2章 After Episode
かつて魔王軍を破ったシーナ=レグルスの隣には今、面立ちのよく似た二人の子供がいた。
「ねぇ、母さん!その、いつも言ってるマスターって誰?」
そう、その子供たちは、9歳になるシーナの双子の子供達だった。男の子はエランド、女の子はヴェリスという。
エランドがシーナの周りをうろうろしながら質問する。
「そうですね……。そろそろ話してもいいでしょうか……」
「私も知りたい!お母さん!」
子供ながらに敏感に母親の雰囲気に反応して聞くに聞けなかったのだろう。シーナがエランドの問いに答える様子を見せると、ヴェリスも興味津々
に飛びついてきた。
その様子に、シーナの頬も緩んだ。
(マスター。私は今、子供たちに囲まれて、最高に幸せです。あと、もう少しですね)
心の中でヴェランドに語りかける。
「魔王軍を倒した母さんより強いの!?」
「私も会ってみたい!」
無邪気な二つの笑顔に、シーナも笑みを浮かべた。
今から11年前。シーナがゾルダートに勝った時、もう一つの剣の誓いが生まれた。
「くそっ……!うっ……っ……、がはっ……!」
倒れ伏したゾルダートを、シーナは静かに見下ろす。その瞳はかつて自分を下し、悪魔との契約のきっかけとなったエリスを髣髴とさ
せた。
「私の勝ちで、よろしいですね」
問いかけというより確認に、ゾルダートはあっさりと頷く。
「あぁ……煮るなり焼くなり好きにしろ……」
「いえ、私はあなたを殺すのが目的ではありません。あなたの命が無駄というわけではなく、私はマスターに教わりました。人を殺してはいけないと」
静かに剣を収めるシーナを、ゾルダートは鼻で笑う。
「はっ……どこまでも甘い野郎だぜ………っ……シーナっつったか……聞いていいか」
「……?なんでしょう」
突然嘲るような口調がなりを潜めそう問うゾルダートにわずかに戸惑いつつ、シーナは彼に向き直った。
「お前の言うマスターってのは……ごほっ!ごほっ!誰なんだ?」
その問いに、一度目を閉じ、そしてまた開く。開かれた瞳には、無意識の柔らかさが表れていた。
「あなたのよく知る、ヴェランド=レグルスです」
予想できていたであろうその答えに、ゾルダートは得心がいったように頷いた。
「なるほど、な……だからお前の眼差しがどこかあいつに似てる気がしたんだろ……いや……。エリスの瞳にも………て、何思い出してんだろうな…
…」
自嘲。自ら捨てたものが、今更大切だったのだと思い出した。彼らの姿に、昔の自分がありたいと願ったことを、憧れたことを思い出した。手を伸
ばしても届かなくて、焦ってあがいて道を踏み外した。その末路がこれなのだと。自分を憐れむつもりはない。後悔もするつもりはない。
ただ、失ったものの大きさに気付けなかった自分を哀しく嘲る。
「……エリス……、どのような方だったのですか?」
言葉を尽くしても、ゾルダートの哀しみは和らぎはしない。だからこそ、望まれない言葉をかけるよりも問いかける。
「変わった女だった……、てめぇの命削って弟子に託して逝っちまうようなやつだった…………。でも、俺もそんな奴に戦い方を教わったんだ……」
懐かしそうに遠い目をするゾルダートは、穏やかな顔をしていた。
「……私のマスターも、ヴェランドも…そんな方でした」
しんみりとした空気を振り切るように、ゾルダートは頭を振った。
「まあ……俺の話はいい……女、お前。魔王軍を潰しに行くんだろ?」
「……えぇ、止めようとなさっても無駄ですよ……?」
鋭い目を向けるシーナに、ゾルダートは目を伏せた。
「ちげぇよ……」
予想とは正反対の言葉に、シーナは瞠目した。
「ぶっ潰してくれ、こてんぱんにな……俺は…魔王軍に入りたくて入ったんじゃねぇ。悪魔と契約したくて入った……悪魔と契約して手に入れた力で
ぶっ潰してやりたかった…間違ってるって分かってた……でも…俺には叶わなかった……だからよ…。頼むぜ……」
思っていたゾルダートという男のイメージが覆る事実。彼もまた、魔王軍に対抗する術を手に入れようとしていた。自分たちと心の持ちようは変わ
らない、道を誤っただけの同志であった。
その同志が、ふらつきながらも立ち上がり、シーナに敵意のない刃を向けた。
「!……それは……」
「ははっ……やったことあんだろ……?剣の誓い。俺はもう悪さもしねぇ、全てを償うつもりで生きていく…。だから女。俺の家族を殺した魔王軍を
……ぐすっ……ぶっ潰してくれ……剣の誓いを…………ここに…」
うっすらと涙を浮かべて託される想いに、シーナは自分の刃を重ねた。
シーナは魔王軍に乗り込み、あっという間に打ち破ってしまった。それほどに天魔の力は強大であったと改めて、シーナは自分自身に震えてしまっ
た。力に酔いしれたわけではなく、単純に己が怖かったのもあった。
天界から戦いの行方を見守る者たちの様々な声が聞かれる中で、難しい顔をしてエリスが呟く。
『あれが、天魔の力なのね…凄まじいわ』
