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剣の誓い 小説  作者: 原作:C-na 著者:輝波斗
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3章 Siblings Episode

 白い光に埋め尽くされた死者の楽園、天界。そこに住まう、生前の師弟関係にあった男女が現世に目をやりながら言葉を交わす。

『そういえば、ゾルダート』

『なんスか、先生』

 かつて敵対した二人も今は並んでいられる。最初はぎこちない雰囲気をまとっていたゾルダートも、今ではあの頃のように何気なくエリスと向か

い合うことができる。

『悪魔との契約が切れるってどういうことなのか、興味あるわ』

 自分が持っていた天使との契約の力と対でありながらも禁忌とされた力。エリスが興味を持つのも頷ける。

『?変わった質問っスねぇ、まぁ興味あンなら話しますけド。シーナ=レグルスと最後に会った日の少しあとッス』

 どこか悔し気な表情で、ゾルダートは語り始めた。


「あら、ゾルダート。こんなところで会うなんて」

 知った顔、今となっては忌々しい顔でしかないその女、アイフィスをゾルダートは鼻で笑い飛ばした。

「…やりにくい奴だなァ?会うなんて、なんて白々しいねェ。ここのとこ三日三晩俺の首を斬りおとそうとずっと見てたじゃねぇか」

 ゾルダートの言葉にアイフィスは驚いた様子もなく、煽るように口元に笑みを乗せる。

「クスッ、あら。ばれてたのならどうしようもないわね」

「何が目的だ、もう魔王軍のために尽くすこともねンだぜ?」

 まともな答えを期待するわけでもないが、一応問うゾルダートにアイフィスは乗せた笑みに嘲りを加えた。

「逆よ、私はむしろ魔王軍の復活を計画しているの。魔王はもちろん、わ・た・し」

 得意げな顔で話すアイフィスに、今度はゾルダートが嘲りを向ける。

「ッハ、シーナ=レグルスに負けたんだろ?どれだけ頑張ったところで、あの女にゃ勝てねぇよ」

「負けたなら、どうして私はここにいるのかしら?」

 ゾルダートの言葉に被せるように、アイフィスは言い放つ。

「何だと…?うぐぅぉっっ!っっがはっ………なんだ…テメェ…」

 いぶかし気に眉を顰めるゾルダートは、突如として目の前から襲ってきた衝撃に受け身をとることもできず、体をくの字に折った。

「魔王軍の本部が潰されているとき、私は本部にいなかったの。だから生きているのも当たり前なのよ。フフフッ、立ちなさいよゾルダート。悪魔

と契約した力を見せて頂戴」

 面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりの不敵な笑みに、ゾルダートも負けじと不敵に言い放つ。

