音無くんと雨宮さん
校内にはもう殆ど生徒もいない。こんな時間にこんな場所を訪れる人なんてそういるもんじゃない。
部活はまだ途中だし、それ以外の人は大抵帰ってるもんなあ。
覗いた窓の外では、部活に張り切る生徒達がグラウンドを駆け回っている姿がある。
(空がここから何を見ているのかさえ分かればいいんだけど……)
そう呟いてみて、ふと気付いた。
空がそんなに気にするくらいのものがあるんだったら、他の誰かにも見てた人がいるかもしれない。
他にこの窓から見てそうな人。あのタイミングでこの場所を訪れた人。
「そうか。もしかしたら星亜が見ているかも……」
本人を捜して……って、これ以上訪ね人増やしてどうする僕。本末転倒じゃないか、それ。
もしその時に星亜がなにかを見ているんだったら、呟くくらいはしているかもしれないし。星亜の様子を再生してみる方がいいかもしれない。
けど、あの時。星亜がこの階段にいた時間。それを示せるキーワードってあったかなあ。
その場でうんうんと唸っていると、
「……音無くん? どうかしたの?」
棚ボタというか、なんというか。噂をすればなんとやらか。
そこには訝しげに僕を見る星亜の姿があった。
「星亜のパンツを見に行こうか迷っていました」
「……そこまでハッキリ言われると、どう続けていいのか困るわね……」
「大変失礼いたしました」
「それで、こんなところで何を再生しようとしていたわけ? 私なんか見ていても仕方ないでしょう?」
「うん。ちょっと星亜に聞きたいことがあってさ」
僕は空に関しての事を説明する。
「なるほどね、そういうこと。ここの窓から……」
「なんで、もし何か見ていたら教えて欲しいんだけど」
「ごめんなさい。残念だけれど、特に窓の外は気にしていなかったわね」
その日の事を思い出す様にして、星亜は小さく首を振った。
「そっかあ、残念。何か気になったことでもあればと思ったんだけど……」
「あ……そういえば……」
そんな僕の言葉に、星亜は突然声をあげた。
「ごめんなさい、思い出したわ。音無くんと出会った後、校庭で空を見たわ」
「え、どういうこと?」
「やたらとキョロキョロしてて……そうね、なにかを探してる感じで……」
「どの辺だったか分かる?」
「言葉だとちょっと説明しにくいわね。実際に行ってみましょ」
「うん、是非に」
もしかしたら、これでなにか手掛かりがつかめるかもしれない。そんな期待感を胸に、僕は星亜の後ろに付いて歩きだした。
校庭に出た僕達は、部活中の生徒たちの邪魔にならないように気をつけながら目的の場所へと向かって行く。
「そうね、あの辺りかしら」
やがて、そう言って立ち止まった星亜は、目の前の草むらを指さす。
僕は生徒手帳を取り出して、千鍵から貰った学園内の見取り図のコピーを広げつつ、その場所と空が眺めていた窓の場所とを重ね合わせる。うん、間違いない。
「さっきの踊り場のすぐ下、だね。あそこからよく見える位置だよ」
「そうなの?」
「これ見て」
僕はメモしたコピー用紙を星亜へ見せると、空が見ていた《なにか》を探し始める。
空が見ていた場所も、ここで間違いない。
星亜は用紙を折り畳みながら、ふと呟く。
「でも、こんな所で何を見てたのかしら。珍しい花が咲いているわけでもないし、ただの草むらよね、ここ?」
「誰か猫でも捨てて行ったのかなあ」
「いくらなんでも、学園の敷地内にどうやって捨てるわけ?」
「だよねえ。となると、誰かがタイムカプセルでも――」
『うにゃあ』
「「………」」
「ねこ、よねえ……?」
「猫、だよねえ」
『ああ、こら待ちなさいっ。そっち出てくと見つかっちゃう……』
「「空!?」」
突然現れた子猫を追う様にして、その後ろの草むらから出て来た空の姿に、僕らは同時に声をあげていた。
「大地!? それに星亜まで……。なんでここに……」
空は慌てて子猫を抱き上げると、隠す様に身体を捻る。
「何言ってるのよ。放課後の集合すっぽかしといて。姉さん、かなりキてるわよ」
「あ……」
どうやら本気で忘れていたみたいだ。星亜に見せられたケータイの時計には、集合時間から大幅に経過している時刻が指されていた。
空の顔が、みるみる青ざめて行く。
「それに、その子猫どうしたの? 首輪付いてるし飼い猫でしょう」
「え、えっとぉ……い、いろいろありまして……」
星亜の追求に、空は困ったように苦笑を浮かべた。
◇
