で言いやがって…!何様だ…」
喧嘩上等と言わんばかりに睨んでくるエランドに、ゾルダートも不愉快そうに眼を細めた。
「あ?やンのか?その気なら俺は容赦なく殺すぞ?」
「アンタが何でもかんでも正しいみたいに、アンタが最強みたいな口ぶりがいらいら来るんだよ……」
エランドの言葉を、ゾルダートは面白くもなさそうに鼻で笑い飛ばして、戦意と不愉快そうな顔を引っ込める。
「小僧、良いことを教えてやろう」
雰囲気の変わったゾルダートに、エランドはわずかばかり戸惑いつつも続く言葉に耳を傾ける。
「なんだってんだよ……!?」
「本当の強者は己の非力さを認めた人間の事を言うんだ。己の非力さに気付かず、今に満足している者は強者じゃねぇ」
ゾルダート本人も自覚していないほど、わずかに遠い目で紡がれた言葉。エランドはその言葉の意味を図りかねてうつむき、呟いた。
「言ってる意味が……わかんねぇよ……」
エランドの強さの概念を覆したゾルダートに弱弱しい語気でエランドが首を振る。
「弱さを認めろ」
そのエランドに、畳みかけるようにゾルダートは言い聞かせる。
「弱さを認めて……勝てるはずが……」
それでもなお持論を貫こうとするエランドにゾルダートは混り気のないため息をついた。
「もう一度だけ言う、弱さを認めずして強くはなれない」
一方のアイフィスとヴァルキリーは高難度術の結界を早くも形にしつつあるヴェリスに素直に感嘆していた。
「覚えが早いわね、本当。センスの塊」
「凄まじいですね……私もここまでとは思いませんでした」
凄いを通り越して呆れすら覚える境地である。そんな二人を尻目にヴェリスは荒くなった息を整えながら汗を拭う。
「はぁっ…はぁっ…はぁっ……」
「さすが……最強の母を持つだけあるわ」
思わず口走るアイフィスに、ヴェリスはわずかに苦笑する。
「きっと、誰もケガをしないように、強くなるんだって…いつも願ってたんです。私が強くなって、みんなを護りたいんだって」
表情も口調も柔らかいが、目だけは確固とした光をたたえている。その光に、戦いの女神は微笑んだ。
「素晴らしいと思います、アイフィス様の見込んだ通りの方でしたね、ふふっ」
「そうね。これからが楽しみといったところかしら…?」
期待を込めて自分を見つめる二人に、ヴェリスはしっかりと頷く。
「きっと、マスターしてみせます……!」
その力強い言葉と表情に、2人の師は笑みを深めた。
修業期間二カ月の四分の三よりわずかに少ないくらいの日数を消費したある夜更け。個別の修業としてそれぞれに分かれていた場所で二組の師が
顔を突き合わせていた。
「どう?ゾルダート、エランド君は」
こっちは上々よ、と言わんばかりに得意げな顔でアイフィスはゾルダートに問うと、彼は肩をすくめた。
「さぁな、わかんねェ」
突き放したような物言いにアイフィスは頭が痛くなる。
「わからないって……あなたが鍛えないと…誰も鍛えられないのよ?」
「あいつは気付いてねぇンだ。自分の器と非力さに」
感情を悟らせないゾルダートの声音に、アイフィスはさらに言い募る。
「器…?それなら教えてあげればいいじゃない…?」
分からないことを教えるためにここにいるのではなかったのかと視線で責めるアイフィスに、ゾルダートは鼻を鳴らす。
「分かってねェな。自分の器にすら気付けねぇ奴が、強くなれるわけねぇだろロ?」
エランド自身に投げているように聞こえて、アイフィスは頭を抱えた。
「ヴェリスちゃんはさくさくと結界術を覚えてるのに……あと二週間しかないのよ…?あなたってばずっとここで寝てばっかりじゃない…」
完全にジト目で睨むアイフィスに、ゾルダートは軽い調子で返す。
「あいつには言っておいたサ」
「何をよ…?」
そのあとに続いた、この問題に関してのゾルダートの師としての言葉が明確な解決を導く言葉ではないことに、アイフィスは完全に頭を抱えて撃
沈した。
ゾルダートに与えられた言葉に、エランドは一人頭を悩ませていた。
「なんだよ……器を知れって……」
そのエランドを、闇の中に控えていたサタンが口を開く。
「主の言葉には必ず意味がある、よく考えるんだ」
分からないなりに必死に考えてなお出ない答えに、エランドはひどく悔しそうに吐き出した。
「意味が分かんねぇよ……なんだよ、器って」
「そこを知るんだろう貴様は力を得て何がしたい?」