「あんまり俺の事を舐めんじゃねぇぜ…?サタン!」

 契約者の呼び声に応え、うごめく闇がゾルダートの足元から吹き出し、辺りを闇で閉ざす。

 日の高い時間だというのに、光の一筋すら届かせてない深い闇。ゾルダートを包み守るように深さを増す闇の一角に、一対の真紅の瞳だけが存在

を示した。それをアイフィスが認識すると同時に黒い雷が一瞬、人にも似た異形の姿を照らし出す。

「それが悪魔との契約の力なのね……サタン…悪魔を統べる王すら取り込むなんて流石と言うべきか…それとも……」

 怖気を感じさせる異形を前にしてなお、アイフィスの余裕は崩れない。

 そしてアイフィスは、一瞬にしてゾルダートの視界から外れた。

「!?消えた?」

 動揺する人間の契約者をよそに、悪魔の王は自らの闇を操り敵を補足しようと動く。が、闇に捉われる前にその間を縫ってアイフィスは動き回る。

「こっちよ、ゾルダート」

ひらひらと闇をかわすアイフィスは、見る者の目にはさながら妖しい黒蝶に映ったかもしれない。今の彼女を見ることができる者がいれば、の話で

はあるが。

「クソッたれ…!動きが見えねぇ…!」

 闇を翻弄するアイフィスに、ゾルダートは歯噛みする。閉ざされた闇の中で反響するように、アイフィスの声が四方から響いた。

「魔龍族の血を引いたのがシーナ=レグルスだけではない、分からないかしら?」

「そこか!何っ!?」

 声のもとをようやく特定した、そう確信してゾルダートが闇を指揮し、闇が黒い雪崩となってアイフィスに襲い掛かる。

 捉えた、そう確信するも、闇の雪崩は何の抵抗もなくその場を流れ去った。そこでようやく、またも標的を取り逃がしたことを悟る。

「隠れてないで出て来やが…れ?」

 怒鳴るゾルダートの目と鼻の先に、アイフィスが姿を現す。

「隠れてるなんて人聞きが悪いわね、ゾルダート。ただ単純にあなたの目が私の速度に追いつけていないという事よ」

 わざわざゾルダートを挑発するようにその頬を撫で、アイフィスは再び姿を消した。

 その動きに、ゾルダートは確信めいた最悪の結論をはじき出す。

「お前まさか天魔のちか……ぅぐっ……ぁぁ……かはっ……」

 その瞬間の、ゾルダートの愕然とした表情を待っていたかのように、アイフィスが一手を繰り出す。唐突に現れた焼けつくような痛みに悲鳴を上

げる自らの体をどこか他人事のように認識しながら、呆然と痛みの元凶である目の前のアイフィスを見る。

 アイフィスの腕が、自分の体に消えている。それはその腕によって自らの体を貫かれ、痛みを与えられているのだという事に他ならない。

 勝利よりもゾルダートの愕然とした表情を味わうように、アイフィスはゆっくりと腕を引き抜いた。

 支える力を失った体は闇の靄の中を、命の赤い花びらを辺りに散らしながら倒れる。

「その悪魔の力、私に頂戴?あなたなんかが持ってても、意味ないでしょ?ね♪」

 引き抜かれ、ゾルダートの血で真紅に染まったアイフィスの手には、漆黒に脈打つ何かが握られていた。

「あ``あ``ァぁ!ぅん……っぐ……」

 ようやく痛みを自分のものと認識したゾルダートが断末魔の叫びをあげ、残った力でアイフィスを燃えるような瞳で睨んだ。涼しい顔でその瞳を

受けるアイフィスが背筋が寒くなるような氷のような笑みを浮かべる中で、ゾルダートの目から炎が消え、やがて虚ろに、何も映さなくなる。

「天魔の力にさらに悪魔の力が加わったら……どうなるのかしら……?ね、サタン?フフッ」

 真紅に濡れる漆黒のそれに、アイフィスは妖しい恍惚とした笑みを浮かべた。


 いらだちに任せるところもありながら、ゾルダートが語り終える。その話にエリスが驚愕し、ゾルダートを見つめた。

『アイフィスですって!?………まさか』

『知ってるんスか?アイフィスを』

 エリスの反応に、ゾルダートは驚き半分興味半分といった体で聞く。

『知っているどころか……私はアイフィスが生まれた瞬間に立ち会っているのよ…』

 予想だにしなかった返答に、ゾルダートは目をむく。

『は!?どういう関係なんだよ、先生』

 噛みつきそうな勢いのゾルダートに、エリスは変わらず静かな、しかし複雑な感情をにじませた声で話す。

『私が17くらいの頃に、魔人村を訪れた時に一人の子が生まれると聞いて…立ち会わせてもらったの。その時に生まれた子がアイフィス。魔龍族の

血は伊達じゃない…。生まれてきたとき母体は消し飛び、私を除く立ち会った人は皆死んでしまった』

『死ぬ……?なんで…!?』

 生まれた瞬間に立ち会った人々が皆死んだ。一つの空間に相反する事象が生まれていることに、生誕から最も遠い事象が起きるという事に想像が

追いつかないゾルダートは困惑するしかない。

『それほど大きな魔力を持っているの。魔人村の人たちは魔族の血を引いているだけであって、悪魔であるわけでもないし、能力が使えるわけでも

ない。いわば人間と何一つ変わらないの』

 エリスの説明に納得したようにゾルダートは頷く。

『んで……魔力とかに耐性がある先生は生きてたって事っスか』

 エリスの答えを先取りに近い形で確認するゾルダートにエリスも頷きで返す。

『そうなるわ…。天使と契約せざるを得なかった』

『!……先生が交わした理由、それだったんスか。』

 無為に力を手にしたがる性格ではないのは分かっていたし、何かあるんだろうとは考えていた。しかし、思いがけないほど近くに原因が居たこと

にゾルダートは嘆息する。

 そんなゾルダートから視線を外し、エリスは厳しい目を現世に向けた。

『このままじゃ……現世はまた魔王軍に染まってしまう……。誰かがアイフィスを止めないと…』



 いつも通りの日常の一日の朝。

「エランド、ヴェリス。遅刻してしまいますよ」

「今日から2学期だろう、初日から遅刻するんじゃないぞ」

 両親からの声に、子供たちも元気な声を返す。

「分かってるよ!父さん、母さん!」

「あ、お兄ちゃん待ってよ!」

 勢いよく飛び出すエランドに追いつくべく、ヴェリスも慌てて追いかける。

「遅刻しても知らねーぞ!」

 エランドが追いかけてくるヴェリスにからかうような声を投げる。それにヴェリスは頬を膨らませた。

「もー!待ってって言ってるのにー!」


 その様子を、ヴェランドとシーナは微笑ましく眺める。

「もうあの子たちも、立派な学園の生徒だな」

 感慨深げにヴェランドが目を細める。

「そうですね……毎日平和でとても幸せです、マスター」

 本当に幸せに微笑むシーナにヴェランドも穏やかに笑う。だが、その笑みに影が落ちる。

「何かあれば、次はあの子たちが戦う番だ。無論、平和であるに越したことはないが」


「ヴェリスはすげぇよなぁ、学年で成績3位だろ?勉強の方はやっぱり勝てねぇや」

