第1章 Chapter1 胎動-別れの日へ-
「まな・あかでみー?」
ゼンは、ディルを見上げて、不思議そうに首をかしげた。
「そうだ、ゼン。『マナ・アカデミー』。魔法を学べる学校だ。」
「魔法、ってことは、ボクの持ってるこの変なのも、お勉強できるの?」
そう言うと、ゼンは手のひらに軽く意識を集中させた。
すると、手のひらの上に小さなつむじ風が姿を現した。
「そうだ。ゼンの持つ不思議な力を、きちんとした形にするための勉強ができる場所だ。どうだ、入学してみないか?」
手のひらの意識を解き、ちょっとだけ考えてから。
「うん、どんな所か行ってみたい。」
と、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「だけどな、ゼン。入学したら、私に会う事はできなくなると考えた方がいい。」
「何で?ディルおじいちゃん?」
「ゼンが大きくなった時に、ちゃんと話をする。」
「ん~、ディルおじいちゃんに会えないと、淋しいなぁ…」
ゼンは、そう言うと少し哀しい表情をした。
「なに、マナ・アカデミーに入学したら、友達もたくさんできる。」
「…うん。」
「さぁ、明日、マナ・アカデミーに行こう。そして、そこが新しいお家になるんだよ。」
そう言うと、ディルはゼンにやさしく微笑みかけた。
「大丈夫だ、ゼン。お前なら、ちゃんと勉強できる。そして、一人前の魔導師になる事ができる。」
「魔法師じゃないの?」
「そうだ。メイジだ。お前なら、マージを超えられる。」
ポンとゼンの頭に手のひらを乗せ、ディルはそう言った。
「さぁ、明日の出発までに準備をしよう。ゼン、必要なものをまとめておきなさい。明日、お前が10歳になってから、新しい生活が始まるんだよ。」
まどろみが解け、目を開けると、いつもの自分の部屋。
少しずつしっかりしてくる意識に、先ほどまでの「夢」を思い出してみた。
「ディルおじいちゃんの夢… 久しぶりに見た気がする…」
流れていた涙の後をぬぐい、重たい体を起き上がらせた。
と同時に、部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「はい、少しお待ち下さい。」
と言い、ゼンは大急ぎでドアを開けた。そこには、
「おはよう、ゼン君。今日も早起きだね。」
と、にっこりと微笑むマーニャの姿があった。
「マーマ先生、おはようございます。」
「いよいよ、今日が卒業検定試験だね。」
「…はい。」
ゼンは、少しだけ緊張のような、落胆とも取れるような、そんな表情をした。
「大丈夫。ゼン君なら、きっと合格できるから。」
そう言うと、マーニャはゼンを優しく抱擁した。
「…合格はしたいです。…けど…」
「けど、何?」
「マーマ先生に逢えなくなるのは、ちょっと淋しいです…」
少しだけうつむいて、ゼンはこう応えた。
「私には、ここに来ればいつだって会えるんだから。ほら、顔を上げて。」
「…はい…」
「朝ごはんは、ゼン君の大好きなチーズオムレツだよ。一緒に食べに行こう。」
優しく、けど強く手を繋いで、マーニャとゼンは食堂へと向かった。
食事を終え、自分の部屋に戻ってきたゼンは、いくつもの気持ちが入り混じった、複雑な思いをめぐらせていた。
「ボクに卒業試験をさせるっていうのは、アカデミーが決めた事で、マーマ先生のためにはそこで合格しないと…
けど、合格しちゃうと、マージとしてのクラスが与えられるから、もうここにはいられない…」
重たい溜め息を一つついて、着替える事にした。
卒業試験では、基本的に自分の部族の正装をする事と決められている。
極東の国「ジパング」の血筋を受けるゼンは、「絣」と「袴」と呼ばれる服を着る事になっていた。
ジパングの事があまり知られていないので、入手は困難とされている。
が、アカデミー入学時に、ディルから渡されていた文献を読んだマーニャが、3週間で作り上げたものにゼンは袖を通した。
前日までに準備をした荷物を持って、外へと出た。