魔王軍を圧倒する力は確かに自分たちが望んだ力。しかし、これほどの力を本当にこの世に生み出してよかったのだろうか、そう顔に書いてある。
『でも。シーナは悪いように使ったりはしません…なんて言っても…僕の弟子ですからははっ』
エリスの心配を軽く笑い飛ばして、ヴェランドは絶対の信頼をシーナに預ける。それに値する弟子だと分かっているからだ。
『ふふっ、どうして…あの子に私の名を?』
それほどの信頼を託せる弟子にヴェランドが出会えたことをエリスは喜ばしく思いながら、疑問に思ったことを投げかける。
『僕にもわかりません。ただ………いえ……。分かりません』
思うところなく名付けたわけではないが、はっきりと理由をと言われるとはっきりとは言葉にはできない。
『そう、でも……継がれているって、改めて実感するわ』
それでも、なんとなくヴェランドの言いたいことをくみ取って、嬉しそうに微笑んだ。
「よっ、シーナ=レグルス。やっぱりここにいたか。1年ぶりだな」
かつてシーナがヴェランドとともに住んでいた家に、ゾルダートが訪ねてきた。
「……お久しぶりです…ゾルダートさん。はい、やっぱりマスターと住んでいたここが一番落ち着いて…」
愛おしそうに壁をそっと撫でる。
「そう、だったな。あいつはお前に力を託すために……消えてったんだったな…………すまねぇ」
突然頭を下げるゾルダートに、シーナは困ったように首を傾げる。
「?頭をあげてください」
その言葉を受けてもゾルダートは頭を上げようとはしなかった。
「魔王軍が破られたからって言って俺のしたこと、お前の友達を村と一緒に焼き払った事。許されるわけじゃねぇンだ」
「確かに、酷いことをされたのは事実です…が。あなたはもう悪いことはしないと、一年前に誓っていたんです。償いとして毎日を過ごされているの
ですから。私は責めるつもりはありません」
迷うことも揺らぐこともない瞳。それから発せられる言葉に、許されることなどないはずなのに許されたかのような錯覚に陥る。
だからこそと、ゾルダートは思うのだ。彼女が、世界が彼を許しても、自分だけは最期の時まで自分を赦してはいけないのだと。
「ったく……甘ェよ、お前は。まぁ、ありがとな……」
随分と柔らかくなったゾルダートにシーナもふと口元を緩め、そして首を傾げた。
「それで、私に何かご用でしょうか?」
思い出したようにゾルダートが口を開く。
「あぁ、お前…フォードって名前を知ってるか?」
シーナはさらに首を傾げ、記憶を探る。
「いいえ……、聞いたことありません…」
「ヴェランドの実の父親の名前だ」
驚いたようにシーナは目を見開いた。
「!マスターの…お父様……」
「魔王軍が破られて一年、里が大分落ち着いたってことでよ。ほら、ヴェランド宛に手紙が来てんだ。帰って来いと」
その言葉に、シーナは視線を落とした。
「……今はもうマスターは………あれ………?どうして、ゾルダートさんが手紙を?」
ヴェランド宛の手紙が、ヴェランドの住んでいたこの場所に届かず、ゾルダートが持っていることに疑問を覚える。
「七王退魔人の本部に一度届いてからそれぞれの家に送られるようになってんだ、んで俺が届けに来たってだけの話だ」
その説明にようやくシーナは納得の色を見せた。
「そうだったんですか……」
ちらりと、行ってみたいという想いが胸をよぎる。
「行ってみろよ、ヴェランドの故郷に」
その想いを見透かしたようなゾルダートの言葉に、シーナは小さな葛藤を抱いた。
行ってみたい、ヴェランドの育った場所を見てみたい。
「でも、やっぱり……!」
一方で、そのヴェランドを殺してしまったのは自分であるという事実と自責がその想いを阻む。
口から出た言葉に、マスターの言葉がシーナの耳に蘇った。
『でも、は使ってはいけないと教えただろう?』
背中を、押された気がした。
「………。ありがとうございます…、ゾルダートさん。行ってみます」
吹っ切れたように礼を言うシーナに、ゾルダートは小さく笑った。
「あぁ、別に礼を言われるようなものでもねぇ。気をつけてな、もう……多分会うこともねぇさ。元気でやれよ」
突然告げられた別れに、シーナは戸惑う。
敵対していたが、それもない今、自分以外にヴェランドを知る数少ない人として、どこかで親しい相手として認識していたのかもしれない。そんな
相手からの突然の別れの言葉は、シーナの心を揺らした。
「っ……少し、寂しいです……」
うっすらと涙ぐむシーナにゾルダートは肩をすくめた。
「俺も俺で旅に出ようってだけだ。んじゃな」
シーナに背を向けるゾルダートの口元はうっすらと笑みを浮かべている。自分との別れを惜しんでくれる者がいることが、どうしようもなく嬉しか
った。
(縁があればまた会えるさ)
しかし、どこかで分かっていた。あの言葉通り、もう会うことはない。
二人に、再会の約束はなかった。
白い光に近づくように染め変わっていくゾルダートを、かつての師は優しく見守る。