「ふふっ、そういうお兄ちゃんも19位でしょ?そんなことないよ。勉強は、ってなーに!」

 唐突なエランドの言葉に含みを感じてヴェリスは口を尖らせた。

「いや、別に大した意味はないけどさ…ははっ」

 口を尖らせるヴェリスにエランドはバツが悪そうに笑ってごまかす。

 楽し気な二人の前に、どこか気味の悪さをまとった女性が現れる。その不吉さを醸す視線に、二人は足を止めた。

「あれ…、お兄ちゃん。あの人誰…?」

「さぁ……?見たことないけど……きれーな女の人だなぁとは思うけど」

 特に興味なさそうにエランドは何の気なしに言う。

「綺麗ってなぁに、お兄ちゃん??いっつも私の事は褒めてくれないのにー。それにお母さんの方が綺麗だよ!」

 むすっと不機嫌そうにヴェリスに、エランドは呆れたように頬を掻く。

「どうして妹の事褒めまくる兄貴がいるんだよ………」

「ねぇ、君たち」

 その怪しげな女性が突然声をかけた。

「あ…はい」

 少しばかり困惑しながらエランドが応える。

「騎士学園の生徒?」

「そう、ですけど……」

「レグルスっていう名前の人を探しているの」

 その言葉にエランドとヴェリスは顔を見合わせた。

「え、それって……」

「私達…ですけど…」

 それを聞いた女性の顔が一瞬笑むようにゆがんだ。

「……そう。なら………シーナさんの所に連れて行ってほしいの」

 わずかな嫌な予感が胸をよぎり、迷うように双子は視線を交わした。

「どう……する?お兄ちゃん、学園に間に合わなくなるけど…」

「大丈夫大丈夫、すぐに終わるから」

 その言葉にためらいながらも背中をおされ、双子はもと来た道をたどり始めた。



「お父さん、お母さん」

 今しがた出てきたばかりの自宅に引き返した双子に、ヴェランドとシーナは目を丸くした。

「あら、ヴェリス…エランドも…どうしたんです?具合でも悪くなりましたか?」

 心配そうにするシーナに、双子は同時に首を横に振る。

「母さんに会いたい人がいるよ」

 エランドの言葉にヴェリスが背後に視線を向ける。

「シーナに?」

 ヴェランドの言葉にまた双子は同時に頷く。その背後から妖しい微笑みをたたえた女性が現れた。

「どうも、シーナさん」

「初めまして…どうして私の名前を…?」

 初対面の相手に名前を呼ばれたことに困惑しながらシーナが問いかける。その言葉に、女性は笑みを深めた。

「名前なんてどうでも良いではありませんか」

「えっ?」

 その言葉に、連れてきた双子は驚いた顔をし、ヴェランドとシーナはいぶかし気に眉をひそめた。

「面倒事は抜きにしましょう、シーナさん。いえ…シーナ=レグルス。死んでくださらないかしら?」

 突然現れた女性が微笑みながら呼吸するかのように吐き出された言葉に、各々が固まる。言葉の意味がとっさに理解できない、これまでの生活と

は無縁すぎた言葉そのものが理解できない、そんな思考が渦巻いた。

「!?なに、言っておられるのですか…?」

「分かりやすく言うと、魔王軍の残党…とでも言えばよいのかしら?私の魔王様を殺したあなたを許しはしない」

 表情だけは変わらず微笑んでいるというのに背中をうすら寒いものを感じる。

「逆恨みが過ぎるだろう、君。魔王軍はどれだけ罪深いことをしたと思っているんだ!」

「だから仇を討ちに来たんじゃない………はぁっ!」

 女性は当たり前のようにそう言って笑みを崩さないままに、厳しく言い放ったヴェランドの隣をすり抜け、シーナに一撃を放つ。その一撃は、戦

いから離れていたシーナを鋭く捉えた。

「っ!?うぁぁぁぁっ!」

「シーナ!大丈夫か、シーナ!貴様…シーナになんてことを!」

 ヴェランドは倒れたシーナに思わず駆け寄り、血にまみれながもその体を抱き上げ、女を睨んだ。

 その視線を気にかけることもなく、女は納得がいかないように首を傾げる。

「おかしいわね?天魔の力を持っているって…なぁにぃそのザマは」

 女から表情がきえ、声だけが嗤う。何の感情も抱かない氷の瞳が力なくヴェランドに体を預けるシーナを射抜く。

「ごめんなさい…マスター……油断してしまいました……」

 苦しい息の下で謝るシーナに、ヴェランドは首を振る。その様子にようやく現実を飲み込んだ双子が目に涙を止めて母親に縋り付く。

「母さん!大丈夫!?」

「言っとくけど、魔王様の恨みはまだまだこんなものじゃないわよ」

 その様子を見て、高圧的に女が吐き捨てる。

 ヴェランドはギリッと歯をきしませるほどに怒りと悔しさを噛みしめる。その感情を押さえつけるように目を閉じ、冷静さを取り戻した。

「お前たち、下がっていなさい……私が戦おう」

 その言葉にヴェリスが悲鳴にも似た声で反論する。

「お父さん!今はもう魔術は……」

「私の心配は大丈夫だ、母さんを安全な所へ」

 そっと背中を押され、双子は不安を抑えきれない顔で父親を見つめ、やがて頷いた。子供たちがシーナを運んでいくのを見届け、ヴェランドは剣

を構える。


 白の園、天界でその様子を見つめるエリスとゾルダート。

『派手に暴れてやがンなぁ』

 鼻で笑うように眺めるゾルダートとは対照的に、エリスは不安、心配、手が出せないことへのもどかしさが表情に出ている。

『まずいわね、もうシーナもヴェランドも魔術すら使えないというのに』

 焦りで緊迫した雰囲気のままに食い入るように見つめる。

『現世に戻ると同時に魔力を剥奪されたんでしたっけ、ヴェランド=レグルスは』

 軽い調子で確認するゾルダートに、エリスは頷く。

『そうね、現世に戻るために妥協しなきゃいけない点がそこだったの』

 ゾルダートは楽しそうに口元をゆがめ、現世に挑発的な視線を向ける。

『戦えるやつもいねぇこの状況で、お前はどうするんだ?ヴェランド=レグルス』


 地に伏せ、息を荒げるヴェランドを女はつまらなそうに見下ろす。

「ヴェランド=レグルス、だったわよね?なに?そんなもんなの?剣術は最高レベルかもしれない、でも…魔術すら使ってこないなんて、手加減の

つもり?それとも、舐めてるのかしら?」

 すごむ女に、ヴェランドは再び剣を向けようともがく。

「はぁっ…はぁっ…はぁっ……手加減など…するものか……私はもう…魔術を使えないんだ…」

 歯噛みするヴェランドに女は再び嘲りの視線を送り、どうでもいいことのようにさらりと衝撃の言葉を吐く。

「まぁ、魔術を使えたところで…天魔の力を持った私に敵うわけないのよ」

「てん…ま…だと…?まさか……シーナ以外にも力を持つものがいたとは……」

 戦いのさなかにすら動きを止めてしまうほどの衝撃の発言にヴェランドはハッと瞠目し、女を見上げる。