するとそこには、一緒にアカデミーで勉強をしていた友人達が待っていた。
「ゼン、いよいよだな!」
「ゼン君とお別れになるのはちょっと淋しいけど… けど、頑張ってね!」
「年上のやつらよりも、断然、ゼンの方が強いんだから、いつも通りすればすぐに合格できるさ!」
その内、ずっと後ろで佇んでいた少女が、ゼンの前に進み出てきた。
「…これ、みんなで作ったの… お守りにしてね…」
と、小さな包みを手渡された。
その中には、魔絹で作られた指輪が入っていた。
込められている力は弱々しいが、一つの輝きを宿している。
「私達、ゼン君みたいな力はまだない… けど、一生懸命作ったの…」
「ハンナ、一番頑張ってたもんな。」
ゼンは、みんなからの励ましに、少しだけ笑顔が戻った。
「みんな、ありがとう… 頑張ってくるね!」
そう言うと、友人達の輪に別れを告げた。
マーニャの教官室に着くと、ゼンはそのドアをノックした。
<コンッ、コンッ…>
「ハ~イ、ちょっと待ってね。」
奥から応答し、1分くらいの間があって、そのドアが開いた。
部族の正装である「聖職者服」に着替えたマーニャがそこにはいた。
「ゴメンね、ゼン君。髪止めが見つからなくて、ちょっと慌てちゃった。」
照れたように舌をペロッと出して笑った。
しかし、ゼンの表情は硬かった。
微笑みこそするが、いつものものとは違うと、マーニャは気がついていた。
みんなと別れるのがつらいと思っている事が、手に取るようにわかる。
…かつて生徒だった頃、「能力者」に思いを寄せていた。
その人も、ゼンと同じように17歳を迎える前に卒業試験を受けさせられ、そのままアカデミーを去った。
そして、それ以来連絡も取れなくなってしまっていた。
そんな昔の事が頭の中をよぎり、けど、表情には出さずに、マーニャはゼンの手を握り、校長の待つ部屋へと進んだ。
「校長先生、マーニャです。ゼン君を連れてきました。」
「入ってくれ。」
大きな黒い椅子に座っている、真っ白な髪と髭をした男性、校長のジールが二人を向かえた。
緊張の面持ちのゼンを見て、ジールは、ゼンの前に進んできて、
「ゼン君、昨日はちゃんと眠ったかい?」
と、にっこりと笑いながら問いかけた。
「…いえ、緊張していて、ほとんど眠れませんでした…」
ゼンは、申し訳なさそうに答えた。
「ハハハ。それは当たり前のことだよ。気にする事じゃない。」
そう言うと、ジールはゼンの頭に手のひらをのせ、
「君の実力は、私達が既に認めている。自信を持って臨みなさい。心配しなくても、きっといい結果が返ってくるよ。」
と、励ましの言葉をかけた。
「マーニャ先生も約4年ほどですが、ゼン君の担任、ご苦労様でした。」
「私は、ただ、初めて担当する事になったゼン君を見守るのは、当たり前の義務と思っていましたから…」
マーニャは、若干慌てたようにその場を取り繕った。
ジールは、再びゼンの方へと視線を向けた。
「ゼン君。これから君は、新しく魔法師…いや、君の場合は、魔導師として1人前と認められるかの試験を受けるんだよ。」
「…はい。」
「これからマーニャ先生と向かう先、『無垢の家(イノセント・ホーム)』にいる『階級監査官』に、君の力を思いっきり見せるんだ。」
「…はい。」
「君は、普段通りにしていればいい。マーニャ先生がいるから、淋しくもないだろうしね。」
「……」
しばしの沈黙が流れた後、
「…いえ、校長先生。マーマ先生といるから淋しくないというのは、違います。」
ゼンが、重たく閉ざしていた口を開いた。
「本当の事を言うと、ボクはまだ、ここで学んでいたかったです…友達と一緒にいて、みんなから学ぶ事も、もっとあったと思いますし…」
力なくうつむき、肩を落とし、哀しげな瞳になったゼンを見て、ジールは、
「君のその向学心は、きっと君を素晴らしいメイジにしてくれる。1人前として認められた後でも、勉強はいくらでもできる。今、君にできる事は、マーニャ先生から教えてもらった事を、監査官に見せる事なんだよ。」
ほんの少しだけ声を強めて、ジールはゼンにそう告げた。
