音無くんと幼馴染
――僕、音無大地が、生まれて十七年間暮らしているこの街、群青橋。
関東圏某県に在する都市で、中核市に指定されている街。中核都市の中で最も人口の多い場所だ。
その中部に、音無家は住まいを置いている。
南部には商業施設をはじめ、工場などが多く、北部には農地もあり、米をはじめ多くの種類の農作物が栽培されているという。
どうやら今日は、南部にあるアミューズメント・パークへ出掛けるみたいだった。
自室へ入り、散らかった勉強机に向かっていた席に掛けられていたショルダーバッグの中を確認すると、完全に外出用のアイテムが揃っていた。
(用意周到だなあ……。どうして記憶なんて消したんだろう)
行く気満々と思えるその中身に、僕は少し過去の自分への不信感を抱いた。
――でも、もう過去の自分へは戻れない。戻る事を許さない。
みんなに挨拶をした。これからよろしくとお願いした。
そしてみんなは、――よろしくしてくれると、約束してくれたんだから。
だから僕は、みんなを裏切らない為にも、もう戻ることはできなくなってしまった。
「……よしっ」
頑張ろう。
そう心に気合を入れて、僕は自室を出た。
◇
モノレールとバスを乗り継いで数十分。
僕達はアミューズメント施設へと到着し、早速更衣室で運動できる服装に着替えた女性陣と共に、僕達は回りだした。
大須賀銀一郎――もといアニキ、そして天音ことあま姉。
まず僕は、この二人を一緒にしてはいけない。そう思った。
ビリヤード、ボーリング、バスケ……エトセトラ、エトセトラ。
二人をペアにして、僕と空、千鍵のスリーマンセルで対戦したところ、二人してハイスコアを叩きだして行くもんだから、たまったものじゃない。
三人がかりだと言うのに、昼には僕達の方が軽く息があがっていた。
フードコートで、僕は空と一緒に五人用の席を取って、休憩しながら三人を待っていた。
「大地、大丈夫……?」
「いやあ、大丈夫だけど。二人とも凄すぎ……。いつもこうなの?」
「まあ、そんなかんじ。あの二人、遊びにくるたびにスコア更新していくんだから。早く慣れた方がいいわよ」
「そ、そうなんだ……」
あはは、と苦笑を浮かべ合う僕ら。
移動中、僕はどことなくみんなとの距離感が分かってきていた。
というより、みんなが自然に僕をなじませようとしてくれていたのかもしれない。
そういうところに、僕は感謝こそすれ、裏を返せば申し訳なさを覚えていた。
でも、そういう罪悪感は持たない方がいいのかもしれない。
生まれてからずっと、僕はこの四人と過ごしているのだから。
両親もこれが初めてじゃないと言っていたし、みんなもきっと、慣れているんだろう。
僕はそう思う事にして、空と会話を続ける。
「そういう空も、かなり運動神経いいよね。部活とか入ってるの?」
「大地は、この面子で部活に入れる余裕があると思う?」
「……ないなぁ……」
「でしょう? 部活に入ろうものなら全員道連れだもの、あの二人は。一年の頃、大地が弓道部に入ろうとした時なんて全員で部活動見学に行ったんだから」
「え、千鍵も? その時って確か中三でしょ?」
「うん。それでも来ちゃう子なのよ、千鍵って子は……」
空は思い出した様に額に手を当てて嘆息した。彼女なりの苦労が目に浮かぶようだった。
そういう子なんだ、千鍵は。
兄が居る所に千鍵あり。中学の頃はそんな事も言われていたほどだとか。いや、今もらしいけど。
それがアニキ、あま姉、そして千鍵に挟まれる形……いわゆる僕と空が二年生になった時には、さらにそこにあま姉の姿ありと付くだとか。
「はーい、二人とも。焼きそばとお好み焼きおまたせー♪」
「なんだー大地、もう疲れちまったのか? 俺のスタミナ丼食うか」
「ちょ、流石に麺類にお好み焼きと来て、どんぶりは入りそうにないんだけど」
特盛りの焼きそばと巨大なお好み焼きを手にしたあま姉と、紙皿と割り箸を数枚持ちながら、片手で大盛りの丼ぶりを持っていたアニキがやって来るなり、二人に食べろ食べろと勧められる。
僕はあま姉から焼きそば、お好み焼きという順番で受け取ってテーブルに置くと、アニキは文字通りドンッと丼ぶりをテーブルに置いた。
人数分に紙皿と割り箸を分けると、千鍵が居ない事に気付く。
「そういえば、千鍵は?」
「あぁ、飲み物取って来るって言ったきり戻ってこねえな。行くか、大地」
「そうだね、ちょっと心配だし」