 そんなヴェランドに、女はぞっとする笑みを浮かべた。

「戦う力のないあなたにはもう用は無いわ、さようなら」

「……ここまでか……!」

 言葉とともに魔力をため込み始める女とヴェランドの間に、ヴェリスが両手を広げて割り込んだ。

「お父さんからどきなさい!」

「よせ!やめるんだ!お前たちの叶う相手ではない!」

 振るえながらも精一杯立ちふさがるヴェリスに、ヴェランドは顔色を変えて叫ぶ。

 女は魔力の放出をやめ、ヴェリスに作り物のような歪な微笑みを張り付けた。

「良い目ね、でもね。良い事を教えてあげる……無謀と、勇敢は違うの」

 突如として冷徹になる女の声に呼応するように、闇が女の足元に渦巻く。

「そんなのやってみないとわ………ぅっ……ん……ぁぁっ……!」

 女がヴェリスの首を掴み、持ち上げた。その腕に闇がまとわりつき、女がその腕を振るうと、いともたやすくヴェリスの体は宙に浮く。

「ヴェリス!大丈夫か!」

 背中から壁にたたきつけられ床に落ちるヴェリスにヴェランドが手を伸ばす。その手を女が踏みつけ、立ち尽くすエランドに嗤って見せた。

「どうする…?あなたは」

「なんだよ……なんで……こうなったんだよ……母さんたちが何したっていうんだ…」

 理不尽さと何もできない悔しさにエランドが苦しそうに吐き出す。

「邪魔をしないって言うのならあなただけ、助けてあげる。別にあなたを殺す理由も価値もゴミに等しいんだから」

「ぐっ………」

 嗤う女に、エランドは悔しそうに呻く。

「そうよ、本性を見せなさい。人なんて結局己が可愛いんだから。あなたの命か、それともお父さんたちの命が惜しいか。どっちかだけ、助けてあ

げる……フフフッ」

 黒い笑みを浮かべる女に、エランドは呆然と呟く。

「俺……か……父さん…達……」

 うまく働かない頭で、エランドは自分の家族を見る。

「私は構わないが、シーナや子供たちはやめてく…うぐっ……ぅぁっ」

 女の関心をエランドから離そうとヴェランドが声をあげるが、体ごとその言葉は踏みにじられる。

「あなたに発言権は無いの。今私はあなたの息子と話をしてるんだから」

 ヴェランドから興味を失ったようにエランドに視線を戻す。

「俺は…俺は……俺は………」

 嫌な汗がしたたり落ちるエランドの頭にふと、シーナに昔教えられたことがよぎった。


『エランド、絶望的な状況こそ。落ち着いて物事を整理してみるのです』

 シーナから稽古を受けていたころ。教えられたことがうまくいかずにつまずくことがあった。そのことに焦り、さらに自分を追い詰めて失敗し落

ち込むエランドに、シーナはそう教えた。

『どういうこと、母さん』

 沈んだ声で答えを求める息子に、シーナは言葉を重ねる。

『頭の中で整理しきれないこと、あらゆる場面である事でしょう。そんな時は、落ち着いて根底から一つずつ整理をしてみなさい』

『根底から……?』

 顔を上げてシーナを見るエランドの目が、心なしか強さを取り戻したように見えた。

『与えられた選択肢の中に必ずしも正しい答えがあるとは限りません。その時は自ら新しい選択肢を生むこともできるんですよ』


「待ちくたびれたわ。もう、殺しちゃうわね。お父さんたち」

 女の言葉に、はっと顔を上げるエランドの目に飛び込んできたのは、妹の縋るような目だった。

「お兄ちゃん………!」

 弱弱しい声に、エランドの目が釘付けになる。

「……………!」

「…………助けて…」

 その一言。その一言が、エランドの覚悟を決めた。妹を、家族を自分との天秤にかけることなんかできないし、したくもない。だったら、自分に

できることはたったの一つ。この選択以外にはありえない。迷う必要なんか、どこにもなかった。

「……………名前を教えてくれよ……あんたの」

 覚悟さえ決まってしまえば、さっきまで荒れ狂っていた感情が静まり返り、頭が明瞭に動き出す。その静かな声にエランドの決断を察したヴェラ

ンドが叫ぶ。

「エランド!よせ!」

「アイフィス。私の名前を知らないまま死ぬのなんてお父さんたちも可哀想でしょうから」

 ヴェランドの声など聞こえていないかのように女、アイフィスがエランドに答える。

「アイフィス、俺と……戦え」

 静かに紡ぐ言葉の裏に確固たる意志をくみ取り、さしものヴェランドも制止の言葉をぐっと抑える。

「今のを見ていなかったのかしら?あなたのお父さんは私に全く敵わなかったのよ?」

 愚かしいと言わんばかりに嘲るアイフィスに、変わらずエランドはただ繰り返す。

「………聞こえなかったのか、戦え」

 エランドの様子、雰囲気がさっきまでと違うことにアイフィスはここで気付く。自棄になった者の態度ではない。

 今アイフィスの目の前にいるのは両親を倒されて怯え絶望する子供ではなく、一人前とは言えないが一人の戦士としての覚悟を持った、彼女の敵

である。

「生意気な子にはお仕置きしないとね、後悔しても知らないわよ?はぁっ!」

 ヴェリスと遊んだ時とは違う、本気を少しばかり足しただけの動き。戦う気になったエランドを測ろうというつもりなのか、お仕置きついでに遊

ぶつもりなのか。まだアイフィスに殺意は無い。

「っぐ!早い!くそっ!」

 その程度の動きにすら目が追いつかないエランドを、アイフィスは嘲笑う。

「結局言葉だけなのね、せやぁぁ!」

「重く、早い……!ぐぁぁっ!見えないっ…!」

 一方的に痛めつけられるだけのエランドに、ヴェリスは泣きながら手を伸ばす。

「お兄ちゃん!」

「ヴェリス……あぐぁぁっ」

 妹の存在に、負けられないという想いばかりが強くなるがその想いに体はついてこない。攻撃を当てるどころか、繰り出すタイミングも、アイフ

ィスの動きを目で追う事すらできない。焦りと、護らなければという想いばかりが思考を支配しようとしていた。そのエランドの目が、その場にい

るもう一人の家族を捉える。自分が戦えない、護れないことに悔しそうな顔をしながらも、心配そうに、しかしエランドの決断と覚悟を見守る父。

 彼からの教えが、言葉が、耳に蘇る。


『いいか、私の動きが速いのではない。目で追おうとするから追いつけないんだ』

 稽古の中で、ヴェランドの動きに対応できずにきょろきょろと視線を彷徨わせるエランドとヴェリスに、父はそう諭す。

『ふふっ、マスターも久しぶりに教えるとなって張り切っていますから、二人とも頑張るんですよ』

 微笑ましそうに稽古の様子を見て、シーナは子供たちを励ます。

『そんなこと言われてもお父さんとても速いんだもん……』

『そーだよ!父さん本気出し過ぎ!』

 しょぼんとするヴェリスと膨れるエランドに、ヴェランドも苦笑する。

『私もマスターの動きには目ではついていけませんよ』