「つまり、集合のことも忘れて捨て猫を探していた。そういうことか?」
「ええっと……直球で言ってしまえば……」
再びみんなの集まった部室の中、不機嫌さを隠そうともしない星奈さんに睨まれて、空は縮こまっていた。
外見の可愛らしさとはまったく逆に、星奈さんの声には逆らい難い迫力がある。
流石は十二賢人の双璧とまで呼ばれる存在。これが第一位としての星奈さん、本来の姿なんだろう。
「変化球で言ってもそうじゃないのか?」
「集合という重要な任務がある事は認識していたが、捨て猫という想定外の存在が目の前に現れ、その愛くるしさとせつなさとが任務と言う言葉を上書きしてしまった……」
「うん、言い変えても同じだよね」
「同じだな」
「同じね」
「同じですね」
「えっと……同じ、に聞こえますね」
「ええ、同じね」
「そこおっ! こういうときは空気を読んで助け合うのがクラスメイトだったり、幼馴染だったりじゃないの!?」
「まあ、そうは言っても事実だしな。罪は罪として潔く認めるのが、カッコイイ男ってもんだ」
「わたし女っ!」
空はクールな印象があったんだけど、そんな面影はどこにも見えない。
「それで……結局どうなんだ……」
より不機嫌さを増す星奈さんに、空の顔がより引きつる。
「はっはいっ! すみません!」
「ですがこの猫さん、首輪されてますよ? なぜ捨て猫と?」
「うにゃ?」
「いえ、正確には捨て猫ではなくて、行方不明猫で……」
空は様子を伺うように星奈さんを見る。星奈さんは先を促す様に小さく頷いた。
「その、この間大地に学園を案内したときに気付いたんですけど、校庭の草むらにこの子がいて……。放課後に気になって見に言ってみたら、鍵の壊れたペット用のカゴがあって……」
「カゴに首輪か? 捨てたってワケじゃねーな、それは」
「うん。かといって学園に知られちゃうと、色々問題になっちゃいそうだし……。保健所とかにになったら、嫌だし。だから、飼い主見つかるまで保護しておこうかなって……」
「なるほどねえ。にしても、誰が学園に猫なんか連れて来たのかしら」
「さあ。わたしも本人見たわけじゃないから……」
「それで、その猫の世話をしていて集合を忘れた、というわけか」
「は、はいっ」
相変わらずの不機嫌そうな声に、空はやっぱりかしこまると素直に答えた。
さすがに、これはちょっと可哀想だなあ。
「まあ、小さな生命守ろうとした結果ですから。今回は見逃しても……」
「これを見逃せば、これから毎日空は集まれないか遅れることになる。協力者とはいえ、十二賢人関係する試験である以上、それは今後の世界を左右する可能性もある」
「そ、そんな大事に? いくらなんでもそれはオーバーじゃ……」
「当然のことだ。十二賢人はこの世界を守る最終防衛ライン。そのミス一つが、億単位の人々を消滅させかねん」
「事実、過去に起こった無数の戦争。その原因の幾つかは、地球外からの侵入者にあったとも言われています。たった一人、たった一つの地球外の存在が、それだけ多くの人命を左右するのは、間違いありません」
二人の口調と表情は真剣そのものだった。それは冗談なんかではなく、事実それに近いものを体験してきているんだろう。
空は俯いてしまったまま何も言い返さない。
でも、だったら……
「つまり、その原因を取り除いて、空が明日から集まれるようにしちゃえば、とりあえず今後については問題ないんですよね? 僕達で、その飼い主を見つけてしまえば」
「確かにその通りだが」
「でもお兄ちゃん。どうやって見つけるんですか? 顔も分かりませんし、何の手掛かりもありませんよ?」
「大々的に聴き込みをすれば、学園側にも知られてしまいますし。それですと空さんの苦労が……」
この学園の中から、先生に知られないように、飼い主を見つけ出す。確かに、普通ならかなり難しいだろう。でも、僕には出来る。
「この猫と飼い主が一緒に居るところをコレで見れば分かる。そうすれば問題ないよ」
「なるほどね。確かにそれなら、間違いなく見つけられる」
「顔の認識は任せてくれていいぜ。この学園の生徒の九割は、知ってるからな」
流石は退屈嫌って三千里。どんな所にも首を突っ込み話題を求める、学園一顔が広い生徒。。こういう時は特に役に立つ。
「というと、さっきの草むら?」
「さっきの場所だと、この三日間ずっといただろうし時間の特定が無理だと思う。でもこの三日間で一度しか訪れていない場所が、学園内にあるはず。たとえば校門だとかね」