あんな可愛い子を一人にさせたら大変だと思うし。
僕はアニキと共にドリンクバーへ足を向ける。
「どうだ大地、楽しめてるか?」
「もちろん。それよりアニキは凄いね。スリーポイント3本も決めるなんて」
「まっ、普段の行いがいいからなぁ。運も味方してくれてんだろ?」
「今年分の運を此処で使いきらない事を祈るよ……」
「ははっ、ナマ言いやがって。俺の運はそう簡単には無くならないぜ?」
まるで兄弟のようなやり取りをしつつ、僕達は目的地へと辿りつく。
そこにはせっせとサーバーからジュースを注いでいる千鍵の姿があった。
どうやら悪い虫はついていないみたいで、ちょっと安心した。
「千鍵」
「あ、お兄ちゃん。今持って行くところなので、もうちょっと待っていてくださいね」
「手伝うよ」
流石に一人で五人分を持つだなんて無茶だと思うし。こぼして洋服を汚したりでもしたら大変だ。
僕はジュースの注がれたグラスを二本持つと、アニキも二本持ってくれた。よって千鍵は自分のものだけを手に席へと戻る。
これも可愛い妹のため。ちょっとした役得だ。
「えへへ、優しいお兄ちゃんを持って千鍵は幸せ者です♪」
……まあ、こういう恥ずかしい事を照れ臭げに言うのにはちょっとだけ抵抗があるけど。
「銀くん、お昼からは何処を回るんですか?」
「そうだなぁ、みんなで話し合って決めるつもりでいたんだが、俺としてはアーチェリーかねぇ」
「球技から弓技に切り変えるんだね」
「誰がうまい事言えっつったよ」
「あはは」
アニキに脇腹を小突かれ、僕は笑いながら空達が待つ席へと向かう。
と、そこには。
見慣れない青年の三人組が僕達の席へ腰掛け、空とあま姉に詰め寄っていた。
「あちゃー。こっちのが危なかったか」
アニキはふう、と一つ溜息を吐いて苦笑を浮かべる。
いや、確かに危険な状況だろう。
主に、ナンパと思われる青年達の方が。
あま姉と空は二人して素敵な笑みを浮かべていて、それに気付かずにいる青年三人は、自分たちだけで話を進めている。
気付いて目が合った時にはもう遅い。二人のその笑みは青年三人を震えあがらせ、たちまち彼らは脱兎の如く席を蹴飛ばして逃げ出してしまった。
僕は今、女性の怒っている顔は本当に恐ろしいものだと実感しました。
アニキと僕は苦笑を浮かべ、千鍵は一人目をキラキラさせて「ふたりとも凄いです!」とあま姉と空を称賛していた。
できれば千鍵には愛想笑い程度で済ませていてもらいたいんだけど、この環境じゃあいつああいう笑顔を浮かべられてもおかしくないなあ……。
気を取り直して僕達はあま姉と空へと合流して、テーブルにそれぞれの飲み物を置いてプラスチック製の椅子を立ちあげると、それに腰掛けた。
すると――バキッ!
「うわあっ!?」
「「大地!?」」
「大くん!?」
「お兄ちゃん!?」
僕の腰掛けた椅子が傷んでいたのか、脚が折れてしまった。
幼馴染と妹四人から心配気な声があがり、尻もちを付いた僕はつい笑ってしまう。
「なんか傷んでたみたい」
「おいおい大丈夫かよ? 今換えの椅子取ってきてやっからちょっと待ってろ」
「ありがとう、アニキ」
完全に折れてしまった椅子の脚を見つつ、僕は立ち上がりながらその椅子の後始末にかかった。
けど、それに気付いたフロアーのバイトさんがそれの片付けをしてくれたので助かった。
そしてアニキが他の所から椅子を持ってきてくれたので、僕達はようやく昼食へありつくことができたのだった。
腹ごなしに決定したスポーツは、アニキ提案のアーチェリーだった。
しかし身長制限(というよりキッズレーン行き)があったために、空とあま姉は参加できずに後ろの方で待機していた。
「むう……。やっぱりこういうところにも身長が必要なのね……」
「まぁまぁ空。次はバッティングだしそこで発散すればいいじゃない」
ジト目で弓……コンパウントボウと呼ばれる汎用的なそれを握った僕達を睨んで来る空に、僕は小さく手を振った。
すると、あま姉が「きゃあん」という女の子らしい黄色い声があがり、僕は苦笑する。
「アーチェリー……。触るのは初めてかな」
「いや、何度もやってるし大丈夫だろ。ちなみに、アーチェリーとかはお前の得意分野だぜ」
「え、そうなの?」
「的を狙う時のお兄ちゃん、すごく素敵なんですよ♪ 録画して永久保存してしまいたいくらいです♪」
「やあ、それは返って集中できないからやめてほしいなあ……」