 双子を撫でながらシーナがそう言うと、子供たちはきょとんと顔を上げる。

『えっ、お母さんでもついていけないの?』

 ヴェリスの問いに、シーナは頷く。

『はい、私だって目で追おうとしたらマスターの姿すら見ることは難しいです』

 思ってもみなかった言葉に、今度はエランドが反論する。

『でもさ、母さんいつも父さんの動きに合わせて立ち回れてるじゃん!あれはどう説明すんのさ!』

『人は必ず魔波を有しています。たとえ魔術の使えない一般人であっても』

『生まれたばかりの赤ん坊でも微量な魔波を有している』

『退魔人などの大きな魔力を扱える人間ほどに魔波を発する量が大きくなります』

 両親が交互に口にする耳慣れない言葉に、二人は首を傾げた。

『ま、は?』

『気流のようなものだ、魔術を行使できるものは大抵魔波を体内から発している』

 漠然と分かるような分からないような説明に、エランドはとりあえず先を促す。

『その魔波が、どうしたの?』

 シーナがヴェランドの言葉を引き継ぎ、右手を差し出す。

『魔波は感じることができます。今だったら………はぁっ!戦えるような大きさではありませんが、何か……感じませんか?』

 シーナの問いに、双子は難しい顔を見合わせた。

『なんか、ビリビリ来る…身体中になんか……小さい小さい静電気が流れてくるみたいなのが……母さんの右手から…すごく感じる』

 感じたものを表現するのに四苦八苦しながら話すエランドの横で、ヴェリスも何度も頷く。

『よくできましたね、そうです。私は今右手に魔波を集中させました。今の場合、私はもう戦う魔力がないので、魔波を集中させることしかできま

せんでしたが…魔力を扱う者達はこれを常に放出しています』

『目で追うのではない、魔波の微妙な流れを感じることで相手の次の動き、移動場所が分かるんだ』

 言葉の意味はうまく理解できていないような顔でうんうんと頷く二人だったが、ヴェリスが疑問に思ったことを口にする。

『でも……戦ってる途中にそんなの集中できないよ…』

 その言葉にヴェランドは頷く。

『確かにそうだ。戦っている時は神経がそちらに集中できないからな。魔波の流れを掴むのは基本戦っていない時でないと不可能だ』


 エランドは、いつでも攻撃できるようにと構えていた腕を解く。いつでも動ける体勢という事は変わらないものの、攻撃の意志を引っ込めた。今

のエランドは、傍目からはそう見えた。

「どうしたの?全然戦う気が感じられないわ?」

 その間にも、アイフィスはわざといたぶるように浅い攻撃を繰り返し続ける。それでもエランドは、急所以外への攻撃を無視し続けた。

「うぐっ…あ``あぁっ……ぅっ…!」

 うめき声は上げるものの、エランドは動かない、揺らがない。

 手を出せないことに歯噛みしつつ見守るヴェランドとヴェリスに、わずかながらに動く力を取り戻したシーナが呼びかけた。

「マスター…、ヴェリス…あれは…」

「動いて大丈夫なのかシーナ…?今…エランドが戦っている」

「戦ってなんかいないよ……ぐすっ…ひぐっ……このままじゃ…お兄ちゃんがやられちゃうよ…!」

 泣きじゃくるヴェリスを撫でながら、厳しい目でエランドとアイフィスの一方的な戦いを見る。

「……マスター…このままではエランドが……」

「うわぁぁぁぁん…お兄ちゃんが死んじゃう……勝てっこないよ……」

 二人の声を受けてなお、ヴェランドは見守り続ける。エランドならば何かあるのだろうと、勝ちを捨てたりはしていないのだと、ヴェランドは信

じ続ける。


 天界から、どうなるものかとエランドの戦いを眺めながらゾルダートは皮肉気に苦笑する。

『ヴェランド=レグルスの息子、こてんぱんだなぁおい……』

 しかし、エリスは違った。エランドを観察し、そしてその意図を察する。

『……なるほど……』

『先生、全く手出しできてないっスよ。あの息子』

 ゾルダートの言葉に、エリスはフッと笑った。

『いえ……手出しできないんじゃない……』


 天界のエリスと同じく、ヴェランドもエランドの意図に気付いた。

「簡単な話、エランドはわざと手を出していない…」

 ヴェランドの言葉にシーナは眉を顰めた。

「どういう…ことですか…?」

「エランドは戦わずに魔波の流れを掴むことに集中しているんだ。つまり……」

 ヴェリスが涙に濡れた目でエランドを見る。

「今お兄ちゃんは計算してやられてるって事……?」

「しかし…そんなこと…、諸刃極まりありません」

 心配そうにエランドを見つめる母を励ますように父が言葉を繋げる。

「確かにそうだが…間違いなくエランドの戦闘センスだ。エランドが魔波の流れを見切った時……」

 ヴェランドには、エランドの勝機が見えていた。


 つまらなそうに攻撃していたアイフィスがとうとうしびれを切らす。

「そろそろ終わりにしましょう?何も攻撃してこないあなたをこれ以上いたぶってても楽しくないわ…。死になさい、はぁっ!」

 アイフィスが決定的な一撃を加えようとエランドの懐に飛び込む。

 しかし、その一撃は届かない。エランドが俯いたままアイフィスの腕を掴んで受け止めた。

「……………何!?攻撃を…受け止めた…?」

 愕然とした声に、エランドは顔を上げ、不敵に笑う。

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……ぅっ……アイ……フィス………見えてるぜ…?」

 その笑みに、アイフィスが激昂する。

「調子に………調子に乗ってんじゃないわよ!たった一回のまぐれで……!」

「まぐれ……じゃ……ねぇよ……もう…あんたのターンは終わりだ……」

 口角をあげ、絞り出すようにエランドがアイフィスを強く睨む。

 エランドの言葉、態度が癇に障るのか、アイフィスの余裕が崩れ、妖しい笑みを浮かべていた美しい顔が醜く歪む。

「なん……ですって……半分意識の飛んでるあなたに何ができ…うぐっ……!」

 初めて、エランドの一撃がアイフィスを捉える。

「はぁっ……はぁっ……俺が生きるか……家族が生きるか……だっけ………?悪いな……どっちの選択も……選ぶつもりはねぇよ……!」

 ボロボロになりながらも立ち続け、強く言葉を放つエランドに家族は希望を見出し、アイフィスは冷徹という言葉すらぬるく感じるほどの殺意を

抱く。

「すごい……お兄ちゃん……」

「エランド……」

 エランドの様子、成長に、ヴェランドも無言で力強く頷く。

「最強の力を持ってる私が負けるわけ……ないでしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 絶叫して膨大な魔力を爆発させるアイフィスに、エランドが相対する。