サタンのその問いにはエランドは迷うことなく答える。
「そりゃあ…………あの子供たちをぶっ倒してやりたいさ」
「それでいいとは思わんのか?」
エランドの答えにサタンはさらに問う。その意味が分からずにエランドはサタンにいぶかし気な視線を向けた。
「何がだよ…?」
「貴様はいつもいつも戦えない理由ばかりを考えて自分の非力さを知ろうとしない。親が殺された時も武器が無いなどと吠えていた」
一つの抵抗もできずに親を殺され、自分たちも死にかけた。でも戦おうとしなかったわけではない、エランドは勢いに任せて怒鳴るように吐き捨
てた。
「武器がねぇのにどうしろってんだよ…!?」
しかし、サタンは微塵も動揺することなくエランドの視線も言葉も受け止め、そして静かに叱責する。
「それが甘えだというんだ、戦えない理由を探すな。戦う理由を探せ」
その答えに限りなく近い言葉いにはっとして固まるエランドを放って、サタンは再び闇に還った。
自分の中に答えを得た翌日の朝早く、エランドはゾルダートに向かい合っていた。
「………何しに来た?小僧」
修業を見る気のないゾルダートは興味もなさそうにエランドを見やり、雰囲気の違うエランドに気付く。その視線もまっすぐに受け止めてエラン
ドは口を開いた。
「……俺は、剣が無くても…戦う。言い訳はしない、どんな時でも戦う理由を探す。絶対だ」
自分の修業を引き受けてもらうためにエランドは言葉を絞り出す。
「要約しろ、何が言いてェんだ?」
「俺は自分の弱さに勝つために…戦う。だから、教えてくれ…いや、教えてください。闘い方を自分と、敵と……」
ゾルダートに、自分の出した答えを告げ、真正面から頭を下げる。その答えに納得したようにゾルダートはいつもの皮肉気な笑みを浮かべた。
「フン、あと二週間もねぇぞ小僧。さっさと剣を出せ」
エランドは受け入れてもらえた安堵を隠そうとして隠せない顔のまま頭を上げた。
「あぁ……」
そして支持の通りに剣を出す。
「これでいいか?」
何をするのか察して出した剣を掲げたエランドに、ゾルダートは分かってんじゃねェかと言わんばかりの顔で自分の剣を掲げる。
「俺の修業を受ける以上死ぬ気以上に、いや。死んでも死ぬなよ。死んだらぶっ殺すかンな?修業に耐え抜け、いいな?」
「はっ、どっちだよ……剣の誓いを…!」
めちゃくちゃなゾルダートの言葉に苦笑を浮かべつつ、エランドは誓う。修業に耐え抜くこと、あの双子に勝つこと、そして何より、自分に克つ
ことを。
「ここに………」
その決意と覚悟をゾルダートが見届け、認めることで、戦士の誓いは、今ここに成った。
そして期限の二カ月が経ち、再び別れた場所で二組の戦士が再会した。
「久しぶり、エランド……って…どうしたの…!?その左腕…」
正面に立ったヴェリスが再会を喜んで早速声をかけるも、すぐに兄の異形と化した左腕に気付いて心配そうな表情で問いかけるも、あいにくとそ
の妹の姿は今、エランドの視界の外にあった。
「悪い、ヴェリス…もう少し右に立ってくれ…あぁ、サタンと取引してな……」
申し訳なさそうに言うエランドの要望通りにヴェリスはすでに泣きそうな顔になりながら動く。その姿を確認してエランドは簡単にそう説明した。
「もしかして……左目……見えないって事……その眼帯……」
取引という言葉とエランドがしている見慣れない眼帯からヴェリスはそう判断し、涙をためながら確認する。それをエランドは否定しなかった。
「泣くな、大丈夫だ。こんな左腕だけど、俺は正常だ」
安心させるように優しく言っていつものように笑うエランドに、ヴェリスは涙を拭いながら頷いた。
「うん………ごめん……」
二人が落ち着いたと判断した上で頃合いを見て、アイフィスが口を開く。
「そろそろ時間ね、行くわよ。D267年の7月11日に」
「お前ら、酔うかもしれねぇぞ。吐くなら今のうち吐いとけ」
とても助言にはなりそうにない助言に苦笑いと呆れたため息しか出てこない。
「吐いとけってねぇ………」
とりあえず、アイフィスは気を取り直して時空魔術を発動させた。
空間が歪み、その歪みが戦士四人を飲み込んで、そしてその場所に静寂が戻る。そこに彼らがいたという痕跡はすでになかった。
自分の目に映った景色がようやくはっきりと形を持った時、周りの景色は一変していた。