『変わったわね、ゾルダートも』
成長、というにはすでに成熟した大人ではあるが、ゾルダートの確かな心の変化にエリスは穏やかに微笑んだ。
『奴なりの誇りもきっとあります。魔王軍に入った事は良くないことかもしれませんが、ゾルダート自身全てが悪だったわけではありません…。悪魔
が心を刈り取れなかったほどに大きな信念を抱いていたと、そう言ってましたから』
ヴェランドの言葉にエリスは頷いて、再び天界の二人の目はシーナとゾルダートに向けられた。
今まで話したことのなかったヴェランドとの日々を。懐かしそうにシーナは話す。その話を、エランドとヴェリスは瞳を輝かせて聞いていた。
「すっげー!じゃあ母さんが最強ってことなんだ!」
「お母さんかっこいい!いつも遠いところにいるって言うお父さんはその、お母さんのマスターのふるさとに居たの?」
興奮した二人の矢継ぎ早な質問にシーナは苦笑した。
「いいえ。あなたたちの父親は私のマスターです……あなたたちが生まれた時から、遠い遠いところにいるんです……」
「ってことは、母さんの師匠が僕らの父さんってことなの!?」
「すごい!お父さんはいつ遠いところから帰ってくるの?」
興奮しきりの子供たちの顔を微笑ましそうに見る。が、無邪気なヴェリスの問いに、その微笑みがわずかに陰った。
「ヴェリス!それは言っちゃいけない約束だろ!」
シーナの様子を子供ながらに察して、エランドがヴェリスをたしなめる。
そんな子供達の髪をシーナは優しく撫でた。
「ごめんください」
里に訪ねてきた少女。下の名前は、その里の者の1人の家系と同じだった。
「っと、いらっしゃい。どちら様で?」
家先に訪ねてきた見知らぬ少女に、その家の主、フォードが声をかけた。
「……その……ヴェランド=レグルス宛のお手紙を頂きまして……」
少女の言葉に、フォードは疑問符を浮かべる。
「あっれ、送り間違えてしまったかな…?それは失礼…」
「いえ…、しっかりとヴェランド=レグルスの家に届いていました」
一層疑問符を浮かべるフォードが問いかける。
「となると、君は一体誰なんだ…?」
少女はスッと頭を下げた。
「ヴェランド=レグルスの弟子、シーナ=レグルスです…マスターは1年前に……力を……その…私に……」
「譲渡したわけだ」
言いよどむシーナの言葉を悟ったように引き継ぐ。
「そうです……譲渡を…って、えっ?どうしてそれを?」
「私も元々は退魔人だったんだ、そんなに口ごもるんだから察することはできる。それに、君の魔力からはヴェランドの色がよく出ている。私は魔力
を視覚化できるみたいでね。安心してほしい、私はヴェランドの死について君を責めたりはしないさ。さぁ、上がって上がって」
終始柔らかい、どこかヴェランドと似た雰囲気を醸すフォードに、シーナは事情を説明しようと言葉を探す。
「私……天魔の力を…マスターから力をいただいて……」
「あぁ、分かるとも。はっはっは、私はそんなに察しの悪い人間ではないさ。シーナ君と言ったか、君は魔王軍の奴隷か何かだったんじゃないか?」
どもる言葉を遮るように、フォードは笑う。
「は、はい…そうです…。9年ほど前に村を襲われた時、助けてくれたのがマスターで…シーナという名前もマスターがつけてくださいました…でも
どうして私が魔王軍の奴隷だったと…?」
「天魔の力を完成させることができるのは、ほぼほぼ魔族の血を引いた者だけだからだ」
自分のたどり着いた結論をこともなげに話すフォードにシーナはあっけにとられたような顔をする。
「とても…詳しいんですね……」
説明する必要もないほど、すでにフォードは全てを察していた。
「レグルスの名は…?」
紹介を受けた時から思っていた疑問をフォードが口にすると、シーナは目を伏せた。
「ヴェランド=レグルス、マスターの名前でしたから……当時の私にはシーナという名しかなく、下がありませんでしたから…。マスターが、たった
一人の家族でしたから……」
「そうか、だからレグルスと。なるほど、なら安心してくれ。君は私の家族だ、初対面で何を言うと思うかもしれないが、息子の弟子なら尚更だ」
「その……ありがとうございます……フォードさん……その…ちょっと質問があるんですが…」
家族と言われたことに喜びを覚えながらも、朗らかに笑うフォードにシーナも疑問を投げかける。
「はっはっは、私の容姿の事だろう?私は今本当なら48歳なんだがね、実際は35なんだ」
「わ、若返ったりできるんでしょうか…?」
常識と目の前の事実に困惑し目を泳がせるシーナに、フォードはおかしそうに笑った。
「はははっ、馬鹿を言うね。私はヴェランドが11歳の時に魔王軍に連行されて石化させられてしまってね。ずっとそのままだったところを13年経って
ヴェランドが24歳になって、私を助けてくれたんだ」
その説明にシーナは頷く。
「なるほど……だからとてもお若いという事だったんですね……」