「さぁ、マーニャ先生、ゼン君を無垢の家へと案内してあげてください。あなたの誇る、最高の教え子であるゼン君を。」
「はい、ジール校長先生。さ、ゼン君、行こう。」
「…マーマ先生…」
「ゼン君がつらいと思っているのは、私だってよくわかる。けど、君は選ばれたんだ。名誉な事なんだよ。もっと、自分に誇りを持つんだ。」
「…校長先生…」
今にも泣き出しそうな瞳で、ゼンは二人の先生へと視線を向けた。
「とりあえず、失礼します、ジール校長先生。ゼン君、外に行こうか。」
笑顔を取り繕い、マーニャはゼンの手を引いて、中庭へと向かった。
そして、真ん中にある大木の下に腰掛けた。
「さ、ゼン君。イノセント・ホームに行く前に、ちょっと休憩。」
と言って、かばんから一つの包みを取り出した。
そこから感じる甘い香りに、ゼンは少しだけ笑顔が戻った。
「もしかして、*ハニー・バルーンですか、マーマ先生?」
(*蜂蜜をたくさん練りこんだふくれ菓子。これも、ジパングの文献から出てきたレシピを、マーニャなりにアレンジしたもの。)
「当たり。ゼン君に元気になってもらいたいから、作っておいたんだ。一緒に食べて、力をつけよう。」
マーニャは、自分の座っている隣をポンポンと2回叩き、ゼンを座るように促した。
ゼンも、その指示に従い、マーニャの隣へと腰掛けた。
手渡されたハニー・バルーンを頬張ったゼンは、自然と笑顔になっていた。
「あのね、ゼン君。」
唐突に、マーニャが口を開いた。
「私ね、本当の事を言うとね、ゼン君の先生になるの、不安だったんだ。」
「…?! んぐっ!げほっ、げほっ!」
突然の一言に、ゼンはハニー・バルーンを喉に詰まらせてしまった。
「あ、ごめん。はい、お水。」
手渡された水筒の水を飲み、喉のつまりを取ってから、ゼンはマーニャを見上げた。
「マーマ先生、ボクの先生にならなかったかもしれないのですか?」
そう聞かれて、マーニャは、
「実は、そうなんだ。ゼン君がアカデミーに入った日と、私がここの先生になった日、そんなに変わらないの。」
「そうなんですか…」
「私が先生になって、初めて入ってきたのが、ゼン君だったの。校長先生の計らいで、ゼン君の担任の先生になる事になって。」
「はい…」
「で、ゼン君を『精霊の部屋』に連れて行って、魔法を発動してもらったよね?」
「はい、そうでしたね。」
「私、ビックリしちゃったもん。すべての精霊が、ゼン君に呼応したから。」
「それって、すごい事なんですか?」
「ものすごい事なんだよ。私がやったら、光の精霊しか反応しなかったんだよ。私達、人間が普通に呼応させる事ができる精霊って、1つか2つ。多くても3つって言われるし。」
「そうなんですか?! ボク、知らなかった…」
「だから、そんなすごいゼン君を、私が担任できるかな、先生になって9日目の私に務まるかな、って。」
「ボク、マーマ先生じゃなかったら、学校に行かなかったかもしれません。」
「ありがとう、ゼン君。さ、そろそろ行こうか。」
「はい。」
弱々しくではあるが、ゼンに笑顔が戻り、マーニャはホッとした。
そして、「臍の大陸」の一番南に位置する、マナ・アカデミーウィル校に一番近いイノセント・ホーム、『ウィリアムス・ホーム』へと辿りついた。
「ゼン君、ちょっと待っててね。」
そういうと、マーニャは門番と話し初め、何かの手続きを始めた。
それを待っていると、中から二人の男性が出てきた。
成人男性の方は、一目でわかる民族衣装だったため、アカデミーの教官だとすぐにわかった。
生徒と思われる男性は、歳はゼンの3つか4つほど上で、「勇者学校」を卒業するかどうかと思われる。
が、ブレイバー・アカデミーの生徒にしては、かなりの軽装。戦う格好というには、何かが違うような、そんな印象だ。
ここで試験を受けているという事は、ウィル校の生徒なのだろう。
その人は、ひどく不服そうな表情であった。
「俺の実力はこんなもんじゃねぇ! 何だ、あの試験は!! バカにするにも程がありすぎる!!」