夜闇の中に、己の存在を誇示するように真紅の光が辺りを無差別に照らし、悲鳴と怒号が飛び交い、それを嘲笑う声が響いてくる。
エランド達が現れたのは、その凶乱から少し外れ、炎の光がかろうじて届いていない木立の中だった。そこから、小さな少女と思わしき人影に近
づいていく男の影が見える。その男が周りを警戒しながら苦々しく呟いたのが風に乗ってかすかに聞こえた。
「ゾルダートの奴…!好き勝手をしてくれるな………!」
男がふと足を止める。少女の存在に気付いたためのようだ。男が近づくと、泣いていたらしい少女が顔を上げた。
「!?君!こんなところで何をしているんだ!」
その声に、少女はびくりと体を震わせる。
エランドとヴェリスは、その男の声にはっきりと覚えがあった。
「あれが昔の父さん……」
双子が父親の姿に見入る中、ゾルダートは周りの惨状を把握して他人事のように呟く。その声はどこか面白がっているにも聞こえた。
「おっと……ここの時代の俺は随分とひどく暴れたるみたいだなァ?」
口の端に浮かんだ笑みを見逃さず、アイフィスは呆れたように混ぜ返した。
「人のこと言えないじゃない、あんたも」
ゾルダートとアイフィスが周りを確認している間にも、男と少女―ヴェランドとシーナ―の邂逅は運命に定められたとおりに進んでいく。
「ふ……ん、ぐすっ……うん……おじさん、だれ?」
泣いている少女に、ヴェリスは思わず呟く。
「あれが小さい頃のお母さん……?か、かわいい……」
その瞬間、エランド達から少しばかり離れた木立の中の空間が引き裂かれ、あの二人の襲撃者が姿を現す。
「読まれてたみたいだね、姉さん」
「へぇ……意外とやるみたいね」
四人の姿を見止め、襲撃者の双子は少しばかり感心したように肩をすくめ合った。
その姿を最初に見つけたゾルダートが他の三人に警戒を促す。
「いたぞ、ガキ共だ……」
瞬時に身構える四人の戦士をまるで無視して、二人はヴェランドとシーナに目を向けた。
「あの男と子供を殺せば……あいつらは生まれなくなるんだよね…!」
「そうよ…、さっさと消しちゃいなさい!」
姉の指示に従って、弟が魔力の塊を作り上げる。
「よし………消えてなくなってしまえ…はぁっ!」
ヴェランドとシーナに打ち出された魔力の塊は音もなく二人に迫る。
「ヴェリスちゃん!」
アイフィスのその声に、ヴェリスはハッと我を取り戻し、一瞬で自分の魔力を引き上げる。
「…!はぁっ!させない……お父さんとお母さんは私が護る…!」
キンッと常人には聞こえない澄んだ音を立てて、透明な膜が二人のいる辺りを覆った。
「リス、結界を使えるようになったんだなァ?やるじゃねぇか」
ゾルダートの珍しいくらいの純粋な称賛に、ヴェリスも笑みを浮かべる。
「えへへっ………がんばりました…!」
その瞬間に、ヴェリスの張った結界に魔力の塊が着弾し、その衝撃が術者であるヴェリスに伝わる。
「ぐっ……よし!」
衝撃は一瞬で、それに耐えきって輝きながら健在する結界に、ヴェリスは満足げな表情を浮かべた。
「防がれた!?僕の攻撃が……!?くそっ、バカな!」
「ただの偶然よ…!次は私がやる……はぁっ!」
防がれることを微塵も考えていなかった二人は動揺し、姉の方が再び魔力の塊を作り出す。それは弟が作り出した物より大きく、中に渦巻く魔力
の密度も高い。明らかに先ほどの攻撃とは一線を隔する破壊力を持っていることがうかがえた。
ヴェリスもそのまま待つことはしない。相手の攻撃の強さを測り、結界に魔力を流し込んで強度をさらに上げる。
「そう簡単に……やられないんだから……!」
結果として、結界はヴェランドとシーナを護りきった。
「すげぇ……ヴェリス……」
その圧倒的強度を誇る結界は結界術に明るくないエランドにもその難易度を知らしめる。だが。
「でも……ほかの魔人たちが…!あいつらの攻撃に巻き込まれてる…!」
強大な攻撃とそれを受けきる結界のぶつかり合いの衝撃波と、砕けた魔力の塊の欠片のせいで、逃げまどっていた多くの魔人たちが倒れていく。
そのことに動揺して飛び出さんとするエランドを、ゾルダートが止めた。
「こんな言い方もなんだが………ほかの魔人たちが巻き込まれて死ぬのは歴史通りだ……皮肉だなァ」
魔王軍の引き落とした騒ぎが自分たちの動きの隠れ蓑になっている。彼らを助けに行けば、彼らが助かってしまえば歴史が変わってしまう。そう