「皮肉な話ではあるがね。それで、ヴェランドに手紙を出した理由なんだが」
あ、とシーナが気まずそうに首をすくめる。
「そ、そうでした……。マスターに何かあっての事だったんですね……」
「まぁ、そういうことだ。私たちの里では大精霊の宴といって、10年に一度行われるお祭りがあるんだ。その大精霊の宴は、亡くなった人たちが遊び
に来る。そういうお祭りなんだ」
「亡くなった方が……!?」
にわかには信じられない話に、シーナは目を瞬かせた。
「そう。宴が行われるのは10年に一度の3月17日だ。今日は3月の15日。明後日に行われるんだけどね。エリスさんに逢えるから、ヴェランドを呼ぼう
と思ったんだ」
「そう…でしたか…………すみません……私……」
しゅんとうなだれるシーナの肩をフォードは明るくたたいた。
「どうして謝るんだい?何度も言わせるな、君は悪くない。………参加していかないか?」
思ってもいなかった誘いにシーナはとっさに首を振る。
「私が……ですか…?いや………でも………」
「でも、こいつは使っちゃいけない言葉なんだ。ヴェランドにもよく言ったものだよ」
思いがけずマスターヴェランドの言葉のルーツに触れたシーナははっとし、大きく頷いた。
「は……はい…!それでは……私も、その宴に参加させていただきたいです!」
その言葉にフォードは満足げに笑った。
「あぁ、もちろんだとも。ヴェランドもきっと来るさ」
胸にあった期待も見透かされ、少しだけ恥ずかしそうなシーナは、そういえばと気になったことを聞く。
「フォードさん……あの……」
他人行儀な言葉にフォードは苦笑した。
「君は私の家族なんだ。さんなんてやめてくれたまえ。はっはっは」
「は……はい!ふ、フォードおじさん。一つ聞いてもいいでしょうか……?」
恥ずかしそうにフォードをおじさんと呼ぶシーナに、フォードは面白そうに笑った。
「おじさんか、そんな歳でもないのに変な気分だよ、ははははっ。どうした、シーナ」
「マスターの、お母様は………いらっしゃらないのでしょうか……?」
初めてフォードが口を閉ざした。
真っ白な光の中で、ヴェランドは寂し気な顔で目を伏せた。
『僕の母親は、僕が生まれた時には…もうこの世にはいませんでした』
静かな声で、ヴェランドがエリスに話す。
『………何か、あったの?』
『存在しないんです。僕の母は』
思いがけない言葉、本来使用されることのない言葉にエリスは眉を顰める。
『存在…しない…?』
『僕は生まれつき魔力が強かったと聞いたことがあります。母が僕を生んだ時に、僕の体には余りがありすぎる魔力が暴走したんです」
その言葉に、エリスはかつての才能に溢れたヴェランドに納得する。
『やっぱり、天性の退魔人だったのね』
ヴェランドは、エリスの言葉が聞こえなかったように言葉を続ける。
『しかし、魔力が僕の命を蝕みかねないと判断した母は天使と悪魔の並列契約をしたんです』
『へ……並列契約!?』
ありえない言葉に、エリスは息を飲んだ。
『天使との契約の内容は暴走した魔力から僕の体を保護すること、悪魔との契約は魔力を抑え込むだけの力を取引すること。でした』
辛さを耐えるような顔に、エリスは続きを促すことを一瞬躊躇う。しかし、話し始めたヴェランドには促したほうが楽だと考え直した。
『並列契約をして……あなたのお母様は……』
『死ぬ、というよりは…。同時に契約したという事、そして互いに拒み合う力を取り込んだことで、母は消滅してしまいました』
あまりといえばあまりの現実離れしたことに、エリスは言葉を失った。
『……そうだったのね…………?という事は、あなたのお父様の言う大精霊の宴には……』
『はい、そもそも死んだわけではないので…無に還るというのでしょうか…なんというか。会うことはできませんが……しかし、母のおかげで今の僕
はいます。感謝して生きていこうって思うんです。まぁ…もう死んでるんですけどね、はははっ』
いつしかヴェランドから悲壮な雰囲気は消え、いつものように笑う。それにつられるようにエリスも笑った。
『…ふふっ、いつか私も会ってみたいわ。あなたのお母様に』
『そうですね……僕も会って、改めてお礼を言いたいです。そうだ、マスター』
『?どうかしたかしら?』
思い出したようにヴェランドが笑う。
『言い忘れていました、僕の母の名前は……』
「……ヴェルダンディ、ヴェランドの名前はそこから来てるんだ。ヴェランドの名前は妻からとろうと思ってね』
フォードはシーナに思い出を話すようにそう言った。
「そうだったんですか……マスターのお母様は…あぁ、いや……おばさんは宴にはやっぱり…」
フォードをおじさんと呼ぶようになったことを思い出し、そう言い直す。
「あぁ、来ることができない。悲しいと思っていた時期もあったがね、私にはヴェランドが残されていた。いつまでもめげていたらヴェルダンディに
怒られてしまうからな。さぁ、長旅で疲れてだろう。こっちへ来なさい」