「なら………最強じゃなかったってだけの話だ」

 アイフィスの魔力を押しのけるようにエランドの魔力が急激な高まりを見せ、魔力同士が激しく食い合う。その壮絶な食い合いに、先に音を上げ

たのはアイフィスの方だった。

「ぐっ……ぅく……かはっ………」

「魔波がどんどん小さくなっていく……!」

 目に見えて減っていく魔波に、ヴェランドが感嘆したように呟く。急激に失われていく魔力にアイフィスがとうとう膝をついた。

「まだ……生きてんのかよ……女のくせ……なんて…タフな…やつ…だ……ぅぐっ……」

 優勢に見えたエランドも、蓄積されたダメージと急激に高まった魔力に耐えられるほどの体力をすでに無くしていた。

 膝をついたアイフィスを前に、エランドが地に伏した。

「お兄ちゃんが倒れた………!?」

 ヴェリスが悲鳴を上げる。

「………く………覚えていなさい………必ず………次こそ……叩きのめす……」

 高ぶる感情に任せてそう吐き捨て、アイフィスは姿を消した。

「エランド…!大丈夫ですか!しっかりしなさい!」

 自分の体の痛みも忘れ、母がエランドに駆け寄る。続くように父と妹も体を引きずるようにエランドのもとに集まる。

「はっ……うん……大丈夫………悪い……父さん、母さん……倒せなかった……」

 大切なものを守れたことに安堵する一方で、脅威を取り払いきることができなかった悔しさを噛みしめる。

「上出来だ…追い返しただけでも充分だ…。すぐに……村の先生の所に連れて行ってやる」

 ヴェランドの言葉に小さく頷き妹に目を向けると、ヴェリスは泣きながら兄に縋り付く。

「ごめん、お兄ちゃん…私…何もできなくて……」

 そんな妹に、兄は微笑みかけ、そっとその頭を撫でる。

「いんだよ……肩を押してくれたのは……ヴェリスなんだからさ……」

 呟くようにそう言って、戦士としての強大な片鱗を示したエランドはまどろみに身をゆだねた。


『なんて奴だ、エランド=レグルス。まさかアイフィスを撃退しちまいやがった』

 天界から幼い戦士の戦いを見届け、皮肉気な様子もなりを潜めたゾルダートが珍しく素直に感嘆する。

 そんなゾルダートに、エリスは肩をすくめる。

『最強の母とその師匠の息子なんだから、あまり驚くことでもないわ』

 心配してたくせに、という言葉を口に出さないあたり、彼は空気の読める男である。代わりにゾルダートは、別の話題を放る。

『しっかし、アイフィスの野郎はまだ諦めてねぇンでしょ?』

 エリスは表情を引き締め、頷く。

『そうね、傷が癒えたら魔王軍の復活を先に行うんじゃないかしら』

 すぐにでもエランドに復讐しに行くと考えていたらしいゾルダートは胡乱気にエリスを見る。

『どうしてそう思うんス?』

『勢力を広めてから一気に潰しにかかる、なんてことも考えられるんじゃないかしら』

 その考えにも一理ある。むしろ、周到なあの女ならその方が考えられる、そう思ってゾルダートも頷いた。

『なるほど、まぁ…どのみちこれで諦めるような女じゃねぇでしょうなァ』

 二人はそう言葉をかわし、再び縁ある者たちを見守り始めた。



 アイフィスの襲撃の傷も癒え、エランドとヴェリスはこれまで通りの生活に戻っていた。

「稽古、気合入ってんな。ヴェリス」

 エランドの言葉に、ヴェリスは笑顔で応える。

「うん!今度あの人が来たらお兄ちゃんと一緒に戦ってやるんだから」

 あの襲撃は悪い事ばかりでなく、双子の成長に良い影響も残してくれているようだった。

「そうだな。この前は運が良かったものの、次戦うときはエランド一人ではどうにもならない可能性の方が高い」

 そう言うヴェランドにエランドも同意するように頷く。と、思い出したようにエランドがヴェリスを見た。

「ってか、ヴェリス。いい加減そのお兄ちゃんってのやめてくれよ…恥ずかしいし」

「えぇっ…そうかなぁ……じゃ……エランド?」

 ずっと呼んできた呼び名をそう言われて不満そうな顔をするヴェリスだが、呼び方を変えて兄を名前で呼んでみる。

「その方がしっくりくる!」

 満足そうなエランドに、ヴェリスも笑みを浮かべた。

「本当、仲がいいですね…ふふっ」

 双子の様子をシーナはヴェランドに寄り添って眺める。

「あぁ…。こんなにも幸せに過ごせているのに…戦わせないといけないとは。胸が痛いな」

 顔を曇らせるヴェランドに、シーナは微笑んだ。

「いえ…。あの子たちなら大丈夫でしょう…私とマスターの子ですから」

 強く信じるシーナに、ヴェランドの曇っていた顔も晴れる。

「はははっ、間違いないな」



 こうしてレグルスの双子はさらに腕を上げるべく3年を過ごし、騎士学園の卒業を迎えた。

 家に帰り、家族で門出を祝う。この日は双子が決めていた旅立ちの、まさに門出の日だった。

「もう卒業ですか、早いものですね、エランド、ヴェリス」

 シーナの言葉に卒業を実感して、ヴェリスは学園の方を振り返った。

「うん……なんか、改めて思うと寂しいかも…ふふっ」

「べっつに生活が変わるわけじゃねぇんだからそんなことねぇって」

 変わらない子供たちに、両親が微笑む。

「まぁ、なんにせよ……お前たち。卒業おめでとう」

 ヴェランドの改まったセリフに、双子は照れくさそうに笑う。

「えへへ……ありがと……」

「ありがと、父さん」

 二人も改めて両親と目を合わせた。その態度に、ヴェランドとシーナがエランドとヴェリスの前に、向かい合うように立つ。

「…………行くんでしょう」

 シーナの言葉に、双子は頷く。

「あぁ、魔王軍とこ、だろ」

「………行くよ」

 意志のこもった言葉。それを引き留めるつもりは、戦う力を無くしたとしても戦士であるヴェランドたちにはなかった。

 あの日の戦いを乗り越えなければ、この門出は出発点にはならない、そう感じたからこそ、双子はこの日を選んだ。この門出を、自分たちの納得

のいく門出にするために。

「………お前たちに、父さんと母さんから渡すものがある。父さんからはエランドにこれを」

 ヴェランドが差し出した物を確認して、エランドは受け取ろうとした手を止めた。

「!これ、父さんの剣じゃないか…こんなの貰っていいの……?」

 ヴェランドは頷き、エランドの手に剣を乗せた。

「ヴェリス、これを。この剣はマスターの師匠であるエリス様から継がれた剣です」

 シーナもまた、ヴェリスに剣を手渡す。

「えっ……これ………私が……?」

 それぞれの剣を見つめる子供たちに、ヴェランドとシーナは言葉を紡ぐ。

「私たちは戦うことはできない。だが…お前たちに戦う意志を託すことはできる」

「行きなさい。なに、あなたたちなら大丈夫です」

 かつて魔王軍と戦った戦士から託された意志。その重さを噛みしめ、二人は家族に背を向けた。

「………行ってくる!」

「必ず帰ってこい。必ず………!」

 交錯する想いと覚悟を最後に、エランドとヴェリスは一歩を踏み出した。


 目前に不吉な闇をたたえた要塞に近づくにつれ、ヴェリスが落ち着かなげに剣の柄に触れる。

「なんだよヴェリス。要塞を前にビビってるのか?」

 からかいを含んだエランドの声に、ヴェリスは視線をそらした。

「べ、別にそんなんじゃないもん………」

 そらして要塞を見つめるヴェリスにエランドは違和感を感じ、その違和感のもとを探してヴェリスをじっと見つめるエランド。そしてそれに気付

いた。

「おま……髪……切ったのか……?どうしてそんなばっさり…」

 ヴェリスの髪が、バッサリと短く、エランドの髪とほぼ同じ長さに切り揃えられている。

「……ふふっ。髪短いと……ほら、エランドにそっくりでしょ」

 エランドの前に立ち、そう言って微笑むヴェリスはまるで鏡のようにエランドにそっくりだった。

「……言われてみれば……ほとんど見た目…変わらねぇな……」

 じっくりとヴェリスと自分を観察、比較してエランドは感心したように言う。が、ある一点に視線が向いたときだけ、エランドの表情がほんのわ

ずかに残念なものを見るような目になったのを、ヴェリスは見逃さなかった。

「どこ見て言ってるのか具体的に説明してほしいんだけど……」

 ジト目で低い声を出すヴェリスに、エランドは目を泳がせて話の矛先を変えた。

「俺に似せる必要なんて、あったか?」

 ヴェリスは仕方ないと言わんばかりにため息をついてエランドへの追及をやめる。

「…………別に。なんとなく、かな」

「そうか……。一人じゃできねぇこともあるから…」

 要領を得ない答えであっても、ヴェリスの思うことはエランドには分かる。双子であるからか、二人の考えはいつも近いところにあった。

「うん。二人でしかできないこともある、だよね」

 エランドの姿に己を似せたのは、彼のように強くありたいと思ったから。一人で前に出がちなエランドに、1人じゃないと訴えたかったから。

(私は、もう一人のエランド)

(俺は、もう一人のヴェリス)