諭されて、エランドは歯噛みしながらも見合うべき戦いに集中しなおした。
この喧騒の中で、幸運にも生き残っていたヴェランドとシーナは歴史通りに運命を紡いでいく。
「人聞きが悪い、私は魔王軍ではない。むしろ、民の救出に来たんだ、君。友達や他の人は?」
結界に阻まれ、二人の襲撃者からの攻撃とも魔王軍の破壊行動とも隔絶された二人を見て、ゾルダートは納得したように一人頷いた。
「なるほどな、スッキリしたぜ。この時代のシーナが今無事だった理由は何も魔龍族だったからじゃねぇ。俺たちがここに来るというのがそもそも
もう決まってたって事だ」
その言葉を理解しようとする頭を切り替えて、エランドは姉弟の動向を注視し続ける。
「ややこしい話は抜きにしようぜ…?あいつら……逃げるぞ…!」
「逃がすんじゃねぇ…!行って来い!」
ゾルダートの指示に背中を押され、エランドとヴェリスが踏み出す。
「行こう……!エランド!」
駆け出した双子の後ろで、アイフィスが襲撃者の意図を察する。
「あの子たちまさか……時空間に逃げ込むつもり…!?」
その言葉にさしものゾルダートも顔色を変える。
「あぁ?本気で言ってんのかァ!?おい!まてお前ら…!」
叫ばれた制止の声が届く前に、二組の双子は黒い亀裂に飲み込まれた。
足場も確立されない不安定な世界で、エランドとヴェリスは唯一確信をもって存在を信じることができる片割れを頼りに、姉弟に立ち向かう。
『時空間まで追ってきたよ、あいつら』
妙に反響する声が呆れたように音になる。
『しぶっといわね……ここで放浪させたら…二度と何処の時代にも戻れなくなる、ここで倒しましょう』
『そうだね、姉さん』
頷き合う双子の襲撃者に、改めて双子の戦士は刃を向ける。
「時空間に入って出てこれなかったら……二度と何処の時代にも帰れなくなってしまう……」
「なんとか……できねぇ……」
亀裂の外で歯噛みするアイフィスとゾルダートの声だけが変にくぐもって聞こえる。
帰れなくなる、その可能性を懸念する前にエランドが吠える。
『もう、逃がさねぇぞお前ら…!』
『しつこいのよ!私たちの邪魔をしないで…!はぁっ!』
闘志をむき出すエランドに、少女が激昂し魔力の塊を射出する。
『させない!エランドは私が護る!』
ヴェリスの言葉に導かれるように魔力がエランドを護る壁となり、その破壊の塊を相殺して消える。
その壁に護られて、エランドはヴェリスに目配せして頷く。護りの力、エランドの強さとは違う強さを得たヴェリスも頷き返した。
『そうだ。今ならわかる、強さだけがすべてじゃない…』
『あんまりごちゃごちゃ言うな!僕たちの楽園の為なのに!死ね!』
荒れ狂う魔力が術者の感情のままに形もなく叩きつけられる。しかし、その攻撃の体もなさない衝撃もヴェリスの守護によりエランドには届かな
い。
『楽園?子供なのにえらく大それたもの夢見てんだな…?でぇやぁっ!』
ヴェリスの護りを信じ切ってエランドは斬り込むことに集中し、少女のいる空間を一閃する。
『ぐっ……!邪魔を……するなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
その鋭い一閃を受け止め、少女は呻き、弟の比にならない感情を爆発させる。冥界の民が他の世界に受け入れられない哀しみ、憤り。自分の思い
通りにいかない鬱憤。命じられた仕事を、託された理想を果たせない悔しさ。
『あなたたちがやっていることは悪いことなのよ!どうして人を殺すの!?』
様々な負の感情をない交ぜにした衝撃波も、ヴェリスの結界に阻まれる。通らない攻撃とヴェリスの言い分に苛立った少年は少年は躍起になって
叫んだ。
『悪い事なんて、お前たちから見たらの話だろ!僕たちから見たらお前たちが悪なんだ!ただの1つの観点でしか見れないお前たちなんて消えてし
まえばいいんだ!』
ただただ荒れ狂うだけの魔力。それを自分の魔力で受け止めてエランドは静かに双子の襲撃者を見つめる。
『間違っちゃいないさ、だけどな。誰かが犠牲になって得た幸せなんてな、幸せじゃねぇんだ…!はっ!』
エランドの銀の一閃が衝撃波をも切り裂き、少年に一太刀を浴びせる。
『う``あ``ぁぁっ!くそっ……綺麗ごとばかり言いやがって…』