フォードに招かれるままに家に中に案内され、一つの部屋に向かう。
「ぁ、はい。この部屋は……?」
案内された部屋の扉を開けられ、中を見る。
「感じないか?」
部屋の内装、雰囲気、シーナには覚えがあった。
「……マスターの部屋、ですか?」
「あぁ、そうだ。この部屋は君が使うといい、ヴェランドがエリスさんに弟子入りをし始めたと言っていた13年前、その頃からこの部屋は何も変わっ
ちゃいない」
「……そう…ですか。ありがとうございます」
頭を下げるシーナにフォードは言葉を続ける。
「一応部屋の掃除などは定期的にしているからね、何かあったら言うんだよ。私は夕飯の買い出しに行ってくる。また後で」
「はい、また」
それだけ伝えてフォードは部屋を出た。閉まる扉を見届けて、シーナはベッドに体を横たえる。
「……ここが、マスターの部屋………。よいしょ………マスターの匂いがする…」
どこか安心する雰囲気の中で、シーナは一時の眠りについた。
里も宴の準備でにぎわい始め、シーナも手伝いに回り、まだ前日であるというのに過去最高の盛り上がりを見せていた。
「18時52分………」
3月17日、宴の当日。時計を確認してそわそわとするシーナにフォードは困ったように笑う。
「宴は19時からだ。時間が来ると、空からたくさんの光が降り注ぐ。降り注いだ光のどれかがヴェランドだろう。宴は明日の19時までの24時間だ、死
人も24時間しか滞在はできない」
光が徐々に薄らぎ、現世の色に周囲が染まっていく。
『もうすぐ時間ね、私もあなたの弟子に会ってみたいわ。一緒に行ってもいいかしら?』
エリスが珍しく弾んだ様子でヴェランドに訪ねる。
『もちろん、一緒に行きましょう。マスター』
数分の待ち時間がとても待ち遠しく思われた。
辺り一面に宴の始まりを告げる鐘の音が鳴り響き、天から数多の光が降り注ぐ。
「時間だ、私はここで待っている。探してきなさい、シーナ!」
「……はい!」
力強く背中を押す声に頷いて、待ち人を探すためにシーナは駆け出した。
「…………マスターは………どこ……でしょう……」
「……シーナ」
きょろきょろと探し回るシーナの背後から、懐かしい声が彼女を呼ぶ。その声に体が強張り、ゆっくりとしか振り向けないのがもどかしい。
「……!……マス……ター……?マスター!ぅっ……っ、ぐすっ……ひぐっ……」
目に映る人物に意図せず溢れる涙をぬぐうことも忘れ、その存在を確かめるようにシーナはその胸に飛び込んだ。
「久しぶりだな、シーナ。こらこら、そんなに泣くんじゃない……元気だったか?」
シーナの記憶の中の姿、声そのままにヴェランドはそう声をかけた。
「ます……たぁ…!っ…ぐすっ…ふぇぇぇぇん」
しかしシーナはその問いに応えることもできず、幼いころに戻ったかのように泣き続ける。その様子に、ヴェランドは困ったように隣に立つ女性に
視線で助けを求めた。しかし、女性はヴェランドを助けるどころか、その視線を受けてもどこ吹く風で動く様子もない。
「まだまだ年頃の女の子なんだから。自分が大好きで慕う人間に会えないなんてまだまだ辛いのよ」
今一つ女心というものが分からないヴェランドとしては女性の言葉に首を傾げるしかない。
「そういうものなんでしょうか……シーナ、いつまでも抱き着いているんじゃない。顔を上げるんだ」
あのころと変わらず優しくたしなめるヴェランドの声にシーナはようやく我に返って離れた。
「ぅ……はい……すみません……。?こちらの方は……?」
ようやく少しずつ落ち着いてきたシーナはヴェランドの隣に立つ女性に気付いた。
「私のマスターだ」
「こんばんは、シーナ」
ヴェランドの紹介と女性からのあいさつでシーナの頭が働き始める。
「えっ!?マスターの……マスター……!エリス様ですか…!?」
会えないと思っていた人物の登場に、シーナは慌てて涙を拭い、エリスに向き合った。
「様なんてそんな。でも、ありがとう。会ってみたいって思ってたの」
「私もです…!マスターのお師匠様にいつか会ってみたいって……」
きらきらとした瞳で自分を見上げてくるシーナに、エリスが一つの提案を持ち掛けた。
「一度、手合わせしたいわ。弟子の弟子がどこまで教えを受けたのか」
ちらりとエリスからの視線を受けたヴェランドが自信ありげに頷いた。それには気付かず、シーナは憧れの相手と手合わせできるチャンスに胸を高
鳴らせている。
「よろしいのですか!?そんな夢のようなこと……」
「もちろん。真剣はあるかしら……?ヴェランド、あなたのを貸してちょうだい」
さっと視線を走らせ、ヴェランドの剣に目を止めたエリスがそう言うと、ヴェランドはさっと剣を腰から外してエリスに差し出した。
「はい、こちらを」
エリスはヴェランドから受け取った剣の重みを確かめるように軽く振って、シーナに向き直った。
「ありがとう。シーナ、準備は大丈夫?」
「はい…!いつでも……!」