 互いに互いの存在を刻み込む。

「あぁ…。生きて帰るんだ」

「そう……だよね……!」

 揃って鏡のように頷く二人は、自然と剣を抜く。

「剣の誓いを…」

「ここに……」

 剣をとり魔王軍と戦ってきた数多の戦士たちの意志が刻まれた剣に、新たな二人の戦士の誓いが刻まれた。この誓いはもう、二人だけの誓いでは

ない。志を同としながらも果たされることのなかった戦士たちの誓いでもある。

 その想いと覚悟を背負って、二人は要塞に踏み込んだ。


 要塞の最奥部、そこでエランドとヴェリスは3年ぶりの顔と相対した。

「来たね…二人とも…。3年ぶりくらいかしら?」

 あの時と同じ、余裕の笑みを浮かべて立つアイフィスに、エランドは高ぶる感情に飲まれそうになる。

「今度こそ、俺が勝つ」

「いいえ、俺達が、でしょ。エランド」

 その言葉に隣のヴェリスの存在を再認識して、エランドの激情が鎮まる。

「はっ、悪かった」

 先走る自分のストッパーを務めてくれるもう一人の自分に、エランドは自然と口角が上がるのを感じた。

 茶番でも見るような苛立った目でアイフィスが二人を睨む。

「二人仲良く、死になさい…!はぁぁぁぁぁ!」

 闇がうねりながら二人めがけて襲い来る。

「ヴェリス、右だ!」

 エランドの声に弾かれるようにヴェリスはアイフィスの右に回り込む。

「見切ってるのよ、あんたの動きは…って挟まれた!?」

 アイフィスが声に気を取られてヴェリスを警戒すると、図ったようにタイミングを合わせてエランドが左に回り込む。

「悪いな、今の俺は…」

「二人いるってことなんだ」

 エランドの言葉にヴェリスが繋げ、二人でエランドの言葉にする。

「双子……面倒ね……!消えなさい!」

 再びそそり立つ闇を前に、今度はヴェリスが鋭い声を発する。

「エランド、下よ!」

「了解ッ!うおりゃぁぁぁ!」

 先ほどと動きの主軸が入れ替わっただけ。しかし、それでも十分アイフィスを翻弄できるくらいには双子の動きは絶妙なポイントをついていた。

「今度は上と下で挟まれた!?くっ……!」

 対応しきれない動きに、アイフィスが忌々し気に顔を歪める。

「私たちは今……」

「二人いるって言ったじゃない」

 今度はヴェリスの言葉をエランドが繋げ、二人でヴェリスの言葉にする。

「この前の様に好き勝手できると思わないでよ…!」

 唸るアイフィスに、双子は当たり前のように言葉を合わせて返す。

「好き勝手なんて、できるわけねぇだろ?」

「だって、二人三脚なんだから……。はぁっ!」

 出たり引いたりの絶妙な駆け引きで二人のエランド、二人のヴェリスがアイフィスを翻弄し、とうとう重い一撃をいれた。

「くっ…うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!ぅ…ぐっ……」

 呻いて傷ついた体を抱えながら立つアイフィスに、並んだ双子が口を開く。

「俺が足りない力は…」

「私が埋める、私が足りない力は…」

「俺が埋める……」

 隣の自分の分身が、自分自身を奮い立たせる。

 折れない心、揺らがない絆、そういうものがアイフィスを苛立たせる。

「終わりよ……!今度こそ二人もろとも消えてしまいなさい……!」

 さっきまでのものとは比べ物にならない、重苦しい闇が辺りを侵食するように飲み込み、自らの一部へと同化させていく。

「エランド!」

「ああ分かってる!」

 たったそれだけの言葉だけで、二人は頷き合って示し合わせたように動き出す。

「また回り込まれた…!?どうして読まれるの!?」

 アイフィスは混乱して半狂乱に叫ぶ。

「確かに天魔の力ってのは規格外だって父さんたちから聞いた、だけど……」

「合わさった力は何も天魔の力だけじゃないんだって………!」

 二人の剣が交差するようにアイフィスの体を貫いた。

「……そん……な……私……がっ………負ける……なんて………」

 アイフィスの体から力が抜け、彼女の体が闇に倒れた。

「……やったか………はぁっ……疲れた………」

 どっと力が抜け、エランドがその場に座り込む。

「完璧だったね、私たち……!」

 満足のいく結果に、ヴェリスが晴れ晴れとした顔でエランドの前で満面の笑みを浮かべる。

 いつもの稽古の時よりも、まさに一心同体、以心伝心、そういう言葉を使ってもいいくらいに相手の考えが分かった。その感覚は、厳しい戦いの

中でも胸を躍らせるものだった。

「髪切った理由って、これか?」

 鏡の自分と話しているような不思議な感覚。その感覚が一層二人を近づけたのではないかと、エランドは思う。そのエランドに、ヴェリスは意味

深に微笑んだ。

「さぁ……ね……」

 正直なところ、ヴェリスも明確な狙いや考えがあって髪を切ったわけではない。ただ、エランドの力になりたいだけだった。エランドが進む戦い

の道を一緒に進んでいきたい、そのためにできることは何でもやりたかった。

 そんな想いを抱いて笑うヴェリスの後ろで、闇が動いた。

「こんな……ところで………終わる…わけには………サタン……!食い殺しなさい!」

 ゾワリ、と闇がその言葉に従い、異形の(あぎと)を現した。

「あの野郎まだ生きて…!ヴェリス!後ろだ!」

「えっ…!?」

 慌てて立ち上がるエランドの叫びに、ヴェリスはとっさに振り向くことしかできない。目の前に、闇の異形の牙が迫る。

「どけヴェリス!くたばれ!」

 立ち上がったエランドがヴェリスを押しのけるように前に割り込み、とっさに(あぎと)の中、サタンの頭へ剣を突き立てた。その剣を握った左

手は、肩まで(あぎと)の中に消えている。

 形容しがたい耳障りな音が辺りに反響し、やがて、どろりと溶けるように異形の形が崩れ始めた。

「ぅっぐ……ぁっ………」

 崩れゆく異形の残骸の中に腕をとられたまま、エランドは苦しそうに呻く。

「さた……ン…?上あごから……貫かれたの………?まさか……あの子……」

 悪魔の王、サタンの最期。想像もしていなかった結末に、アイフィスは呆然と闇の残骸を見つめるしかできない。

「ぐっ…………ぅぁっ……」

 ようやく、エランドの腕を飲み込んでいた闇が全て崩れ落ちる。

 サタンにとどめを刺したのはエランドだった。上あごから頭を貫いた剣はいつまでも左手に握られていたが、次にヴェリスがエランドに目を向け

た時には、エランドの左肩から先がなかった。

 潰れて原型を残さないサタンの残骸から刃の銀色だけが光る。その剣を抜いても、エランドの左腕はもうどこにもなかった。

「これで………今度こそ……お前の負けだ…アイフィス……!」