エランド達が初めて与えることができた一撃。深い、勝負が決まるような決定打ではない。それでも浅くはない、手応えを感じさせる一撃。
弟が一撃を受けたことに姉が戦いの結末を察し、意を決して指示を飛ばす。
『ヨウ!こうなったら…!』
『そうだね…!』
姉の決死の表情で弟は全てを察する。姉の出した決断と覚悟を。姉弟はそれぞれにその場から跳び、並ぶように着地した。その場を起点に魔力が
これまでのものと質も量も明らかに違う形をもって膨れ上がる。
『なっ、なに!?』
あからさまに動揺するヴェリスに、双子の襲撃者は狂気を帯びた覚悟をたたえて双子の戦士を見据える。
『私たちが勝てないなら引き分けにする…!この時空間ごと消し飛ばす……!貴方達もこれで終わり……』
『そんなことしたらお前たちまで死んじまうぞ…!』
襲撃者の言葉にエランドも動揺を隠せずに制止の声を上げる。その間にも姉弟の魔力は膨れ上がり、内側から空間そのものを圧迫する。
『結界が……もたないっ!?』
空間をも圧迫する膨大な魔力に、とうとうヴェリスの結界がきしみ始める。
『もう何をしても無駄だよ、お前たちは僕たちと一緒に死ぬんだ』
『残念だったわね、現世を手に入れることができなかったけど、あなたたちを倒せたらまた次の使いがきっと……』
エランドとヴェリスを護っていた結界が限界を迎え、亀裂が入った。結界に亀裂が入ったというより、結界が張ってある空間に亀裂が入ったのだ
ろう、その亀裂の隙間から光が漏れている。
『……ケッ……ヴェリス…、悪いな…お前は戻れ!』
その中に現世に残っていたゾルダートとアイフィスの姿を認めた瞬間、エランドは考える前に動いた。ヴェリスの体を突き飛ばし、亀裂の向こう、
現世の師たちに妹を託す。
『えっ!?エランド!?エランド!!!』
意識の外にあった位置からの衝撃にヴェリスは対応できるわけもなく、信じられないような目で双子の兄を見る。エランドの元に戻ろうと伸ばす
手も虚しく、ヴェリスの視界は闇から光に塗り替えられた。
「リスだけ時空間から出てきやがった!?」
「きっと、エランド君が無理やり逃がしたのね……!?」
間近に聞こえたアイフィスとゾルダートの声に事態を把握しきれないヴェリスの意識は現実に引き戻される。
「どうして!ねぇエランド!エランドぉぉぉぉぉ!」
亀裂の向こうにいる自分の分身に必死に手を伸ばした。
今すぐにエランドの隣に戻りたい、そのために今の力を手に入れたのになぜ一緒に最後まで戦わせてくれないのか、思考と感情がぐるぐると渦巻
き、ヴェリスは激しく取り乱し泣き叫ぶ。その体をゾルダートとアイフィスが押さえつけ、エランドに託された意志を護る。
それを見届け、エランドは独りで双子に向かい合った。
『賢明な判断だよ、と言っても、1人死ぬ人間が減っただけだけどね』
『一番厄介なのはあなただもの、さようなら』
エランドは、それからもう振り向くことなく微笑んだ。
『幸せにな、ヴェリス』
亀裂からかろうじて見えていた漆黒の空間と兄の姿が、その言葉を最期に真っ白い闇に飲まれて見えなくなる。
「うそ………え?エランド………?ねぇ……エランド!」
目の前の現実を直視できなくて呆然とヴェリスはうわごとのように呟く。
「やめとけリス。エラはもう消えちまった…」
自分でも信じたくない現実だが、ゾルダートはそれをあえて突きつける。それをしっかりと認識させないと、ヴェリスは取り返しがつかないほど
に壊れてしまう、そう二人の師は感じていた。
「エランド……ぐすっ…えらん…ど…うわぁぁぁぁぁぁぁぁん」
白い闇に飲まれて他の色全てがかき消されたまま存在し続ける亀裂に、ヴェリスは二人の師に押さえつけられながらも手を伸ばし続ける。
「ダメ!追ってはあなたも死んでしまう…!」
必死にエランドの元へ行こうとするヴェリスにアイフィスもまた必死に制止の声をかける。声こそないが、ゾルダートもヴェリスを決して放そう
とはしない。そんな、自分を成長させた信頼する二人にすがるようにヴェリスは二人を涙に濡れた目で振り向く。
「ゾルダートさん!アイフィスさん!エランドを…エランドを助けてよ…!お願いします!ねぇ!お願いします……ぐすっ…ひぐっ…」
ヴェリスにだって分かっている。叶わぬ願いだと。すでに現世からはどうしようもないところまで事態は進んでしまっているのだと。それでも、