「全く、監査官の前で、何ていう悪態を!」
教官だと思われる男性は、たじたじになりながら話している。
「とにかく、クラスは明日発表になる。一度アカデミーに戻って、反省しておきなさい。」
そう言うと、教官は風の精霊使役魔法である「羽の生えた靴(フェザー・ブーツ)」の魔法を唱えると、アカデミーにそそくさと帰ってしまった。
意図せずとはいえ、事の顛末を見てしまったゼン。
「何だよ、俺は見世物じゃねぇんだ!!」
怒りの収まらない生徒は、ゼンにその矛先を向けてきた。
どうしよう、と戸惑っていると、ようやくマーニャが手続きを終えてゼンの所へと戻ってきた。
「ゴメンね、ゼン君、遅くなっちゃって。さ、卒業試験、頑張ろう!」
そう言って、マーニャはゼンの手を引き、ホームの中へと進んで行った。
「ゼン=ダイシ君、だね。ようこそ、わがホームへ。」
大広間に通されたゼンとマーニャは、そこで階級監査長と面会した。
「…あ、はい、初めまして…」
偉い人だというのが伝わってきたからか、ゼンは恐縮していた。
「ハハハ。緊張しているようだね。大丈夫、ここで殺されたりはしないから。」
と言って、奥の方へと入って行った。
その後、1~2分経ってから、
「ゼン=ダイシ、その教官、マーニャ=ルディア=レムラ。中へ入れ。」
という声が聞こえてきた。
「いよいよだね、ゼン君。頑張ろうね。」
そして、1度、ちょっとだけ強く手を握ってから、ドアの中へと進んだ。
「ほら、ゼン君、名乗らなきゃ。」
小声でマーニャが促し、ゼンは一呼吸置いてから、
「風水魔術師候補、ゼン=ダイシ、参りました!」
かつて、階級監査官に名乗る時はこう名乗れ、と言われていた通りに名乗った。
「ネイチャー?! 君は、『能力者』だったのかね。」
ゼンは、何を言われているかわからず、きょとんとしていたが、
「はい、ゼン君は『風水』のアビリティーを持っている生徒です。今から、その片鱗を如何なくお見せする事ができます。」
と、普段のそれとは思えない表情で、マーニャが真剣に訴えた。
「わかった、そこを考慮した見方をさせてもらおう。
ゼン=ダイシ、君の魔法能力を見せてくれ。」
監査官がそう言うと同時に、辺りが闇に包まれていった。
そして次の瞬間、数多の星達の煌めきの中に、ゼンとマーニャと監査官だけが存在していた。
「ここは、『精霊の部屋』と同じようにできている。
君の持つ力を、ここにいる精霊の力を使い、私に示すんだ。」
そして、監査官の影が伸び、魔物のような姿を示した。
「さ、ゼン君。監査官さんの影に向かって、君の能力を示して。」
マーニャが一言告げると、ゼンは少し緊張した表情をした。
が、すぐに意識を集中させ、真剣な瞳をした。
「ゼン=ダイシ、参ります!!」
ゼンは、臆することなく、監査官の影に立ち向かった。
「風水・焔。『焔の息(フレイム・ブレイズ)』!!」
次々と、ゼンの力の特徴である『息』に精霊の力を込めてぶつけていく。
徐々にではあるが、監査官の影が薄くなり始めた。
すると、今までの構えを解き、三節棍にもなるロッドを足元に置いた。
そして、今までとは違う詠唱に入った。
『この地に居ります数多の神よ。今、わが前にその力を見せ、かのものを祓いたまえ!!』
閉じていた目を開き、両手のひらを天に仰ぐと、そこに一つの影が姿を現した。
「もしかして、あれは私の部族の神の一人、熾天使セラフィム…」
マーニャがそう判断した次の瞬間に、激しい閃光が辺りを包み、監査官の影を消し去った。
「…はぁ、はぁ… 影が消えた… お、お終い、かな…」
魔力の消費をかなりしている様子ではあったが、ゼンはまだロッドを構えている。
「ゼン=ダイシ、お前の力の片鱗、しかと見させてもらった。」
すると、星々の煌めきが消え、もとの真っ白な広間へと戻った。
「私の影を消し去ったのは、今まで試験を担当していて、君で3人目だ。追って、クラスの方は通達がいくだろう。アカデミー最後の一日になるだろうが、悔いの残らないように締めくくってくるといい。」