さっと構えるシーナを見て、エリスは嬉しそうに微笑んだ。
「……その構え……。やっぱりヴェランドの弟子なのね……とても嬉しいわ。………っ!……その真剣は?」
構えたシーナから視線が剣に移ったとき、エリスは驚いたような嬉しいような表情を浮かべた。
「これですか?これは10年前に私にマスターがくれた真剣です……!」
一目で大切に使われてきたと分かる美しい剣の姿に、エリスは感嘆し、笑みを深めた。
(私の真剣を、シーナに譲ったのね。きっとそのほうが剣も喜んでくれる。ありがとう、ヴェランド)
「ふふふっ、そう…………。始めましょうか、シーナ!」
「はい!よろしくお願いします!」
二人の剣士の美しい剣舞が澄んだ音を奏で始めた。
「久しぶりだな、父さん」
久方ぶりに再会した親子は隣同士に座り、言葉を交わす。
「あぁ、ヴェランド。元気にしてたか?って、お前はもう死んでるんだったな」
苦笑する父親に存外明るくヴェランドは応える。
「もちろん、元気にしている。悪いな、何も言わずに」
最後の一言だけが少しばかり気落ちしているようにも聞こえる。それをフォードは笑い飛ばした。
「どうして謝る?お前はやりたいようにやったんだ、私がとやかく言う資格はない」
「はっはっは、父さんらしいな……」
しみじみと懐かしい物言いに穏やかな心持になる。
「顔を見れただけで充分さ。息子の元気を見れて、私はまだまだ長生きできる」
「ははっ、長生きってそもそも父さんまだ35じゃないか。長生きも何もまだまだ長いだろ?」
実年齢と見た目のギャップが一種のギャグと化しているノリの父親に盛大な苦笑を浮かべるしかない。
とはいえ、実年齢であっても長生きを語るほどの歳ではないが。
「そうだったな、はっはっは!……ヴェランド」
笑っていたフォードが突然真面目な顔になる。
「……?どうしたの?」
突然に変わった雰囲気にヴェランドが困惑する。
「私より、もっともっと。お前にとって割くべき時間があるだろう」
ヴェランドははっとした顔になり、それから顔を緩めた。
「……あぁ。ありがと、父さん」
「それに、私もお前の師匠と話してみたいんだ」
今なお続く鋼の音のほうに目をやるフォードに、ヴェランドは頷いた。
剣戟の音もいつしか止み、剣の踊り子たちが剣を収める。
「さすがね、シーナ」
憧れの人にそう褒められ、シーナは蒸気した頬をさらに赤く染めた。
「そんな、私なんてまだまだ……エリス様の戦い方…やっぱり、マスターのお師匠って改めて感じました」
その感想にエリスはまた嬉しそうに笑う。
「また、いつか闘いましょう。あんまり時間を使い過ぎるとヴェランドに怒られてしまうわ」
「マスターが…?」
首を傾げるシーナを可愛らしいと思いながらも、ようやく来たヴェランドと場所を代わる。
「また会いましょう、シーナ。……ヴェランド、ありがとう。私はあなたのお父様に会ってみるわ」
「えぇ、父さんも話してみたいって言ってました」
遠ざかり際に一言、エリスは最後に投げかける。
「良い時間を、ね」
「マスター」
ようやく二人きりになったシーナとヴェランド。シーナが先に口を開いた。
「どうした、シーナ」
「次は……10年会えなくなってしまうんですか……?」
会えた喜びが、いざ向かい合うと別れの事を考えてしまってまた涙が出そうになる。そんなシーナに言い聞かせるようにヴェランドは言い含める。
「そういう決まりだ…、私だってすごく寂しい」
「こんなにマスターのことが好きなのに……切なすぎます……」
泣きそうに顔をゆがめるシーナ。しかし、それに応える術を、ヴェランドは持っていない。
「私もだ、だけど。死人は普通この世界に還る事なんてできない…今こうしてあえているのも一つの奇跡なんだ」
「……私はこれからどう……生きていけば良いと……目的を果たして……、マスターのいない世界で…」
涙があふれる瞳でヴェランドに縋り付く。
「新たな幸せを見つけなさい。私を忘れろというわけじゃない、別の何かを」
静かな声で告げられる内容に、シーナは俯くしかない。
「……初めて会った時……私はただの男の人に出会っただけ、そう思ってました。でも、いつからか憧れに変わって…背中を預けてもらえるような戦
士になるんだって。ですが…それすらも、変わって頭の中でいつもマスターの事ばかり考えて……」
精一杯想いを伝える言葉はどうしても拙くなってしまって。それでも言葉を紡ぐ。
「……シーナ……」
「マスターが出かけた夜は寂しくて、張り裂けそうで……とても、とてもつらかったんです…でも…ちゃんと帰ってきてくれるから寂しくないって…
そう思ってました」
シーナの思いがけない告白に、ヴェランドは驚いた様子でシーナを見つめる。
「すまない…シーナ……君がそんな気持ちだったなんて、私は気付けなかった…」
「大好きで大好きでどうしようもなくて……片時も忘れたことなんてありません……ずっと一緒にいたいんです!」