そう言わずには、願わずにはいられなかった。ゾルダートとアイフィスもそれが分かった上でどうしようもない自分たちの無力さを噛みしめること
しかできない。
「……無理なもんは……無理だ………エラの犠牲を無駄にすんじゃねェ」
ようやく絞り出されたゾルダートの言葉が絶望によどむ空気を重くする。
「主、一つだけ思うところがある」
サタンとヴァルキリーがそれぞれの主のもとへ自分の意志で顕現する。そのサタンの言葉に、ゾルダートは気力のない緩慢な動きで振り向いた。
「あ?」
「この三人の中に救える人間がいないのであれば…」
「4人目に託すのもありでしょう、という話です」
そこに希望の風を導き込んだのは、二人の使い魔と守護神であった。
夜闇に紛れて一件の家を観察する人影。その家の中から眠気に耐えながらも元気に振る舞っているような少女の声とはっきりとした男性の声が聞
こえる。
「おやすみなさい、マスター!」
「あぁ、おやすみ、良い夢を……」
優しい声に、人影は男が一人になったと判断して歩を進めた。別に隠そうとも思っていないその気配に男はすぐに気づいて、うっすらと警戒をに
じませながら問うた。
「……そこにいるのは、誰だ?」
暗がりから、人影は明かりの元に移動し、すがるように男を見る。家の様子をうかがっていたのは、再び時空魔術で時を超えたヴェリスであった。
サタンとヴァルキリーに示された希望に望みをかけて、ヴェリスはこの場に立っていた。
「………ヴェランドさん」
誰かという問いには応えることはできないヴェリスは、ただ男の名を呼んだ。思わずお父さんと言いたくなる口を押さえ、ただのヴェランドと。
「誰だ君は……それに…どうして私の名前を知っている…?」
突然現れた見知らぬ少女に名を呼ばれたヴェランドは重ねて問いかけるが、少女はやはり応えない。少女はただ、唯一の希望にすがるだけである。
「私の兄を…助けてください……!」
悲しみと苦しみと絶望と。それらが涙となっているのが、会ったばかりのヴェランドにも察せられた。ただ、涙はそれらを示すのに、少女の瞳だ
けは希望を写し続ける。未来に父親となる、ヴェランドという希望だけを。
希望を託されている、そのこと1つでいくつもの疑問を押さえてヴェランドの意志は決まる。
「どうやら……緊急事態のようだな。不思議な感じだ…、君は…誰なんだ……?どこかで会ったような…いや……すごく親しみを感じる…。まぁ、
良い。私は何をすればいいんだ?」
ヴェランドの瞳が鋭くなり、ヴェリスも気圧されるような雰囲気を醸す。それが、ヴェリスの知らない戦士としてのヴェランドの顔であった。
黒でも白でもない、色があるかどうかすら分からなくなった闇の中で、エランドと双子は今なお戦い続けていた。
『時空間にここまで滞在してまだ生きてるなんてね』
『まぁ死ぬもなにももう死んでるのと変わらないかもね』
生に執着することすらやめた双子は、ただ何の感慨もなく世間話でもするように互いに言葉を交わす。この場において闘う意志を持ち続けるのは
ただ一人。
『はっ……俺もお前らも時空間からはもう出られない…邪魔する奴もいねぇ…。決着つけようぜ…!』
戦う意志を向けられた双子は癇に障ったように苛立ちを表した。
『なんだよお前……うっとうしいんだよ!』
『私たちの夢を……!』
戦う意志が無いのにそれを強いられた苛立ちに触発されて邪魔をされた怒りが膨れ上がる。
緩慢だった双子の動きが加速し、いつかのエランドとヴェリスの動きを彷彿とさせる連携を見せる。魔力に任せた強引な戦い方を捨てた動き。
『っはっ、1人で2人の相手はさすがにきついか…?畜生ッ…』
力任せな攻撃が嘘のように、緻密な双子の動き。アイフィスがあの時ろくに手も出せずに敗北した理由が、今それを受ける立場になって初めてよ
く分かる。自分の相棒の姿を隣に浮かべ、エランドは苦しい状況でも不敵に笑って見せた。その時。
『いいや、2人で2人だ』
双子の意識の外からの一撃がエランドと双子を隔てる。聞き覚えのある声、ここにあるはずのない声に、エランドは思わず双子から目をそらして
一撃の主を見つめる。
『!?どうして…あんたがここに…!?』
『君とよく似た顔立ちの女の子がお兄さんを助けてほしいと私に言いに来てね。助けに来たんだ』
ヴェランドの説明に、相棒が現世でどう動いたのかを察し、不敵な笑みを深めた。