監査官は、それを言うと姿を消した。
「お疲れ様、ゼン君。きっと、いい評価が帰ってくると思うから、楽しみにしてようね。」
と、マーニャが温かく迎えてくれた。
一つ、大きな節目を終えて、ゼンも安堵の表情を浮かべていた。
そして、アカデミーに戻り、自分の部屋に入ると、ゼンはすぐに横になった。
ダメージを受けているのではなく、精神的な疲労から、眠りに入ったのだろう。
「ここが、マナ・アカデミー?」
ディルを見上げて、そして大きな門と城壁を見上げて、ゼンは聞いた。
「あぁ、ここが今日からゼンがお世話になる、マナ・アカデミーのウィル校だ。」
「ふ~ん… どんなところなんだろう?」
「きっと楽しいところさ。お友達もいっぱいできる。」
そう言うと、ディルは守衛と話をした。
すると、部屋の奥から一人の女性が姿を表した。
「君が、ゼン君だね?初めまして。私の名前はマーニャ。君の担任になる事になりました。よろしく。」
そう言うと、マーニャと名乗った女性は、ゼンの手をしっかりと握った。
「この子は、全寮制クラスに配属を希望したのですが、そちらはどうでしたか?」
「はい、低年齢全寮制クラスで、私はまだひとりも担当していないので、受け入れ可能となっております。新人ですが、頑張りますので。」
「そうか。良かったな、ゼン。こんなに素敵な先生が一緒なんだから。」
ディルもマーニャも、とてもいい笑顔でゼンを見ていた。
「…違う、ボクが求めているのは、これじゃない…」
自分の中で、自分が大きく抵抗している。
「ボクが学びたい事は、これじゃなくて、もっと他のところにあるはず…」
しかし、ディルは背中を向けて、その場から去って行こうとしている。
「ディルおじいちゃん、待って… 行かないで! 一人になりたくない!」
口を開こうとしても、それが言葉となって出て行かない。
「待って、ねぇ、お願い…っ!!」
「おじいちゃん!!」
自分の声の大きさに、意識が覚醒したゼンは、一瞬訳がわからなくなっていた。
「あれ? ここは… 今日、イノセント・ホームで卒業試験を受けて、で戻ってきたんだよね…? あれ、けど、ディルおじいちゃん…」
夢と現がごちゃごちゃになってしまっているところに、ゼンの頭に何かがこつんと当たった気がした。
「ん?何かな?」
すると、開けていた窓から、紙飛行機が一つ飛んできていた。
窓の外を見てみると、一緒に学んでいた友人達、そして自分よりもっと年下の子ども達が、紙飛行機で遊んでいる。
何となく、先ほど投げ込まれた髪飛行機を持っていたので、投げようとした。
が、何かが書いてある事に気がついたゼンは、投げるのをやめた。
開いてみると、本当に小さな文字で、こう書いてあった。
-ゼン君がいなくなるのは、とっても淋しいです。
けど、ゼン君の事ですから、きっと1回で卒業できると思います。
メイジになっても、頑張ってください。-
差出人の名前は書かれていないが、この、本当に小さな紙飛行機に、自分の事を応援してくれる友人の姿を見て、ゼンは胸がいっぱいになった。
すると、先ほどまで晴れていたのに、急に雨雲が広がってきた。
「スコールだ!みんな、早く部屋に入ろう!」
という声が聞こえたと同時に、大粒の雨が降り始めた。
ゼンの頬にも、同じように大粒の雨が落ちていくのであった…
翌日、ゼンはマーニャとともに、校長のジールのところへと呼び出された。
勿論、前日の試験の結果がジールのもとに届いたからである。
「さぁ、ゼン君。君の試験の結果が入っている封筒が、私の手元にある。今、どんな気分だい?」
そう聞かれて、ゼンは一つ呼吸を整えてから、
「緊張しています。けど、どんな結果が出ても受け入れる覚悟はできました。」
少しだけ強く、そして凛々しく答えた。
「そうか。では、開封するよ。」
ジールは、封筒を足元に一度置くと、何か魔法を詠唱し始めた。
次の瞬間、封筒から魔法陣が広がり、そして消えた。
「さぁ、これで開封できたよ。マーニャ先生、これを。」
そういうと、ジールはマーニャに封筒を手渡した。