俯くシーナに、ヴェランドは辛そうに言い聞かせる。
「シーナ、それは叶わないんだ。分かるだろう…?」
駄々をこねるようにシーナはその言葉に首を振る。
「私は……マスターを……愛しています、とても…どうしようもないくらいに…」
「………シーナ……。私もだ、君の事を愛している。あの日天に還ってから、それこそ私も君の事を片時も忘れたことなど無い」
それでも、その想いは叶わない。死者と生者の時間が交わることはない。先に言った通り、この24時間だけが理に反した例外中の例外の時間。
「……マスター………もう……どこにも行かないでください……」
「また……逢える。きっと。いや……絶対に」
「っ……うっ……ひぐっ……うわぁぁぁぁぁん」
遠回しの拒絶に、思わず涙するシーナを、ヴェランドはそっと抱き寄せる。
「……おいで、シーナ」
ヴェランドに抱き着きながら、シーナは心の中で神様に祈る。
(もし願いが叶うのなら、私の力がこの世の中で最も強い力であるなら。たった一つのこのお願いを、聞いてはくださいませんか。最後のお願いです、
神様。ずっと、マスターと一緒にいさせてください)
「時間だ……しーな。また、会おう…」
宴の終わりを告げる鐘が、無情にも鳴り響いた。
「………マスター……!」
天に還り行くヴェランドにシーナは手を伸ばすが、その手は虚しく空を掴む。
「君ならどんなことでも乗り越えられる。いつでも私は君を見守っているよ」
それを最後の言葉に、再会の時は終わった。
ヴェランドと再会したあの日以降。シーナは天魔の力を使えなくなってしまった。理由は分からなかったが、ヴェランドに会うことができて、新た
な命を授かったからだろう、そう思っていた。
「そうか、ヴェランドとシーナの子か。元気に生まれてくるといいな」
フォードに新たな命を授かったことを報告すると、そう祝福の言葉が送られた。
「はい!きっと。マスターも喜んでくれると思います」
とても嬉しそうに笑うシーナに、フォードも笑う。
「まさかこんなに早くおじいちゃんになるとは私も思っていなかったよ、はっはっは!名前はもう、決めているのか?」
「はい、女の子にはヴェリス、男の子にはエランドとつけようかなって」
エリスとヴェランド、二人の尊敬する師から名前をもらって、これから生まれる子供たちにつけよう、そうシーナは考えていた。
「良い名前だ、私も君たちのこれからを見守ることとしよう」
「おじいちゃんはその里に住んでるんだ!また会いたい、お母さん!」
「えー、僕は父さんに会いたいな!父さんは来年また来てくれるんでしょ!」
「あ、私も!お父さんにも会いたい!」
元気に言い合う双子に、シーナは幸せそうに微笑む。
「そうですね、来年の夏ごろで10年になります。あなたたちがお父さんに会うのは初めてですものね」
「お父さんはすっごく強いんだよね、お母さん!」
「ばか、ヴェリス!母さんが一番強いんだよ!」
想像を膨らませる子供たちの話にシーナが口を出す。
「いいえ、エランド。私が強かったのは前にお父さんに会った時の話です」
「えー!でも、母さんは退魔人より強いんでしょ!」
頬を膨らませるエランドにシーナは説明する。
「私はあの日以降力を使えなくなってしまいました、剣術などはまだそれなりかもしれませんが、七王退魔人も今は私が抜けて六王に減りましたから」
「残念……お母さんはもう一度退魔人になりたい?」
シーナの説明を理解した上で、残念そうにヴェリスはそう問う。その問いに、シーナは首を振る。
「いいえ、私はもう戦うつもりはありません。仮にそんなときが訪れたら……あなたたちの出番です、エランド、ヴェリス」
双子の表情が自信のなさで陰った。
「僕ら、まだ全然強くないよ!ヴェリスなんてこの前、擬剣でツボ割ってたんだから!」
「あっ!エランド!言わないでって約束したのに!」
勢いあまって口を滑らすエランドにヴェリスが慌てて口を塞ごうとするが、もう遅い。
「ツボを…割ったのですか?」
「ごめんなさい、お母さん……」
素直に謝るヴェリスの頭にそっとシーナは手を乗せる。
「………ふふっツボを割れるようにまで振り回せるのですね。成長です」
「怒らないの…?」
「えぇ、成長した子をどうして叱る必要があるんです?変わった子ですね、ふふっ」
このやり取りに懐かしい想いを抱きつつ、自分がツボを割った時のことを思い出す。あの時のマスターもこんな気持ちだったのかな、と想像をして
楽しそうに笑う。
そんなシーナに、エランドが膨れて大きな声を上げる。
「母さん!ヴェリスに甘いんじゃないの!」
「いえいえ、エランド。あなたも擬剣を使い始めて1ヶ月どころか一週間で振り回せるようになったんですから。成長ですよ」
ヴェリスと同じように頭を撫でてやれば、エランドも途端に笑顔を咲かせる。
「へへっ、母さんに褒められた!やった!」
母親に構われるヴェリスにやきもちを焼いていたようで、ようやく構ってもらえてヴェリスにドヤ顔を向けるエランド。