『ヴェリスも……粋なことすんじゃねぇか…!』
こんなどう転んでも助かる余地のない状況にも関わらず、憧れだった父親と、例え最期の一瞬だとしても共に戦える事にエランドの表情は輝く。
七王退魔人の隣に恥じない、誇りを宿した剣をエランドは強く握りしめた。
一方で双子は思ってもみなかった援軍に焦りを隠せない。
『お前は……!くそっ!』
『どこまでもどこまでも邪魔を……!』
跳ね上がった双子の殺気に、ヴェランドもエランドと同じ剣を抜いた。
『………!あの子たちを倒すんだろう、私の魔力をすべてやる。やれ、君が』
そっと刃の部分を重ねる。剣の誓いの剣同士の交わりとは違う形の重ね方と、全ての魔力という単語にエランドは動揺する。
『全てなんて…あんたの体もただじゃすまないぞ!?』
うろたえて制止するエランドに、ヴェランドは微笑む。
『私には娘がいる、まぁ血縁関係にはないがな。その子を一人前に育て上げるまで、私は死なない。何。街を護りに行ったとでも言い訳するさ』
柔和な雰囲気なのに、有無を言わせない。そんな力がヴェランドにはあった。
『あぁ……サンキューな……ヴェランドさん』
重ねた刃から、ヴェランドの魔力が流れ込んでくるのが分かる。エランド自身の魔力と似て非なるその魔力は、確かに二人に繋がりがあると証明
するようにエランドの中で強く脈打つ。
『ぐっ……がんばれ………くっ……不思議な子達だ…私の名前を知っているなんてな……』
エランドの魔力とヴェランドの魔力が溶けあい、脈動するたびにその力が膨れ上がっていく。
『姉さん、あいつの魔力がどんどん膨れ上がってるよ…!?』
『まずい……!?このままじゃ私たちまで…いや…次元に穴が開いてしまう!?』
魔力を明け渡して力を無くすヴェランドに感謝の視線を向け、そして双子に視線を戻す。
『……あとはゆっくり休んでくれ…!随分待たせちまったな、お前ら…!』
膨大な魔力の矛先が自分たちに定められ、姉弟が狼狽える。
『っ!?』
『冥界の為、なんてお前ら子供には重かったよな。そんなしがらみ無しに、またいつか会おうぜ。そん時はリベンジマッチだ』
勝利を確信し、エランドは落ち着いて双子に語りかける。
その態度と言葉に、双子は自分たちの勝利も、引き分けすらないのだと否応なく悟らされる。
『……そんな……僕たちが……!?』
『子供は子供らしく生きるのが一番なんだよ。冥界の為に人を殺すか自分たちが苦しい思いをするかなんてさ。存在する選択肢の中に必ずしも正し
い答えがあるわけじゃねぇんだ、自分で作り出せる。選択肢を!』
エランドが力強く言い放つと同時に、暖かな光のような魔力がエランドを中心に広がり、双子とヴェランドをも飲み込む。
『……ヨウ…!』
『姉さん…!』
互いにかばい合うように身を寄せ合う双子に、エランドはそっと呟いた。
『どっかで逢おうぜ、次は子供らしく……な!』
白い光景が遠ざかり、同時にエランドの意識も白く塗り潰されていく。そして、全てがその場から消え失せた。
徐々に閉じていく白い亀裂。なす術なくそれを祈るように見守るヴェリスたち3人。
「帰ってこない……うっ……ぐすっ…やっぱり…エランドは……」
最悪の、しかしもっとも考えられる可能性に、ヴェリスは再び泣きそうになる。
しかし、その可能性を確信を持った様子でゾルダートが否定する。
「いや…そんなことはねぇ。あいつは生きてるさ」
「……?どうしてそんなことが分かるんですか…?」
ヴェリスはその様子に思わず希望をもってゾルダートを見上げる。
「あいつにやった眼帯はな。使用者を失うと前の使用者に戻って来るようになってンだ。まだ、戻ってきてねェ」
その言葉が示す意味。それにアイフィスが気付いた。
「戻ってきてない…という事は……」
「どっかで生きてンだろ」
二人の会話は、ヴェリスが確かな希望を見出すには十分すぎる内容だった。
「………ほんとに……!?いつも心配ばかりかけてエランドのばか……!ぐすっ」
ヴェリスはさっきまでとは違う涙を浮かべ、安心したように笑みをこぼした。
シーナが初めて大精霊の宴という奇跡を目の当たりにし、その奇跡が終わる刻限を迎えようとしていたとき。
ヴェランドは、シーナに一つの体験を話しておこうという気になった。長らく誰にも言わなかった、あの不可思議な体験を。ただの気まぐれに近