目をキラキラさせてタッチ式のケータイを取り出した千鍵にノーサンキューを決め込んで、僕はアニキの隣の10Mレーンに入る。
はあ、と僕は一つ息を吐いて集中。
矢を番えて弓を肩で押す様にする。
不思議と身体が慣れていた。矢を引く指も。弓を押す力の入れ方も。
弦サイトで狙いを定め、そして――射る。
ヒュッ――スパンッ。
的にまで到達する時間はおよそ1秒にも満たなかった。
そして、僕の矢は――
的のほぼ真ん中を射抜いていた。
「………」
不思議と弓矢に手がなじむ。
違和感はなく、ただそれをあるべきところへ射る事が出来そうな気がした。
残り四本。
僕はその的の中でさらに狙いを定めて射る事にした。
第二射。……成功。
第三射。……成功。
第四射。……成功。
第五射。――成功。
「……ふう」
どうやら、弓道部へ入りたいと思ったのはこれだったのかもしれない。
恐ろしいくらいに自分の矢が的の狙った所に当たる。
僕の射た矢は、殆ど的に直線を作っていた。
初めて射た自分でも身震いするくらいの出来上がり様で、つうっと背中に冷や汗が伝う。
僕はスコアシートを手にレーンから出ると、あま姉と空が僕へと駆け寄ってスコアシートを眺める。アニキ達はまだ矢を射ていた。
「うわあ……ほんとに真っ直ぐ……」
「狙ってたの? 大くん」
「うん、まぁ少しだけ。当たればいいなあって思う程度だったんだけど……。まさか本当に狙った所へ飛ぶだなんて思わなかった」
空はそのスコアシートをまじまじと見て、人差し指でその一本線をなぞって行く。あま姉は僕に訊ねながら驚嘆の声をあげる。
それから少しして、アニキ達がレーンから出て来たところで結果発表。
どうやら僕は点数でいうと一番で、二番にアニキ。三番が千鍵だったみたいで、アニキはかなり悔しがっていた。
(でも……なんだったんだろう、さっきの感触)
まるで触り慣れた様な、どこかデジャヴを覚えていた僕は、みんなと移動しながらも、アーチェリー場を軽く振り返ったのだった。
それから僕達は、リベンジに燃えたアニキと共に、サッカーのストラックアウトや、突発的なイベントのサバイバルゲームに参加しつつ……。
アミューズメント・パークを出た頃は、すでに辺り一面が真っ赤な夕陽に染まっている頃だった。
◇
帰り道。
バス、モノレールと移動を終え、あとは徒歩で家へ帰るだけ。
僕はそれがどうしてか寂しく感じて、幼馴染のみんなと色々な事を話した。
また明日会える。それは変わりないことだというのに、僕は不思議と不安を感じてしまう。
「それじゃあ、またねー三人とも」
「気を付けて帰るんだぞー……って、まぁそりゃ俺達の方か」
「うん、また明日」
「お疲れ様です、天音ちゃん、銀くん」
「またね、二人とも」
「明日は午後の五時あたりに集合だな」
「あ、そっか。花火大会かぁ~。お弁当作って行こうかしら。ね、ちーちゃん?」
「はい。腕が鳴っちゃいます! お兄ちゃん、楽しみにしていてくださいね♪」
「う、うん」
僕達の家の前へ到着して、アニキとあま姉は僕達と別れつつ、明日の打ち合わせを済ませると、二人は足早に帰路へついてしまった。
アニキ達の背中が見えなくなるまで見送ると、空はふう、と息を吐いて伸びをした。
「あはは、流石に疲れちゃいましたね」
「うん。今日も遊んだ~……」
「筋肉痛に気を付けないとね。しっかりお風呂でマッサージしないと」
「そうね。大地と千鍵も、ちゃんとやるのよ?」
「はい♪ お兄ちゃん、私がマッサージしてあげます!」
「そこぉ! どさくさにまぎれて大地と一緒にお風呂入ろうとしない!」
「あ、あはは……」
流石に冗談だよな、と思いつつ、僕は空笑いで千鍵へと返す。
空は何を想像したのか頬が少しだけ赤くしながら、千鍵に釘を刺し始める。
なんというか、ちょっとお姉ちゃんっぽいな。空。今日初めてみたかも。
……まだまだ知らない事はたくさんある。でも、みんなは何も変わらずに僕と接してくれている。
そこに甘えながら、僕も僕で在り続けたい。そう心から願って、すっかり暗くなってしまった夜空を見上げた。
夜空はすっかり晴れ切っていて、星空が煌めいている。
曇りひとつないその夜空に、僕はこう思った。
明日も晴れそうだ。
いつの間にか僕の中にある不安と寂しさはなくなっていて、自然と明日を求める様になっていた。
……………。
…………。
………。