マーニャは、緊張した様子で開封された封筒を手に取り、そして中に入っている紙を取り出した。
「さぁ、マーニャ先生。ゼン君の試験結果を発表してください。」
「はい、わかりました…」
二つ折りになっている紙を開き、それに目を落とす。
「ゼン=ダイシ、貴君を…」
次の言葉を言葉にしようとした瞬間、マーニャは自分の目を疑った。
「マーマ先生、どうしました?」
ゼンが少し心配そうに聞いてきた。
「あ、うぅん。何でもないよ。ちょっと、ビックリしちゃっただけ。」
コホン、と一つ咳払いをして、マーニャは改めて結果を読み始めた。
「ゼン=ダイシ、貴君を中級クラスと認める!」
ゼンは、その結果に目をぱちくりさせた。
「え、ちょ、ちょっと待ってください。ミドルって、3つ目のクラスですよね?!」
多少混乱しているゼンを見て、ジールが口を開いた。
「ゼン君の実力が、監査官に認められたから、この結果なのさ。もっと誇りを持って。」
ゼンのところまで歩み寄り、ポンと頭の上に手のひらを乗せた。
「そうそう、マーニャ先生。もう一つ封書があるのですよ。」
そういうと、ジールは同じような封筒を取り出した。
「光の封印がなされていますから、あなたでも解けます。さぁ、開いてご覧なさい。」
言われるがまま、マーニャは封印を解き、中の紙を取り出した。
その内容に目を通したマーニャは、
「え、校長先生、これは本当なのですか!?」
驚きと興奮に包まれたマーニャが、思わず大声でジールに聞いた。
「あぁ、本当だとも。あなたの、アカデミーでの仕事ぶりが認められた証拠だと思いますよ。」
わけのわからないゼンが、
「マーマ先生、どうしたのです?」
と、不思議そうに尋ねた。
「ゼン君にも、教えて差し上げなさい。」
ジールに促され、マーニャはその文面を読み始めた。
「貴君は、担任生徒であり、能力者たるゼン=ダイシを優秀な成績に育て上げた。その、アカデミー教官としての実力を認め、クラス鋼鉄と認める。」
つまり、ゼンの優秀な成績のおかげで、マーニャはクラスを一つ上げるようにと認められたのであった。
「マーニャ先生、あなたはアカデミー教官としての成績は、正直に言ってあまり良くない方にあります。しかし、子ども達の先生という立場の人間である事に関して言えば、おそらくどの先生よりも向いているでしょう。あなたが、どの生徒にも分け隔てなく優しく接し、ともに学び、ともに歩み、ともに育っていこうとする姿勢が、認められたのですよ。」
マーニャは、自分が見たことないほどの優しい微笑を湛えているジールの表情に気がついた。
「我々、アカデミーの人間は、あなたのように生徒とともに学ぶという姿勢を忘れていたのかもしれません。あなたという先生を持った事、私は誇りに思います。」
「ジール…校長先生…」
「さぁ、ゼン君にとって、今日が本校最後の夜。マーニャ先生、最後の仕事をしてください。」
「…はい、わかりました。」
それだけ言うと、マーニャはジールの前から立ち去った。
ゼンも、慌ててマーニャの後を追った。
「マーマ先生、どうしたのですか?」
「何でもないよ、ゼン君。気にしないで。」
と、笑顔を作りながら答えた。
「ゼン君、今日の20時になったら、また中庭の木の所にきてね。」
「え、あ、はい、わかりました。何かあるのですか?」
「それは、きてからのお楽しみ。じゃ、またね。」
そう言って、マーニャは自分の教官室へと入っていった。
気にはなったが、マーニャの言葉に従い、夜まで待つ事にした。
瞑想をしながら、改めて結果の事を考えた。
アカデミー卒業資格は17歳からだが、現在14歳に満たない自分がその卒業試験を受ける事になった。
そして、その結果、「ミドル」のクラスをもらっての卒業が決定。
マーニャのクラスも「アイアン」へと更新。
自分の身の回りが、何かしら大きく様変わりを始めている…
そんな、渦中にいる自分に対して、漠然とした不安がゼンを覆っていく。
無論、今回の卒業に関して、よく思っていない人だっているであろう。