「エランド!なら私と勝負しよ!」
「また負けても知らねーぞ!」
シーナの両手を引っ張り合いながら、同じような顔でイーっと相手をにらみ合う双子に、シーナは困ったように声をかけた。
「こらこら、喧嘩はしないように。ほどほどにするんですよ」
「母さん、お外にお客さん来てるよ!」
庭先で遊んでいたはずのエランドがとてとてと駆け寄ってきてシーナに来客を知らせた。
「?分かりました、今行きます」
心当たりがない来客の知らせにシーナは首を傾げながら玄関に向かう。
それを見送りながら、ヴェリスがエランドに聞いた。
「エランド、誰だったの?」
「わかんない、見たことない男の人!」
あっけらかんと答えるエランドに、ヴェリスは慌てたように玄関のほうを見る。
「それって危ない人かもしれないよ!」
そんなヴェリスにエランドが待ったをかけた。
「すごく優しそうな人だったから大丈夫だと思う!」
双子がそんな会話を交わしているころ。シーナは玄関を開け、来訪者を確認しようとしていた。
「はい。どちらさ………え?」
扉の向こうに立っていたのは、9年前に大精霊の宴で奇跡の邂逅を果たし、次年の再会に胸を躍らせていた人物だった。
「久しぶりだな、シーナ」
突然現れたヴェランドに、シーナは目を白黒させるしかない。
「うそ……どうして………マスター……?…まだ1年くらい先なのに……えっ!?」
完全に混乱しているシーナに、ヴェランドは変わらず微笑みかける。
「どこかの誰かが天魔の力を命の代わりとして天使と契約して、私を現世に呼び戻してくれたらしい」
ヴェランドの言葉がどこか遠くに聞こえる。理屈なんかどうでもよかった、ただただ、想い人が傍に戻ってきてくれた。それだけでシーナは十分に
幸せだった。
「ぅっ………ぐすっ……マスター……!会いたかったです………うわぁぁぁぁん」
感極まって涙するシーナを、ヴェランドはすまなそうに見た。
「すまなかったな、シーナ。初の取引だから、天界でも騒ぎになって話し合いが9年も続いてしまった」
「そんなこと、ありません!もう…どこにも行かないでください!」
涙ながらの懇願に、ヴェランドも力強く頷き、シーナを抱きしめた。
「あぁ、どこにも行かない。ずっと君の傍にいる……!」
ずっと求め続けた答えに、シーナは何度も頷く。
「はい……!はい…!マスター!」
お互いの存在を確かめ、刻み合うように二人は強く抱き合い、そして、ヴェランドがそっとシーナにささやく。
「………シーナ、剣はあるか?」
その意図を察し、シーナは嬉しそうに微笑む。
「もちろん………マスターからいただいたものですから……」
二人は同時にそっと剣を抜き、互いの剣を互いに預け合うように交差させ、掲げた。
「私はもう君の傍から離れない。そして…君も私の傍から離れないでほしい…だから…!」
ヴェランドの口上に、シーナも誓いを込めて頷く。
「剣の誓いを……」
「ここに……」
揺るぎのない大地に交わった誓いの剣を立て、二人は誓いの口づけを交わした。
天界から、ようやく別離を終えた二人をエリスは見守る。
『ふふっ、幸せになってね。ヴェランド』
そんなエリスに、ためらいがちな声がかかった。
『先生』
覚えのある声に、エリスはさっと振り向いた。
『!ゾルダート!どうして天界に!?』
『悪魔との契約が切れたんですよ、俺も死んだってことです』
ゾルダートの返答に、エリスは悲し気に嘆息した。
『……そう…………まだ、私の事を憎んでいるかしら……?』
そっと聞くエリスに、ゾルダートは首を振る。
『いえ……全く、あの時は……すんませんでした……』
深く頭を下げて謝罪するゾルダートに、エリスは静かな声をかける。
『もう、終わった事なんだから。いいのよ』
エリスにそう言われれば、ゾルダートもしつこく謝ったりはしない。もともと、赦しを求めて謝ったわけではなく、彼自身のけじめのつもりでしか
なかった。
『……………不思議な奴ですね、ヴェランド=レグルス。死んだのに、また蘇るなんて』
エリスと同じものに目を向けたゾルダートが、感慨深げに呟く。
『あなたが悪魔との契約で心の刈り取りを防いだように、世の中の秩序に愛が勝る場合もあるということじゃないかしら』
エリスの変わらない静かな声に、ゾルダートは苦笑を浮かべる。
『なるほど、俺にはわからねぇ世界だ』
「君にはたくさん謝らないといけない。この9年…戻ってこられるのは決まっていたのにヴェリスとエランドの事を任せっきりだった…、他にも…七
王退魔人の一人を投げてしまった」
過去を悔やむヴェランドに、シーナは明るく笑う。
「全然気にしていません。どうか、謝らないでください。今こうして一緒に居ていただけるだけで……私は幸せですから」
「いや……でも……!」
とっさに言い募ろうとするヴェランドに、シーナはいたずらっぽい笑顔を浮かべて懐かしい言葉で制す。
「ふふっ。でも、は使用禁止ですよ、マスター!」