「あ、そうか。登校時ですね」
「うん。普段は学園に動物を連れて来るなんてことはないだろうから、通っていないはず。それに、校門からなら外に出られるはずなのに、まだ学園内に居たっていうことは、それ以降も校門は潜っていない」
「流石お兄ちゃんです! はい、お祝いのキスをど~ぞっ♪」
「やったね、千鍵のほっぺキスゲットっ」
「お望みなら、唇でも構いませんよ? えへ」
「ち、千鍵さん。それはさすがにストップですっ」
「昔からこうなの、この兄妹?」
「おっと、いけないいけない。本気で喜んでる場合じゃなかった。校門へ行かないと」
そんな張り切る僕にみんなが向けてくれた視線は、なぜだかとっても暖かかった。
「それで、準備はいいのか?」
「はい、大丈夫です」
今僕の中にあるキーワード。これで充分いけるはずだ。
結果次第ではキツイお仕置きも待ってそうだし、流石に不安がってるかな、と空の方に視線を送ってみれば、普通に僕を見守っている空と目が合った。
「それじゃあ大くん。始めちゃいましょ。あまり時間食っちゃうと、下校時間になっちゃうし」
「そうだね、了解」
僕はペンダントに視線を落とす。下から三枚目の葉。恐らくは今を指しているだろう、その葉に。
キーワードを当て嵌めて映像化。
どうやら僕の考えは間違っていなかったみたいだ。キーワードに反応して、その光景が再生される。
朝の登校風景。時間的にはまだ余裕があるみたいだ。少人数の生徒たちが、ある者は会話を、ある者は眠い目をこすりながら校門を潜って来る。
その中に、いた。
あからさまに怪しい、大きなカバンを持った女子生徒。出来る限り揺れないようにとの配慮なのか、やたらとカバンを気にして歩いているのが分かった。
「僕はちょっと見覚えないんだけど……」
「特徴だけ言ってくれぃ」
「うん。えっと……」
僕はその子の特徴を細かく説明すると、留美は目を閉じながらしきりに頷いていた。
「多分、一年生だな。C組の教室で、何回か見かけた覚えがある」
本当に違う学年まで覚えてるんだなあ。留美、恐ろしい子。流石学年トップ3。
「んじゃ、とりあえず行ってみるとしようぜ。まだいるか分からないが、いれば儲けもん、だ」
「そうね。思い立ったが吉日よっ」
「殴り込みだあ!」
「音無組のお通りだぜぃ!!」
「おーい二人ともストップ。千鍵の評判が悪くなっちゃうじゃないか」
「えええ!? 私の方ですか!?」
「えと、何かな千鍵。その、私じゃないですよみたいな驚きは。……ってみんな、どうしたのかなそのジト目は……」
僕を素敵な視線で見つめながら、無言で距離を取って行く仲間たち。
うーん、みんな僕という人間を正しく理解しているなあ。
◇
日も沈み、すっかり暗くなった通学路を、空と二人で歩いていた。
他のみんなはさっさと帰ってしまった。友情って美しいよね。まあ、わざと気を遣われたのかもしれないけれど。
道を歩く人はほとんどおらず、帰宅途中のサラリーマンが数人歩いている程度。
その静けさの中、妙に響く僕らの足音が、ちょっと寂しい。
猫の件は、あれからすぐにカタが付いた。
両親とケンカして、可愛がっていたペットを連れて友達の所に家出。
だけどペット不可のマンションだったので、昼間、誰もいないところに残しておくわけにもいかずにつれて来たらしい。
でも学園に持ち込めるはずもなく、下校までと校庭に隠しておいたら、鍵が壊れていて行方不明になっていたとか。
今日もさっきまでずっと探していたらしいんだけど、空はよく見つけられたなあ。
「大地」
「なに?」
そんなことを思いながらぼんやりと歩いていると、突然空が立ち止まって僕の名前を呼んだ。
僕も思わず立ち止まる。
「……ありがとう」
呟く様な、本当に小さな声に、思わず聞き逃しそうになる。だけど、確かに空は言った。
間違いなく、『ありがとう』って。
……今のありがとうって、ひょっとして猫の件かなあ。
律儀にお礼を言うさっきの空の姿を思い浮かべて、僕は小さく笑った。
――本当に、空らしいなあ。
そして、慌てて幼馴染を追い掛ける。
なぜだろう。本当になぜだか分からない。
だけど僕は今、この候補生試験の協力を引きうけて良かったなんて思っていた。
このまま空の傍にいる。それが凄く魅力的なものに思えて。
見上げてみた夜空には、当然星なんて見えもしなかった。