いが、その体験のことを思い出すと、シーナには話しておきたくなったのだ。
「シーナが12歳の頃に私は不思議な体験をしてね」
唐突な話にシーナは戸惑ったようだが、ヴェランドの言葉に興味を持ったように先を促した。
「そうなんですか…?それは…どういう…?」
懐かしそうにヴェランドは当時を思い出しながら語る。
「急に見たことのない女性に兄を助けてほしい、と言われてね。そしてその兄を救いに私も駆け付けたんだ。不思議なことにその二人は私の名前を
知っていた」
「えっ!?それは不思議ですね……誰かは分からないのでしょうか…?」
驚いて首を傾げるシーナに、ヴェランドは自分で出していた答えを口にする。
「……多分、多分だが…。私の息子と娘だろう」
どこか優しい顔をして、その二人を思い出すヴェランド。シーナは寝耳に水な言葉に驚いていた。
「マスターに…お子様が…!?」
珍しいくらいに動揺を見せるシーナに、ヴェランドは頷く。
「あぁ、裏付ける理由もある」
「そっ…それは…?理由はあるのですか…?」
ヴェランドは、自分の手元にある剣を見つめ、大切そうに鞘をなでる。
「少年は私の剣を、少女はエリスの剣を持っていた」
「マスターの剣に…エリス様の…剣…!?」
ヴェランドが持つ剣と自分が携えている剣を交互に見つめるシーナ。そして、そのことが示すことに気付いてシーナがわずかに赤くなった。
「……私たちの子供で間違いないだろう……」
頷いて言うヴェランドに、シーナはポンッと音を立てて真っ赤になった。
「…マスター……あの…えっと…」
目がきょときょとと泳ぐシーナの優しい笑みを浮かべ、ヴェランドが立ち上がる。
「時間だ……シーナ。また、会おう…」
光に包まれていくヴェランドに、シーナは名残惜しそうに手を伸ばした。
「………マスター………!」
その手を優しく握り、ヴェランドは微笑む。
「君ならどんなことでも乗り越えられる、いつでも私は君を見守っている」
その言葉にシーナは嬉しそうに微笑み返して頷き、自分から手を引く。それを見届けて、ヴェランドは天へ還った。
平和な世界の平和な村の道端。その村に、旅人の男が一人立ち寄った。
「なんだよ、お姉ちゃん!ちょっとは手加減してよ!」
「へへーん!私の勝ちだもん」
おもちゃに近い擬剣を片手に握り、楽しそうに双子が遊んでいた。それに気づいた男はその二人に近づいて行った。
「おっ…君たち手合わせしてるのか」
突然声をかけた男に幼い双子は目を向けた。
「おじさん誰?それにどうして目に変な奴してるの?」
「まぁまぁ、気にするなって」
少女の問いに、男は鷹揚に笑う。応えてくれない男に少女がぷぅっと頬を膨らませた。
「君たちじゃないもん!シヨウとクウナだもん!」
むすっとしたまま名前を主張する少女―クウナ―に、男も分かった分かったと頷く。
「そっかそっか、悪かったな。今何してたんだ?」
男が問うと、少年―シヨウ―は楽しそうにキラキラとした顔で答える。
「冥界の戦士ごっこだよ!僕とクウナが戦って最強を決めてたんだけど……」
男は少し驚いたように目を見開くが、すぐに優しい笑みを浮かべた。しかし、反対にシヨウはしょんぼりと俯く。
「勝てないんだもん……」
悔しそうなシヨウに、どこか誇らしげにクウナが胸を張った。
「私が強いんだから!」
どこか諦めてるようなシヨウの肩に手を置いて、男は問いかけた。
「シヨウ、勝ちたくねぇのか?」
「勝ちたいけど……でも…」
はっきりしないシヨウに、男は耳打ちした。
「でも、なんて言うんじゃない。勝てるさ、自分の弱いところを知って、もっと強くなろうって思うんだ」
実感のこもった男の声にシヨウもいつの間にかしっかりと男を見つめる。
「何こそこそ話してるの!内緒話はだめだよ!」
そっちのけにされたクウナがぶーたれて口を尖らせる。
男は最後にシヨウに何かを耳打ちする。
「そうそう、言ってやれ!自分も気合入るぞ」
どこか懐かしそうに励まして背中を押す。シヨウは戸惑ったようにクウナと男を交互に見る。
「な…なんて言うんだっけ…?うんうん……分かった…!クウナ!」
急に声に力が入ったシヨウにクウナは仲間外れにされて拗ねた様子のまま返事をした。
「なに?シヨウ!」
「………フッ」
気合が入ったシヨウの様子に、男は微笑んで双子を見守る。
「えっと……ま…負けても知らねーぞ!」