それらの事に対して、どう説明していけばいいのか…
そんな事を考えている時に、
<コン、コン、コン>
ドアのノック音に気がついたゼンは、瞑想をやめ、ドアを開けた。
「ゼン君、もうとっくに20時は過ぎてるぞ?」
にっこりと微笑むマーニャの姿が、そこにはあった。
「あれ?確か、さっきまで18時過ぎ…」
時計を確認すると、20時15分を指している。
「ごめんなさい、マーマ先生。瞑想してました…」
「うん、そうだと思って、迎えに来たよ。」
申し訳なさそうにうつむくゼンに、マーニャは優しい笑顔で答えた。
「さ、中庭に行こう。お話があるから。」
促されるまま、ゼンは中庭の大きな木の下に座って、マーニャの話を待った。
「あのね、ゼン君。明日で、ゼン君はここを正式に卒業して、アカデミーに登録されるよね。」
「はい、そうですね。」
一瞬だけ哀しい目をして、ゼンは答えた。
「そのあと、クラスをもらった人がどうなるか、って聞いた事ある?」
「いえ、それはありません。どうなるのですか…?」
今度は、ひどく不安な表情でマーニャに聞き返した。
「基本的に、パーティを組んで行動する事になるんだよ。」
「パーティ?」
「クラスをもらった戦士さんや魔法使いさんが、何人かのグループになって、お互いを支えあいながら一緒に行動するの。それをパーティっていうんだよ。」
「へぇ~…」
知らなかった事とはいえ、自分もそのパーティに参加しないといけないと考えると、少し気が重たくなった。
「私も、かつてパーティを組んでいた事があるの。」
ゼンは、その一言に驚いた。
「マーマ先生も、冒険した事があるのですか?」
「うん、ちょっとだけだけどね。冒険が向いていないと思ったから、先生になろうと考えたの。ゼン君にも出会えたし。」
ゼンは、マーニャの話を聞いていると、どんどん自信がなくなってきた。
「けどね、ゼン君。」
そんなゼンの心境をわかって、マーニャは話を切り返した。
「パーティは、自分勝手に決められないけど、それでも仲間と一緒にいられるっていうのは、幸せな事なんだよ。」
今までにない真剣な眼差しで、マーニャはゼンに訴えかけた。
「ゼン君が今まで逢ったお友達と一緒。きっといい人がパーティメンバーになってくれるから。」
「…はい。」
「パーティが決定すると、必ず通達が行く事になってるから。不安かもしれないけど、頑張ってね。」
そう言うと、マーニャはゼンの両手を強く握った。
「ゼン君なら大丈夫。きっといい人とパーティが組めるよ。冒険するかは、ゼン君が決めることだけど。」
しばらく思いつめたような表情をしていたゼンは、その重たい口をようやく開いた。
「…マーマ先生、ボク、冒険したいです。やりたい事があります。」
真剣な瞳になったゼンを見て、マーニャは、
「うん、私に話しても大丈夫な事かな?」
と、念のために聞いてみた。
「はい、マーマ先生には、言った方がいいなって思いました。」
そして、一つ小さく呼吸を整え、
「ボク、東に行きたいです。極東の国、『ジパング』に…」
「ジパングに行って、何がしたいの?」
「…父さんと母さんの、お墓参りです。墓標の位置も、ディルおじいちゃんに聞いていますし。」
「そうなんだ… 行けるといいね、お父さんとお母さんの所に。」
マーニャは、そう言うにとどまった。
東への旅がどれだけ過酷なものか、わからなかったから。
「じゃぁ、ゼン君にお守りを一つあげるね。」
そう言うと、マーニャは普段からつけているペンダントを外し、そこから小さなナイフ形の石を一つ取り外した。
そして、一本の細い鎖にその石をくくりつけ、ゼンの首につけた。
「この石、隕鉄で作られた、ナイフ形のお守りなの。ゼン君の事を守ってくれますように、私からの最後のプレゼント。」
「マーマ先生…」
そして、マーニャは優しくゼンを抱きしめた。
「サヨナラは言わないね。また、逢えるから。気をつけていってらっしゃい。」
「…はい、行ってきます、マーマ先生。」
流れ星が一筋、天空を、そして、ゼンの頬をつたった。