 サタンの残骸にも左腕の惨状にも目をくれず、エランドはまっすぐ鋭い視線でアイフィスを射抜く。

「そんな……私が……おぼえていなさ…」

 怨嗟の言葉をすべて言い切る前に、アイフィスは自ら生み出した闇に引きずり込まれるように消えていった。それを見届け、エランドは気が抜け

たようにふらつく。

「終わった…な、ヴェリス………左肩……貸してくれ……」

 呆然と見ていることしかできなかったヴェリスがハッと我に返ってエランドを支える。

「…え……?エランド……?どうして……どうして私をかばったの!?ぐすっ……確かに勝てたかもしれない…だけど……エランドの左腕が………

うわぁぁぁぁぁん」

 泣きじゃくるヴェリスをエランドはそっと片腕で抱き留めた。

「兄貴が妹護るなんて、当たり前だろ……?それに、剣の誓いは絶対だ…。生きて帰るんだって…誓っただろ…?」

「そんなの……ぐすっ…ひぐっ……うっ…うっ……私なんかのために……私の命より…エランドの腕の方がずっと重いんだよ…!」

「………ふざけんなよ……!」

 泣き叫ぶヴェリスの頬を、エランドは厳しい顔で手加減しながらも本気で叩いた。

「いたっ…………」

 涙でいっぱいの目を見開いて、ヴェリスはエランドを見る。

「命に軽いも重いもあるかってんだ!ふざけたこと言うんじゃねぇ……」

 エランドの剣幕に押されて、ヴェリスは目を伏せる。

「………ごめんなさい………」

 ヴェリスの謝罪に、ようやくエランドの顔から厳しさが消える。

「分かってくれたら、それでいい………それに……私なんかのためにとか…言ってんじゃねぇよ」

 ヴェリスのその言葉に、エランドは悲しそうな顔をする。そのことに罪悪感を覚えるが、それでも、ヴェリスにとって一番大事なのはエランド。

だから、この言葉を撤回するつもりはなかった。

「でも、本当にその通りだし……」

「でもとか言ってんじゃねぇよ。バーカ」

 ヴェリスの気持ちも分かるエランドは、それ以上は何も言わず、ただヴェリスの涙を受け入れた。


 白く美しい天界で黒く昏い闇と人間の戦いの決着を見届け、エリスとゾルダートはしばしの沈黙を守った。

『見せてくれるもんじゃねぇか、エランド=レグルス……いやぁ。サタンも最後に余計な事をしたもんだ』

『あの兄妹はただの退魔人のたまごに過ぎない。しかし、天魔の力にさえ勝って見せた……素晴らしい事よ』

 ようやく口を開き、二人はこの戦いの勝者を称賛する。しかし、素直に喜び切れない現実もある。

『左腕、どうすンすかねぇ?これから』

 珍しく人を心配している様子のゾルダートに、エリスは大丈夫よ、と穏やかに笑う。

『シーナとヴェランドの子よ、そんなことで絶望してしまうような子では無いわ』

 エリスの言葉に、ゾルダートの口元にいつもの皮肉気な笑みが戻る。

『仮にあん時死んでたら、ここもまた賑やかになってたかもしんねッスよ』

 この会話の中にエランドたちが加わるところでも想像したのか、エリスは楽し気に笑う。

『ふふふっ、天界なのに賑わうなんて…そんな展開もありね………どうかしら…?』

 反応を振られたゾルダートは正直に真顔で即答する。

『滑ってるッス』

『あら………難しいわね』

 真面目に首を傾げる師匠に、さすがのゾルダートも呆れて苦笑するほかなかった。



 エランドとヴェリスが家に帰ると一番最初に左腕の話になった。ヴェランドとシーナに事を話すと、よく家族を守ったなという言葉がかけられた

ことに、エランドは内心ほっとしていた。自分に悔いはないし、無論、ヴェリスを恨むわけもない。

 だが、それでも両親に面と向かって悲しまれるのは本意ではない、それが分かるからこその言葉だったのだろうという事も察せられた。

「エランド、左肩の調子はどうだ?」

 右手だけで剣を振るエランドに、ヴェランドが声をかける。

「まだ腕が喰われたって感じがないかな……変な感じだ」

 軽い調子で言うエランドに、ヴェリスは沈んだ表情を見せる。

「エランド…………」

「ヴェリス、いつまでも悲しんでいてはいけません。身体を張って助けてくれたエランドの為にももっと元気にしていないと。それに、笑っていた

方がとても可愛らしいですよ」

「……うん……分かった………」

 そっと肩に手を置くシーナに、ヴェリスは相変わらず沈んだままで返事をする。

「片腕だけでも剣は扱えるだろう、エランド。まだまだ稽古を怠るんじゃないぞ」

「あぁ、幸い聞き腕は右だから。もちろん、父さんにだって負けねぇから!」 

 気合の入った威勢のいい返事に、ヴェランドも安心したように笑う。

「ふふっ……あの頃の私を見ているようですね…」

 エランドの様子を見て、シーナは懐かしそうに目を細めた。

「あの頃…?」

 聞き返すヴェリスに、シーナは話して聞かせる。

「マスターに背中を預けてほしくて、毎日強くなることに必死だったんです」

「そう……だったんだ……」

 初めて聞く話に、ヴェリスの表情が少しずつ軽くなる。

「ほら、ヴェリスも稽古を始めなさい。学園を卒業したからと言って稽古は終わりではありませんよ!」

 強く背中を押されて、ヴェリスは一瞬戸惑い、そしてしっかりと頷いた。

「う…うん!分かった…!私も…きっともう誰も怪我しないように強くなるから…!」

 シーナにそう宣言して、剣を振るエランドのもとへヴェリスは向かった。

 その背中を見守り、ヴェランドとシーナが言葉を交わす。

「シーナ、これは…全てが終わったのではなく…全てがまた新しく始まったのかもしれない。そうは思わないか?」

「そう…かもしれませんね。私たちがいつかこの世を去っても…またあの子たちの子孫がきっと…また次へと繋いでくれるのかもしれませんね」

 穏やかな日々は、きっと続かない。戦士としての勘がそう告げる。双子の未来は、過酷な道のりになるかもしれない。だが。

「あぁ、次はあの子たちの出番だ。これからも、見守っていくとしよう」


「エランド…!」

 駆け寄ってくるヴェリスを、いつもと同じようにエランドは迎える。

「どうした、ヴェリス!」

「……手合わせ、しよ!」

 にっこりと笑って剣を差し出すヴェリスに、エランドはふと呟く。

「……懐かしいな……なんか」

「ん?何か言った…?」

 聞き取れなかったのか、聞き返してくるヴェリスに、エランドはいつもの笑みをニッと浮かべる。

「いや………へへっ……また、負けても知らねーぞ!!」

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